(66)ちょっとお散歩

 そのまま研究室の円卓で会議が続くが、さすがにみんな疲れてきた。


「勢いが落ちてきたな」


「いやー、終わりが見えねえアイデア出しはしんどいぜ」


 そう良助がこぼしたとき、


「ねえ、気分転換にみんなで歩かない?」


 一人モニターに向かっていた霞が提案した。


「あれ? かすみんもお疲れ?」


 ほおづえをついていた真奈美が振り返る。


「まあね。だけど発想に行き詰ったときは散歩するのがいいんだって。このまま研究室にこもってるよりはアイデアが出ると思うわよ」


 その霞の言葉に、玲がふと顔をあげた。


「おっ、そうだ、いいところがあるぞ」



 ◆◇◆



 玲が全員を連れてきたのは、大学の植物園だった。


「玲ちゃん、よく覚えてたね~」

「まあな」


「ここどこ? 僕、知らないんだけど」


「知らなくて当然よ。どうせあんた興味ないでしょ?」


「そんなことないよ!」


 雅也がむくれる。


「構内にこんなところがあったのね。知らなかったわ」


「そうなの、動物園も水族館もあるのよ」


 真奈美が霞と話している間に玲が雅也に耳打ちした。


「お前、まなみんと二人で植物園、行って来いよ」


「えっ、いいの?」


「むしろ頼む」


「ん? なになに?」


 振り返った真奈美に玲が素知らぬ顔で返す。


「雅也が植物園に行ってみたいんだとさ。俺らは別のとこ見てくるから、案内してやれよ」


「いいわよ」


 真奈美と雅也が植物園の中に消えて行くのを見届けると、玲は振り向いて言った。


「涼音、動物園と水族館、どっちがいい?」


「……動物園!」


「わかった。デック、涼音を連れて行ってやってくれないか?」


「え? ああ、いいぜ」



 ◆◇◆



 そんな成り行きで涼音と動物園に入った良助は、少し後悔していた。玲の言葉に安請け合いしたものの、地震の影響で猛獣が抜け出していたらまずいな、と一抹の不安を感じつつ、周囲に気を配りながら順路を進む。


