2 想いのこもったプレゼント

「なにもこんな日にまで、いっぱいいっぱいにバイトの予定を入れることはないじゃないか……」

 咎めるような貴子の言葉に、私は悪戯を見つかった子供のように小さくなって、肩を竦める。

 

「だって……休みの人が多くて困ってるみたいだったから……」

 俯きながらの私の返事に、貴子は大袈裟にため息を吐いてみせた。


「まあいいさ。準備の時間がそれだけ長くとれるってことだからな」

 思わずほころぶ頬を我慢できずに、私は顔を上げた。

 

「それって……貴子が料理するの?」 

 勢いこんで放った言葉に、貴子はあからさまに不愉快そうな顔をした。

 

「どうしても真実がそうして欲しいって言うんなら、今日ばかりは従わないわけにはいかないが……」

 私は大慌てて手を振る。

 

「違う違う。そうじゃないんだけど……!」

 そのあまりの必死さに、貴子はますます不機嫌そうな顔になる。

 

「そう正直に嫌がらなくても……! 料理だったらちゃんと愛梨と花菜がする! 私はその他の担当だ!」

 なんだか申し訳ないような気持ちになって、私は貴子の顔を上目遣いにそっと見上げた。

 

「ゴメン、貴子……嫌がってるわけじゃないんだよ?」

 貴子は横目で私の顔を見て、もう一度大きなため息を吐いた。

 

「私は嫌だ」

 心からそう思っているような呟きに、私は神妙な気持ちも忘れて、大きな声を出して笑わずにはいられなかった。

 

「アハハハハ」

 その声につられたように貴子も笑顔になる。

 

「ほら! さっさとバイトに行ってこい、勤労学生。誕生日だってことは忘れずに、残業だけはしっかり断るんだぞ。みんな待ってるからな!」

 

「うん!」

 私の背中を押し出しながら、かけてくれた言葉が嬉しかった。



 

 今日は私の誕生日。

 三人がお祝いをしてくれるんだと、ずっと楽しみにしていた。

 

 うだるような暑さの中。

 アパートの一階に設けられた駐輪場から真新しい自転車を引っ張り出して、暑さに負けないように、

(よし、今日もがんばるそ!)

 と自分で自分に気あいを入れる。

 

 勢いよくこぎ出した私の背中を、貴子の声が追いかけてくる。

「まちがっても、遅くなんか帰ってくるんじゃないぞ!」

 

 ふり返らずうしろ手に手を振って、私は大きな声で返事した。

「わかってるー」

 

 目の前に広がる青い青い空と、大きな入道雲はまだ夏の面影を色濃く残しているのに、とっくに月は変わって九月になってしまった。

 ――私の誕生月。

 

 ついこの間まで盛んに響き渡っていた蝉の大合唱と入れ替わるように、いつの間にか聞こえ始めた鈴虫の声に、

(夏も終わりだな……)

 と感じる。

 

 頬を撫でる暖かい風も、これから日一日と涼しい風へと変わっていくんだろう。

 夏の眩しいくらいの太陽も、また来年までお預けの秋が、もうすぐやって来る。

 

(私にとっての太陽は……やっぱり海君だな……)

 

 そんなふうに感じるから、今年の夏の終わりは、ことさらに切ない。

 

 これから起こるであろう楽しいことをたくさんたくさん思い浮かべて、必死に肩肘はってないと、その切なさに飲みこまれてしまいそうになる。

 

(二人で過ごしたたった一つの季節……夏はもう終わるんだね……)

 

 涙が浮かばないように。

 せいいっぱいなんでもないように。

 弾むようなリズムで、私は心の中、何度もくり返す。

 

(だけど大丈夫。この手は繋いでる。ずっとずっと繋いでる)

 何度も何度もくり返す。

 

 そんないっぱいいっぱいの二十一歳の誕生日だった。


 

 

「誕生日おめでとう!」

 三人の笑顔に囲まれて、本当に幸せな気持ちで微笑む。

 

 私の狭い部屋の小さなテーブルに並べられたたくさんの料理は、みんな愛梨と花菜の手作りで、たっぷりの愛情がこもっている。

 

 色とりどりのその豪華さにうっとりと目を楽しませて、

「いただきまーす」

 と箸を出す。

 

 今度はその美味しさにも、とっても幸せな気持ちになった。

 

「自分のために誰かが作ってくれた料理って……どうしてこんなに美味しいんだろう……!」

 思わず呟いたら、隣に座っていた花菜に押し倒されそうな勢いで抱きつかれた。

 

