任務6 クレイジーネギラー
ここは、豊かな自然と厚い人情に囲まれた知る人ぞ知る隠れ駄菓子屋兼人助け研究所本部。本来近所のおばちゃんや友達連れの小学生ぐらいしか訪れないこの店にも、時として迷惑極まりない客が訪れるのだ。
ビスケットの袋を手にした厚化粧のおばさんが、マスターに怒鳴り声を上げている。マスターは何度も首を横に振っては、彼女の要求を拒否した。奥の部屋でねじり鉢巻に前掛けをつけて、八百屋だか魚屋だかのコスプレをした冴子は、そろばんをリズムよく弾きながら、二人のやり取りを眺めていた。
「チキショースーパーでは、ここよりも半額でビスケットが買えるからまけろ、だとさ。だが、今日そこに行ってきたが、値段はここの1.5倍だったぞ。」
「ちょっと調べれば分かるのに、他に交渉の仕方が思いつかなかったのかねぇ。まあ、その辺も分かっている上でマスターは拒否しているんだろうけどね。あのおばちゃんも粘ること粘る。」
味がなくなったガムに楊枝で細かく花の模様を彫りながら、所長は呆れた声を漏らした。一向に値引きをしないマスターに腹を立てるおばさんは、ビスケット以外のお菓子も持ち出し、まだまだ交渉を続ける姿勢を見せた。これは長引くと感じたマスターは、やり取りを見ていた冴子に手でサインを送り、おばさんの応対に戻った。了解のサインを返した冴子は、すぐ近くの箪笥を開き、中に入っていた一枚のカードを取り出して、円卓の上に置いた。恒例のコマッター情報カードである。ガムへの彫り物の手を止めた所長は、カードに書かれた被害状況を見て苦笑いした。
「今回のコマッターも、悪質なクレーマー兼値引き交渉人に絡まれて困っているみたいだね。」
「うわやめろスーパー、古本屋こいつめ、洋服店ナンコレ、他多数…被害店が多い上に、毎週決まった曜日の決まった時間に店に出没するのか、加害者は。」
「少しでも店員の態度が気に入らなければ、大声で罵声を浴びせて、陳列された商品の粗を見つけては、無理やり値引きさせて…やりたい放題だねぇ。いっそ店側の権限で出禁にしちゃってもいいと思うけど、口伝やネットでの情報操作が怖いみたいで、そこまでの対応はできないでいるみたいだね。」
「ネットの普及によって、拡散されたデマが真実だと錯覚されて、謂れのない非難を受けたり心無い人物からの嫌がらせを受けたり…私刑と言わんばかりに特定からの集中砲火があるからな。現代社会の恐ろしい一面だ。気に入らないという理由だけで攻撃の矛先を向けて、晒したり笑いものにしたり、なんてこともしょっちゅうだし。」
「そのうち道を行き交う人々同士で、他人を監視し合うような息苦しい社会になりそうで怖いよね。…話を戻そうか。困った客に対抗するには…。」
所長は、新聞広告の裏側に出動できそうな会員の名前を挙げていった。冴子は適性を考慮して、挙がった名前に一つずつバツ印を施していく。そうして一人に絞られたところで、所長と冴子は顔を見合わせて頷いた。所長はすぐさま会員に連絡を入れ、場所と時間、任務の遂行方法を指示した。
「敵は日常的に犯行を繰り返すやり手ウーマンだ。気を抜かずに任に就いてくれたまえ、理論博士!」
洋服店「虫の息」。立地する屈しない町の近所の主婦たちがこぞって通う、地元に根ざした店である。家族用の服をまとめて購入すると、家族割引として値下げしてくれるサービスが好評なのだ。今日も洋服選びに没頭する奥様方で賑わう店内だが、時計の針が午後3時を指したところで店内に緊張が走った。正面入り口の自動ドアが開き、灰色のリュックを背負った髪の毛ボサボサのおばさんが、一歩一歩床を踏みしめるように入ってきた。彼女を目にした店員達は青ざめて下を向き、店内の常連と思しき客たちは、関わりたくないのか店を足早に去っていった。このおばさん、通称、クレーバァこそ、今回の撃退ターゲットである。クレーバァは、慣れた様子で婦人服売り場に足を運ぶと、若い女性向けの水色のワンピースに目をつけて手に取った。両手でワンピースを持ちながら、顔を近付けてワンピースの胸の部分の匂いを嗅ぎ始めた。一通り確認が終わると裏返して、背中の部分でも匂いチェックを行なう。それから隈なく全体を見回し、手で撫で回して肌触りを確かめてから、ワンピースを持って近くの店員に声をかけた。
「ちょっとあんた!このワンピース!1500円って書いてあるけど、高すぎでしょ!?これ、匂い嗅いでみなさいよ!ほら!」
不機嫌な態度で店員の顔にワンピースを押し付けるクレーバァ。店員はまた始まったと、諦めた様子でワンピースを受け取り、匂いを嗅いで見せた。
「どうだい?」
