第12話 魔王VS邪法

 帝都から旅立って一ヶ月、ついに勇者一行と九郎達は、氷に閉ざされた山中にそびえ立つ、禍々しい魔王城の前に辿り着いていた。


「長い旅だったわね……」


 女魔術は感慨深く魔王城を見上げた。



 魔術師ヘイシー レベル:43

 HP:266

 MP:971

 筋力:130

 耐久:129

 敏捷:265

 器用さ:220

 魔力:401

 【スキル】

 火炎魔術:LV5、氷結魔術:LV5、強化魔術:LV4、セージ:LV3



「おう、だが旅も今日で終わりだ」


 男戦士も魔王城を見上げ、背中の両手剣を勢いよく引き抜く。



 戦士ギルガム レベル:44

 HP:898

 MP:64

 筋力:358

 耐久:393

 敏捷:230

 器用さ:196

 魔力:48

 【スキル】

 剣術:LV5、格闘術:LV4、頑強:LV3、不屈・レベル3



「あぁ、今日こそ魔王を打ち倒し、この世界に平和を取り戻す!」


 勇者も魔王城を睨み上げ、冒険の途中で邪竜を退治して入手した、黄金に輝く伝説の太陽剣を天にかざした。



 勇者ヘルド レベル:52

 HP:5105

 MP:4680

 筋力:1268

 耐久:1205

 敏捷:1114

 器用さ:1099

 魔力:1120

 【スキル】

 勇者:EX、剣の英雄:EX、魔の賢者:EX、剣術:LV7、天魔術:LV7、神聖魔術:LV7



 数多の屈強な魔物を打ち倒し、達人級、そして英雄級となった彼らに、もはや敵う者はいない。

 勝利を確信する勇者達の背後で、ファムは心配そうに顔を曇らせていた。


「大丈夫かな……」



 探検家ファム LV:30

 HP:274

 MP:382

 筋力:130

 耐久:132

 敏捷:224

 器用さ:250

 魔力:187

 【スキル】

 レンジャー:LV4、治癒魔術:LV3、剣術:LV2、弓術・LV2



 彼女も既にベテラン級の冒険者にまでレベルアップしていたが、勇者と比較すると一桁も劣る己のステータスを見ては、不安を覚えるのも当然であろう。

 そんな震えるファムの肩に、ステータスのない荷物持ちこと九郎の手が置かれる。


「退きますか? 元より君が望んだ戦いではありませんし」


 魔王を倒さないと元の世界に戻れないという、九郎の事情に巻き込んでしまっただけで、ファムが命を賭けてまでこの先に進む義務はない。

 しかし、彼女は首を振って臆病を振り払った。


「行く、誰も知らない魔王の正体を見るなんて、最高にワクワクするでしょ!」

「……君は『好奇心、猫をも殺す』という諺を覚えた方がいいですね」


 目を輝させるファムの姿に、九郎は溜息を吐きつつも、その口元は楽しそうに笑っていた。


「行くぞっ!」


 勇者が太陽剣を掲げると、城門の呪いが解けて扉が開かれ、一行は魔王城の中へと突入していった。

 凶悪な魔物達による盛大な歓迎があるかと身構えたが、城の中にはネズミ一匹すら見当たらない。

 静まり返った魔王城の廊下を慎重に進み、彼らはついに王座の間があると思しき、荘厳な漆黒の両扉に辿り着く。


「魔王、貴様の命運もここまでだっ!」


 勇者が威勢よく扉を開け放ち、九郎達もそれに続いて中に入り込み、そして見た。

 夜の空を思わせる、真っ暗い大理石の敷き詰められた部屋の奥、黄金と無数の宝石で飾られた王座。

 そこに気だるげな顔で腰かける、床にまで届く長い黒髪の美女こそが、彼らの求めた魔王に間違いなかった。


「女性でしたか」


 魔王という単語から、老人やマッチョな巨人を連想していた九郎は、目も覚めるような美女の姿に少々戸惑ってしまう。

 ただ、この場でそんな呑気な感想を抱いていたのは、彼一人だけであった。


「あ、あぁ……」

「そんな馬鹿な……」


 ファムと勇者達は、声にならない悲鳴を漏らして震え上がっていた。

 彼女らの目に映っていた数値が、あまりにも絶望的であったために。



 災厄の魔王パンドラ LV:966

 HP:600720

 MP:610820

 筋力:10258

 耐久:10087

 敏捷:10330

 器用さ:10021

 魔力:11209

 【スキル】

 魔の統率者:EX、絶望の守護者:EX、天啓の使徒:EX、混沌魔術:LV10、元素魔術:LV10、異常耐性:LV10、呪殺耐性:LV10、武術の極み:LV10……



