第11話貴族として

 呼びだしの思わぬ理由に、エリザベスは笑ってしまった。


「なにがおかしいのでしょう?」

「ごめんなさいね」


 まさか、互いに似たような被害に遭っていたのかと、おかしくなってしまったのだ。

 そんな事情を知る由もないユーインは、エリザベスの態度に不快感をあらわにしている。


「それで、あなたの元にやってきたのは、どなた・・・ ですの?」

「……カール・ブレイク卿です」

「そう、あの御方が」


 侍女から聞いていた交際相手の一人、カール・ブレイク。

 齢は三十七。妻子あり。

 公爵令嬢のエリザベスとは一番付き合いが長く、頻繁に会っていたという話だった。


「今の奥方と別れて、あなたを後妻として迎える心算つもりらしいですよ」

「そんなの、困りますわ」


 自分に言われても、という意味を存分に込めて言う。


「伯爵家の後妻なんて、お兄様がお許しにならないと思いますの」

「でしょうね」


 語気を強めて返事をするユーイン。

 不機嫌な顔のまま、運ばれてきていたワインを一気に飲み干す。


「それで、あなたはなんとお返事をなさいましたの?」

「もちろん、その件はシルヴェスターに問い合わせてくださいと言いました」


 ――まあ、素敵!


 そんな言葉を、寸前で呑み込む。

 澄ました顔をした公爵子息シルヴェスターなんて、伯爵に迫られて困れば至極愉快なのに、とエリザベスは思う。


「今日、こうしてきていただいたのは、今後、他の男との付き合いは控えていただきたいと、忠告するためでした」


 その返事を、どうすべきかエリザベスは迷う。

 自由奔放な娘がいきなり品性方向になるのは不自然なのではと、思ったからだ。


「さあ、どういたしましょう?」

「どうするもこうするも、迷惑なんですよ。仕事中に無理矢理押し入られて、婚約を解消するように迫られるのは」

「大変ですわね」

「誰のせいだと思っているのでしょうか?」


 ――それは公爵令嬢エリザベス・オブライエンのせいですわ


 もちろん、そんなことなど口にだして言えるわけもない。


 給仕がやってきたことにより、会話が中断する。

 食事が運ばれてきた。


 前菜はチーズスフレ。ふわふわの生地をスプーンで掬って、舌の上でとろける食感を堪能する。他は魚と野菜の三食テリーヌ、インゲンマメのスープ。

 メインはエビの香草焼き、途中で口直しのアイスクリームを食べたあと、仔牛のワイン煮込みが運ばれてくる。食後のデザートは木苺のムース。

 以上がコースである。

 全体的に量は少なめで、女性に人気の理由も頷ける味と、サービスであった。


 エリザベスは食後の紅茶を。ユーインは食後酒を飲み始める。


 給仕のいなくなった部屋で、会話が再開された。


「あなたはいったい、何を考えているのでしょうか?」


 公爵家の家庭環境は詳しく知らないので、返答に困る。

 家族の愛情を受けて育ったエリザベスには、他人に心を寄せる行為の意味を理解できなかった。


「わたくしは――」


 わからない。

 そう答えようとした刹那、男の店員の焦ったような声と怒鳴り声が聞こえてくる。


「なんの騒ぎですか」


 ぽつりと、ユーインの呟きに「存じません」と返事をしようとした瞬間に、バンと個室の扉が開かれる。

 背後を振り向いたエリザベスは、顔を顰めた。扉の向こうにいたのは店員ではない、正装姿の見知らぬ男性だったからだ。


「エリザベス、ここにいたのか!!」

「はい?」


 入ってきた中年男は、整えていた髪を振り乱し、額には大粒の汗をかいていた。

 初めに声をかけたのは、ユーインだった。


「ブレイク卿、何故、ここに?」


 その言葉を聞いて、やってきたのがエリザベスの交際相手、カール・ブレイク伯爵であることに気付いた。


 三十代後半であると聞いていたのに、髪は白髪が混じり、目元には皺が刻まれていた。

 実年齢よりも、随分と上に見えると、エリザベスは思う。


 ブレイク伯爵は止めようとしていた支配人の手を払い、ずんずんと部屋に入ってくる。

 エリザベスの前で立ち止まったかと思えば、腕を掴んで無理矢理立たせた。


「――なっ、何を!?」

「エリザベス、一緒に帰ろう。お前は、この男に騙されている!!」


