第96話 夕星の灯し風【3】

 シェラートが連れてこられた場所は、塔の上の賢者の居室だった。

 相変わらず雑多に散らかっている部屋の中をシュザネは構わずひょいひょいと歩き、積み上がった本の山をひっくり返す。紋様を写しとった紙が宙を横切り、壁際の地図の隣で瞬く間に額装されたのを見てしまい、シェラートは妙な気分になった。

「どのような本だったのか記憶が定かではないのですが、私記を含め初期に書かれたものが数冊ありまして……確かこの辺に?」

 シュザネは箱の中をいくつも漁りながら「こちらでしたかな?」と首をひねる。

「シュザネ」

 踏み場がほぼない部屋に立ったまま、シェラートはあちこちを探る賢者の背に問いかけた。

「確認させてくれ。フィシュアは自分のラピスラズリがランジュール由来のものだと思っているだろう。シュザネが言っていた可能性は知らないのか」

「フィシュア様に限らず、もちろん皆様ご存知です」

 ふらふらと本棚に向かいながらもシュザネはしかと肯定した。

「ご懸念の通り、儂の推論が正しく、彼らが持つラピスラズリがランジュール殿がもたらしたものでない場合、高価とはいえその辺のラピスラズリと威力はなんら変わらないこととなります。あくまで防御可能な魔力の基準点が儂ら賢者や魔女でしかないのが歯痒いですがな。儂らを越える魔力を持つ者の魔法は防げそうにないことは、先ほどシェラート殿自身が示した通り。十二に分割されている場合も、従来通りの威力を保てているのかは怪しいところです。そもそもランジュール殿のラピスラズリさえ、どの程度魔を弾くのかはっきりとしておりませぬ。だからこそ皇族の皆様へは同じように伝え、ロシュにも無理はせぬようよく言い含めております」

「つまり知っていて、あれだったのか……」

 へダールのところでむしろ率先して出て行こうとしていたのを止めておいてよかったと今更頭痛がしそうになった。やたら上機嫌だったのでヴィエッダも問題なかったとは思うが、目を離すべきではなかったかもしれない。

 あれらは、北西の賢者シュザネの力量を遥かに凌駕りょうがする。

「そうでした。フィシュア様は、水神として祀られる魔人ジンにも会ったと仰っておりましたなぁ」

 本棚から本を一冊引き出しながら、シュザネは「実に羨ましい」と唸った。

「フィシュア様含め、腕に自信のあるご兄弟数名はちょっと血気盛んなところがございますからな。それに忠告をしているとはいえ、正しく魔神ジーニーのラピスラズリの可能性もある以上、もしひとたび何かが起きた際に対応すべきは同等に渡りあえる自分たち、というのも長く引き継がれている彼らの考えではありますしの」

「あれは、ちょっとどころじゃない」

「そも皇族の方々が魔人ジンらに遭遇すること自体、この数百年起こらなかったことですからなぁ。互いに干渉せぬ平穏なものであれば問題もないのですが」

 シュザネは顔を曇らせ息をつく。

「ありませぬな」

「さっき言っていた本か?」

「はい。見直せばどれほど些細な事柄であったとしても、何かしらの手がかりにはなるかもしれぬと考えたのです。儂も一字一句覚えているわけではないので、読めば新たに気付くことがあるやもしれませぬ。確か一年か二年……いや、三年前はここら辺に広げていたはずなのですが……どうやら、ちぃっとも見当たらないようですのう!」

 シュザネは、ふぉっふぉっふぉっと揺れる白い髭を撫でつけながら開き直った。

「これは、頑張って探すしかありませぬな」

「待て。ここをか!?」

「ここにあることだけは確かですからご安心ください!」

 ごちゃごちゃと物が積み重なる部屋の中心に立って、北西の賢者はのんきに陽気に言い放つ。

 どんと胸を打ち請け負ったシュザネを、シェラートは唖然と見返した。


***


「よし! 今度こそ今度こそ、これですじゃ!」


 シュザネが深緑の装丁の本を引き抜いた途端、雑然と積まれていた道具類が本の表紙から勢いよく滑り落ちた。

 あれから三ヶ月、手がかりの可能性のある本を探しているが、未だ見つかる気配がない。

 シュザネが手にしたのは二十頁程の薄い本だった。

 薄いから内容の確認はすぐに終わるだろう、というあまい考えが、この賢者に通用しないことは悟り切っている。シェラートは天体模型が連なる天井を仰いだ。

 よく言えば丹念に丁寧に読みこむシュザネは、気になる記述を見つけると、本来の目的を忘れて没頭し類似の文献を探し出す。捜索当初から読んだ本の数だけ繰り返されてきたことだ。

「一度、全部整理してから探した方が早いんじゃないか?」

 早速指で字の羅列を追い熟読しはじめたシュザネに向かってシェラートは声をかけた。

 魔法を使えば片づけることなど造作もない。ものの数分もかからないはずだ。

「省略してしまっては見落としてしまうものもあるのです。一つ一つ当たらなければ、通り過ぎてしまう。さすれば、もう一度行き交うまでにはいくつもの歳月が必要となるのですよ」

 的を射ているようで、だが、どこかが違う気がする。少なくともシュザネ自身は今しがた口にした言葉さえ、もう忘れているだろう。シュザネはひたすら脇目もふらず文献を読み続ける。

 シェラートは、今日はもう何も言うまいと本以外のものに手を付けることにした。ここにある本はほとんどシェラートが読解できる域を超えている。

 唯一拾えるのは、なぜか紛れ込んでいる絵本の類の極簡単な単語だけだ。手かかりとなりそうな古びた難解な本は、代わりに確認したくともまるで読めはしない。

 テトが学校で習ってきた文字を教えてもらいながら一緒に勉強をしてはいるが、せっかく機会があったのだから、もう少し早く身を入れておくべきだったと後悔する。

 そうこうしているうちに西日が部屋の中央まで差し込みはじめた。

 空気中に舞う塵まで、光を反射し黄金に輝く。

 何の前触れもなくシュザネがふと本から顔をあげた。

 シュザネの突飛な行動に慣れてしまったシェラートは胡乱な目を向ける。この時間帯にシュザネが言い出すことは、ただ一つ。

「シェラート殿、酒場に行きませぬか?」

「またか!」

「明日はテト殿も学校が休みですし、よいではないですか」

 シュザネは期待に満ちた瞳でシェラートの返答を待った。

 シェラートが無視して散らばったままになっていたインクペンを拾いはじめると、とてとてと走ってきたシュザネがまとわりついてくる。

「なんと今日は行きつけの酒場の近くで宵の歌姫の舞台が催されるのですよ」

「なんだ。帰って来ているのか?」

 反応が返ってきたことに、シュザネはにんまりと笑みを深くした。

「ええ、そうです。昨日お帰りになったようですよ。皇宮に戻られるのは今夜、舞台を終えてからだとか。宵の歌姫の情報に関しては、皇都中駆け巡るのが早いですからな。昨夜仲間から仕入れてきたのですじゃ。きっと、いや、絶対にテト殿も喜びますよ!!」

 シェラートは拾ったインクペンを宙に転がした。集められたインクペンがガラス軸に夕日を溶かし込みながら部屋を渡り、机の引き出しに吸い込まれる。

 シュザネは水色の瞳をすがめて、白い髭を撫でた。

 ひょいと片眉を上げて見せた後、北西の賢者は、ふぉっふぉっふぉっと満足そうに笑い声を響かせたのだ。

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