第10話 剣戟
結界の外の音がここまで響いてくる。
周囲には魔石を置き、抜かりなく結界を幾重にも張ってある。
中心地点では焚き火の側にお客人二人が眠りについていて、あたしはその反対側に座って呪文を紡いでいる。
結界が役に立っている限りは手持ちの武器に出番はないのだが、一応弓矢を取り出して整備をしている。
剣戟の音は間断なく聞こえる。右から聞こえたかと思えば正面から、左からとあっという間に位置を変える。
魔法に聡く、ユーリと互角に戦える剣の腕を持つ男。
それだけで十分恐怖の対象だ。
ユーリが負けないことを祈りながら、矢筒の矢をチェックする。
街を出る前に買い揃えておくんだった。残りは二十本。狩猟にも使っちゃったし、ここからメルリーサまででも弓矢は必要だ。
できれば魔法だけで片付けたいところだけど。
キィン、と鋭い音がして剣戟が止んだ。
どちらかの剣が折れたのだろう。ユーリのものでなければ良いのだが。
「クラン!」
ユーリの声が飛んでくる。ああ、賽は悪い方に転がったらしい。
「わかってる!」
叫び返してあたしは立ち上がった。中断した呪文を最初から唱えながら、弓に矢をつがえて気配の方向へと向ける。
結界は幾重にも重ね、今も次から次へと重ねている。この分厚い結界を一刀両断にできるのはユーリぐらいだが、もしその意味でも互角なら――。
ぞくりと悪寒が走る。
舌がもつれそうになるのを落ち着いて呼吸を整える。
恐怖に負けてはいけない。心が折れればどれだけ魔力があろうとも意味はない。
目を閉じて詠唱を続け、矢に力を乗せる。
血の匂いが流れてきた。
ユーリが剣を失っているのであれば、流れた血はユーリのものの可能性が高い。
どきりと心臓が高鳴る。
でも、あたしはユーリを信じる。
それすらも、相手の目くらましの可能性がある。
魔法に長けた者ならば、相手の心を揺さぶるのはお得意のはずだ。
魔法対魔法であればなおさら、相手をどうへこませるか、に全力をかけると言ってもいい。
「ほう、なかなかしぶといな」
声が耳元から聞こえてくる。耳にかかる吐息さえ感じられる。
結界が破られた気配はない。客人の気配も変わらずそこにある。
これ自体が目くらましだ。
身じろぎせずに目を閉じたまま詠唱を続け、弓矢を握る手に力を込める。
体を這い回る感触が伝わってくる。蛇か蛭、もしくはツル植物か。
「お前の待つ男は来ぬぞ。殺したからな」
殺しを生業とする者特有の匂いがする。下卑た匂い。芯の奥まで腐ってる。
詠唱しきった瞬間に矢を放つ。甲高い音を鳴らしながら闇夜を切り裂いて矢は飛んでいった。
その音に周囲にまとわりついていた腐った匂いと這い回る感触は消え去った。
目を開くと、結界の向こう、サーチの魔法の外側に黒いマントの男が立っているのが見えた。
「あたしに目くらましは効かないよ」
「それは残念だ。天国を見せてやろうと思うたのにの」
下卑た笑いだ。あんな男にユーリがやられるわけがない。
おそらくユーリに目くらましを使って逃げたのだろう。今の破魔の矢でまやかしは破られたはずだ。
となると、ほぼ互角に切りあっていたのもまやかしだった可能性がある。
「闇に落ちた魔法使いが何の用」
「お前たちには用はない。あるのはそっちの客人たちの荷物だ」
「あいにく渡せないね。それも含めて仕事のうちなんでね」
次の矢をつがえて魔力を込めて、正面にいる男に狙いを定める。
二人を魔法で寝かせておいてよかった。下手すればあの男の魔法に絡め取られてこちらを攻撃しかねない。
操られている人間ほど厄介なものはないのだ。
「ならば魔法対決と行こうかの。見たところ魔法使い崩れのお前に勝ち目はないがの」
「だから俺がいるんだよ」
血の匂いがした。
まやかしでない、鮮烈な血の匂い。
視界の向こうで倒れゆく腐れ男の背後でユーリの銀髪が揺れるのが見えた。
「ユーリ」
「悪い、遅れを取った」
男から引き抜いた剣を振り抜くとユーリは結界を超えて火の側に戻ってきた。
「問題ないか?」
「ん、こっちは大丈夫。お客人も無事だし。ユーリは?」
ざっと見た限りだと頬に切り傷、額に擦過傷。他はなさそうだけど軽く解毒と治癒魔法をかけておく。
「目くらましに引っかかってた。すまん。お前の矢がなければあのまままやかしに殺されてた」
「だろうと思った。……次のお金が入ったら護符買わないとね」
あの男の魔法はそれほど強かったということだ。あたしも危なかったくらいだ。
ふぅ、と息を吐いて力を抜く。
あれがここしばらくつきまとっていた男だろう。あたしが気がついてたのは一人だけだし、他にはいないと思うけど。
それにしてもあの二人、一体何を運んでいるんだろう。
というか、運んでいるようには見えない。ほとんど荷物らしき荷物は持ってない。大事なものだから身に着けているのだろうとは思うけど。
あれほどの使い手を送り込むほどの案件なのか?
まあいい。だとしても、二人を守り切るのがあたしたちの仕事だ。
「あー、ひと仕事したらお腹空いちゃった。さっきのサンドイッチ食べよっと」
大きく伸びをして火の側に置いておいたサンドイッチの包みを取り上げる。
「……寝る前に食うと太るぞ」
「いいのよっ、さんざん魔力使ったところだし、補給しとかないと、お腹空いて眠れないし」
ぱくり、とサンドイッチにかぶりつく。
やれやれ、と肩をすくめてユーリは火の側に座るとリュックから引っ張り出してきた剣の手入れを始めた。折れたのは普段使いにしていた剣だ。
討伐用の大剣でなくてよかったとそっとため息をつく。あれが折れたりしたら、打ち直しじゃなくて新調したほうが早い。というかそんな余裕はどこにもない。
周囲をサーチする。他にこちらを探るような気配はない。
魔力もかなり消耗したし、明日を考えると寝て回復させたい。
このまま結界を張り続けておけば、寝ても大丈夫だろう。
ちらりとユーリを見ると、視線を感じてかユーリも顔を上げた。
「眠いんだろ。構わないから寝ろ」
「ん、ありがと」
ごめんね、と言いながら火の側で膝を抱えて小さくなる。
明日は村で甘いものが手に入るといいな……。
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