第79話 飾り花の香【2】
「おやあ、この子も可愛いらしいねぇ」
三人を出迎えた
覗き込まれるまま顔を上げたテトは、金の双眸に引き込まれ、硬直する。
白い指先が栗色の髪に触れる寸で、シェラートがテトを後ろから抱え上げた。抱え込んだテトの額を自身の肩口に押しつけ視界を覆い隠す。シェラートは固まったままの小さな背を叩いた。
「悪い、油断した。大丈夫か、テト」
「……う、うん?」
何が起こったかわかっていないらしいテトは、頭を後ろから抱え込まれたまま頷く。
ひとまず息ができていることにほっとしてシェラートは昔馴染みを睨んだ。
「近づくな、ヴィエッダ」
「ほんっとうに……その危険人物扱い結構傷つくんだけどねぇ、シェラ坊」
「どうしていきなり出てくるんだよ」
「待ち遠しかったんだから仕方ないじゃないか。大体、他にも連れてくると前もって言っていないシェラ坊が悪い。ねぇ、子どもを見るのは初めてなんだし、もうちょっとよく見せてくれたっていいじゃない?」
「寄るなって言ってるだろ!」
牽制するシェラートに向かって、ヴィエッダは肩を竦めてみせる。いっそうシェラートに抱え込まれたテトの後ろ姿を名残そうに見つめながら「まあ、いいわ」と紅い唇に弧を描いた。
ぱっとその場から姿を消したヴィエッダは、現れ出た先でフィシュアの手を取る。
「それならフィシュアちゃんで遊ばせてもらうから」
「……だから、どうしてそうなる」
送ってくれるなら早くしてくれ、とシェラートは苦虫を噛み潰したように懇願する。即座に訴えを棄却したヴィエッダは嬉々としてフィシュアの手をひいた。
「今日はもういくつか選んで用意してあるんだよ、フィシュアちゃん。そんなに時間はとらせないから付きあっておくれ。その後でちゃんと約束通り、皇都まで送ってあげるから。ね?」
「フィシュアもいちいち相手しなくていい」
「うるさいよ、シェラ坊」
「うん、大丈夫だから。テトのことよろしくね」
ヴィエッダに右手を引かれ促されたフィシュアは通りすぎる間際、シェラートの腕を叩く。そろりと顔をあげ、心配そうに首を巡らせたテトに、フィシュアはひらひらと手を振ってみせた。
相変わらず大量の衣服と装飾具が並ぶ部屋の中、昨日はなかった大きな机が鎮座していることに目を留め、フィシュアは驚いた。
「これ、全部ですか?」
「そう、全部」
ヴィエッダはどこか誇らしそうに肯定した。あらゆる場所から引っ張り出してきたのか、机上には選んだというにはさすがに多すぎる量が所狭しと折り重なっている。
「と、言っても、さすがにこんなにたくさん、とっかえひっかえしていたら、またシェラ坊に怒られるだろうからねぇ……」
これでも随分厳選したんだけど、どうやら私もランジュールと同じだったみたいだ、とヴィエッダは並ぶ衣服に手を滑らせてひとりごちる。
「型は少し古いだろうけど、舞台で使う分にはいいんじゃないかと思ってね。ほら、昔の物語を歌う時なんか、身に纏っていたら、あぁ……なんだっけね、“雰囲気が出る”と聞いたよ」
さぁフィシュアちゃん、どれにする? とヴィエッダから楽しそうに問われ、フィシュアは机に視線を落とした。
衣服に紛れて並んでいた装飾具の中から、一対の耳飾りを手に取る。
「綺麗、ですね」
持ち上げると、かすかに音を立てて飾り石が揺れた。
見たことのない石だった。
一見真っ黒な闇にしか見えない六角錐の飾り石。部屋の明かりに透かすと、光を受けた石が奥底で緑に輝き色を変える。
ヴィエッダは揺れる暗緑色の石越しに目を眇めた。
「気になるかい? アジカもその耳飾りを随分気に入っていてね、いつも身につけていたんだよ。折角だから持って行くといい」
「いえ。私はあまり耳飾りはつけませんし、
「そんなこと言い出したらきりがないよ。だって、ここにあるものは全部少なからずアジカと関わりがあるものばかりだからね。どうせ私も使わないし、このままここに放っておくのももったいない。遠慮せずに持って行くといいよ。それなら身につけなくたって、時々眺めるだけでも楽しめるだろう? 私なんかが持っておくより、フィシュアちゃんが持っている方がよっぽどふさわしいさ」
