深海世界編

夢パート

第17話 幼馴染みとディープブルー

 仄暗い蒼。


 コポコポという音が後ろから前へと移動していく。

 脳が重力をわずかに感じ取り、自分が仰向けになっていることを認識し始める。紺色の目の前にはユラユラと歪んで光る白い球体が見えていた。


「……」


 床の感触はなく、浮いているというよりも漂っているといった具合だろうか?

 生温い感触が服の隙間から体を舐めるように通り抜けていく。

 これは水だ。


「こんばんは、関口くん」

「ッ!?」


 突然ショウの頭上から、女の子の顔が逆さまに現れる。あまりの顔の近さに彼の虚ろだった目が一気に覚めていく。そして、自分が今水の中に居ることを自覚し、必死に息を止めて酸素を求めてジタバタともがき始めた。


「何をやってるの関口くん?」

「ッ!! ッ!!」


 必死な彼とは対照的に、少女は不思議なものを見るようにジッと彼を見つめる。


「もしかして、息が苦しいの?」

「ッ!! ッ!!」


 一生懸命頷くショウを見て、彼女は口元を緩め語りかける。


「大丈夫。ここでは息が出来るみたいよ」

「……!?」


 試しに口を開いて呼吸を試してみると、水を吸い込むこともなくしっかりと酸素を取り入れることが出来た。


「……本当だ。ちゃんと息が出来る」

「ね、言った通りだったでしょ」

「あ、あれ!? 僕の服装も変わってる!?」


 自身の服装を見てみると、今回はタキシード姿に蝶ネクタイ、黒い革靴を履いたどこかの執事のような姿へと変わっていた。

 逆さだった少女は少し泳いだ後、イルカのようにUターンを行い、ショウと同じ向きへと変わる。

 改めて彼女の容姿を見てみると、まず彼女の特徴を一発で表せる良い言葉がある。彼女の姿は上から下までゴシックアンドロリータファッションなのだ。

 全身が黒をベースにしたフリルと黒いリボンを至る所にぶら下げている。たぶんカツラであろう白髪セミロングヘアに、カラーコンタクトを付けているのか赤い瞳。アイシャドウを付けた鋭い目つき。

 黒い日傘を畳み、どことなく落ち着いた雰囲気を醸す妖艶な彼女をショウは知っていた。


「君は確か近くに住んでた……川崎かわさき……ナオミちゃんだよね? 4年ぶりぐらいかな?」


 彼女の名前は川崎ナオミ。

 ショウとエリが学校の近くの公園で遊んでいた時、一緒に遊んでいたショウより一つ下の女の子だ。これは昔から着ていた彼女の私服であり、人目を気にせず着用しているのである。理由を聞いたところ自分でも何でも着飾るのが好きらしかった。

 夢の中ではあるが、成長しても同じ格好をしていた彼女に、思わず口元が緩む。懐かしむ思いがあるだけで、決して悪い意味ではない。

 彼女はその奇抜な衣装とは裏腹、穏やかな表情で微笑んだ。


「ウフフ。私のこと覚えてくれたんだ……嬉しい……ありがとう関口くん」

「……え? 関口?」


 聞き覚えのない名前。ショウはナオミに聞き返す。


「関口って……誰?」

「誰って、関口は関口くんのことじゃない」

「……もしかして、僕のこと!?」


 ショウが自分を指さすと、彼女はニコやかに頷く。


「あの……もしかして、人違いしてない?」

「人違い?」

「うん、僕の名前は水瀬ショウだよ」

「ウフフ、面白いこと言うのね。関口くんったら、冗談が上手くなったわ」

「いやいやいやいや!? ほら、エリちゃんのこと覚えているだろ? ツインテールの仲良かった子。僕は水瀬エリの兄の水瀬ショウだよ。名字は決して関口とかじゃないってば!」


