第16話ユーイン・エインスワースという男

 ユーインはつかつかと近づき、エリザベスの腕を掴んでいる男の肘辺りをぐっと掴めば、「痛って!」と叫ぶ。人体の急所の一つである、手三里を強く掴んだのだ。

 拘束が緩んだので、その隙にエリザベスは手を振り払い、ユーインの背後に逃げ込んだ。


「なんだ、お前は!?」

「初めに言いましたでしょう。あなたが一方的に絡んでいた女性の、婚約者であると」


 獲物を横取りされた衛兵は、奥歯を噛みしめて悔しがる。

 ぐっと、拳を握りしめているのを確認して、相手が行動を起こす前に先制攻撃をした。


「私は王太子政務第七補佐官、ユーイン・エインスワースです。何か、ご都合の悪い点等ございましたら、事務局を通じてご連絡ください」

「……」


 衛兵の男は相手に喧嘩を売れば、もれなく大変な事態になることを理解し、後ずさる。

 ユーインは容赦しない。 

 とどめの一言を投げかけた。


「よろしければ、貴公の名前、所属部署、階級など教えていただけると助かるのですが。その方がこちらからも、コンタクトを取りやすくなります」

「なっ!?」

「私の婚約者に用事があるようでしたので、当方を通してご通達をいただければ、スムーズに対処致しますよ」


 やっとのことでエリザベスのことを、手を出してはいけない女性だと気付き、捨て台詞を吐く衛兵。


「そ、その女が悪い! 女中が貴族の女だったと、わかるわけないだろう?」


 平民出身らしい衛兵は、自身のルールを語る。

 高貴な身分の貴族女性――侍女には声かけすることは今まで一度もしなかったと。

 女中のお仕着せ姿だったので、勘違いをしてしまったと、白状した。


「わかりました。私も騒ぎにしたくないので、ここはおあいこということにいたしましょう」


 衛兵もそれに納得し、この場を去って行く。

 エリザベスは腕を組み、眉間に皺を寄せていた。

 そしてその表情のまま、振り返ったユーインにお礼を言う。


「どうも、ありがとうございました」

「態度と言葉が一致していないのですが」

「助けてくださって、深く、深く感謝をしています」

「もっと、淑やかにお礼を言えないのですか」

「これがわたくしです」


 溜息を吐き、「呆れました」と呟くユーイン。


「あなたは、行く先々でトラブルを起こしていますね」

「気のせいではなくって?」

「いいえ、気のせいではありません」


 立ち話は往来の邪魔になるので、歩きながら話し始める。


「先ほどの男性は?」

「知り合いに見えて?」

「いいえ」


 衛兵が勝手に近づいてきて、急に腕を取られた旨を説明する。

 別に、色目を使ったわけではないとも付け加えておいた。


「何故、女中の恰好を?」

「目立たないためですわ」


 それを聞いたユーインは立ち止まり、じっとエリザベスを見下ろす。

 何かと聞けば、はあと盛大な溜息を吐いていた。


「エリザベス嬢、残念ながら、あなたは思いっきり、目立っていますよ」

「まあ、どうして?」

「逆に私が聞きたいです」


 うんざりしながら答え、反応を聞く前に歩きだす。

 数多くいる女中の中でも、エリザベスは飛びぬけて美しかった。

 ゆえに、先ほどのような遊び人に目を付けられてしまう結果となる。

 目立たない恰好でいれば大丈夫という考えは間違いだったことを、彼女は気付いていなかった。


「宮殿を歩く時は、なるべくシルヴェスターと共にいたほうがいいでしょう。きっと、あなたに目を付ける衛兵と、この先も出会うでしょうから」

「お兄様とは勤務体制が合いませんの」

「……もしかしてまだ、コンラッド殿下とシルヴェスターはお仕事を?」

「ええ、毎日帰るのは日付が変わったころで」

「そう、だったのですね。それであなたは夜遊びを――」


 顎に手を当て、何かを考える素振りをするユーイン。


「どうかなさって?」

「いえ、どうも、噂で聞いたあなたと、実際に接するあなたとは、天と地ほども違う存在に思えて――」


 ギクリと肩を微かに揺らすエリザベス。

 衛兵に遊びに誘われた時、不快感を前面に押しださずに、軽くあしらう程度にしていればよかったと、いまさらながら後悔する。


「やっぱり、爵位の継承問題で何か揉めて……いえ、なんでもありません」


