第117話 絡まりのないもつれ目【3】

 一人勢いよく前のめりに石机へ倒れ込んだ魔人ジンに、会する一同は状況が理解できず固まった。

 唯一フィシュアだけがすぐに立ち直り、心当たりに天を仰ぎたくなった。以前、同様の目にあった水神を見たことがある。

 フィシュアが密かに視線を向けると、シェラートは机にへばりついている魔人ジンに対し呆れた表情を浮かべていた。

「……お前は少しくらい口を閉じられないのか」

「だからってさー……ちょっとこれはなくない? おかげで鼻が痛いんだけど」

「まだ喋るつもりか」

 シェラートは、くいと人差指を引き上げた。

 黄眸の魔人ジンの上体が、首根っこを掴まれたように引き上げられる。

「おお、痛っ」

 黄眸の魔人ジンは、非難も顕に強かに打ちつけた鼻頭を手でさする。

 ぶはっと噴き出したのはドヨムだった。そのまま耐えきれずに腹を抱え闊達に笑いはじめる。

「何だ今の。お前がやってたのか。案外、おもしろい奴だな」

 ドヨムは笑い続けたまま、机に突っ伏す。両手に顎を沈ませたウィルナは「小さな姫君ディーオ・トリアなんて懐かしいわねぇ。といっても私を含めて、位を継ぐまでは、みんな小さい者ディーオだったんだけど」とフィシュアへ優しく語りかけた。

「あの頃の私らは、愛らしかったしね」

 トゥイリカは妹に賛同し、対面で反論したそうなオギハに顎先をむけた。

「それで? これを呼んだ理由は?」

「確認は済んだけどな」

 フィシュア、とオギハは妹を呼ぶ。

「お前が会った魔人ジンで間違いないか」

「……はい」

 フィシュアは、言葉少なに肯定した。

「これで、お前の魔人ジンの情報に偽りがないことが証明されたわけだ」

「お褒めにあずかり光栄にございます」

 イオルは芝居がかった仕草で華麗に会釈してみせる。

「黄眸の魔人ジン

 オギハは、机の中央に座す魔人ジンに呼びかけた。

 きょとりと首を巡らせ、声を発した人物にあたりをつけた魔人ジンは、小馬鹿にしたように表情を改めた。

「その呼び方は嬉しくないねぇ、人間の子?」

「ならば、名乗れ。呼んでほしい名で呼んでやろう」

「普通、そっちから名乗るもんじゃない? 大体なんでそんな偉そうなわけ? 目上も目上。僕は、君よりも何倍も世界は知っているよ」

「残念だが、目上なのも優位なのもこちらで間違いはない。自分の立ち位置をよく鑑みることだな」

 魔人ジンは黄眸を、オギハの後方に立つシェラートへと向けた。確認するも、シェラートは他人事のように反応を示さない。

 代わりに、オギハの隣でシェラートの契約者であるイオルが口角をあげたのを見てとって、魔人ジンは諦め肩を竦めた。

「まぁ、いいけど。名はザハル。そのままザハルでいいよ。なんだって聞くがいいさ?」

 足首を持って胡坐をかいたまま、魔人ジンはふわりと宙に浮いた。

 これみよがしに高みから見下ろしてくる視線を、オギハは特段気にかけず見上げる。

「ザハル。お前の契約主は、ナイデル・ニギーラで間違いないか?」

「是。いかにも。その通り。火ぃ点けたり、柱を折ったり、この辺はあるじの要望通りにできたかな? 男は殺すよう言われていたけど、なかなか反射神経がよろしいようで、これは失敗。人間って聞いていたより丈夫だね。小さな姫君ディーオ・トリアのことはうまく誘い出せたと思うよ。でも、ご承知の通り、予想外なのがついてきちゃって邪魔されたからさ、結果としては大失敗だねぇ。今朝突然、捕まって、こんなところに引き出されるとも思わなかったし。その辺は僕なりに反省すべきかと考えていたとこ。そんな感じで現在。以上!」

