第49話 詰み

 数日後、俺はやっと退院した。たかだかストレス性胃腸炎の分際で、随分と治るのに時間がかかった。まあ仕方ないか、『ストレス性』なのに、その病室でストレスの溜まる下書きを読んで毎日喧嘩していたんだ、治る訳がない。


 一週間ぶりの自分のベッドは最高だ。やっぱり使い慣れた枕が一番いい。

 そういえば『ヨメたぬき』と『I my me mine』の下書きチェックに忙殺されて、ここ一週間、全くサイトの方を見ていなかった。

 俺はPCを立ち上げ、真っ先にアイさんのところを覗いた。『あたしのお気に入り』がいくつかアップされている。『海と写真』や『グロゼイユ』と言うタイトルからして、笹川流れの話とケーキの話だろう。『I my me mine』で没になった分を早速『あたしのお気に入り』に書いたんだな。

 なんとなくそのままアイさんの最新の読者感想ページを開いた。そして愕然とした。何だこのコメントは。 


*夏木大地*

どないしたん? 心ここに在らずな感じやな。


*春野陽子*

こんにちは、忙しいのかしら?

最近、誤脱が目立つけど、大丈夫? 疲れてない?

あまり根を詰めないようにね。


*秋田なまはげ太郎*

アイちゃん、無理して書かなくたっていいっすよ。ちゃんとみんな待っててくれますから大丈夫っす。今はなんか焦りしか見えないっす。


*冬華白群*

アイさん、すみません。僕がこの前余計なことを書いたから、『あたしのお気に入り』を書かなきゃならないと思ってしまったんですね。アイさんのせいじゃないですから。僕の方こそ無理をさせてしまいましたね。この前の話は忘れてください。


 なんだなんだこのコメント群は。冬華さんの『この前の話』って何なんだ。しかも、アイさんが誰にもコメントを返していない。

 まずはアイさんの作品を読んだ方が早そうだと踏んだ俺は、まずは『海と写真』を読んだ。読んで納得した。これは俺でもこんなコメントを残すだろう。

 いつもの『くふっ』が無い。ここは『くふっ』が来るところだ、とほとんどの読者が思うであろう所に無い。肩透かしを食らった感じだ。

 しかもありえないことに写真家の名前が間違っている。『塩黙り』ってなんだ、『潮溜まり』だろ? 『シッターを斬る』? 『シャッターを切る』んだろ? いきなりミステリーかよ。

 別人が書いている。そんな印象しかない。あのアイさんの人を惹きつけて離さない魅力がどこにも感じられない。とにかく『数をこなすためにただ書いた』という感じにしか見えない。


 何でこんなことになっているんだ? 何かあったのか?

 冬華さんのコメント、あれか? この前の話ってなんだ?

 俺はアイさんのひとつ前の読者感想ページを開いた。そこに見つけたのだ、彼女と冬華さんの会話を。


*冬華白群*

近頃『あたしのお気に入り』の投稿が止まっていますね。

僕はこちらをとても楽しみにしているんです。

あなたの心のひだが見えるようで。

誰の手も入っていない、アイさんだけの世界、僕は好きです。

『I my me mine』の方が忙しいのでしょうか。

『私のお気に入り』も楽しみに待っています。


*榊アイ*

冬華君ありがとう。すっかり更新忘れてました。てへっ。

このところ『I my me mine』にかかりっきりで、『あたしのお気に入り』を全然書いてなかったの。

八雲君は『ヨメたぬき』の書籍用改稿の合間を縫ってあたしの下書きも見てくれているから、いい加減なことをしたら失礼でしょ? それに書籍化作家さんと組ませて貰ってるんだから、足を引っ張らないようにしないと『ヨメたぬき』ファンに叱られちゃう。

ただでさえ全国の藤森八雲ファンに恨まれてるだろうから、これ以上恨みを買うような真似はできないの。くふっ。


*冬華白群*

すっかり相棒ですね。仲が良さそうで羨ましい限りです。

でも、僕が藤森さんの立場なら、コラボの相棒が自分の作品さえろくに書けないような状態にはしませんけどね。相棒が気を遣わなくていいように、そこは上手く立ち回って、相棒にも気持ちよく自作品を書いて貰うようにしますよ。


*榊アイ*

冬華君、違うの。八雲君は『あたしのお気に入り』を書けって言ってくれてるの。ただ、あたしの気分が乗らなかっただけなの。だから大丈夫だよ。


*冬華白群*

すみません、誤解を招くような書き方になってしまったようですね。藤森さんを責めているわけじゃないんですよ。書き方が悪かったようです、すみません。藤森さんもお気を悪くなさいませんよう。


 これだ。どう考えてもこれだ。

 藤森八雲のせいで自作品が書けずにいるという冬華さんの指摘に対して、アイさんが必死に「そうじゃない」とアピールしてるんだ。その為に今、書く気もない自作品を無理やり書いた、その結果がこれだ。彼女は俺を守ろうとしてくれてるんじゃないか。こんなに無理をして。

 日付は……あの日か、病院で妙に素直だったあの日! 『あたしのお気に入り』のネタを、俺との会話から探っていたんだ。


 くそっ、俺は何をやってるんだ。何も知らずに彼女に守られて、自分の中だけで文字とにらめっこして、彼女の気持ちなんか考えていなかったんじゃないのか?

 冬華さんの言っていることも間違ってはいない。俺は彼女の自作品の事まで気が回っていなかった。コラボ作品と自分の『ヨメたぬき』で精一杯だった。相棒なら彼女の作品が滞ることなく書けるように気を遣うべきじゃないのか。

 甘ちゃんは俺だった。偉そうなことを言って、おんぶに抱っこだったのは俺の方だった。

 俺は最新の読者感想ページ一番下、冬華さんの次にコメントを残した。


*藤森八雲*

冬華さんの仰る通りです。自分しか見えていませんでした。

誰かと組んで書くなら、相棒の作品の事にも気を遣えるようでなければならないと、冬華さんに気づかせていただきました。


 ところが。冬華さんはリアルタイムで入っていたのだ。すぐに俺の下にコメントが入った。


*冬華白群*

いえ、差し出がましい事を申し上げまして大変失礼致しました。

ですが僕なら自分が相手に相応しくないと思えばすぐに身を引きます。

藤森さんはどう思われますか?


 俺は詰んだ。

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