〈15〉過去に何があったのか

 嫌なことを思い出して霞は憂鬱ゆううつになった。やらなければならないことが目の前にあるのに、彼らの実態を掴むせっかくのチャンスなのに、よりによって入院とは。


 しかも今いるのは自由のきかない大学病院だ。通信傍受ぼうじゅの可能性を考えると迂闊うかつなことはできない。


 歯がゆい思いに変になりそうだった。


 しかし、そんな霞をよそに、京子は鼻歌交じりで入院準備を整えている。


「くよくよしない。こういう時は何も考えないのが一番よ」


「あのとき、お母さんに言われたとおりに、お薬飲んでおけばよかった……」


「本当にそうよ。親の言うことは聞くものよ」


 そう言いながら京子が微笑んだとき、ドアをノックする音が聞こえた。


「はい」


『回診です』

「どうぞ」


 ――ガチャ


 京子の返事とともに、白衣を着た50歳くらいの男性医師が部屋の中に入ってきた。名札に「草吹くさぶき」と書いてある。


「いかがですか?」


「熱と咳とのどの痛みがひどいようですが、ただの風邪だと思います」


 草吹という医師に京子が説明すると、彼はカルテを見て言った。


「確かに熱はあるみたいですね。41度」


「そんなにあったのに、この子ったら無理やり外出しちゃって……」


 京子が目をやると、霞の顔は真っ赤だった。草吹はカルテから目をあげ、京子にたずねる。


「中学生ですよね?」


「ええ、そうです」


「それで巡回ロボットに見つかって担ぎ込まれた、と」


「はい。そうです」


「なら大丈夫そうですね。外出するくらいの気持ちがあれば――」


「は、はいっ、もう大丈夫です。だから……げほっげほっ」


 声を出そうとした霞が大きくせき込む。


「こらこら、あんたはゆっくり休んでなさい」


 言いながら京子は霞にティッシュを渡した。


「お薬準備しておきます。今夜は一晩泊って行かれますか? 明日には完治すると思いますが」


「はい、そうさせていただきます」

「…………」


「では、お大事に」


「ありがとうございます」


 立って頭を下げる京子に見送られ、草吹医師は部屋を出ていった。



「はぁーっ」


 ドアが閉まると、霞が喘ぎ声ともため息ともつかぬ声を上げた。


「どうしたの? 大丈夫?」


「大丈夫だけど……大丈夫じゃない……」


 やるせない気持ちでいっぱいの霞が若干涙目なのを見て、座り直した京子は笑った。


「休むことも大事な仕事よ。それに、こんなところに来るのも、いい社会勉強かもよ。心配ないわ。今晩はお母さんがついてるから」


 京子はそう言って霞の右手を両手で握った。


 熱で目頭が熱くなっていた霞が目をつぶる。数滴の涙が真横に転がっていった。


 と、そのとき、京子の端末が鳴った。


「聡さんからだわ。すぐ戻ってくるわね」


 握っていた手を離し、ゆっくりと立ち上がると、京子は部屋の外に出ていった。



 ◆◇◆



「もしもし」


 大学病院の敷地から離れたところで京子が端末をつなぐ。


『ああ、霞ちゃんはどう?』

「大丈夫。ちょっと熱あるみたいだけど、心配なさそう。お医者様もいるし」

『そうか。よかった。君、帰ってくるの?』

「ううん、付き添いで一晩泊ってくるわ」

『わかった。霞ちゃんによろしく』

「はい」


『あ、それと署長から連絡があった。君から連絡ほしいって』

「えっ、私? なんで?」

『そりゃ霞ちゃんのことじゃないか? 経緯は説明してある』

「わかった」


 京子は連絡を切り、大きくため息をつくと署長にかけなおす。


『もしもし』

「京子です」

『ああ、すまない。今、大学病院か?』

「敷地外です。なんでしょうか?」


『その……霞は、どうだ?』

「ただの風邪です。今晩私が付き添いますが、心配ないと思います」

『すまない。ところで、精神状態はどうだ?』

「そりゃ、思いっきり不安定ですよ」

『何っ? やはり以前の人格が残ったままだったか!』

「そういうことではありません」

『…………』


「署長、この際だからはっきり言わせていただきます。過去に何があったか知りませんが、実の親ならもう少し考えてあげたらどうですか?」

『それなりに、考えているつもりなんだが……』

「本当にそうなのだとしたら、署長、わかってない。わかってないですよ」

『何がだね?』

「どうせ霞ちゃんを危険から遠ざけようと思って、今の任務にあてがったんですよね?」


『…………』


「署長だって、あの三人の子供たちが『来訪者』だなんて、これっぽっちも思っていないはず」

『それは……そうなんだけど……』

「おかげで霞ちゃん、思いっきり迷惑してます!」

『えっ?』


「子供の世界は大人の世界より複雑なんです。ましてや霞ちゃんみたいなレベルの子ならなおさら」

『……いや、てっきり子供同士のほうが楽かなと思って――』

「あんなわけわかんない話、楽なはずがないでしょーが!」

『は、はい……』


「毎日の膨大な量の勉強でへろへろになって風邪をこじらせ、そんな時に待ち構えていたチャンスが来たのに、肝心の体が動かない。挙句の果てに大学病院に搬送された今の霞ちゃんがどんな気持ちかわかりますか? 不安定にならないと思いますか?」