 まさに桁違いの能力値、人間としては破格の4桁に及ぶ能力値を持つ勇者すら、赤ん坊にしか見えない万単位のステータスと、聞いた事もない無数のスキル。


「こんなの、勝てるわけがないっ!」


 数秒前まで勇ましく啖呵を切っていた勇者さえ一目で敗北を悟り、伝説の剣を放り投げて逃げ出した。

 しかし、彼らの眼前で無慈悲にも、入ってきた扉が独りでに閉じてしまう。


「くそっ、開け、開けっ!」


 勇者と男戦士が全力で叩くが、扉はピクリとも動かない。

 そんな必死で逃げようとする彼らに向けて、王座の主は初めて口を開いた。


「魔王からは、逃げられない」


 脳が溶けるような心地よい声で、救いのない絶望を紡ぐ。


「何とかしてよっ!? 貴方、勇者でしょっ!?」

「そんな……俺は魔王を倒す、選ばれた英雄で……っ!」


 女魔術師が泣き叫びすがりついても、勇者は目の前の現実を拒否するように、震えながら首を振るだけであった。


「ははっ、これが魔王なんだ……」


 醜態を晒す勇者一行の前で、ファムは腰の力が抜けたように座り込む。

 どう足掻いても魔王には勝てない、自分はここで死ぬ。

 その恐怖に喰われながらもまだ残る、好奇心という名の最後の矜持が、この世界で最強のステータスを見られて良かったと、口元に微かな笑みを浮かべて。

 そんな、絶望に屈しようとした彼女の前に、黒い学ラン姿の青年が歩み出た。


「相手の強さが明確に分かるというのも、考えものですね」


 九郎はそう軽く溜息を吐きながら、勇者が投げ捨てた太陽剣を拾い上げ、魔王に向かって歩いて行った。


「九郎っ!?」

「よ、よせっ!」


 ファムは彼の身を心配して、勇者は魔王を触発して殺されるのを恐怖して、それぞれ叫び声を上げるが、九郎は全く意に介さず魔王の前に立つのだった。


「こんにちは」

「…………」

「僕は宮本九郎という者です」

「…………」


 九郎が挨拶をし名乗っても、魔王は王座に肘をついたまま微動だにしない。

 だが、無視をしているという訳ではなく、オニキスのような瞳は真っ直ぐに彼を見詰めていた。


「僕はシロという神様の手で、異世界から連れてこられました」

「…………」

「元の世界に戻りたければ、貴方を倒せと言われましたが、無用な争いは望んでいません」

「…………」


 正直に事情を放しても、魔王は何も言わなかった。

 同時に、狂人を見る猜疑の目を向ける事もなかった。

 ただ、静かに王座から立ち上がり、白く細い指を天に向けて呟いた。


「『混沌破砕球』」


 膨大な魔力が指先に集中し、輝く暗黒の球体という、矛盾した破壊の塊を生み出す。

 火水風土、そして光と闇、あらゆる魔術を極めた者だけが扱える、混沌魔術の中でも最上位の攻撃魔法。

 全てを呑み込み粉砕するその極小ブラックホールが放たれた時、九郎どころかその背後で震えるファムや勇者達さえも、髪の毛一本残らず消滅するだろう。


「もう駄目だ……お終いだ……」


 最早逃げる気力さえ失って、床に崩れ落ちる勇者を余所に、九郎は暗黒の輝きに彩られた魔王の整った顔立ちを見詰めていた。


「綺麗ですね」

「……っ」


 その言葉を侮辱と捉えたのか、魔王は初めて眉を動かしながら、死の超重力弾を投げ放った。


「九郎っ!?」


 ファムの悲鳴を背に、九郎は黄金の太陽剣を片手で構え、暗黒の球体に引きずられるように近付いていき――


 第九秘剣・封気式


 一刀のもとに超重力弾を切り裂いた。


「えっ……?」


 唖然とする一同の前で、真っ二つに割れた球体は力の行き場を失ったのか、粉々に砕け散った。


「……『四元素分解光線』」


 魔王も驚いたように一秒だけ固まったが、直ぐに新たな魔術を唱える。

 火水風土の力を全て備えた、赤青緑黄の四色が螺旋を描く破壊の光線。

 だが、それさえも九郎は剣の一振りで両断し、最強クラスの攻撃魔術は無害化されて大気に四散した。


「な、何だあの技は!? 剣術スキルもないのに、何であんな事ができるっ!?」


 かつてのゲグル達と同じような台詞で驚愕する勇者の姿に、ファムは状況も忘れて吹き出してしまう。


「あははっ、そうだね、九郎に心配なんて不要だったよね」


 彼女も何が起こっているのか、どんな原理かは全く分からない。

 封気式とは気の流れを読み取り、最も脆弱な箇所に己の気を流し込む事で霧散させる対気功の奥義であり、気功も魔術もエネルギーの塊である事に違いはないため応用できたと、九郎の口から説明されても理解できなかっただろう。

