【中編】ステータス異世界をステータスなしで完封するお話

笹木さくま(夏希のたね)

第1話 異世界は突然に

 人気のない郊外の廃工場に、十数人の不良達がたむろしていた。

 手には金属バットやチェーンといった凶器を握っており、全身から物騒な気配を放っている。

 そんな不良達の居座る廃工場の扉が音を立てて開かれ、一人の青年が現れた。

 歳は十七歳くらいで、背が高くて体格も良く、顔もかなりの美形である。

 ただ、襟首までしっかりとボタンを止めた学ランに、七三分けにした黒髪と黒縁の眼鏡と、古臭いほど真面目な優等生の格好をしており、不良達とはあまりにも世界の違う人物であった。


「へっ、逃げずによく来やがったな、宮本っ!」


 木刀を構えた不良達のボスが、ドスの効いた怒声を上げても、現れた青年――宮本九郎は全く怯んだ様子もなく、淡々と口を開いた。


「それで、僕に何の用事でしょうか?」

「とぼけるんじゃねえ、俺の女に手を出しやがってっ!」

「女?」


 顔を真っ赤にして怒るボスに対し、九郎は不思議そうに首を傾げる。


「君に恋人はいないでしょう?」

「な、何を根拠にそんな――」

「失礼、君は一生恋人がいないでしょう?」

「未来まで否定されたっ!?」


 酷い決めつけをされて、心に傷を負ってよろめくボスに、背後から舎弟達が援護する。


「ふざけんなっ! ボスが幼馴染の水樹ちゃんに告白もできないヘタレだからって、言いたい放題言いやがってっ!」

「そのくせ彼氏面して恋路の邪魔をするから、実は水樹ちゃんにウザがられてるとか言うんじゃねえ!」

「本当に言うんじゃねえよっ!」


 舎弟の援護射撃(という名の背中への誤射)に、ボスの心は戦う前に折れそうだった。

 ともあれ、彼らの会話を聞いて、九郎は呼び出された原因をようやく理解する。


「僕が水樹さんに告白された事を言っているのでしょうか? それなら、良く知らない相手だし断りましたが」

「テメエ、水樹を悲しませるなんて許さねえっ!」

「ただ、『それなら友達から始めましょう』と言われたので、彼女とは笑って握手を交わしましたが」

「テメエ、水樹と仲良く友達になるなんて許せねえっ!」

「どうしろと言うのですか……」


 全く話が通じない不良のボスに、九郎はやれやれと溜息を吐く。


「これだから、理屈の通じない子供と狂人は苦手です」

「テメエ、誰の頭が子供レベルだとっ!」


 さらに顔面を真っ赤にするボスに、舎弟達がまた援護を送る。


「そうだ、子供に謝れ!」

「子供だって掛け算はできるんだぞ!」

「俺だって掛け算くらいできるわっ!」


 相変わらず全力で誤射してくる舎弟達に、ボスは切れて怒鳴り散らすと、もうお喋りは終わりだと木刀を振りかぶる。


「とにかくテメエは許さねえ、死にさらせっ!」

「そうだ、モテ男は死ね!」

「俺ら非リア充の恨みを受けやがれ!」


 そこだけは心を一つにして、不良達は雄叫びを上げて一斉に襲い掛かってくる。

 迫る木刀や金属バットを前に、九郎は微動だにしない。

 そして、無数の凶器が彼の体に突き刺さる。

 しかし、鈍い音を立てて折れたのは、彼の骨ではなく不良達の得物の方だった。


「何っ!?」

「気は済みましたか?」


 驚愕の叫びを上げる不良達の前で、九郎は平然とした顔で無傷のメガネを指でクイッと押し上げる。


「ど、どうなってやがるっ!?」

「ロボットかよテメエはっ!?」


 混乱して後ずさる不良達に、九郎は数式でも教えるように淡々と告げた。


「僕を嫌うのは君達の自由ですが、無抵抗な人間に暴力を振るう行為はいただけない。君達が取り返しのない罪を犯す前に、それは悪い事だと教えるのが学友としての務めでしょう」