「…どう、と申されましても…良い匂いとしか。」
「あんた、鼻が馬鹿なんじゃないのかい!?あーやだやだ!こんな奴が店員とか、この店終わってるよ!」
クレーバァはワンピースを店員から取り上げ、鼻を擦りつけながら再び匂いを確かめた。
「この独特の青臭い香り!ミドリムシだよ!ミドリムシがわんさか湧いているよ!うーやだやだ!こんな不衛生な服を1500円で売り捌くとか、ぼったくりもいいとこだね!」
クレーバァは、リュックを下ろして中から顕微鏡を取り出すと、ワンピースの生地を隅々まで観察した。そして何かを見つけたように店員にも顕微鏡を覗くように促す。
「ほら見てみろ!私の言った通り、ミドリムシが我が物顔で蠢いているじゃないか!証拠は十分、言い逃れはできないよ!」
勝ち誇った表情でワンピースを見つめながら、クレーバァは、持ち帰り用の袋をリュックから取り出した。何かと難癖をつけて0円に値引きをさせるという悪質な手口なのだ。店員が救いを求めようと他の店員に視線を送っていると、顕微鏡に一人の長髪で好青年な白衣の男が近付いてきた。彼こそが、人助け研究所が派遣した稀代の知識王、理論博士である。理論博士は勝手に顕微鏡を覗くと、感心した様子で頭を上下させた。
「イエササラダニ、コナダニ、ツメダニ…付着したばかりのダニが、三種類。何匹か確認できますね。」
突然割り込んできた理論博士にクレーバァは不満の色を呈し、怒鳴り声を上げた。
「ちょっとあんた!でたらめ言うんじゃないよ!そこに映っているのは、全部ミドリムシさ!おまけにそいつらが、今付着したばかりだって?笑わせるんじゃないよ!元々付着していたからそんなにいっぱいいるんだろう!」
鼻息を荒くして顔を近付けるクレーバァ。理論博士は溜息を吐いて、懐から一本の液体の入った試験管を取り出し、プレパラートを用意してセットし、顕微鏡を調整した。それを覗くようにクレーバァに促す。彼の行動に疑問を感じながら顕微鏡を覗くと、そこには緑の色合いに、特徴的な長い毛のようなパーツを有した生き物が蠢いていた。
「何だい、これは?」
「ユーグレナ植物門ユーグレナ藻綱ユーグレナ目に属するべん毛虫の仲間、ミドリムシ属の総称。ユーグレナとも呼ばれることがある、あなたの大好きなミドリムシですよ。」
理論博士は、笑顔で懐から微生物図鑑を取り出し、ミドリムシの書かれたページを開いて見せた。
「ミドリムシは、水田のように浅い溜まり水のような淡水によく見られる生物だから、そういう所にそのワンピースを落としでもしない限り、生きた彼らにお目見えすることはまずないんですよ。学校で習う生き物ですし、メジャーな微生物の一つですよね。」
説明を聞きながら、目を見開いて茫然とするクレーバァ。理論博士は、懐からセロテープを取り出し、彼女の顔や衣服に貼り付けて、何かを採取するように剥がした。そのテープをミドリムシのプレパラートと取り替えて、顕微鏡で確認した。
「さて、あなたの主張に対する次の答えですが…やはり。今あなたの衣服や顔から採取した生物の中に、ワンピースに付着していた三種類のダニが確認されました。その数は、ワンピースに付着していた数の比ではありません。他の客や店員が持ち込んだ可能性も考えられますが、それならば時間が経過してダニが繁殖しているはず。その様子が無く、中途半端な数が付着していたことを考えれば、直前に触れた人物から移った可能性が極めて高い。つまり、あなたがダニをワンピースに付着させた、ということですよ。」
「いっ、言いがかりだ!ちょ、直前というのであれば、さっきそこの店員もワンピースに顔を…。」
理論博士は、店員の方に視線を送り、なるほどと首を縦に振った。その様子を見たクレーバァは、彼の猛攻を食い止められたと安堵する。だが、理論博士の攻撃は終わっていなかった。
「確かに、そちらの店員さんのワンピースへの接触は私も見ていました。つまり、鼻を直接擦り付けていたあなたと、顔に押し付けられていた店員さん、双方に非があるというわけですね。つまり、少なくとも一度は商品に接触したあなた方が半分ずつ負担して、汚してしまった商品の弁償をする、というのが妥当でしょう。」
「は!?ふざけんじゃないよ!客が商品を買うために物に触れて品定めをするのは当たり前だろう!?あんた、試着したり客が触ったりしたら、その度に弁償代払えって言うのかい!?」
「商品を駄目にすれば、弁償は然るべき行為でしょうが、その辺の判断は店側が下すことでしょう。」
「だったら今回の場合も…」