 ただ、異世界から訪れたステータスの無いこの青年に、自分達の常識なんて通じない事だけは、心の底から信じていた。


「……『氷結――」


 魔王が三度魔術を唱えようとした瞬間、九郎は大地を蹴った。

 縮地――まるで地面が縮まったかと思うような超高速移動からの斬撃を、魔王は咄嗟に腰の鞘から引き抜いた魔剣で受け止める。


「早い、それに強いですね」

「……っ!」


 思わず賞賛を口にする九郎に、魔王は眉を怒らせて力任せに剣を薙ぐ。


「おっと」


 体勢を崩されないよう一歩下がる九郎に向けて、魔王は早口に唱えた。


「『魔弾』」


 純粋な魔力をぶつけるだけの、魔術スキル:LV1でも使える初歩の攻撃魔術。

 だが、膨大な魔力を持つ魔王が放てば、それは英雄級の冒険者すら即死する威力を持つ。

 そして、たった三つの音で発声可能な最も短い魔術であるために、容易く連射が可能であった。


「『魔弾』『魔弾』『魔弾』『魔弾』『魔弾』『魔弾』『魔弾』」


 ガトリング銃のように際限なく放たれる光弾を、九郎は封気式で次々と薙ぎ払い、距離を詰めて斬撃を見舞う。

 だが、魔王は再び魔剣で攻撃を防ぎ、距離を取って魔弾の連射を開始する。

 離れ、近づき、また離れ、激しく動き回りながらも膠着した戦況を前に、勇者一行はようやくパニック状態から立ち直っていた。


「ど、どうする?」

「どうって、逃げようにも扉は開かねえぞ」

「けど、このまま彼が負けたら……」


 ステータスなしと侮っていた九郎に、自分達の命が掛かった状態で、何も出来ずただ立ち尽くす。

 そんな勇者達とは裏腹に、ファムは座り込んだまま会心の笑みを浮かべていた。


「勝ったね」


 それは九郎に対する妄信でも、根拠のない希望でもない。

 何故なら、目に見える確かな数値として結果が現れていたからだ。

 ファムの確信が勇者達にも分かる形で現れたのは、激しい攻防が始まってから五分後の事であった。


「……っ」


 魔王の斬撃や魔法が鈍ってきたかと思うと、ついには苦悶の表情を浮かべて膝をついてしまったのだ。


「な、何が起きたっ!?」

「MP切れ? でも……えっ!?」


 改めて魔王のステータスを確認して、女魔術師は愕然とした。



 災厄の魔王パンドラ LV:50

 HP:31520

 MP:32025

 筋力:521

 耐久:514

 敏捷:526

 器用さ:508

 魔力:537

 【スキル】

 魔の統率者王:EX、絶望の守護者:EX、天啓の使徒:EX、混沌魔術:LV5、元素魔術:LV5、異常耐性:LV5、呪殺耐性:LV5、武術の極み:LV5……



「レベルが下がってるっ!?」


 そう、魔王のレベルもスキルも、全ての能力値が見るも無残なほど下がっていたのだ。

 いや、勇者達が驚愕している間も止まることなく下がり続け、ついには最低値の1にまで達してしまう。


「いったい、何をしたんだ……っ!?」


 勇者の震える声に、九郎は答える気など無かった。

 だが、赤ん坊のごとく無力な存在になり果てながらも、漆黒の瞳に強い輝きを宿し、見上げてくる魔王に敬意を示して告げた。


散星小法さんせいしょうほう――相手の気を吸い上げ宙へと霧散させ、無力化する邪法です」


 相手の力を、積み合上げてきた努力を一瞬で無にする、まさに究極の邪法。

 それは手で直接触れずとも、剣を交えるだけでも、大地を通して足が繋がっているだけでも発動できる、強力にして卑劣極まる術。