『いや……』


「あの子、大人相手のほうがよっぽど楽みたいですよ、任務」

『そ、それはそれで――』

「ではどうしろと?」

『……どうしたらいいかな……京子くん』


「署長にできることは一つです」

『何かな?』

「あの子を任務から外してください。すべて。テストが終わるまで」


『テストまで?』


「どんな理由でもいいです。勉強に専念させてあげてください。実の子を本当に思うのであれば!」


『わかった、外す。で、でも、なぜかな?』


「過去に何があったのかわかりませんが、今のあの子は異常に組織に執着しています。任務に飢えています。それを完全にとりあげてしまったら、生きる気力そのものを失ってしまうかもしれない。でもだからといって、どうでもいい話に振り回されてよいほど無駄な時間もあの子にはないの。だから何かに集中させてあげて」


『わかった。でも、何かに執着するのは、やはり精神疾患的な――』


「……そういうのって親からのゆがんだ愛情がトリガーになることが多いんですってね!」


『え? いや、ちょっとそれはひどいんじゃ――』


「心配しないでください! 霞は私たちが立派に育て上げて見せますから‼」


 ――ぴっ

 京子は連絡を切った。


『あれ? ちょっと? 京子くん?』


「やーい、言ってやった言ってやった!」



 ◆◇◆



 明け方の霞の病室、ベッドの横に簡易シートを敷いて京子が寝ていると、


「ん……あ、あれ?」


 霞が目を覚ました。眠っていた京子も気がつく。


「起きた?」


「あ、わたし、寝てた……」

「具合はどう?」


 京子は霞の額に手を当てる。


「熱、下がったみたいね」

「わたし、行かなくちゃ」


「こんな夜更けにどこに行くのよ。みんな寝てるわよ」


「…………」


「署長が言ってた。霞ちゃんを一時的に任務から外すって」


「……それって……わたし……失格ってことかな?」


「違うと思うわ。今追ってる案件、危険性が低いってことよ」


「…………」


「霞ちゃん、あの三人が今から何か、危険なことをしでかすとでも思ってる?」


「……わからない」


「絶対ないわ。誓ってもいい。それに、あの子たちがテストを受けることも確実だと思う」


「……なんで?」


「ませガキは、生き急ぐものなのよ。心当たり、あるでしょ?」


「…………」


「じゃあ、明日おうちに帰ったら、霞ちゃんが納得できるようなもの、見せてあげるわ」


「そんなもの、あるの?」


「そりゃあるわよ。私これまで、いいかげんなことを言ったことある?」


「……ない」


「でしょ? だから、今は、ゆっくりお休み」


「……はい」


 霞は素直に目を閉じた。



 ◆◇◆



「ただいま」


 京子が霞を連れて家に帰ってくると、聡が出迎えた。


「お帰り。郵便物届いてるよ。霞ちゃんに」


「わたしに?」


 送り主は、ノバスコシアの研究職募集担当だった。霞が封を開けて中を見る。


 ------------------------------------------------

 高橋霞 様


 突然のご連絡、失礼致します。

 現在私どもにおいて、能力のある若い研究職を募集しております。


 貴殿の初等・中等教育における学力、成長力を拝見し、ご連絡致しました。


 もし貴殿が研究職に興味がおありであれば、是非来年2月の研究職採用試験に挑戦していただきたく存じます。

 ------------------------------------------------


「……なにこれ?」


「あんたが頑張ってるってことよ」


「え? でも、試験の申込とか、もう少し後だと思うんだけど」


「そうよ。でも優秀な若者には事前にこういった連絡が来るの」


「お母さん、なんで知ってるの?」

「そりゃ、私がやれって言ったから」


「えっ?」


「昨日、篠原さんと一緒にノバスコシアに行ってきたの。最近飛び級試験の受験者が多いらしいですが、ちゃんと募集かけられていますか? 急激に受験者の年齢層が若返って周知徹底されていないんじゃないですか? このあたりには優秀な学生が固まっていますよ、でも、テストのこと、誰も知りませんよ、って」


「はあ?」


「要するに、あんたと良助くんにオファーレター出してほしいって言いに行ったのよ。もちろん例の三人にもね。だからあの三人もきっと試験を受けるはず。もし受けない子がいたら、私のところに連絡が来るようにしてあるから」


「そんなこと……できたんだ……」


「うちの組織は霞ちゃんだけが戦っているわけじゃない。私たち後方支援部隊がいることを忘れないで」


「…………」


「どうしたの?」


「わたし最近、弱くなっちゃったのかな……なんか、自分が情けなくて泣いてばかり……」


「霞ちゃんはね、今、大人の階段を上っているところなのよ」


 京子が優しい目で言った。


「……そうなのかな」


「そうよ。でもね、それって人生で一番つらくて、美しい時なのかもしれないよ」


「そうだといいな……これ以上つらい思い……したくないもの」


「そうね。でもあんまり泣いてばかりいたら、ほかの子に負けちゃうよ?」


「……そうだね……わたし、やるよ」

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