「な、何を言ってやがる……っ!?」


 丁寧な物言いに反して、まるで野生の虎のごとき獰猛な気配を滲ませる優等生に、不良達は我知らず震え上がる。

 そんな彼らに、九郎は丁寧語の抜けた冷たい声で宣告を下した。


「子供は痛みを知らぬから、悪くと知らず暴力を振るう。だから……痛みを知れ」


 瞬間、九郎の姿が不良達の前から掻き消えた。

 もしもこの場を高速度カメラで撮影していたら、ほんの1秒で不良達全員の体に触れて回る、九郎の残像が映った事であろう。


「風が……」


 あまりにも速すぎて、強風が通り過ぎたようにしか感じられず、不良達は呆然と立ち尽くす。

 だが、九郎が足を止めて眼鏡に手をかけた瞬間、言語に絶する激痛が彼らの全身を貫いた。


「「「ぎゃあああぁぁぁ―――っ!」」」


 体中の神経をフードプロセッサーで切り刻まれるような痛みに、不良達は数秒と耐えきれず、白目を剥いて気絶した。


「これに懲りたら、もう暴力は振るうのはやめる事です」


 もしも不良達の意識が残っていたら、「暴力の化身みたいなお前に言われたくはねえ!」とツッコンだろうが、どのみち「これは正当防衛です」と言い返した事だろう。

 九郎は一つ溜息を吐くと、倒れた不良達に背を向けて歩き出す。

 しかし、その足が直ぐに止まった。

 廃工場の入口に、見慣れぬ影が立っていたからだ。

 それが九郎と同じ学生であれば、不良達の仲間か、通りがかった無関係な者か、どちらにせよ驚く事はなかっただろう。

 近所の大人や警察でも、事情を説明すればいいだけで何の問題もない。

 だが、人影を見た九郎の顔には、驚愕と緊張が走る。

 入口に立っていたのは、十歳くらいの小さな童女だったのだ。


「こんにちは、お兄さん」


 そう言って笑う童女は、まるで人形のように美しい。

 健康的な小麦色の肌、それと対照に病的なほど真っ白い髪と、同じ色をしたワンピース。

 そんな子供が、無数の不良達が倒れている廃工場の中を見て、楽しそうに微笑んで挨拶をしてきた。

 丸くて大きな金色の瞳に、珍しい虫でも見つけた子供のように、純粋な好奇心と嗜虐心を浮かべて。

 この非現実的な現実に対する、九郎の反応は早かった。


「……っ!」


 無言で童女に背を向けて、全速力で走り出す。

 そのまま廃工場の窓を蹴り破り、逃走しようとした九郎の判断は正しかったのだろう。しかし――


「ちょっと、無視しないでよね」


 彼が走り出した瞬間、童女が目の前に現れて逃げ道を塞いでいた。

 100m3秒を切る九郎を追い越し回り込むなど、空間転移かはたまた時間停止か、そんな超常現象を起こしたとしか思えない。


「……僕に何の用でしょうか」


 九郎は諦めた顔で眼鏡を弄り、目の前の童女に応じた。

 すると、彼女はまた飛び切りの笑顔を浮かべて話し出す。


「貴方、凄く強いのね?」

「多少は鍛えていますので」

「だから、こんな平和で詰まらない世界には飽き飽きしているでしょ?」

「話が飛びすぎです」

「うんうん、自分の醜い欲望を隠さなくていいの。私もその気持ちはよ~く分かるから」

「話を聞いて頂けませんか?」


 こちらの声に全く耳を貸さず、楽しそうに喋り続ける童女に、九郎は溜息を吐くしかなかった。

 そんな彼に、童女は笑顔のまま平然と告げる。


「だから、貴方を異世界に連れて行ってあげる」


 河原で拾った石でもプレゼントするように、軽々と非現実的な事を。


「異世界にはくだらない法律なんてない、貴方を縛るモノは何もないの! 思うままに、望むままに暴力を振るえるわっ!」


 それは何物にも勝る美酒だと、童女の顔には恍惚が浮かぶ。


「気に入らない奴をぶっ殺し、美しい女を無理やり犯して、酒も薬を浴びるほど呑んで、愚かな大衆の喝采を浴び、世界の全てを手に入れる……ねっ、最高でしょう?」


 だから、私に従って異世界に行きなさいと、童女は小さな手を差し出してくる。

 九郎はそれを子供の戯言や、狂人の妄言と切り捨てたりはしなかった。

 自分の前に一瞬で回り込んだ一件だけを見ても、この童女が見た目通りのか弱い存在ではないと分かっていたからだ。

 だから、彼は心から真面目に――


「間に合っています」


 あっさり断って、廃工場の出口を目指して駆け出した。


「だから無視するなっていうのっ!」


 背後から童女の怒声が響き渡った瞬間、出口の扉が音を立てて独りでに閉じた。

 九郎は鉄骨を捩じ切るほどの力で開けようと試みるが、ピクリともしない。


(まるで扉の時間が停止しているようだ)


