第2話

 いつもの散歩コース。ハナのリードを引きながら考える。この胸騒ぎの正体は、いったい何なのだろう、と。

 気分転換にと引き受けた散歩。可愛いハナが久々に見られて、嬉しくは思っている。なのに、完全には拭いきれない胸の違和感。

 例えば、それほどしょっちゅう行くような近場でもないのに、何故か知り合いと遭遇する変な確信があったり、あまり得意でない人物と、その日行なわれる予定の席替えで隣になる嫌な予感がしたり。

 些細な電波を受信でもしてるんだろうか。心の表面を、かさつく指先でそうろりと撫でられたような、ちょっとした違和感。今日の予感は酷く漠然としていて、良いことか悪いことか、どちらなのか判断がつかない。その曖昧さが却って何だか気持ち悪かった。


 通知表じゃないとすれば……明日から冬休みに入るから、それで落ち込んでる? いやいやまさか、今更。学校で藤倉君に会えなくなる、なんて寂しがるほど会ってないじゃない。自嘲気味に笑って目を伏せると、いつの間にかこちらを見ていたハナと目が合った。


「どうしたの?」


 訊くけど、勿論答えは返ってこない。でもなんだかその瞳が、「それは私の台詞よ」そう言ってるように見えて、思わず頭をくしゃくしゃと撫でてしまった。

 ときどき思うのだ。動物というのはしゃべることができない分、瞳が語る雄弁さをとてもよく理解しているのではないか、と。時として、誰よりも感情の機微に敏感なのだ。


 しゃがんで瞳を合わせ、大丈夫よ、と抱きしめた。

 本当はあんまり大丈夫じゃない。だけど言葉にすれば、それが現実になるかもしれないと思ったんだ。


 納得したのかしなかったのか、結局のところは分からなかったけど、ハナはまた私の隣をお行儀よく歩き出した。


 行く場所はいつも同じ。駅とは反対側にあるわりと大きな河川敷だ。この時期になると川の一部が凍ったりして、そしてハナはそれを見るのが大好きなのだ。冷たくてビクリとなるくせに、薄い氷の膜を鼻先でつつくのがよほど楽しいらしい。夢中になる姿がとてつもなく可愛くて、私はそれ見たさに、寒いけど冬も必ずここへ来てしまう。


「行くから行くから」


 既にテンションが高くなって私を引っ張り始めているハナに、引き摺られるようにしながら、私は土手を下りようとした。

 でも次の瞬間、思ってもみなかった強さでぐんっと引っ張られ、バランスを崩す。久しぶりすぎて感覚を忘れていたみたい。その拍子に、前から走ってくる一人の女の人とぶつかりそうになった。


「ごめんなさいっ」


 何とか体勢を立て直し、咄嗟に謝って顔を上げる。そのときに目が合って、私は思わず息を呑んだ。

 向こうはそんな私の様子に気付くこともなく、会釈を返すとそのまま走り去る。


 ――驚いた、まだ走ってたんだ。


 次第に小さくなる背中を見送りながら、私は詰めていた息を吐き出し、そして少しだけ切ない気分になった。


 彼女はきっと、私のことを知らない。でも私は、知っている。

 彼女の名前は、美濃部鞠みのべまりさん。

 西紅高校の一年生だ。クラスは、藤倉君と同じA組。


 でも、今はもう来ていない。


 階も違う私が彼女を知っているのには、勿論理由がある。それは、彼女がある事件を起こし、一躍時の人となったからだ。

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