 ナオミは無表情で固まるが、しばらくしてウフフと笑い出す。


「分かった。そういう設定なのね」

「いや!? 設定とかじゃなくて! 川崎さん、僕のことおちょくってるでしょ?」

「いいえ、関口くんのことをおちょくってなんていないよ」

「だから関口じゃないってば……」


 そんなことを言いつつ、クスクスとナオミは笑っていた。





 前からこんな感じの子だったとショウは思い出していく。まだ小学生時代だった頃、ショウがエリと公園で遊んでいた時にナオミが木の陰からジッと見つめていたのが彼女との出会いの切っ掛けだった。

 初めは、目を合わせるとすぐ隠れたり、日傘で隠したりと、容姿も性格も変な女の子ぐらいにしか思っていなかったが、温厚でマイペースな性格で徐々に親しくなっていった記憶がある。

 特にエリとは随分親しい関係であり、ショウとも距離感はあったもののそれは悪くない距離感だった。何というか……心を見透かされた上でパーソナルエリアを上手く踏み込んで来ない。それが彼女の距離感だった。

 そんなナオミは、水の中をふわふわと漂う。黒いスカートもユラユラと揺れ、まるで黒いクラゲのようであった。


「それにしても、夢の中に貴方が出てくるなんて思っていなかったわ」

「君もここが夢の中だって分かるんだね」

「君も……ってことは、関口くんも?」

「関口……まあいいや……うん、僕はこんな感じの夢を見るのは4回目ぐらいなんだ」

「ふーん……」


 興味あるのかないのか分からない反応の彼女に、ショウは戸惑う。詳細な内容を彼女に話そうかと悩んでいる所で、彼は妙なことに気づいた。


「僕は……いつ寝たんだ?」


 先ほどまで、公園に居た。そして、ナオミを発見し呼びかけた所で記憶が途絶えていた。


「あのさ、川崎さん」

「ナオちゃん」

「え?」

「昔みたいにナオちゃんで良いよ」

「え、ええ!? い、いや、久しぶりなんだし、普通で……」

「ナオちゃんって言うのが普通じゃなかったの? 昔はエリちゃんと同じで妹扱いしてくれたじゃない」

「そうだったような……気が……」


 パーソナルエリアに入って来ないなんて嘘だ。4年前の彼女との距離感は随分と親しい間柄だったのだと今のやりとりで自覚した。

 記憶が曖昧のショウに、ナオミは怒ることもなく微笑みを浮かべる。


「それじゃあ、ナオちゃんね。改めてよろしくね関口くん」

「君は、僕のこと名字で呼ぶんだね……しかもその関口で……」


 ここら辺のやりとりは後にして、聞きたかった話に移していく。


「えっと……ナオ……ちゃん?」

「ウフフ、なに?」

「僕達、さっきまで公園に居たよね?」

「さっきまで?」

「うん……今朝、僕は君と昔よく遊んだ公園で会った。その直後にこんな所に居たんだ・・・・・・これは夢の中なんだよね?」

「……?」


 ショウの話に、ナオミは首を傾げる。

 その表情を見てショウの不安は徐々に膨れ上がっていく。


「それじゃあ、君はどうやってこの夢に……」

「お布団で寝ていたからよ。そして今、私は夢を見ている。貴方の出てくる夢をね」

「布団の中……もう一つ確認したい。今はもしかして1月23日?」

「……今日の日付のこと?」


 ショウが頷くと、ナオミは少しの間を置いて答えた。


「たぶん、日をまたいだと思うから1月24日だと思うわ。どうしてそんなこと聞くの?」

「……」


 聞き返してきたナオミに対して、ショウは黙り込んでしまう。徐々に徐々に彼の中に恐怖心が渦巻いていった。

 しょせんは夢の出来事で話が噛み合わないのは当然。でも夢の中に出てくる人々の話は全て一貫性がある。まるで自分だけが間違っているような孤独が彼の精神をゆっくりと蝕んでいった。