 指折り数えながら経緯を上げ連ねた魔人ジンは、にかっと顔をあげた。

「他に質問は? 今なら何でも答えてあげるよ」

 オギハの視線を受けたシュザネは表情に苦さを混じらせ、認識と魔人ジンの言い分に大きな相違はないことを請け負った。

「はーい。なら、俺が質問する」

 いつの間にか笑いを引っ込めたドヨムが手をあげ、左右にひらひらと振った。

「はい、じゃあ、君どうぞ」

 調子よく指名したザハルを無視し、ドヨムは「なぁ」とシェラートに声をかけた。

「コレが連れてこれるなら、どうしてナイデルを引っ張ってこなかった? 俺はどっちかというと、ナイデルの方に興味があったんだがな?」

「それがめいだったからだ」

 シェラートの答えにドヨムは鼻白んだ。涼しげな顔をしているイオルへぞんざいに目を向ける。

「どういうことだ」

 ドヨム、とヒビカはいきりたつ弟を抑えるよう呼びとめる。

「あれは主犯ではありませんよ。ならば泳がせ、他と纏めて片付けた方が得策でしょう」

「ヒビカの言う通りだ。ナイデルはない。いいように使われているだけだろう」

 オギハははっきり断言する。

「他に動いてる奴がいるっていう根拠があるのかよ。大体それ含めて奴に吐かせれば済む話だろ」

「ナイデル一人なら、今さら動きはしなかっただろう。全体像を把握しているのかも怪しいところだ。あれを突いた他の奴らを取り逃すほうが面倒だ」

「どうだか。兄上がたは、たいそうな自信がおありのようで」

 なおも理解し難いと悪態をついたドヨムに、オギハはようやく得心し頷いた。

「そうか。フィシュアが小さかったんなら、二つ違いのお前も小さかったはずだな。関わりもなかったろうし覚えがないか。あれははたから見ても相当狂っていたぞ。そうでなくとも上に立てるような器じゃない」

「だね。あれも、かわいそうな人ではあったけど。おば様も酷なことをした」

 トゥイリカは切なく言った。

「と言っても、おば様は自ら命を絶ったのだし、疑いがかかっていたのは、異国人の——それも取るに足らない芸人に対してだからね。国としては雲隠れした奴を追う理由もなしと、放っておいたのが裏目に出たね」

 フィシュアは、息を詰まらせた。

 知られぬように衣の下に感じる短剣だけをきつく握りしめる。

「まぁ、今回のことで、ナイデルだけならフィシュアを置いておけば、食いつくのはわかったんだ。余計、後回しでも構わないだろ」

「正直、フィシュアにまで固執していたのは意外だったけど。かつての夢の残滓かな? 迷惑極まりないね」

 オギハとイオル——アーネ同士のやり取りに、ザハルは「うわぁ。あるじ、ひっどい言われよう」と口元を引きつらせる。

「だから、これはこれでいいのですよ」

 ヒビカは兄姉の意見を取りまとめ、ドヨムを宥めた。ドヨムの不満は未だ見てとれるものの、三番目の皇子トゥッシトゥスである立場上、上の判断に結局は口をつぐむ他ない。

 それよりも、とヒビカは黄眸の魔人ジンに対して、自身の疑問を投げかけた。

「私は、なぜあなたが私たちの問いに答えてくれるのかが気になります。ザハル、あなたは大した抵抗も見せておりません。それが最も疑わしい」

「疑わしい? 勝手に連れてきて、聞いておいて?」

 ザハルはさも心外だと言いたげに目を丸くする。

「それって、何言っても、僕が信じられないってことだよね?」

「どのようにして信じろというのですか?」

 聞き返したヒビカに、ザハルは不機嫌そのものになった。

「せっかく人が親切で答えてやるっていうのにさぁ」

「契約者であるナイデルを裏切って、こちらにつく意図が読めません」

「別にあるじのことは裏切ってないよ。契約している以上、それは無理。でも、言いつけの範囲外なら何しようと僕の勝手だし? そういうところも契約のおもしろいところじゃん。大体、僕を引っ張り出して脅しかけたのそっちでしょ? さすがにまだ遊び足りないし、僕としても命は惜しいわけ。王の息子にわざわざ逆らうなんて命知らずの馬鹿がすることだし」

