第13話 交渉

 あてがわれた部屋は結構広かった。ベッドとほんの少しのスペースしかない安宿ばかり泊まってきたあたしたちにとってみれば、それだけで贅沢すぎる気がしてしまう。

 荷物を降ろしてすぐ隣の部屋に繋がる内扉をノックする。ややあって扉はすんなりと開いた。


「この扉、鍵はないのね」

「ああ、閂(かんぬき)が両方からかけられるようになっているようだな」

「ああ、そうなのね」


 気がつかなかった。扉をちらりと振り向けば、たしかに閂の痕跡はあったが、楔が見当たらない。まあ、ユーリが勝手にあたしの部屋に突入してくることはないけれど。


「で、どうする?」


 ユーリの部屋もあたしの部屋と間取りは一緒で、ベッドサイドに椅子と机が置いてある。ユーリが椅子にどかっと腰掛けたから、仕方なくベッドに腰を下ろした。


「ユーリはどうしたい?」

「俺は……いや、お前はどうなんだ」

「あ、ずるい。人のせいにするつもり?」


 じろっとにらむと、ユーリは眉根を寄せた。


「違う。偽とはいえ婚約者のふりをするんだ。場合によっては肩を抱かれたり腰を抱かれたりも我慢しなきゃならない。できるのか?」

「それはユーリにそっくりお返しするよ。あのね、ユーリ。気がついてないかもしれないけど、商人の娘や息子なら、家の商売に繋がる相手を選んで婚約するのが普通だよね? でも、あたしたちは偽の婚約者で、冒険者ということは、そういう関係じゃない」

「つまり?」

「……恋愛の末、結婚を約束した相手だってこと。そういう演技、できるの?」

「……何?」


 ユーリの目に剣呑な光が宿る。


「つまり、ユーリはユーリさんのことが大切でたまらないって演技をしなきゃならないわけ」

「……お前はできるのか? あの男相手に」

「あたしのことはいいんだってば。キリクは口がうまいから適当に合わせてれば大丈夫だろうし、あたしは横で微笑んでれば済むから。むしろ、ユーリたちのほうが大変なのよ? ユーリさんが積極的に演技をしてくれるならいいけど、あの見てくれの通りのお嬢様なら、ユーリが頑張らないと本物の婚約者には見えないもの」

「そ、そうか……」


 ううむ、と顎に手をあててユーリは考え始めた。


「それが無理なら、やめといたほうがいいんじゃないかな」

「……要するに彼女を大事にすればいいんだな?」

「そうとも言うけど、できる?」

「大丈夫だ」


 うんうんと自分に言い聞かせるようにうなずいて、ユーリは顔を上げた。


「じゃあ、あとは報酬の問題だけね。……キリクってユーリの隣の部屋よね。聞いてくる」

「ちょっと待て。おまえが行くのか?」

「大丈夫だって。内扉でつながってるんでしょ?」

「いや、そっちには扉はなかった。外から回らないと」

「あ、そっか。じゃあ行ってくる」

「夜に一人で男の部屋に行くな」


 腰を上げたあたしの腕をユーリが引っ張る。何言ってんのよ。今だって男の部屋に一人で入ってるっての。そんなの怖くて冒険者やってられないわよ。


「俺も行く。……聞きたいこともあるし」

「分かったわよ」


 後ろにユーリを従えて、しぶしぶあたしは隣のキリクの部屋を尋ねた。



「おや、二人お揃いで。何か聞きたいことができたんだね?」


 戸口を開いてあたしたちの顔を見た途端、キリクは微笑みを浮かべた。


「ま、立ち話もなんだから入ってよ」


 促されて入った部屋はやっぱりあたしたちと同じ間取りで、キリクはベッドに腰を下ろした。あたしたちはその前に立ったまま、口を開く。


「報酬の話を聞いていなかった」


 ユーリの言葉に、キリクは口角を上げる。


「そりゃそうさ。任務を受けてくれると決まってからでないと交渉ってのはできないもんだろう?」

「確かにそうだけど、報酬の情報によっては受ける受けないがかわるもの。事前に聞いておきたいの」

「それで結果がかわるの? まあ、冒険者なら当然か。君たちがこの街で受けるつもりでいたギルドの仕事よりは十分に支払うつもりだけど、詳細な金額は受けてくれると決まってから話したい。それ以外にも、僕らができることなら出来る限り聞くつもりだよ。こんな感じでいいかい?」


 ちらりとユーリの顔を見上げると彼もじっとあたしを見下ろしてくる。判断はあたし任せってことか。

 ため息をついてあたしはキリクに向き直った。


「そうね、ありがとう。判断材料にするわ。それから、ユーリが聞きたいことがあるって」

「へえ。何が聞きたいの?」


 キリクの視線がユーリに向く。あたしもユーリの顔を見た。


「婚約者のフリ、と言ったな。お前が彼女の婚約者のふりをするのでは意味がないのか?」


 それはあたしも思ってた。偽のって言うけど、これは誰に取って意味のあることなのかってこと。

 キリクは眉根を寄せるとため息をついた。


「君たち、バカなの? 僕が彼女の偽の婚約者なんかになれるわけないだろ? 僕が彼女の婚約者にならないために、君たちを雇おうとしてるのに」

「えっ!」


 あらためてキリクを見ると、やれやれといった風に首を横に振った。


「あーあ。そんなこと聞くから、つい言っちゃったじゃないか。……君たちには何が何でも婚約者のふりをしてもらうよ。拒否権はないから。いいね」


 今までの砕けたようなおちゃらけた態度は一片も残っていなかった。眉根を寄せ、笑いを消し、高圧的な物言いをするキリクは、まるで別人だ。


「あの……キリク?」

「君たちの素性はギルド経由で把握済みだ。ここから逃げても無駄だからね。じゃあ、明朝、朝食の席で」


 あたしが声をかけると、キリクはそう一方的に言い放つと物憂げに左手を振って、あたしたちに出ていくよう促した。

 にこりともしないキリクをじっと見つめていたが、ユーリに促されてあたしたちは部屋を出た。

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