〈9〉女たらし

 翌日、霞が会場についた時には、すでに試合は始まっていた。


 この一年でさらに身長が伸び、たくましくなった良助を目で追いながら、「最後の試合」という言葉の意味を思い返す。


 ――だってオレ、年齢的には一学年上だろ? 来年小学生に混じってできるかよ!


 良助らしいな、と霞は思った。


(わたしは……何か成長しているのかしら?)


 その時ふと、会場の向かい側の席にどこかで見たことがある顔を認めた。西崎だ。


 彼は霞に気づいていないようで、こちらには顔を向けもせず、試合側に目を向けている。


(良助を見に来たのかしら?)


 そう思った霞は、ふいに一年前の西崎の言葉を思い出した。


 ――僕はあなたの話が聞きたかった。それだけです。


 なんとなく彼のことが気になった霞は、席を立った。



 ◆◇◆



「こんにちは、西崎さん」


「あ……お久しぶりです。高橋さん」


 声をかけられ、西崎は驚きの表情を浮かべた。


「こちら、よろしいですか?」

「ええ、どうぞ」


 会釈しながら西崎の隣に座る。彼は頭をかきながら笑顔で言った。


「良助くん、すごいですね。昨年とは見違えるようだ」


「また良助を見にいらしたんですか?」


「いえ、尾崎です。僕、今あいつを指導しているんです」


「そうなんですか」


 平然と答えつつも、霞は意外に思った。


 西崎は試合に目を向けながらも、霞の気持ちを見透かしたように話す。


「昨年の大会、今にして思えば僕は、不純な動機で大会に出ました。そしてあなたと出会った。ところがその後、尾崎が僕を訪ねてきたんです。稽古つけてくれませんか、って」


「…………」


「彼の体はその時点で完成されていた。残念ながら、伸びしろはそこまで見込めない。そう思いました」


「…………」


「でも、そんな尾崎を僕はなぜか、放っておけなかったんです」


(こんな人、いるんだ……)


「でもね、彼のおかげでなんとかやってこれている自分がいるんです。人として生まれてきた以上、やっぱり誰かの役に立ちたいですから」


「……そうだったんですね」


「霞さんの言葉が僕の背中を押してくれたような気がします」


「えっ?」


「言ってくれたじゃないですか。『これからどうやって生きていくつもりですか?』って」


「…………」


「僕、あのころ何も考えていなかった。普通に生きていくことって、そんなに簡単なことじゃないって、あなたに気づかされた」


「……西崎さん……って」


「はい」


「そうとうな『女たらし』ですよね」


「……は?」


 びっくりした西崎が霞の方を向く。


「失礼します」


 そう言って霞は西崎に顔を向けず、席を立った。



 ◆◇◆



「はぁ……」


 もともと座っていた場所に戻ると、一つため息をつき、会場に目を向ける。


 大会は佳境を迎え、決勝には尾崎と良助が残っていた。

 彼らを見ながらも、霞はぼんやりと今しがたの会話を思い出す。


(わたし、弱くなったのかな? さっきのはさすがに失礼だったかも)


 あの言葉は、直感的に拒否反応を示しただけだった。少なくともこの空間においては自分と良助、西崎と尾崎は敵と味方で、同じ場所にいるべきではない。無意識にそう思ったのだ。決してそれまで「高橋さん」と呼ばれていたはずなのに突然「霞さん」に切り替わったからではないのだ。


 そう自分に言い聞かせつつも、彼に対しては何かうしろめたい気持ちが残った。

 その気持ちが何なのかわからないまま、目の前で試合が始まる。


 昨年と比べ、良助の体格は尾崎に肉薄するまでになっていた。一方の尾崎は西崎の指導のせいか、動きに硬さがない。


(尾崎くん、やるわね)


 霞は冷静に試合を見ていた。


 ラッシュをかけるタイミングを慎重に見極める尾崎と、リーチの長い蹴りで間合いをはかる良助。昨年のどの試合とも異なる試合運びで、膠着こうちゃくした戦いが続く。


 霞は、西崎の指導の的確さに舌を巻いた。尾崎の弱点がほぼ矯正きょうせいされていたのだ。コンビネーションを交えて攻める良助に決定打を許さず、誘いに乗らず、じわじわとプレッシャーをかけているのが遠目からでもわかる。昨年までの大振りな動きや隙はまったく見えない。


(これは良助、ヤバいかも……)


 時間がたつにつれ、手数の多い良助の息が上がってきた。蹴りが受け止められ、逆に尾崎の反撃が体をかすめる。

 思わず後ろに飛んだ良助だが、ステップが弱く、距離が開かない。決め時だと見た尾崎の踏み込みが速かった。


(あっ! やられた!)