ね、とヴィエッダはフィシュアの手に暗緑石の耳飾りを包み込ませた。フィシュアの手に添えられた白いヴィエッダの手は冷たく、それでいて不思議と温もりがある。
フィシュアはそろりと向き合うヴィエッダを見つめた。
「聞かないんですね……」
相対する娘の藍の双眸に、ヴィエッダはただ口の端を上げた。
「何をだい?」
問う
それでも自分からは切り出すつもりのないらしいヴィエッダは、無言でフィシュアに先を促していた。
わかったからこそフィシュアは「意地悪ですね」と微苦笑を零す。
「シェラートから直接、昔の話を聞きました」
「そう」
ヴィエッダはフィシュアの頬へと手を触れさせる。美し指先は一度、頬の表面をくすぐってみせただけで、すぐにするりとフィシュアから離れた。
いとおしい記憶をなぞるように、金の
「……やっぱり、フィシュアちゃんからは懐かしい香がするよ。まったく同じとは言わないけれどね」
ヴィエッダは机の縁に軽く腰掛け腕を組んだ。
「いいよ、フィシュアちゃん。別に話してくれなくても。だって、それは私の役目とは違うものだし、いまさらシェラ坊の話を聞いたって私にはどうしようもないからね。言っただろう? 聞き流してくれて構わないって」
「だけどヴィエッダさんは、私に聞いてきてほしかったんでしょう?」
思い返せば思い返すほど、フィシュアにはそう思えてならなかった。
あの時のヴィエッダはシェラートのことを告げたかったからこそ、この部屋へフィシュアを引き込んだのだ。
そうでなければきっと多少話題にのぼったくらいでは深く踏み込みはしない。この
それがなぜなのかまでは、フィシュアにもわからなかったが。
「それでも。……もし、そうでなかったとしても、フィシュアちゃんは、いつかきっとあの子の話を聞いてくれただろうと私は思うけどね」
気付いていたのにわざわざ思惑にのってくれてありがとう、とヴィエッダは静かに笑みを浮かべる。
「さあ。じゃあ、そろそろ戻ろうかね」
両手をぱちりと合わせヴィエッダは机から身を離した。来た時同様、フィシュアの手を引き、テトとシェラートが待つ扉一つ隔てた部屋へ向かう。
「これでも本当に心配しているんだよ」
振り向きざまそう言ったヴィエッダの金の双眸はとても優しい光を孕んでいた。それが昨日のシェラートによく似ていて、フィシュアはヴィエッダを見つめ返す。
「まぁ、当のシェラ坊はちっとも信じちゃくれないんだけどね」
天井を仰いだヴィエッダは気怠気に息を吐いた。優しい手に引かれ、フィシュアは声を立てて笑った。
「フィシュア。何、握ってるの?」
戻って早々、駆け寄ってきたテトの元にしゃがみこみ、フィシュアは手を開いてみせた。
「わぁ、これ不思議な色だね」
「でしょう?」
覗き込むテトの隣で、同じくフィシュアの掌にある耳飾りを見やったシェラートが呟く。
「アジカのか」
「そう。ヴィエッダさんが譲ってくれたの」
問いというよりは確認に近いシェラートの言葉に、フィシュアは頷き返す。
ヴィエッダは衣装部屋の扉近くから動かぬまま、三人を眺めた。
「懐かしいだろう、シェラ坊?」
「そう、だな」
シェラートは暗緑石に目を留めたまま、ふと苦笑した。
今ではもうここにいる彼ら二人しか知らない過ぎ去った日。
シェラートの答えにヴィエッダは満足そうに微笑むと「たまには遊びにおいでよ?」と言って、いとも軽く手を横に振った。
「ヴィエッダに会うのはもう百年位先でいいんだけどな」
消える直前に聞こえてきた何とも疲労の滲むシェラートの声にヴィエッダはコロコロと楽しそうに笑う。
「またね、フィシュアちゃん」
他に誰もいなくなった部屋の中。
ただ一つ残った変わらぬ香に、ヴィエッダは一人、椅子に身を沈め瞳を閉じた。
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