 本来は相手を弱体化させるだけでなく、奪った力を取り込んで己を強化する、より恐ろしい邪法である。

 しかし、奪った力の制御に失敗すれば、内部からの崩壊を招く危険な術でもあるため、九郎は力を吸収せず大気に飛散させる事にしており、そのため散星小法と呼んでいた。


「師匠は『喧嘩相手が減るつまらん禁術』と言っていましたが、悪党を殺さず無害化するのには重宝しています」


 スタレットを出た所で襲撃してきたゲグル達も、九郎はこの邪法でレベルを1まで下げる事で、殺さず無力化していたのだ。

 強さという利用価値を失ったゲグル達は、庇護者であったベンゲル伯爵に見捨てられるだろう。

 口封じに殺される可能性が高く、生き延びたければ洗いざらい白状し、伯爵の逮捕に繋がる情報を提供する事で、代わりに冒険者ギルドで投獄という名の庇護を受けるしかない。

 九郎はそう脅して心を折る事で、罪人を殺さず、だが罰を与えてレジ―に引き渡したのであった。

 はたして、その行為が一思いに殺してやる事よりも慈悲深かったかどうかは、人によって判断が異なるであろうが。


「本当、無茶苦茶だよ」


 勇者が十人束になっても敵わないような超ステータスの魔王を、こうもあっさり倒してしまった九郎の姿に、ファムはもう苦笑しか浮かばない。

 そんな呆れの視線を余所に、九郎は黄金に輝く太陽剣を魔王の首に押し当てる。


「元の世界に帰る方法を、教えて頂けませんか」


 彼の目的は当初からそれであり、力を失った美女を弄る事ではない。

 だから、命を奪う気はないと告げる九郎を、魔王はやはり漆黒の瞳で見上げ、短く呟いた。


「殺せ」


 彼女の真っ直ぐな瞳には、力を失い敗北した事に対する自暴自棄など欠片もない。

 ただ、目的を叶えたければそれ以外に方法はないと、淡々と事実だけを伝えていた。


「……残念です」


 魔王の意思が揺るがない事を悟り、九郎は太陽剣を振り上げ、彼女の白く細い首に振り下ろす。

 黄金の刃が血で赤く染まり、長い黒髪を断ち切られた頭が、大理石の上にゴロンと転がった。


「やった、魔王が死んだっ!」

「私達、生き残れたのね……っ!」

「うおーっ! 俺達は勝ったんだ!」


 背後で歓喜の雄叫びを上げる勇者一行を余所に、九郎はまるで目元を隠すように眼鏡を弄り、深く息を吐き出していた。


「……やはり、気分が悪いものですね」


 修行の合間に熊や猪を狩って、食うために何度も殺してきた。

 ただ、人の命を奪ったのはこれが初めてだったのだ。


「九郎……」


 力なく肩を落とす彼を心配し、ファムはその広い背中にそっと抱き着く。

 まさにその時、魔王の座っていた黄金の王座が光となって消え失せ、隠れていた壁に小さな扉が現れた。


「これって……」

「先に進め、という事でしょう」


 九郎は足元の物言わぬ躯となった魔王を一度だけ見詰めてから、現れた扉に向かって歩き出す


「おい、危険じゃないのかっ!?」


 勇者が声をかけるが九郎は構わず扉を開け、ファムも彼について行く。


「……どうする?」

「こっちの扉はまだ開かないし、行くしかないでしょ」


 勇者達は戸惑って顔を見合わせた後、結局は九郎達の後を追った。

 そうして、彼らは世界の真実と対面する。

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