「……王の息子ですか?」

「そう。王の息子」

 戸惑いに満ちたヒビカの疑問に、ザハルがけろりと頷く。

 黄眸の魔人ジンがその目に映したのは、ここに集う皇族の誰でもなく翡翠の双眸を持つ同族だ。

「だから、誰が、ジジイの息子だと何度も言っているだろう」

 音もなく注目が集まる中、気にもしていないシェラートが苦々しげにザハルを睨みつける。

 おかしそうに相好を打ち崩したザハルに、フィシュアは全身から血の気が引いていくのを感じた。

「えぇー。だって王の息子は王の息子でしょう。まるっきり、その通りじゃんか。王の魔力だって、丸ごと全部受けつ――」

「やめなさいっ!」

 衝動的に立ち上がったフィシュアの喉元には、長剣の切っ先が真っ直ぐに突きつけられた。

 少しでも動けば、喉は掻き切られる。

 フィシュアは顎先をあげたまま、机上に乗り上がり剣先を突きつけてきた兄を見上げるしかなかった。

「ドヨム様!」

 賢者から鋭い叱責が飛ぶ。

 ドヨムは聞く耳を持たず、机上からフィシュアを睨み据えた。

「やめるのはフィシュア、お前だ。今、何をしようとした? あの魔人ジンの口を塞いでどうする。オギハがこの場に呼ぶことを認めている以上、勝手な真似をするのは反逆と同義だぞ。お前がそれを持ち出した理由は予想がつくがな、俺はこんなことのために協力してやったわけじゃない」

 下ろせ、とドヨムは、低く唸った。

 フィシュアはドヨムを睨みすえたまま、ぐしゃりと顔を歪める。抜き身の短剣を震える手で下ろす。

 喉元の剣先が離れない以上、姿勢を変えられないせいで手元が見えず、戻そうとした剣先が鞘口に当たって耳障りな音を上げる。

 ともすれば喘ぎ動きそうになる口を、フィシュアは下唇を噛みしめ閉じた。いとも簡単に裂けた唇から、血の味が口内に流れ込む。

 だけど、ならば、どうすればいい、とフィシュアは、収めたばかりの短剣を両手で握りしめる。

 ドヨムの双眸に、目に見えて安堵の色が浮かぶ。

 ようやくフィシュアから狙いを外したドヨムは、無言で剣を鞘に収めた。そのままフィシュアの手から探検を奪い取り、頭に拳骨を落とす。

 頭に落とされた拳と共に俯いたフィシュアに、ドヨムは溜息をつき小声で諭す。

「フィシュア。無理しろとは言わない。けど、ここは無理してでも諦めろ。これ以上は庇えない。いいな?」

 フィシュアは、力が抜けたようにすとんと椅子に落ちた。

 向かいでルディが心配そうに、フィシュアを窺う。

 フィシュアは手で両目を覆い隠した。今さら失態を悔いても、もう隠しようがない。

「え、え、何、今の。恐いんだけど」

 呆気にとられる黄眸の魔人ジンと、その先で驚愕している翡翠の魔人ジンを尻目にドヨムは舌打ちした。長兄の方へ向き直る。

「オギハぁ、今のなかったことになったりする?」

「とりあえずお前も、机から降りろ。それから止めるにしても、場所とやり方を考えるんだな」

 のんびりとした口調ながら消せぬ苦みを纏うドヨムに、オギハは苦言を呈した。

 ドヨムは黙って、机上を渡り、自席に戻る。

「フィシュア」

 オギハは相変わらず、顔を隠し俯くフィシュアを睨みすえた。

 堪え切れなかったのか「フィシュア様……」と、彼女を労わる掠れ声が、シュザネの口から絞り出された。

 すべてを悟ったオギハは、老賢者を見咎め、顔色をなくしたフィシュアに問いただす。

「お前、“王の息子”が何を示すのか知っていたな。シュザネ殿には話して、なぜこっちには報告しなかった。他には何を隠している」

「……っ」

「オギハ様、落ち着きなされ。これは今回の件には関係ありませぬ。フィシュア様が申し上げなかったことも道理。それに不確かな点が多数残る情報を申し上げるのは、混乱を招くだけですぞ」

 シュザネはやんわりとオギハを押しとどめた。

「あいにく取捨選択をするのはこちらだ。ルディが知っているならいざ知らず、そういう訳でもないんだろう? なら、知りえた情報をすべてあげるのが五番目の姫フィストリアの役目で、それ以外はない」

 オギハは賢者の擁護を切り捨て、きつく両手を組み合わせた。

「知りえた情報をすべて出せ」

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