SPELL COLLECTION 1
豊 蛙(ゆたか かえる)
第一部
プロローグ
●
「ねぇキティ、ボクのとっといたプリン知らない?」
「あぁ、それなら冷蔵庫に入れといたよ。今は私の胃袋だけど」
そして、賑々しい笑い声。
薄暗い部屋の中で輝く画面の中で、ほりの深い顔つきの男が太った女とジョークの掛け合いに興じている。
ソファからやや遠目に覗けるテレビは、何度も見た一昔前のコメディドラマがつけっぱなしにしてあった。オチから何まで知り尽くした映像の横には、そのドラマと似たり寄ったりなタイトルのディスクケースが乱雑に積まれており、オートに設定されたプレイヤーは同じ内容をひたすらに繰り返す。
冗談まみれの、愉快で騒がしいテレビの内容とは裏腹に、カーテンの締め切られている部屋は薄暗く、テレビの音声以外に余計な音はなかった。
ひとりきりの、自分だけの夜。組んだ足をずらし、買ったばかりのソファで身じろぎすれば、グラスの中の氷が揺れる音。
「ガキの子守、ねぇ」
部屋の奥、ソファに寝転がった青年が、やや離れたテレビに目をやるでもなく氷を浮かべたグラスを揺らす。誰にともなく呟き、無気力そうな瞳で天井を見上げ、酒を一口。
冷たくも辛口の味が喉を滑り通っていく。水滴のついた指はすり合わせ、ズボンにでも擦り付けておく。やるせなそうな仕草で髪をかき上げた青年はちらと、グラスを置くついでにガラスの机へと目をやった。傍にあるそれの上には、いつも通り「特務」で始まる指令の書類が投げ出されている。特務とは読んで字のごとく特別な任務のことで、書類をかき混ぜるのが得意なデスクワーカーでは到底こなせないと暗に示す意味合いであり、自分にとっては随分と見慣れた書き出しでもある。駆け出し早々の新人時代のように今更それに怖気づくなどなく、今までにその語で始まる仕事は数多くこなしてきた。
そこまで考えて、ふと、青年はまた天井へと瞳を転がし、やや目を細めた。
馬鹿にされているのかと思ったくらいだった。いざ書簡の封を切って堅苦しい文書に目をやってみれば、邪悪な妖魔を駆逐するでなければ、凶悪な犯罪者を捕らえることでもない。
此度、自分にあてがわれた仕事は、本をたったの一冊確保すること。
(なんだかなぁ、今更。ガキの使いじゃあるまいに)
これでも、与えられた任務全てをこなし、正すべきは正し、必要なら冷徹に徹し、自分の実力を示してきたつもりだった。事実、今の自分は得意先からの難題を一任される程度には上からの信頼を勝ち得ている。が、実力アピールが足りなかったのだろうか? 明らかに優秀な人材の浪費であり、配役ミスだと思う。この期に及んでこの俺が、そんな子供でも出来るような仕事を命じられるとは。
ちらとテレビを見る。尚も冗談ばかりを交わし合う外国の俳優たちをうっすら横目にちらと見て、青年は自嘲気味に笑った。何かの紋様のような右頬の刺青が少し歪む。
(やるせねぇー)
それから、青年は組んだ足を解き、そっと目を瞑った。酒も入って、気分もいい頃合にまどろんできた。このまま寝てしまおう。今更ベッドへ向かうなど、よもや立ち上がる気力すら沸かなかった。
「嫌いだねぇ、子供は」
明日からの任務を少し鬱屈に考え……、それでもいつも通り、完璧にこなすべき仕事には違いない。誰にともなく呆れたように鼻をふかし、不敵な微笑でテレビから流れるテーマを口ずさむ。
今回は久方ぶりの潜入捜査、それも長期に渡る任務になるだろう。手続きはすでに済ませてくれたようで、直に自分の手元に制服も届く筈だ。まさか自分が再び、対妖魔の名門たる熊野前の制服に袖を通すことになるとは思わなかった。本来の素性を隠し、何かと青いガキとケツを並べあうことになるのは、なるほど気が進まない。昨今流行りらしいスクールファンタジーアニメの設定というか、冗談みたいだった。きっと苛立つことも多いだろう、色々とごまかす為に常時態度を軟化させておかなければならないだろうし。
そんな日々、想像するだけで嘆息がこぼれる。それでも耳を傾ければ、テレビは聞き慣れたジョークばかりを並べ続ける。
だが、シノの孫……
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