あくまでも自分の非を認めないクレーバァの眼前に開いた手をかざして勢いを静止させると、理論博士は前髪をかき上げた。
「残念ながら、今回の場合は弁償問題ですよ。いや、それだけじゃない。あなたの過去の行ない全てが弁償に該当する。それは何故か?」
理論博士がスタッフルームの方に体を向けると、ドアが開き、一人の店員が彼らのもとにやってきた。彼は数枚のディスクを手に持ち、その一枚を理論博士に手渡した。博士は表面に貼られたラベルを確認して、クレーバァに示す。
「あなた、店に来る度にミドリムシの名前を使って商品を押収してましたよね?全部で50点の衣類。防犯映像に音声共々ばっちり記録されていました。」
「そっ、それが何だってんだい!今日はついてなかったけど、その日はちゃんとミドリムシがついていたんだよ!」
クレーバァの主張を聞き、理論博士は小型のDVDプレーヤーを取り出し、証拠映像を順々に再生し始めた。
「一月前。」
『見ただろ!?この四つん這いでもぞもぞ動く気持ち悪いミドリムシを!』
「一週間前。」
『どうだ!この蜘蛛みたいな虫!どう見てもミドリムシじゃないか!』
「そして昨日。」
『真っ白で気味が悪い!ミドリムシってのはこれだから嫌なんだ!』
クレーバァの発言を一通りピックアップしてから録画を止めると、理論博士は彼女を力強く指差した。
「お聞きになった通り、あなたがおっしゃっていたミドリムシの特徴は全て的外れ。これはあなた自身の目で確認した付着生物がミドリムシでなかったという決定的な証拠です。」
理論博士の勢いに押され、クレーバァは大粒の汗を流して身じろいだ。理論博士は畳み掛けるように、例のワンピースを手に取り、クレーバァの目の前に突き出す。
「そして、私があなたの弁償を妥当だとする根拠、それは、あなた自身が発した、ミドリムシが付着したからこんなもの商品にならないという言葉です。記録映像を見ると、あなた、押収した商品にどれも顔を触れていますね、匂いを嗅ぐために。そこからあなたのいうミドリムシ、正確にはダニですが、それが付着したのは確定的に明白。そう、商品に異物を付着させて価値を下げたのは、他でもない、あなた自身にも一因があるのですよ。映像からは他の客や店員から同罪者を絞り込むのは困難ですが、その中でも、濃厚に商品と接触していたあなただけは、確実に商品価値を落とした犯人の一人であると言えます。あなたがおっしゃる「値段をつけられなくなるほどの汚物」を商品に自ら振り撒いたのですから、持ち去った分の商品の弁償と店側への謝罪を行なうのは当然のことではないでしょうかねぇ?」
最終的に自分の首を自分で締める結果となり、クレーバァはその場に腰を落として固まってしまった。自信を打ち砕かれて観念したと見た理論博士は、すぐさま警察に通報。業務妨害と詐欺の疑いでクレーバァは署に連れて行かれた。店長を初めとする店員達と握手を交わし、クレーバァに弄ばれた憐れなワンピースを購入して、理論博士は店を後にした。
買い物袋の中で、心なしかワンピースが笑顔を見せたような気がして、理論博士はつられて笑みをこぼした。
翌日、人助け研究所本部にて、理論博士から報告を受けた所長は、静かに電話を切った。時には加害者を警察に送らなければならなくなるケースも少なくないため、逮捕者が出る度に所長は胸を締め付けられる思いに駆られるのだ。彼を労うように、円卓の上の酢飯をうちわで扇ぎながら、冴子は所長の肩に手を置いた。と、店の方からマスターが、疲れた顔をして戻ってきた。結局昨日から夜通しで、値切る値切らないの押し問答を続けていたのだ。マスターの粘り強さに根負けしたおばさんは、ビスケットを定価で購入して帰っていったのである。マスターは商売人としての意地を見せたのであった。マスターは二人と目が合うと、サムズアップをして、寝室に消えていった。二人は立ち上がり、マスターに敬礼をして、再び酢飯を扇ぐ作業に戻った。
立ち込める酢の香りのように、危険な匂いが漂う現代社会。
陰で牙を剥く悪しき魔獣達から人々を救うためにも
戦え、人助け研究所。
君たちの力が、人々に笑顔と至福をもたらすのだ。
終
☆嘘で塗り固められた次回予告☆
事あるごとに距離を縮めていく博人君と澪ちゃん。でも、博人君を想う気持ちは私も同じ。ううん、澪ちゃん以上だと思ってる。だから、この温泉旅行で、私の全てを博人君に捧げます…
次回、救え!人助け研究所 任務7 波乱の温泉旅行★美咲の甘い誘惑
博人君のためなら私、何だってするよ。
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