 ユーインを指差し、糾弾するように叫ぶブレイク伯爵。


「女性に乱暴なことはしないでください」

「黙れ、これは俺の女だ!」


 一応、立ち上がって止めようとしたが、近づくなと牽制されるユーイン。

 呆れた行動に、眼鏡のブリッジを押さえながら、盛大な溜息を吐いている。


「――いいか、エリザベス。こいつは、蛇のような男なんだ。結婚を出世の道具としか思っていない。婚約はすぐにでも破棄したほうがいい。お前は、何もわかっていない。だが、安心しろ。私が幸せにする。妻とは別れよう。約束する」


 いい年をして夢物語を語る中年男を、エリザベスは睨みあげた。

 けれど、抗議の視線にブレイク伯爵はまったく気づかない。

 掴まれた腕も痛みを訴えている。

 それなのに、強引に引き寄せようとしたので、高い踵で思いっきり足を踏みつけた。

 ブレイク伯爵は悲鳴をあげ、踏まれた足を確認するかのようにしゃがみこんだ。

 拘束がなくなったので、エリザベスは相手から距離を取る。

 そして、宣言をした。


「わかっていないのは、あなたですわ」


 貴族の結婚は政略的な意味合いが強い。

 結婚によって家と家の繋がりを強くし、互いに繁栄を目指す。

 よって、結婚をすることによって、出世を望むユーインの考えは間違ったものではない。

 貴族であるエリザベスは、結婚に関してドライな考えを持っていた。恋愛小説にあるような甘いものではないと、わかっていたのだ。


「わたくしは、身に纏うドレスが、育った環境が、学んだ教養が、何に活用すべきか、理解をしております。決して、あなたの奥様になるために、与えられたものではありません」


 そう言い切って、ブレイク伯爵に背を向けた。

 すると、驚いた顔をしたユーインと目が合う。


 一連の騒ぎに瞠目をしたのかと思っていたが――


「危ない!!」


 ユーインの叫びを聞いて、エリザベスは振り返る。

 目の前に、ナイフをかざしたブレイク伯爵が迫っていたのだ。


 回避する暇などない。

 ぎゅっと、目を閉じるエリザベス。


 ――ああ、なんてつまらない人生ですの


 浮かんできたのは、その一言だった。


 カランと、金属が床に落ちる音で瞼を開く。

 ナイフの刃は、エリザベスに届くことはなかった。


 ユーインがブレイク伯爵を取り押さえ、ナイフを叩き落としていた。


 目の前の光景を確認し、改めて助かったのだとわかれば、体が震えだす。

 エリザベスは自分の肩を両手でいだ いて安堵していた。


 支配人が警察を呼んでいたようで、ブレイク伯爵はその場で逮捕となった。

 エリザベスとユーインは事情を話すため、取り調べを受けることになる。


 結局、帰宅していいと言われたのは、日付が変わるような時間であった。

 ユーインはエリザベスを家まで送ると言い、エインスワース家の馬車で帰ることになった。


 暗い車内で窓枠に肘を突き、エリザベスは本日の感想を述べる。


「……散々な目に遭いましたわ」

「いったい、誰のせいであんな事件になったのか、わかっていないようですね」


 さすがのユーインの声色にも、疲労が滲んでいた。

 エリザベスはお気の毒にと、他人事のように思う。


「あなたも、お兄様におっしゃった方がいいわ」

「何をですか?」

「わたくしとの結婚なんて、まっぴらだって」


 ブレイク伯爵は逮捕されてしまったので、シルヴェスターが文句を言われて困ると言う状況は叶わなくなった。

 なので、代わりにユーインが言ってくれないかと、願いを込めて提案してみる。

 けれど、返ってきたのは思いがけない言葉であった。


「――婚約を解消するつもりはありませんので」

「あら、どうしてですの?」

「あなたみたいなとんでもない女性を、世に放つわけにはいきませんから」

「まあ!」


 とんでもない女性は公爵令嬢のエリザベスで、濡れ衣だ。

 そう言い返しそうになり、慌てて言葉を呑み込む。


「責任感の強い御方ですのね」

「ええ、おかげさまで」


 自分達の結婚を、なげやりに語るエリザベスとユーインであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る