第3話

 仕事が終わり、更衣室に着替えに行く。会社の制服を着ているから。これって便利だと卒業後に友達と話をしていて気づいた。なにも考えずにココに来たら制服が待っている。それに着替えれば、私も一会社員になれる。便利だなあと。でも、それに甘えていたのかもしれない。今日飲みに行くなんて思ってないから……服装、今朝適当に選んだ服を着て来てしまった。ああ、大失敗。けれど、着替えないわけにはいかない。吉野君はどこかで待っているんだろう。

 ちなみに男性はスーツだから着替えはなし。ただし、吉野君はスーツを着ていない。ラフな服装できっと普段着に近いものを着ているんだろう。誰もなにも言わないから、彼はあれでOKなんだろう。まあそれに、彼はお客様担当じゃないしね。彼が対峙しているのは、パソコンの画面だけだもんね。あとは図面。



 *



 着替え終わって廊下に出て周りを見てみる。吉野君いないなあ。どこにいるんだろう? エレベーターに乗り……そのまま出口まで出てきてしまった。あれって単なる社交辞令だったの?

 ホッとしたのが半分、怒り半分のまま駅に向かう。人のことからかって! なんなよ! 私のことなんだと思っているのよ。

 駅のホームにきて電車を待つ間に、何気なく携帯を取り出した。

 あれ? メールが来てる。登録がないメアドだ。誰からだろう?

 ……ってこれ! 吉野君じゃない!

 そこには本日の飲み会の場所が記されていた。


 私は慌てて改札を出て、メールに書かれていた飲み会の場所に向かう。

 ところで……な、なんで吉野君は私のアドレス知ってるのよー?


 たどり着いた場所は居酒屋だった。まあ、ここなら二人きりでも周りの騒音で気にならないよね。……たぶん。


 中に入り連れがいることを伝えたら、すぐに座敷に通された。


「やあ。遅かったね」


 吉野君、なんか一気にざっくばらんな雰囲気なんだけど。


「あの、その……ごめんね」


 あのまま電車に乗らなくてよかったよお。電車に乗っていたら、遅いでは済まなかったよね。


「いいよ。いいよ。じゃあ生でいい?」

「あ、ビールは苦手なの」


 彼の席にはお通ししかきていない。今まで注文せずに、待っていてくれたんだろう。


「じゃあ、何頼む?」


 と言って、メニューを見せてくれる。


「じゃあ、あの、グレープフルーツチューハイで」


 この居酒屋は他の種類もたくさんある。実はお酒が大好きな私、もう次に何を飲もうかメニューを見ながら考えている。この雰囲気だと男の人と二人きりになるのにって考え込む必要はないかもしれないけど、お酒を飲んで気を紛らわせるのも手かもしれない。

 どうやら私は周りの女子と比べてお酒には強いらしく、女子大時代はザルだとまで言われた。だから、ここは飲むってことでなんとかやり過ごそう。


 吉野君は、私のグレープフルーツチューハイと自分のビールと適当におつまみを頼んでくれている。もういい時間なので、お腹も空いている。先に飲み物が私のお通しと一緒にくる。


「じゃあ、和泉さんが俺の教育係になったってことで乾杯!」

「……乾杯」


 カチンと吉野君のビールジョッキと私のチューハイのビンがなる。

 俺の教育係か……やっぱり私もことそう思ってたんだね。


「和泉さん?」


 吉野君は、私の微妙な気持ちの変化に勘付いたのか顔を覗き込んでくる。


「ん? お腹減ったねえ。待たせてごめんね」


 私は気取られないように話題をそらした。どうせ教育係ですよ。今更なね。


「いや、いいんだけど」



 *



 ザルだと言った友人よ、これはどういうこと? 注文した食べ物が来ない。目の前にはイケメン後輩がいる。だんだんと会話も仕事モードから離れて行く。もともと仕事も違うし、会話の矛先に焦る私はお酒を飲み続けるしかなかった。空きっ腹にアルコールはやはり効き目が違って来るんだろうか。彼の顔がぼんやりとし始めてきた。