 そう思った瞬間だった。良助は着地と共に身体を沈め、尾崎の正拳突きに真っ向から突っ込んだのだ。



――ガキッ‼



(えっ!?)


 霞は目を疑った。尾崎の一撃は良助の肩をとらえたが、同時に尾崎のみぞおちに良助のヒザ蹴りが突き刺さっていた。


(…………なんだそりゃ?)


 意味がわからなかった霞は目に焼き付けた二人の動きを脳内で再現した。バックステップで下がった良助は右脚で床を蹴り、左肩からぶつかりに行く。それに合わせて尾崎が放った拳のインパクト、そのほんの一瞬先に、良助は着地した脚を軸にして右ヒザを繰り出していた。完全に無理な体勢、のはずが、尾崎の突きで良助の体がコマのように回り、ヒザが渾身のカウンターとなって急所に直撃したのだ。


 目をむいて倒れこむ尾崎。一方の良助は肩の痛みに顔をゆがめながらも歯を食いしばって立っていた。


(よ、よしっ!)


 霞は喜ぶ、というより、安堵した。これほど紙一重の勝負になるとは思っていなかったのだ。最近、良助のことをあまり見てなかったのは、彼の実力を楽観視していたから。間違いなく尾崎を越えているだろうと思っていたのだ。ところがその尾崎に想定外の強さを見せつけられ、一度は負けを覚悟した。だがまさか、良助がここまで成長しているとは。いや、本当に成長と言えるのか? どう考えてもたまたまな気がする……。


 そんなことを考えていた霞だが、ふと敗者に目を向けると尾崎は泣いていた。彼の前には微笑んでなぐさめる西崎の姿があった。尾崎は二年続けて準優勝。彼も今年は優勝できるとたかくくっていたのかもしれない。そんな人間模様をなんとなく想像しながら見ていた。


(良助に声かけてやるか)


 そう思った霞は再び立ち上がった。



 ◆◇◆



「かすみん、やったぜ! 有終の美ってやつだな」


 会場の外で霞が待っているところに良助が走ってきた。


「おめでとう」


 笑顔でねぎらい、二人で歩き出す。


「尾崎は意外そうな顔してたぜ。去年一撃だった奴が一年で自分を上回るなんて思わなかったんだろうな」


「…………」


「まあ、あれだな。『男子三日会わざれば』ってやつだ」


「良助」

「なんだ?」


「あなた……まだまだガキだね」


 そう言って霞が微笑む。


「え? なんでだよ! あれは狙ってたんだからな! 本当だぞ!」


 良助が顔を真っ赤にするのを見て、霞は笑いが止まらなかった。



 ◆◇◆



「ただいまー」


「お帰り。どうだった?」

 京子が聞いた。


「うん。良助、優勝したよ」


「よかったじゃない。あ、そうそう。今日署長から連絡あったよ」


「うそ、なんて?」


「最近霞どうなのって。どんどん暗くなってないかって、自分の殻にとじこもってないかって」


「……ははは」


「だから言ってやったの。そんなことありませんよ。霞ちゃんはかなり丸くなりました。しっかり成長してますから心配しないでください、って」


「えっ? わたし……そんなに変わったかな?」


「変わったわよ。一年前とは別人みたい。前は大人びていたけど内面は『おびえた狼』だったじゃない? 今は徐々に大人の女に変わりつつあるのかなって思うよ」


「そうかな? 人を疑うことに疲れちゃっただけなんじゃないかな?」


「それだって立派な成長よ。お母さんの言うこと、少しは信じてよ」


「はい、お母さま」


 その言葉に京子がにっこり微笑む。しかし霞は西崎との会話を思い出していた。


 ◆◇◆


「西崎さん……って」

「はい」


「そうとうな『女たらし』ですよね」

「……は?」


「失礼します」


 ◆◇◆


(わたしって、怯えた狼だったかしら……)

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