恋=結婚?
日向ナツ
第1話
「和泉君、これ会議の資料だから。用意を頼むね」
井出部長は、私を手招きで呼んで資料を渡す。確か会議は十時半からだったはず。壁にかけてあるホワイトボードを見て、もう一度確認する。
間違いない十時半から会議と書かれている。今は十時少し前。こんな間際で毎回毎回この人は!
「あの部長、会議の人数は?」
基本でしょ? それくらい言ってください。
「ああ、十人だから」
「わかりました。第二会議室でいいでしょうか?」
この十人という言葉に騙されてはいけない。この部長は自分を数に含めない。新人の頃に一度これで泣かされた。新人は皆これで涙する。
そして問題は他にもある。それは会議の場所。これも部長はいちいち言ってくれない。第一会議室は二十人以上入れる会議室で、第二会議室は十数人が精一杯、なので人数でこちらが察せなければならない。
なんとも厄介な部長さんなのです。ここに配属になった新人は、皆部長に泣かされる。この部長に慣れるまでは。
「ああ。頼んだよ」
「はい」
時間がない! 私は急ぎ足で、コピー室でコピーを十一部とりつつ、給湯室の冷蔵庫のペットボトルのお茶が人数分冷えているかチェックする。ああ、もちろんコピーとるだけが仕事の依頼ではないのよね。
ここも勘違いして涙を飲むのよ。部長のあの言葉は、会議の準備全てが含まれているの。どれだけ言葉足らずなのよ! と、怒った人もきっと多いでしょう。今だに慣れてない部長の仕事の依頼は怖いもの。
それにしても前もって言ってってよね。会議の日ぐらいわかってたでしょう! どうせ、私のことなんてただのお茶汲みとコピーとる雑用係だと思ってるんだろうけど。……まあ、そうなんだけどね。入社して七年、こうやって毎日、こんな感じで雑用ばっかりしてるんだけどね。でも! 私にも、この仕事にも、プライドがあるのよ。みんなが気持ちよく仕事ができるようにする! を目標にしてるんだから。
仕事は誰にでもできることばかり。資料を集めたり、集計とったり、コピーをとって、お茶汲みなどなど。雑用と呼ばれても間違いじゃない。でも、これだって誠意を込めてするのとしないのとじゃあ話は違ってくる。そう私は信じている。
会議の資料もペットボトルのお茶も配り終えた。十時二十分。ギリギリだった。せめて朝一で言って欲しいよね。これでミスしたら、また涙を堪えて謝って逃れるしかないんだから。
***
さてと、終わったので席に戻ることにする。その前に、部長に報告。
「部長、これ資料です。第二会議室に用意しておきましたので……」
ん? 部長のうすーくなった頭の血管が浮き出ている。なに? なんかあったの? 周りの雰囲気もピーンと糸が張り詰めたような感じになっている。誰かがヘマをしたんだろうか? 周りを見るけれど半泣きになっている人はいない。みんな、うわーって感じでチラチラと部長を見ているだけだった。
まさか……部長がミスしたの? そんなわけないか。部長の失敗は部下の失敗だもんね。それにあの青筋も相当な怒りからきてるものだろうし。うわーなにがあったのか聞きたい! が、ここでは当然聞けない。微妙な空気の中、時間になったので、部長と数名が席を立って会議室に向かった。
部長がいなくなれば何があったのか聞けるかと思ったら、誰も何も言ってこない。ってことは、ここにいる残りのメンバーに当事者がいるってことなのかな。えー誰なのよ?
***
お昼の時間も社員食堂は耳だらけ。こんな場所で話をしてたらすぐに当人の耳に入ってしまう。
なので、談話の時間は昼食後の化粧室となる。ここなら女子社員以外の話をすることができる。ここでなにがあったのか聞けるんだろうか?
食後なので歯を磨き、軽く化粧を直していたら
「和泉さん! 聞いてくださいよ!」
お、来た。入社三年の香川さん。彼女は可愛い顔でここでは毒を吐く。そのキャラで私は彼女を気に入っていたりする。香川さんは、世間の噂話から会社の噂話まで精通している。そういうことには、全く疎い私には重宝な人物なのだけど、今日は噂どころじゃなく香川さんが直接見たんだよね? 一体何を見たの?
「な、なに?」
「あの派遣の子いるじゃないですか?」
あの派遣の子とは、うちの部署に四月から入ってきた新卒の派遣の新人君だ。
「うん。あの子が?」
やらかしたのは彼なの? 一番に疑ったけれど彼は平然と仕事を続けていたよ。
「電話に出ちゃったんです」
「えええええ! なんで出させたの?」
なぜ、ここまで電話ごときにと、思うかもしれないけれど、電話は社内でかかってくることもあるけれど、もちろん社外からが多い。うちの部の仕事は街全体をプロデュースするお仕事なのだ。なので、一つの仕事の話が大きい。元々あった古い街をプロデュースすることもあるし、新しく開拓をする場合もある。そんな話が大きな仕事の電話がかかってくることも日常茶飯事なわけである。
そこに我らが新人君は電話に出てしまったのだ。
もちろん彼がちゃんとしてなくても、それなりだったらそこまで問題にはならない。彼が社会人になる気のない芸術家風情なのが問題なんだよね。大学卒業後、普通に就活せずに我が社に派遣で入って来たのもそのためだとか。デザイン関係で雇われてるから、部長もあまり口が出せないみたい。
「そ、それが。たまたまみんな電話に出れなくて。和泉さんの席の真後ろって派遣君じゃないですか?」
「ああ。うん」
彼は毎日私の後ろで作業をしてる。
彼の仕事はデザインすること。新しい街を資料を元にデザインを描き上げる。正直に言って彼は上手い。なぜ派遣が入ってきたのか最初は疑問だった。正社員にもデザインを描く人はたくさんいるから。わざわざ派遣まで雇う必要性を感じなかったから。だけど、彼の描いたデザインを見てその考えが変わった。これは……住みたくなる。誰もが住みたくなる街の絵を彼は描き上げる。いくら普段は大学生なの? という態度でも、彼のこの仕事を見れば気が変わる。それくらい、彼は才能で溢れかえっている。
「和泉さんいなかったんで、デスクも電話も空いてるじゃないですかあ? 鳴り響く電話に」
「彼、出ちゃったんだ」
「大人しくしてれば、いい男なんですけどねえ」
なぜ、部長の怒りの矛先が私に向かっているような気がしたのかは、今の説明でわかった。彼が出たのが私のデスクの電話だったから。それって……私の責任なんかじゃないじゃない! 部長のせいじゃない! 電話にすぐに出なかったあの場にいた全員のせいじゃない! むしろ私が一番関係ないじゃない……。
「もう、彼、自分の携帯電話に出てる感覚で出ちゃって。まいりましたよお。上野さんが慌てて代わったんで、たいしたことなかったようなんですけどね」
部長が出なさいよ! 相変わらずだなあ。危険回避で部長にまで登りつめた、上の人間の顔色を見て動くトラブル回避のタイプの人間。下には不親切どころか冷淡だ。責任は全て下が取らされる。
この場合、席を空けてた私か、電話を代わった上野さんとなるんだろうな。上野さんは仕事が出来るもうすぐ四十代のキレもの。実は入社して、しばらくしてこの部に配属になって少しいいなあと思っていた人だった。もちろん独身。
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