猫と女王と

大熊猫大輔

第1話「甘やかしすぎな先生と甘えん坊な王女と」

 これまで読んだ事のある本の中で一番面白かったものは何だい?


 こう聞かれた子供たちからの答えの中からは、遥か遠方メリビア地方のリビア山脈、その山道を塞ぐ竜と勇者の闘いのおとぎ話や、巨大な都市魔法陣を地割れの危機から救うため都市を丸ごと宙に浮かべた大魔法使いの活躍談。


 そんな壮大で夢の広がるお話しが返ってくるのが通例だ。


『そうね。ルグルー女王の政戦時の元老院との駆け引きとか? まあ、面白かったかも』


 返答するのも面倒で吸った息を吐くのに返答を乗せて一石二鳥を果たす。少女の返答がこれほどそっけないのは、何もその問いかけをした人物を嫌っているとか、たまたま今が著しく不機嫌であるとか、そういったことではない。


 そもそも、少女はこの世にそんな心沸き立つ冒険活劇が描かれた本が存在すること自体知らないのだ。彼女が毎日読まされる多くの書籍の内容は帝王学か王政、内政、外交といった国の運営にまつわる物ばかりである。それも極めて実用書に近く、数えで十三歳であるこの国の次期女王トリアリス・L・トロイアートにとっては退屈以外のなにものでもないのだ。


 今でこそ、顔を高価な机に突っ伏しうりうりと押し付けているせいで歪んでしまっている顔も、普段人前に出る際はしっかりと引き締められ、王族特有の金色の瞳は心を射貫く様な鋭さとすべてを見抜く様な全能感を宿している。長く薄青色の髪をなびかせ純白と髪の色と同じ色の豪華な刺繍が施された法衣を纏い歩く姿はその身が浮世にあるかの様な錯覚を周囲に与えている。十三歳にしてはそのあどけなさよりも美しさが際立つ。


 しかしそれも彼女自身がなるべく周囲からそう見られようと務めているからこそであり、やはりまだまだ十三歳。彼女と直に接する機会の多い者からすると年相応のお転婆な少女なのだ。


『先生もうだめ。今日はもうご本読んでもらっても頭に入らないと思うの。効率が悪いわ。お勉強はまた明日にした方がいいと思うの』


 これでも論理的に現状の非効率性を述べ、その改善策を提案したつもりのトリアリス。しかし、いざその口から出た言葉はどう聞いてももうやる気がないから勘弁して、また明日がんばるから。といった今日できないことは明日に回す趣旨の発言だ。


 うりうりと顔を押し付けて駄々をこねる仕草に両足をバタバタさせる仕草を足して抗議の意志を体全体で表現することで現状をより訴えるトリアリス。


『はぁ。分かった。降参だよトリア。今日はもうやめよう。そのかわり! 明日この分は上乗せするからね』


 トリアリスに先生と呼ばれた人物がそう言って遂に降参を表明。こうしてこの日の闘いはトリアリスに軍配が上がる。ちなみにこのやり取りは毎日繰り返されており、トリアリスの積み上げた勉強の遅れはもう一年寝ずに取り組んでも返済できるのもではない。


 そもそもトリアリスはこの駆け引きに三連勝した辺りから、このツケを如何に踏み倒すか。その算段の方に考えをシフトしており、遅れを取り戻すつもりなどさらさらない。


 やったー! と勝利の雄たけびと共に長時間突っ伏した机から顔を持ち上げ両手を高くあげる、バタつかせた足をタンと床につけて勢いに押され椅子が後方に行儀悪くズレる。その椅子を机の下にそそくさと戻す仕草に、先生は日ごろから口を酸っぱくさせて整理整頓を訴えている自身の教育成果を見てとり涙ぐむ。が、トリアリスの中では今日はもうここには座りません! という意思表示の割合いの方が大きい。


 そのままトタトタと窓際まで歩き、縦に長く大きい窓を開けると広く豪勢な王城の一室に新鮮な外気が一斉に取り込まれる。太陽の光を背に、入り込む外気に押され美しくたなびく薄青色の長い髪を抑えながらトリアリスはこの日一番の笑顔を見せる。


『じゃあまた昨日のお話しの続きをして。猫の集会にあなたが単身突入した後、その続きよ! アードロフ』


 それまでトリアリスに先生と呼ばれていた人物アードロフは やれやれといった表情でため息をつき、窓際に向かう。一体なんでこんなに自分勝手でわがままな子に育ってしまったのか。などと思いながら歩を進める彼の疑問に答えるならば、それはどこかのだれかが彼女にとことん甘く、そこにつけこむ術を彼女が独自に学んできたからに他ならない。


 アードロフが歩く度に上品な鈴の音が小さく鳴る。


『大丈夫? ここ? 飛び乗れる?』


『そのくらいの高さ、余裕さ』


 地面に力を蓄え、全身をしならせる様にジャンプ! 余裕と言った彼の言葉とは裏腹に見ている側からはけっこうギリギリだったのでは。との印象がぬぐえない跳躍の末、窓の冊子、トリアリスが腰かけるその隣りに彼も飛び乗る。


『では、昨日のお話しの続きをしよう! あれは僕がまだ一介の野良猫だった時代、魔力も妖精力も使えなかった猫の頃、新しい町に来て面通しも済ませていないうちにその町の一番大きな猫の集会に飛び入りしちゃったときなんだけど、あの時は本当に焦ったよー。なんせ集会とは名ばかり。彼らは大量に溜めたであろうマタタビをみんなで楽しむ通称マタタビ会を内緒でやっていたんだからさ。図らずも僕はそれを暴いちゃったわけ』


 意気揚々と自身の武勇伝を語るその人物、いや正確には人物ではない。猫だ。どういうわけか人語をしゃべるその猫アードロフはまるで彼が猫であることを忘れさせるかの様に身振り手振りをしながら流暢に喋る。そんな彼の武勇伝こそがこの城の部屋に閉じ込められ毎日勉強するしかない、外の世界や数々の冒険活劇の存在すら知らないトリアリスにとっての唯一の楽しみであった。


 延々と話しを一方的にするのはやってみると意外と疲れるものだ。しかし、そんな彼女の境遇をわかっているアードロフはその二百年に及ぶ半生を彼女に語るのだ。ただただ彼女の屈託ない笑顔を見たいから。

 トリアリスは猫であればゴロゴロと喉を鳴らしているであろう表情で静かに、しかし先を急かす様に聞いている。


 この日のお話しもきっと日が陰り、外の風が冷たくなって肌を冷ます。そんな時間まで続けられるのであろう。

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