(39)デックの過去

「ここでくつろいでて、すぐにお茶いれるから」


 そう言って霞はキッチンに立った。


「本当に何もない部屋だな」


 霞の部屋に入って落ち着かない良助がきょろきょろする。


「そうよー。一人暮らしのために越してきたばかりだから。あんまり家探ししないでねー。下着とか出てきちゃうから」


「はいはいー」


 良助と玲のそわそわした雰囲気が霞のところにも伝わってきた。


「お待たせー。どうぞ」


 お盆を持ってきた霞が二人にお茶を差し出す。涼音にはジュース。



「それでは、男の子たちの意見から伺いましょうか?」


 お盆を置きながら霞が玲を見た。


「俺たちから?」


「そうよ。こんな時、女性は男性に引っ張ってほしいものなの。ね、涼音?」


 涼音はジュースを飲みながらこくっとうなずいた。


「そうかよ、じゃあさ、オレから話すからみんな考えてほしいんだ」


 良助が口火を切った。


「オレたち、ここ数か月すごいスピードで生きてきたけどさ、つき合い自体はそんなに長くないんだよ。オレはかすみんとは長いけどさ、玲や涼音、雅也、まなみんとは知り合って半年足らずだ。互いにどんなことを考え、どんなことをして生きてきたのか、本音のところではまだ理解しあえていないと思うんだよ。だからこれから、自分たちの人となりを語り合おうぜ」


「いや、俺たちがやるべきなのはまず、博士について状況を整理することで――」


「立ち位置がばらばらなままじゃ、全体の方向性も定まらねーだろーが!」


 一喝され、玲が黙った。


 良助はテーブルの上で手を組みながら、続ける。


「実はさっきのかすみんのビンタでオレも目が覚めた。あの雅也の気持ち、あれに近い気持ちがオレにもあった。もっと前にオレが止めてれば、って、少し思ってた。だから互いのつまらない理解不足で『ほかの誰かが悪いんじゃないか? ほかの誰かのせいなんじゃないか?』的な気持ちが生まれて、オレらの意志が分裂することだけは避けたいと思った。よくよく考えてみれば、雅也の話に納得したからこそ、オレらは今、こうしているわけだしな」


 話を聞きながら涼音が下を向く。


「あ、無理しなくていいからな。あくまで自分の思ったことを口に出すだけだ。できるだけ今の自分の気持ちを楽にすることが大事なんだ。だからオレから行かせてもらうぜ。オレは小3のころ、事故にあって記憶を失った」


「え?」


 玲が驚く。


 涼音も顔をあげ、じっと良助を見つめた。


「今となってはまったく覚えていないんだが、コンセントを触った時の電気ショックで心臓が止まったんだ。当時でも考えられなかった事故らしいんだが、おかげでそれまでの記憶がない。小さいころの記憶がまったくないんだ。だからオレの人格を形成しているのは小3以降の経験、ということになる」


「知らなかった……そうだったのか」


「そりゃそうさ。お前らには言ってなかったもんな。っていうか、そんな話これまで言う暇なんてなかったしな」


 霞と涼音が無言の中、良助が笑顔で続ける。


「でな、意識が戻ってからのオレは、さらに数か月、なんとなくふわふわした生活を送ったんだよ。なんせ、命が助かっただけで奇跡だって言われてて、親父とお袋がすっげー喜んだんだけど、オレとしては何が何やら、どうしたらいいかわからなかった。見よう見まねでリハビリをこなす日々さ。結構つらかったな。だけど、その間かすみんがずっとつき合ってくれたんだ。で、退院後、学校が始まって、オレもかすみんと一緒に空手を習うようになった」


「え? 霞、空手とかするのか?」


「そうなの。うちの学区って武道が流行っていたから、申請すれば子供も外出できたのね。で、わたしお転婆だったから、良助を引き込んじゃったの。そうしたら、元々ひ弱だった良助、めきめき強くなっちゃって」


「入門した当時はオレ、本当にひょろくて、『でくの坊』って呼ばれてたんだが、やってるうちにどんどん面白くなって強くなって、ごつくなって、大会で優勝するまでになった。で、自分に自信が持てるようになったんだ。勉強はかすみんに教えてもらってたんだけどさ、自分はバカだと思ってたんだが、面白くなるといろいろと知りたくなって、そんなわけで今のオレがあるんだ」


「いや、あなたがすごすぎるのよ」


「『男子三日会わざれば刮目かつもくして見よ!』ってやつだな。あと趣味はバイオリンだ」


「高尚な楽器が似合うイメージがないんだが」


「オレはまあ、そんなところだ。玲は?」


「俺は……そうだな。そう考えるとなんか暗い奴だな、今の俺って。でも少し前まではそうでもなかった。わりと社交的で、どちらかというとお調子者だったな」


「まったく想像できないわ」


「なんていうか、友達を笑わせたりするのが好きで、一言で言うと、あほだった」


「お笑い系イケメンだったのか? なんでそんなに変わっちまったんだ?」


「小5あたりから、なんというか、今の俺、俺じゃない、っていう気がしたんだ。当時、雅也の影響をすごく受けた気がする。あいつすごいから」


「そうなの?」


「ああ、あいつは物事の本質をすっと掴む。昔から変わらない」


「それって、むしろ玲の方だと思うけど?」


「違うんだ。みんなは雅也の言っていることがわからないんだと思う。実はそれも昔からで、俺もあいつと話していると、大体『こいつ何言ってんの?』って思うんだよ。最初は。ところが後になって気づかされるんだ。あいつの言っていることが実は本質をついていて、しかもすごく簡潔な言い方だったと思い知らされる。そんなことが何度もあった」


「お前、雅也のこと、本当に好きだよな。で、ほかに趣味とかないのか?」


「趣味か。確かに音楽は好きだな。一通りやるな」


「一通りって、なんだよ」


「作曲とか」


「あなた、本当に13歳?」


「そういう霞はどうなんだ?」


「わたしは、その…………見たまんまよ」


「……あの」


 突然涼音が声を出した。


「あ、涼音ちゃんはいいわよ、無理しなくて」


 あわてて霞がさえぎる。


「……無理じゃない……私のこと……伝えたい……みんなに」


 真剣な涼音の言葉にみんなが注目した。


「……でもね……私……話すの……苦手だから……」


「うんうん」


「……私の…………脳波、使って……ほしい」



 三人の心臓が止まりかけた。

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