 やがて目の前に人工の山が見えてきたとき、


「……わ……おさるさんだ!」


 涼音がはしゃいで指さした。


「おお、本当だな」


「……ライオンさんも……トラさんも……いるよ!」


 見ると猛獣はしっかり隔離されているようで、良助は胸をなでおろした。だが実際に檻に閉じ込められた彼らの姿を目の当たりにすると、逆に何とも言えない気持ちになる。


「……どうした……の?」


「いや、なんかさ、動物って人間にはない能力を持ってるんだよな、って思ってさ」


「…………」


「人間なんかより強いのに、こうやって人間に捕まって調べられて、可哀想だなって」


「……デック」


「あ、なんでもない。別に自分たちに置き換えてどうこうってわけじゃねーんだ。っていうか、お前が見たいところに行こーぜ」


「…………」


「ん? どうした?」


「……私…………ここで……いいよ」


「お、そうか」


 二人で近くのベンチに腰掛ける。


「…………」


「…………」


「……なんか…………しゃべって」


「え? オレか?」


「……うん……デックの……お話……聞きたいな」


「そうか? うーん、そうだな……あ、そういえば、実は昨日雅也と大学病院に行った帰りにな、工学部に行ったんだ」


「……工学部?」


「ああ。あそこもやっぱり誰もいなかったんだが、雅也は前に来たことがあったみたいで、出力研究所とか行って、いろんな機械を見てたんだよ」


「……ひょっとして……レーザー砲?」


「な! なんでわかった?」


「……出力研究所……だから……雅也くん……撃ったの?」


「……なんで知ってんだ?」


「……聞こえた……から……音が」


「……マジか」


「……それで……どうしたの?」


「そのまま研究室に戻ってきた」


「……やっぱり」


「あいつ、何もなかったかのようにしれっとしやがって――」


「……ううん…………違う」


「は? 何が?」


「……デックも……同罪」


「えっ!」


「……でも……黙ってて……あげる…………みんなには」


「…………」


「……でも……反省して……」


「……はい」


「……目を……つぶって……」


「……はい」


 そう言って良助が目を閉じたとき、



    (*´ε`*)チュッ



「!?」


「……私も…………同罪」


「えっ?」


「……みんなには…………内緒」


「あ……ああ」


「……助けて……くれて…………ありがと……う……」


「は?」


「……セキュリティチーム……来た時……」


 涼音が目に涙を浮かべる。こぼれないように上を向いた。


「……ずっと……それが…………言いたかった……の……」


 ガラス玉のような粒が涼音の頬から零れ落ちる。


 良助の表情が柔らぐと、そのまま腕を涼音の頭に回し、胸に引き寄せた。


「……うっ……ううっ…………ごめん……」


「何言ってんだ。お前がいなかったら、オレだって何もできないさ」


「……ううっ…………」


「泣くなよ……オレがついてる」


「…………ありがとう」


「…………」


「……もう…………大丈夫」


 そう言って涼音がしわになった白衣を整えた。


 そのとき、


「……あれ?」


 声を出した涼音の視線に目を向けると、ベンチ横の芝生の上を小さな白い何かが動く。


 そのまま二人がじっと見ていると、そのネズミらしき動物がこちらに向かってちょこちょこと歩いてきた。


「……かわいい」

「お、ハムスターかな?」


 ベンチの上から涼音が手を近づけると、ネズミは指のにおいをぎにきた。


「……おいで……こわく……ないよ」


 手のひらにネズミを乗せる涼音。微笑む彼女の横顔を良助はずっと眺めていた。


「……この子……飼って……いいかな? 研究室で」


 そう言って顔をあげた彼女と目が合い、良助は思わず目をそらしながら答える。


「ああ、オレはいいと思うけど、みんなに聞いてみねーとな」


「…………」


「だ、大丈夫だよ。みんなOKしてくれるさ」



 ◆◇◆



 良助たちが外に出ると、他の四人が待っていた。


 しかし、真奈美と植物園に行ったはずの雅也がなぜかずぶ濡れになり、くしゃみを連発している。


「ん? 雅也お前、どうしたんだ?」


「いや、それが――」


「こいつ、オオオニバスの葉に板引かずに飛び乗ろうとして、池に落ちちゃったのよ」


「は? なんだそりゃ?」


「ほんとにバカなんだから……」


 その言葉とは裏腹に、上着を脱がせると、ハンカチで甲斐甲斐しく雅也の身体をふいてやる真奈美。

 

「じゃ、行くか」


 ぶっきらぼうにそう言った玲の手は、霞とつながれていた。



 ◆◇◆



「クション!」


 研究室に戻る構内の廊下を、雅也がくしゃみを響かせながら歩く。


「しっかし、地震でもまったく無傷って、すごい設備だな、水族館も動物園も」


「よっぽど耐震構造がしっかりしてるのね」


 そんな良助と真奈美の話を聞いていた霞は、ふと、目の前を歩く涼音の白衣のポケットから白いものがひょこっと顔を出したのを見つけた。


「あれ? 涼音、それ何?」


「……あ……その……」


「あ、これはだな、動物園に落ちてたんだ」


 間に入って良助が弁解する。


「何が? ってそれ、ハムスター?」


「……あ……あの……研究室で……飼おうかと……思って……」


「うわ、かわいいー。これハツカネズミね」


 前を歩いていた真奈美が涼音のポケットの前にしゃがみこんだ。


「あら、そうなの?」


「生物学部で実験用に飼育してたのが、動物園に紛れ込んだのかもね」


「……飼っちゃ……ダメかな?」


「そりゃ、あたしはいいけど。生物学部としても持ってかれて困るもんでもなさそうだし。みんなは? たぶんアレルギーとか出ない種類だけど」


 そう言いながら真奈美は玲の表情を見上げる。


「いいんじゃねーか? 別に」

「僕も問題ないけど」

「わたしも大丈夫よ」


「おお、よかったな! 配線とかみ切らないようにしっかり面倒みるんだぞ」


 良助は笑って涼音の頭に手をのせた。


「……うん!」



 ◆◇◆



「とりあえず空き箱かなんかで、そいつの家を作らねーとな」


 戻ってきた研究室のドアを開けると、良助は円卓の周りを物色し始めた。


「廃棄サーバーのケースならカフェテリアの外にあったよ。待ってて、取ってくるから」


「お前は先に服を着替えろ!」


 玲の言葉も聞かず、雅也は研究室を飛び出して行った。涼音はネズミを両手に乗せてにこにこしている。


「えさ、何がいいのかしら?」


「ああ、なんでも食べるよ。ところでオスかな? メスかな?」


 真奈美がそう言って涼音からネズミを受け取ると、持ち上げて見た。


「オスみたい」


「お前、気になるのそこかよ!」


「だってオスなのに女の子みたいな名前つけたらかわいそうじゃない。で、名前どうする? 涼音」


「……うーんとね」


 良助と真奈美の言葉に涼音は少し考えて、顔をあげた。


「……アルジャーノン!」


「な、なんか安直すぎるし可哀想な気もするけど、まあ、いいか」


 真奈美が言ったとき、箱をかかえた雅也が入ってきた。


「あったよ! これでいいんじゃない?」


 雅也が持ってきたサーバーケースは、部屋の片隅のちょうどよいところに収まった。涼音はアルジャーノンをそこに入れると、取り出した自分のお弁当を分け与える。


「なんかほのぼのするわー」

「涼音、いいよねー」


 そう言いながら霞と真奈美がにやにやした目を良助に向ける。


「な、なんだよ?」


 そのとき、もう一度外に出ていた雅也が戻ってきた。


「えさ取ってきたよ~。はい、イトミミズ!」


「わっ! こっちには来るな!」


 円卓の玲の顔が引きつった。


「っていうか、オレも腹減ったな」


 おなかに手を当てながら良助がつぶやく。


「僕らの弁当、なかったもんね」


 ミミズをケースに置きながら雅也が真奈美をちら見した。


「しょうがないじゃない。みんなここに来るのかどうかわかんなかったし。あたしのお弁当だって持ってきてないんだもの」


 みんなの視線が円卓に座る一人に集まる。


「……帰るか」


 気まずそうに玲が言った。



 ◆◇◆



 二台のタクシーが停まると、みんなで真奈美の自宅に入る。


「ただいま~」


「うー、腹へったなー」


 思考停止状態の真奈美と良助が口に出した。


「……アルジャーノン……大丈夫……かな?」


「どうしたの?」


 うつむく涼音に霞が声をかける。


「……せまい……ケースの中……昔の……私みたい……って……思ったの」


「そうよね。あなたたちも長いこと、外出しなかったんだものね……ん?」


 応接間に入ったところで霞が突然足を止めた。


「どうした?」


 後ろの玲も立ち止まる。


「ちょ……ちょっといいかしら?」


「なんだ?」


「まなみんに聞きたいことがあるの。あなた、博士がこの家から外出したところを、見たことある?」


「え?」

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