第七十二頁 CATALOGUE 5
ゴリゴリにドライブをかけ唸るギター、割れんばかりに響いてテーブルの上の小物すらカタカタ動かす低音、どうやって譜面に起こすのか分からない、むしろ人間が叩いているのかすら怪しいブラストビート。
極め付けに、今にも喉から血が大量に飛び出しそうなデスボイス・シャウト。
どこぞの国のグラインドメタルコアバンドの楽曲が、これでもかというフルボリュームで鳴り響いた。ケースは幸い見当たらないが、CDのジャケットが死体だとか病人だとかそういった類のものだ。
「うるさい!いい加減にしろ!」
街田康助がたまりかねてツマミに指をかけ、ボリュームを下げようとした。
その腕をガシリと掴み、制止したのは桜野踊左衛門。
「街田殿…それはやめた方がいい」
「しかしだな!」
「…………」
桜野の目は真剣そのものだった。
ガガは、この部屋の音楽が鳴り止むまで停止したり、ボリュームを下げないようにと言った。
指示、というよりは"お願い"というニュアンスがあった。
「分かったが…耳は塞がせてもらうぞ」
街田は親指で左右の耳の穴を塞ぎ、その場を凌いだ。
どるも同様に耳を塞いだ。
……
この手の楽曲にしては長いと言える、5分ほどが経ったあたりで曲は終了した。
ドアの向こう、ガガのラボからも何も聞こえない。
「開けて良いはず、でござる」
おそるおそる3人がガチャリとドアを開けると、状況は変わらず。
相変わらずガガは台の上に手足を固定され、横たわっていた。
「ガガさん、気絶してる」
椿木どるが駆け寄った。
ガガの目と口は力なく半開きになり、かすかに涙と涎が流れていた。
手首と足首は、拘束バンドのあたりで傷になっている。何度も無理に脱出しようとしたような跡だ。
桜野がペシペシと頰を叩くと、ガガは目を覚ました。
「あ…お、終わった…か…」
力なく目を開き起き上がるガガの声は、CDのボーカリストよろしくひとしきり叫んだ後のようにかすれていた。
一体"インストール"の光景はどのようなものだったのだろうか。
「よし!インストール完了だぜ!解読は任せな」
時間を置いて元気になったガガはパラパラと黒い本をめくり、日本語で読み上げていく。
内容は、全く関連性のない様々な単語の羅列だ。順序にも規則性がない。
彼女の脳内に、クーフィー体のアラビア語の翻訳機能が備わったと考えられる。
「す、すごい、ガガさん」
フフン、とガガは得意げな顔で不敵に笑った。
「アタシの身体は科学の最先端だからな。ナメてもらっちゃ困るぜ。これ、全部で何冊あるんだ」
「恐れ入った。見事でござる、ガガ殿。全77冊、何卒お願いしたい」
「な、77冊!?」
途方も無い冊数にガガは面食らっている。
「サシを助ける為だ。協力してくれ」
「おっさんテメー、サシちゃんの名前出せばアタシが折れると思ってんだろ…」
「そうではないのか」
「…そうだよ……」
かくして、ガガはしばらく翻訳に没頭する事となった。
「エスパーちゃん」
「エスパー…わ、私?」
3人がガガの部屋を去る際、ガガがどるを呼び止めた。
「あんた人の頭の中が読めるんだろ?ひょっとして…アタシのも読んだ?」
「………はい」
「そっかぁ」
「ええと、その…ごめんなさい、私はあのその、これは生まれつき…」
「いいよ全然。よろしくな!」
どるは愛想笑いで返したが、やはり頭の上にはハテナマークが飛び交っていた。
ガガの頭の中には、サシの事しか無かったのだ。あとは少々の音楽。
(こんな事ってあるの…)
……
2日後。黒い本は全てヒューマニティに運んだし、学校での役目が終わったにも関わらず桜野は律儀に登校していた。
「この時代の学び舎というものは実に楽しいものでござるな。こじんまりとした寺小屋とはまた違った、まさになんでもありな自由さがある。皆がそれぞれに好きな事をして、のびのびしている光景は爽快でござるな」
桜野は武士としての鍛錬もあって運動神経が抜群に良い。それもあり、必然的に様々なスポーツ系の部活から目をつけられていた。
特に女子剣道部だ。一度なんとなく体験してみた際は、防具の重さに不満を漏らしながらもいきなり部長にして主将の少女から一本取ってしまった。
「さ、桜野さん!今日こそ我が剣道部に入ってもらいます!そして私の代わりに主将を務めてください!私は副将で良いですから!」
桜野を執拗に勧誘するのは、その主将である。
「そうなると人数はどうなってしまうのでござるか。ひとり、陣営から押し出される形になるのではないか?拙者のせいで」
「うっ、それは」
「そもそも拙者は決め事(ルール)に基づいて剣技を行うというのがどうも苦手でな…拙者流であれば良いのでござるが」
(拙者流って、悪魔ルアージュをズタボロのバラバラにしたあの技かな…)
どるの脳裏には剣道部の強化どころか壊滅がよぎった。
「あっ」
