第17話

 俯く三人を置き去りにしたまま、私は藤倉君に肩を組まれ、来た道を引き返す。

 戻りながら彼は、影森先生に見付けたことを報告しているようだった。


「この足でどこ行ったんだって、俺が怒られたんだから」

「え?」


 笑いを含んだ彼の声。だけど言われた内容の意味が分からず首を傾げる。


「俺が早く月島の所に戻らないからだってさ」

「あ、ご、ごめん」

「いや」


 彼は緩く首を振った。

 太陽は傾き、辺りは既に薄暗くなり始めている。設置されていた街灯に、そのときちょうど火が入った。


「き、聞いてた?」

「ん?」

「あの子たちと話してたこと」

「うん、まあ」


 少し伸びた前髪に隠れ、表情はよく見えない。

 私は蒼くなる。彼の心に、また一つ傷が付いたのではないのか、と。


 でも、触れる彼の体温が、少しだけ高い気がした。


「俺、自惚れてもいいのかなぁ」


 ぽつりと呟かれるその声が掠れていて、私は不思議に思うと同時にドキリとする。心拍数が僅かに上昇した。


「俺さ、自慢じゃないけど、告白とかよくされるんだ」


 知ってる。中学時代からずっと人気者だもの。


「いつもお前は良いよなって男友達からは言われてさ、でも、そんなことないって言っても誰にも分かってもらえないんだ。モテる男の余裕の発言なんだってさ。断ったときに言われるちょっとした当てこすりなんて、贅沢な悩みらしい」


 私は何て言って良いか分からなくて、黙って彼の話に耳を傾ける。


「だから嬉しかった。三人相手なんて、勇気いっただろ?」


 彼の足はゆっくりと止まって、だから彼に摑まって歩く私の足も同じように止まる。


「だって」


 悔しかった。あのときはそれしか考えてなくて、大好きな藤倉君が悪く言われるのが我慢ならなかった。


「人のために勇気を奮えるって、凄くかっこいい。気付いてないだろ? 俺はいつも、月島の勇気に感心させられて、そしてそこから力をもらってるんだ。今だってさ、心に溜まってた小さな棘を、月島はあっさり全部どこかに流してくれた」


 彼の口から紡がれる言葉は、おおよそ自分に向けられたものとは思えない。

 俄かには信じられなくて、本心だろうかと懸命に目を凝らした。


 彼が私に力をくれたように、私も彼に力を? 私は少しでも、理想の自分に近付けたの? フェルメールの絵を見たあの日に描いた、理想の自分に。


 見つめ返す瞳は優しく細められていたけど、暗い中でも分かるほど、彼の目元は赤くなっていた。


 本当にそう思ってくれている? ならば―― 

 もしかして、もしかして……今が、告白のチャンスなのかもしれない。 

 照れたように私を褒める彼。努力が届いたこの瞬間。

『自惚れてもいいのかなぁ』これはそういう意味だと取っていいの? 

 計ったように、辺りには誰もいない。

 さっき女の子を振ったばかりで、心無い言葉を浴びせられて、暫くは告白なんてうんざりだと思ってる? 

 どうしよう、どっち?


『絶対上手くいくよ』


 だけどそのとき、鞠の声が聞こえた気がしたんだ。それに強く背中を押される。


「私」

「ん?」


 口を開いてはみたものの、喉がカラカラに乾いていて思うように声が出せなかった。咳払いをして深呼吸。彼を見つめる瞳に、様々な思いが重なる。

 でも頑張るんだ。

 このために、戻って来たんだもの。


「――私、藤倉君が好き。ずっと、好きだったの」


 言った瞬間、彼の目が大きく見開かれる。


 ずっとずっと言えなかった、好きの二文字。

 溜め込むだけで何も行動できなかった一度目。過ちに気付いて、猛然と邁進した二度目。

 そうやって今、漸く解き放たれたその言葉を口にして、私はやっと気付いたんだ。言葉が持つ、その重みに。

 鞠がいつも背中を押してくれたように、藤倉君がいつも心配してくれたように、私はかけられる優しさの分だけ変わっていくことができた。それが全ての原動力。

 思いを言葉に乗せて、いつも私を支えてくれていたんだと思ったら、自然と涙が頬を伝っていた。

 藤倉君はそれを見て更に驚いた顔をしたけど、すぐに困ったように微笑むと、柔らかく指で拭ってくれた。


 組んでいた腕を解かれる。

 少しごめんね、呟いた彼は、私をこの上なく優しく抱きしめた。

 百六十五センチもある私が、彼にはすっぽりと包まれてしまう。


「嬉しくてどうにかなりそう。俺も、ずっと好きだったんだ」


 掠れて響くテノールが、胸に押し付けた耳を通して鼓膜をダイレクトに震わせる。

 目も眩むほどの幸福。

 都合の良い夢でも見ているの? 

 でも抱きしめる腕が、そうじゃないと見透かすように強くなって。


「俺と、付き合ってください」

「――はい」


 私も腕に、精一杯の力を込めた。

 涙は一つ残らず、彼の胸へと吸い込まれる。


 私たちはこの日、恋人同士となった。

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