 オーレリアから聞いた話に引き続いて、ユーインも公爵家の爵位について何か知っているようだった。

 けれど、ここで聞くのは危険だと思い、追及は止めておく。

 とりあえず、噂が嘘だったという話は否定した。


「噂は本当ですわ。わたくしは今まで、たくさんの恋人たちと楽しく過ごしてきましたの」

「どうでしょう? あなたは、男漁りをするタイプには見えません」

「噂が嘘とでも?」

「ええ、そのように思います」


 ユーインの言葉を聞いて、ドクン、ドクンと心臓が嫌な感じに早鐘を打っていた。

 一刻も早くここから逃げだしたいと思う。

 けれど、負けず嫌いな彼女は、真っ向からユーインを見て宣言をした。


「でしたら、わたくしがどんな人間であるかは、あなたの目でご確認されてはいかが?」


 立ち止まり、ポカンとしているユーインを見て、エリザベスは勝ったと思う。

 そこから一気に馬車乗り場まで行って公爵家の屋敷に帰ろうと考えていたが――


「エリザベス嬢!」


 背後からユーインに手を掴まれ、帰宅を阻まれてしまう。


「なんですの?」

「いえ、先ほどおっしゃった通り、私はあなたの内面を存じません――だから、知りたいと思いました」


 そんな発言を聞いて、眉を顰めるエリザベス。

 想像通りの反応に、ユーインは笑った。


「エリザベス嬢、よろしければ、今晩食事でも?」

「寄り道をしていたら、執事や侍女が心配しますわ。それに、わたくしこんな恰好ですし」

「公爵家には連絡を入れておきます。個室のある店に行くので、服装は気にしなくてもいいですよ」


 断りたい気持ちでいっぱいだったが、食事に誘われることをユーインからの挑戦だと思ってしまったエリザベスは、行くという選択肢しかなかったのである。


 ◇◇◇


 結局、帰宅は十時過ぎとなった。

 意外にもユーインとの会話が盛り上がってしまったのが原因である。


 ユーイン・エインスワースは王太子の補佐に相応しい、頭脳明晰で冷静に物事の判断ができる男だった。エリザベスを、女だからと言って見下すこともしない。

 学園時代、エリザベスの周囲にいた男子生徒とは天と地ほども違った。こんな人が本当の婚約者で、牧場の経営を担ってくれたらどんなに良かったかと考える。


 それと同時に、エリザベスとは一生縁のない男だとも。


 一気に現実に引き戻されてしまうような、そんな時間を過ごす結果となった。


 馬車は公爵家の玄関先で停まる。


「エリザベス嬢、また明日」

「ええ」


 御者が馬車の扉を開く。

 ひやりと、秋の風が吹き込んできた。

 ユーインは「外は寒いので」と言って、上着を貸してくる。


 エリザベスは無言で受け取り、温もりの残る上着を肩にかけた。

 そのまま降りようとしたが、ピタリと立ち止まって振り返る。


「今日のお礼をしようと思っているのだけど、何かご所望の品などございまして?」

「なんのお礼ですか?」

「衛兵に絡まれているところを、助けていただいたお礼です」


 借りを作るのは嫌だと言い、お菓子でもなんでも、欲しい物があれば挙げるようにと上から目線で告げる。


「お礼は不要です。私は自分の婚約者を助けただけですので」

「いいえ。わたくしが気になるのです」

「律儀なんですね、意外と」

「……」


 無言で睨みつけるエリザベスに、ユーインは困り顔で懐から絹製のハンカチを取りだす。

 それは以前、お礼の品として贈りつけた物だった。


「でしたら、これに名前の刺繍を入れてくれますか? 落とした時に、返ってくるように」


 正直、刺繍が得意でないエリザベスは、嫌そうに顔を歪める。

 けれど、渋々と受け取り、名前をハンカチに刺すことを約束した。


「それでは、ごきげんよう」

「ええ、いい夢を」


 やっとのことでユーインと別れる。

 溜息を吐く暇もなく、屋敷の扉が開かれた。

 執事や侍女達が、エリザベスの帰りを待っていた。


「お帰りなさいませ、エリザベスお嬢様」


 にこやかに出迎えた執事が、背筋が凍るような知らせを告げる。


「若様が、書斎ライブラリにてお待ちです」

「なんですって?」


 こんな日に限って、シルヴェスターが早々に帰宅をしていたのだ。

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