 しびれを切らした吉野君は店にクレームを入れてくれた。するとそこからは怒涛のごとく頼んでいた食べ物がやってくる。どうやら手違いだったみたい。やっと晩御飯が食べられる! 早く食べ物を胃の中に入れなくては。

 上機嫌で今夜の夕食を頬張る私。こんなんだから今まで誰も相手にしてくれないんだろうなあ。

 しばし手をゆるめて目の前のモテ男を見つめる。彼もお腹が減っていたんだろう。きた料理をムシャムシャと頬張っている。クスッ、何だか可愛い。そう可愛い。彼は六つも年下なんだから。


 料理片手にお酒もすすむ。いつもは一人で外では飲めないし。かと言って友達もほとんど結婚しているか遠く離れた場所にいるから、気軽に誘うことも出来ない。会社での飲み会でそんなに楽しんで飲めないし……。私はすっかり女子大生の頃のようには、飲むことができなくなっていた。



 *



「それでね」


 杏露酒を片手に持ち饒舌に語る私。もう彼は、後悔しているんじゃないだろうか。歳上の同僚を誘った事を。勝手に飲みまくってしゃべっている私を誘った事を。


「今日、誕生日なのよ」

「それは……おめでとう」

「めでたくないわよ! 二十九よ! 二十九!」

「見えないですね」


 どういう意味よ! 確かにしっかりして……ないんだけどね。


「今年のお正月は見合い話まで持ち出されて……来年になったらお正月からお見合いよ! 全然、めでたくないわよ!」

「へえー。あ、俺トイレに」

「はい。行ってらっしゃい」


 彼はそんなに飲んではいない。どちらかと言えば食べてばかりいる。よっぽどお腹が減っていたんだろう。私は飲みまくっている。あれ? 上限どれだけだっけ? というかどんだけ飲んだ? 今持っているお酒をみれば、きっとチューハイは制覇したんだろう。

 さっきも言わなくていいことまで言ってしまった。年や見合いのことまで。これじゃあ、彼氏いないってバレバレじゃない! まあ、それを聞いて彼とどうこうなるわけじゃないけどさあ。けどさあ。


 と、そこに彼が戻ってきた。


 カラン


 杏露酒のロックのグラスの中の氷がいい音を立てる。


「そろそろ出る?」

「あ、うん。そうだね」


 いい加減、愛想もついたか。だよね、この様は。明日から教育係なんて出来ないよ。あ、今日は金曜日。明後日からか。……あんまり変わらないし!

 まあ、最初から教育係なんて無理だったんだけど。今日の午後に痛感した。吉野君には吉野君の世界があるって。そこに一般常識の事務職を当てはめるのは無理だよ、って。ただし、また吉野君がやらかしたら、私が辞めることになるんだろうな。まあ、もうすぐ見合いだしね。いいかあ。


 私は立ち上がった。途端……グラっと体が傾く。


「え?」

「ちょ、和泉さん?」


 ガシッと吉野君に抱きしめられる。細い腕だと思っていたのに……思ってた以上にしっかりした腕だった。

 彼が入社したのは、春で今もまだその春真っ只中の六月。ラフな格好とはいえ吉野君もまだ長袖姿だった。長袖に隠れて見えなかった腕は、意外に筋肉があったようだ。


「ご、ごめん。大丈夫だから」


 これ以上ウザいとか、思われるのも困る。


「じゃあ」


 さっと離される腕。男の人の腕の中にいるなんて……初めて? ……私ってつくづく痛い女だね。


 お会計を何とか割り勘で済ませて店を出る。正直言って私の方が先輩だし、しかも私の方が明らかに飲んでいる。割り勘じゃ足りないくらいなのに、吉野君が払うと言ってきかなかった。

 次の会計待ちの人が来てようやく吉野君が割り勘で納得した。どうやら今回の部長の話を、お荷物な話だと自分で実感しているらしかった。今日の食事は、私に迷惑をかけたことのお詫びだったらしい。いいのに。どうせ来年には寿退社なんだから。


「じゃあ、今度はおごらせて」

「ん? ああ。うん。そうね。今度。またね」


 こういう場合の今度はやって来ない。


「じゃあねえ」


 私はフラつく足元に意識を集中させつつ駅へと向かう。

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