 おそらく、単純な力では開ける事も破壊する事も不可能だろう。

 冷静にそう分析する九郎の背中を、童女が怒り顔で蹴りつけてくる。


「人間風情が私を無視するなんて、立場が分かってるのっ!?」

「そう言う君は、神様か何かですか?」


 振り返ってそう言うと、童女はニヤリと擬音が聞こえそうなほど口の端を吊り上げた。


「そうよ、私は神様なの。名前はそうね……シロとでも呼びなさい」


 童女――シロはそう名乗ると、改めて九郎に手を差し伸べる。


「神様の力で異世界に連れて行って、あらゆる快楽を味わわせてやろうって言ってるのよ? 地べたに這いつくばって感謝して欲しいくらいだわ」

「失礼ですが、僕は子供に責められて喜ぶ趣味はありません」

「安心して、貴方はちょっと強いようだけど、さらに無双できるように凄いチート能力もあげるから。何かリクエストがあれば聞いてやってもいいわよ? だから、欲望のままに異世界をしゃぶりつくしなさい、ねっ?」


 片目を閉じてウインクする姿だけを見れば、可愛らしい子供である。

 しかし、その中身は神を自称するに相応しい、邪悪なおぞましい何かである事は、今さら疑うまでもなかった。

 だから、九郎は素早く熟考した上で――


「今日は塾がありますので」


 真顔で拒否し、廃工場のコンクリート壁を蹴り砕いて逃走した。

 しかし、やはり童女からは逃れられない。


「だから無視すんなぁぁぁ―――っ!」


 シロの怒声が響き渡った瞬間、目の前の街並みがガラス片のように砕け散った。

 そして、周囲がまるで宇宙空間のような、真っ黒い暗黒世界に変貌してしまう。


「もぉ、もぉ~っ! 神様だって言ってんのに、何で無視すんのよっ!」

「ちゃんと答えたじゃないですか」


 幼い容姿に相応しい、子供っぽい癇癪を起すシロに、九郎は弁明するが無意味であった。

 神様を名乗る彼女にとって、自分の言葉に「YES」か「はい」以外で答える事は、無視と同等の大罪なのだから。


「もういいっ! お前にはチート能力なんて与えてやらない、勝手に野垂れ死んじゃえ!」


 シロは激昂してそう叫ぶと、九郎に小さな掌を向けて、不可視の波動を放つ。

 咄嗟に身構える九郎だが、無重力の世界では踏ん張る事もできず、なすすべもなく波動にのまれて吹き飛ばされてしまった。

 暗黒の空間をどこまでも飛んでいく彼の耳に、シロのせせら笑いが響き渡る。


「せいぜい頑張って魔王を倒しなさい、そうしたら元の世界に帰してやってもいいわ」


 まぁ無理でしょうけれど、と彼女が再び笑ったのに合わせて、暗黒空間がガラスのように砕け散った。

 耳障りな甲高い音が鳴り響き、船酔いと二日酔いを混ぜたような嘔吐感が込み上げる。

 それに必死で耐え、不意に気分が直って顔を上げた時、九郎は見知らぬ森の中に立っていた。


「受験勉強のストレスで見た幻覚……ではないですね」


 残念ながら頬を抓れば痛みがあるし、深く呼吸して全身に気を巡らせても、どこにも異常は見られない。


「せめて地球上のどこかなら、歩いて帰れたのですが……」


 周囲にはブナに似た木々が生い茂っているだけで、一見しただけでは異世界という証拠はないが、あんな不思議空間を通っておいて、実は地球でしたなんてオチもないだろう。


「まったく、面倒に巻き込まれたものです」


 やれやれと、九郎は今日何度目かも分からぬ深い溜息を吐く。

 そして、まずは身の安全と食料確保のため、周囲の探索を行おうとしたその時、絹を割くような悲鳴が森の奥から響き渡ってきたのであった。

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