第2話

「悪かったな」


 初めての実行委員会の顔合わせの日、私たちは借り物競争の案を引っ提げて会議室を目指していた。


「え?」


 出し抜けに謝られて、きょとんとしてしまう。一向に心当たりがない。


「実行委員のこと」


 窓から吹き込む風が、彼の髪を揺らす。目元が隠れて、表情はよく分からなかった。


「実行委員がどうしたの?」

「……無理矢理、誘ったから」

「え? そんなことないよ。私が自分でやるって言ったんだし」


 どうやら先日のホームルームでの出来事を言っているようだと、漸く理解する。

 でもやっぱり、何故謝られているのか分からなかった。実際直接言葉で、やろうと誘われたわけではない。強いて言うなら、瞳がそう言っているように見えた、それだけのことだ。それに、やると決めた動機は、琴平さんに彼の隣を奪われたくなかったから、そんな邪な思いが強い。だから彼が謝る理由なんて、本当にどこにもないのだ。

 だけど……あのときは勘違いかもしれないと思ったけど、そう訊いてくるということは、一緒にやりたいと思ってくれたと捉えても良いのだろうか。

 胸が微かに弾んだ。


「そうだけどさ」


 でも私の答えは、どうやら失敗だったようだ。彼は素っ気なくそう返すと、この話題はそれで終わってしまう。

 何て返せば正解だったのだろう? 

 私は彼の態度に一喜一憂している。


 会議室に入ると、既に半分くらいは席が埋まっていた。コの字型に配置された長机を見渡し、『一年A組』と書かれたプレートが置かれている席へと向かう。藤倉君は知り合いが多かったのか、はたまた人気者だからか、あちこちから声をかけられていた。

 でも私といえば、クラスでは明るく振る舞うも、所詮はその程度。よそのクラスにはほとんど知り合いもおらず、寂しいことにこの場には一人もいない。


 知らない人がたくさん集まる上に、こんな重要な会議に代表として出席したことも勿論一度もない。いつも誰かの影に隠れて、誰かが敷いたレールの上を歩いてきたからだ。

 だから今日は、心の底から緊張していた。


「大丈夫?」


 座席に着くなり、隣から声がかけられた。

 友人と話し込んでいるとばかり思っていたから、すぐ傍にいたことに少しだけ驚く。顔を上げれば、心配そうに見つめる藤倉君の瞳とぶつかって、心臓が跳ねた。


「え?」

「こういうの、苦手、だよね?」


 既視感がよぎる。

 ああそうか、クラス委員を決めるときも、彼はこうして私を心配してくれていたんだった。


「少し。でも、大丈夫」


 軽くなった心がそう告げた。だって、いつも私を気遣ってくれる藤倉君が、今日は隣にいるんだから。


「月島って、あ、名字、呼び捨てでも良い? さん付けると何か言い辛くて」

「うん」


 本当は心臓が口から飛び出しそうになったけど、ここで変に反応したら取り消されちゃうかもしれないと思って必死で堪えた。彼の方からこちらに一歩近づいてくれた気がしたから、余計なことを言って帳消しにしたくなかった。


「じゃあ遠慮なく。月島って変わったよな」

「変わった?」

「うん。中学の頃と比べると、随分変わったと思う。外見も結構変わって驚いたけどさ、一番驚いたのは中身、かな」


 中身が変わった……印象が良くなったのか悪くなったのか、それだけでは判断がつかなくて、握りしめていた手に汗が滲む。


「どう……思う?」


 少しおかしい質問だっただろうか? でも、彼のために変わったんだもの。話を振ってくれた今が、その答えを聞くチャンスだと思った。


「うん、良いんじゃないかな。頑張りすぎてないかなってちょっと心配になるけど」


 微笑む藤倉君。眉尻が少しだけ下がっていて、本当に心配してくれている、それが声からも表情からも伝わってきた。


「――月島がさ、西紅目指すって聞いて、俺驚いたんだ」


 ポケットに手を入れ、配布されていたプリントに目を落とす彼。でもその瞳は、どこか遠くを見るように細められていた。

 会議の開始時間が迫り、ほぼ満席となった室内はざわめきに満たされる。

 そんな中にもかかわらず、彼の声は不思議なくらいクリアだった。


「あ、あはは……そりゃそうだよね。私、頭良くないもんね」

「違う、そうじゃない。そういう意味じゃない」


 顔に上った情けない笑みは、彼の言葉であっけなく霧散する。


「……え?」


 驚くほど真剣な瞳が、おもむろに私の双眼を捉えた。

 西日を受けた彼の虹彩が複雑な模様を描き出し、まるで動きを縛る魔法陣のように私を絡め取る。


「そういう意味じゃないよ」


 繰り返される台詞。

 小さなアラートが、脳内にこだました。

 

 そういう意味じゃない、私はこの言葉をどう解釈すればいいの?


「い、いつ、知ったの? 私が受けるって」

 

 これは、単なる昔話だろうか?


「ラインくれただろ? 俺が西紅受けるってホントかって」

「あ、うん」

「そのすぐ後」


 いつまで経っても、どうもがいても、逸らせないほどの強い眼差し。


 中三のときは別のクラスだった私たち。だから、地味で目立たない私の噂なんて、彼の所まで届くはずもない。なのに、知っていたのは何故? 


「凄く、大変だっただろ? あのときの月島、毎日死にそうな顔してた」


 一瞬茶化しているのかとも思ったけど、表情は、変わらず真剣そのもので。

 彼の言葉に、私をひたと捉えるその眼睛がんせいに、友情以上の何かが含まれているのではないか、あさましくも、そんな期待を抱きそうになる。


「心配、してくれてたの?」

「うん。今も、心配してる。無理してるんじゃないかって」

「それは――」

「揃ったな。じゃぁ始めるぞー」


 友人だから? そう続けたかった。でも、時間ピッタリに壇上に現れた体育教師の言葉に遮られ、口にすることは叶わなかった。


 訊きたかった気もする、でも訊けなくてほっとしている自分もどこかにいた。


 藤倉君は一瞬何とも言えない表情をして私を見たけど、すぐに「話、聞かないとな」と言って前へと向き直ってしまう。勿論、その表情が意味するところも、私には分かるはずもなく。


 これで良かったのだろうか、大きな失敗をしなかっただろうか、消化不良のようなもやもやが少し残ったけど、でも彼は、思ったよりも私を見てくれていたようだったということは分かった。勿論それだけで満足して良いはずなんてないんだけど、戻って来て初めて、はっきりと好意と呼べるであろう感情を彼から向けられた気がした。

 藤倉君は優しいから、ただ純粋に友人を心配しているだけ、その可能性も捨て切れない。でも、好意には変わりないのだ。今はまだ友情かもしれないけど、マイナスからのスタートでないことが、私に勇気を与えてくれた。


 きっと順調だ。

 だから今まで以上に、恋も勉強も体育祭の実行委員も、この手に抱えきれる全てのことに、全力で取り組んでいこう。

 私はひたすらに努力することを決意した。

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