どるの携帯に着信があった。ガガからのメッセージだ。
『グッモーニンッ!ジャパニーズエスパーちゃん!( ^ω^ )略してGxMxJxE!! 解読完了☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆なるはやでヒューマニティに来られたしー!』
キラキラとした絵文字でデコレーションされた文面。
ほんと、何がどうなったら"あの人"が"あんな人"になるんだろう。
ヒューマニティでは、メッセージの文面のテンションからは想像がつかないほどにぐだぐだにへこたれたガガが居た。バーカウンターに顔面と両手を投げ出し、ぜえぜえと息を切らしていた。もう勘弁してという体たらくだ。
「中々やってくれるではないか。少し見直してやってもいい」
上から目線の街田康助が正に上から目線で褒め称えた。
のびるガガのそばには、大量にあった"黒い本"のうち4冊のみが積まれていた。
「ガガ殿。他の書物はどうされたか」
「あー、アタシの部屋に置いてきた。多分いらないから」
「不要である、と?」
桜野は積まれた4冊の本のうち、1冊を手に取った。
本にはそれぞれ、あるページに付箋が貼られている。おそらくガガによるものだろう。4冊中1冊には、2枚ある。合計5枚の付箋が貼られているという事だ。
「アタシが付箋を貼った、それぞれのページを見てみな…って見たところでお前らにゃ読めねえか」
ガガは苦笑いしながら、付箋が貼られた1ページを開いてみせた。
ページには、相変わらずのクーフィー体とやらがびっしり刻まれている。
「さすがに書き込むのはまずいかなと思ったんでな…あ、これこれ」
ガガが、うねうねと並ぶ文字のうちのひとつを指差す。
「これ、"恐竜"って意味なんだよ」
「恐竜!」
「そう。カセットテープの声にあったろ、恐竜って言葉」
「という事は…」
桜野が、他の本の付箋のページを自ら開いた。
「そう。そっちは、えーと…"愛"、だな。こんな読めない字だと愛も実感わかねーよなあ」
「しかしガガ殿。言葉は全部で7つあったのでは無かったか。解読頂いたのは5つ。あと2つは…」
「そこなんだが」
街田が口を挟んだ。
「見つかった言葉は"恐竜""CTスキャナー""愛""あの娘の歯型""クラインの壺"、この5つだ。残る2つ…"神"と"星の形"はこの中には無かった」
「あのなー、解読したのはアタシだからなおっさん!」
「フン、お前の硬い頭ではこの先はお手上げだったろう」
「ま、まあまあ…」
どるが制した。どるには2人の考えが読めたから、この暗号の全てを理解できた。
「小生が考えたのは、カセットテープはあくまで音声だ。しかもイントネーションというのか、発音も平坦で機械的だ。"神"は本当に"神"、すなわちゴッドの意味で言われていたのか」
「…同音異義語?」
珍しくどるが難しい言葉を使った。
「そうだ。コーランにも使われた字体なので、カミと聞くと神を想像するのが普通だが…これはひっかけだ。キーワードが文面でなくカセットテープ、要するに"音声"、しかもわざわざ日本語で用意されていた所に意味がある」
街田は立ち上がり、本の一冊を手に取った。
「ゴッドではない。ペーパーだ。紙」
ビリリリ!
何を思ったか、街田は突然付箋のついた1ページを破り取った。
「お、お主何を…」
「おっさん何やってんだよ!」
「あ、なるほど…」
どる以外の2人が慌てふためく。
「うるさいぞ。考え無しにやっているのではない」
続いて、4冊のうち付箋のあるページを全て破っていく。ついでに付箋を剥がして丸めて捨ててしまった。
全部で5枚あるページを3人に見せながら言った。
「これが紙だ」
続いてカウンターにあるチョークを手に取ると、ヒューマニティのフロアに何やら落書きを始めた。
「おい何やってんだコラァ!店汚してんじゃあねえッ!」
ガガが慌てて止めようとしたが、まあまあというどるの引き止めに見守るしかなかった。
街田はフロアいっぱいにある図形を描いた。
正しくは五芒星と呼ばれる、陰陽師的な何かのデザインワークにもよく使われる、星型の図形だ。
「なるほど、星の形…」
おもむろに街田は、先ほど千切った5枚のページを星の先端に配置していった。
ページを千切らずに、本そのものを置くという事も考えた。が、2つのキーワードが1冊に同居するものもあったのでページだと判断したのだ。
ブォン、と不思議な音とともに、ページを結んで紫色の円形が出現した。
「ま、マジかよ!?」
「これは…」
ガガ達が驚いた刹那、街田の姿が消えた。
いや、"落ちた"と言った方が正しい。
「おっさん!おーい!」
ガガが円形に近寄った途端、ガガもまたそこに吸い込まれ、消えた。
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