「関口くん」


 そんな思考の海に沈みかけたショウを見ていたナオミは、彼が呼び止めた。


「君は今、自分のことを疑っているのね」

「……」

「話が噛み合っていなく、自分の信じている物が崩壊しようとしている。違う?」

「・・・・・・なんで、君がそんなことを聞くんだ?」

「ウフフ、そんな顔をしていたから」

「……君は……何か知っているの?」


 ショウが訪ねると、ナオミは首を横に振った。落胆するショウに、彼女は更に質問する。


「確認したいことがあるのだけど良い?」

「なに?」

「今でもエリちゃんのことは好き?」

「え?」


 唐突な質問を投げかけてくる。


「す、好きって?」

「そのままの意味、答えてほしい」


 彼女の表情は至って真剣で、おちょくっているようには全く見えなかった。


「す、好きかどうか聞かれたら、そりゃあ好きだよ。大切な妹だし」

「そう……それじゃあ、私のことは?」

「……ええ!?」


 これまた唐突な質問にショウは戸惑う。


「す、好きって?」

「そのままの意味、答えてほしい」

「い、いや、それは……」


 言葉に詰まるショウに対して、ナオミはジーッと目線を反らさず見つめていた。その視線に彼は耐えかねる。


「へ、変な意味じゃないよ。好きと言えば好きだよ。久しぶりに会ったけど、嫌いではないよ」

「……」


 自分なりの答えを言い終えても彼女はジーッと見つめ続けていた。硬直する二人だが、やがてナオミの口元に笑みが浮かぶ。


「……何となく分かった」

「何が分かったの?」


 彼女は手を後ろに組、ショウに顔を近づけていく。何か得体の知れなさを感じた彼は、少しずつ後退した。


「君は、私の知ってる関口くんとは少し違う。でも、関口くんそのものだと思う存在」

「少し違う? どういうこと?」

「私の知っている関口くんとは少し違うけど、貴方は関口くんってこと」

「えーっと……つまり?」

「暫定的に関口くんってこと」


 聞けば聞くほど簡潔で分かりづらい存在になっていく。


「でも、安心して」


 ナオミは接近を止め、彼の手元を見つめる。


「私は、君のことを関口くんだと思うよ。だから安心して、暫定的関口くん……ウフフ」


 妖艶な笑みを浮かべて、彼女は彼の右手を取る。彼の右手には例の如く黒い包帯がグルグルと巻かれていた。


「貴方のこの右手の怪我……私は一時も忘れたことなんてないもの」

「右手の……怪我?」


 ナオミは、ショウの右手を見つめ優しく握る。


「花火の時、私とエリちゃんを助けてくれたでしょ? 覚えてない?」

「花火……助けた? 僕が君達を?」


 ショウは困惑する。今まで謎であったこの右手の黒い包帯。ユリエは、この黒い包帯を自身のコンプレックス、またはトラウマであるという仮説を唱えていた。

 ショウ自身、自分の右手に対してトラウマなど持っておらず、間違った推測だと思っていたのだ。しかしナオミの発言を聞き、何かこの右手にはいわくがあるのではと考え始める。


「あら? 関口くん、あれ……」

「え?」


 ショウが考えていた矢先、ナオミが何かに気づき彼の後ろを見つめた。つられて後ろを振り向いてみる。

 すると――


「……」


 ショウ達より40メートル程先だろうか。一人の女の子がふわふわと泡に紛れて漂っていた。

 黒くて長いツインテール、ナオミと同じゴスロリファッションに身を包み、目には黒い包帯を巻き付けた少女がいた。

 それは間違いなく……


「……エリちゃん!?」


 ショウは、自身の妹であるエリに呼びかける。

 その声に気づいたエリは、後ろを向き深海のそこへと潜っていく。

 まるで、彼から逃げるようであった。


「あれって、エリちゃんよね? 何で逃げて行っちゃったの?」

「……分からない。とにかく、僕は追いかけるよ!」


 ショウが急いで、エリに追いつくために泳ぎ始める。


「私も着いていく」


 スイッとイルカのように、ショウの横にならんだナオミ。


「良いのかい?」

「もちろん、何でエリちゃんが逃げたのか気になるから。それとも私が付いてくるのは嫌?」


 そう問いかけたナオミだが、彼女の口元は笑っていた。まるでショウが拒否しないことが分かっているかのように見えた。


「……分かった。一緒に付いてきて、ナオちゃん」


 溜め息混じりにショウは口元を緩める。それを見たナオミは一つ頷く。

 彼等は、だんだん青が深くなる暗い海底へと潜っていった。

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