「いつも真実ちゃんに作らせてばっかりだもんね。ゴメンね。今日はぜひ食べるほうに専念してね!」

 冗談とは思えないほど真剣な口調で、そんなことを言われるから、

 

「い、いいんだよ……! いつも作るほうってのも……私が好きでやってるんだから!」

 慌てて言い訳するように言葉をつけたさなければならなくなる。

 

 花菜が気にしているんじゃないかと顔をのぞきこむと、彼女は口調のわりにはいつもと同じ穏やかな笑顔で、私のことをじいっと見つめていた。

 

「あのな真実……別に花菜は、これからはそこを改めるとか……そんな話をしてるんじゃない思うぞ……?」

 まるで今日の主賓のようにふんぞり返って座って、偉そうな態度の貴子が横ヤリを入れてくる。

 

「そうなの?」

 尋ねた私に、花菜はニッコリ微笑んで頷いた。

 

「なあーんだ……焦ったー」

 口に出して言ってしまってから、自分でも可笑しくなって、ハハハハッと声に出して笑いだす。

 愛梨も花菜も、貴子さえも笑いだして美味しい料理がなおさら美味しく感じられた。

 

「あっ真実! これこれ! これが私の自信作なんだ」

 愛梨に促されるままに、私は箸を伸ばす。

 

「真実ちゃんこっちも! ちょっと変わった味つけなんだよ……?」

 花菜にさし出されて、それも口の中へ。

 

 二人に薦められるままに次から次へと食べていたら、いつの間にかすっかりお腹がいっぱいになった。

 貴子はとっくにギブアップして、部屋の隅でクッションを枕にひと休みしている。

 

「真実の作ったものだったら、いつももっとたくさん食べるくせに……!」

 愛梨の非難の声にも、貴子はちょっと体を起こして首だけこっちを向いて、意地悪く言い返す。

 

「真実はそんなに凄いスピードで、私の胃袋に全部の料理を詰めこもうなんてしないだろ!」

 愛梨は肩を竦めて、私に向き直った。

 

「いいもん別に……今日の主役は真実なんだし……真実のために作ったんだし……!」

 そして花菜と二人して、

「ねー」

 と頷きあう。

 

 乾杯のために開けたシャンパンでほろ酔い気分の二人は、ニコニコと笑いながら、

「はい真実、次はこれ!」

「こっちもこっちも」

 となかなか私を放してはくれなかった。

 

『私のために』という気持ちがわかるからこそ、断ることもなかなかできない。

 

 だけどさすがにお腹も限界に近くて、ちょっと困った気持ちで、

「ちょっと待って、ちょっと待って」

 と苦笑いしていると、貴子が助け舟を出してくれた。

 

「真実……飲み物がなくなったから、ちょっと買ってきて」

 

(貴子! ありがとう!)

 心の中で手をあわせて立ち上がる。

 

「うん、何がいい?」

 ところがそれを聞いた愛梨と花菜がいきり立った。

 

「今日の主役に行かせるなんてできないわよ!」

「そうよそうよ! 私が行ってくる!」

 さっきまでのほろ酔い気分はどこへやら、勢いこんで立ち上がりかけた二人に、貴子が首を振った。

 

「いや。真実が行ってきて」

 よく通る落ち着いた声と、私に向かって財布を放り投げるその瞳に、思わず私の胸はドキリと跳ねた。

 

 あの時に似ていた。

 

 ――前期試験の間会わないと約束した海君がある日ふらっと会いに来てくれて、それでも私を呼び出すなんてことはせず、アパートの前で私が出て来るまで待っててくれた夜。

 

 それに一番に気がついたのは貴子だった。

 私に買い物を頼んで無理に外に出してくれて、私は無事に海君に会うことができた。

 ――あの時になんだかよく似ている。

 

(まさか……まさかそんなことはないよね?)

 

 確かめるように見つめても、貴子の賢そうな瞳は何を考えてるんだか、私なんかではとうてい考えも及ばない。

 肯定も否定も見えないその瞳に、見つめ返された瞬間、私は貴子の財布を掴んで、立ち上がっていた。

 

 自分の中の不思議な感覚と、私よりもなんだか海君の何かをわかっているふうだった貴子のここ数週間の様子に、小さな希望をかき集めながら――。

 

(そんなことは絶対にない! ないってわかってる! でももしかして、もしかしたら……?)

 

 相反する二つの思いに、どうしようもなく心を乱されながら私はドアに向かって走り出した。



 

 玄関のドアに手をかけて開こうとする前に、呼吸を整えた。

 

 もしも道路の向こうに海君の姿を見つけても、動転し過ぎないように。

 そしてもし見つけなかった時も、必要以上に落胆し過ぎないように。

 

 力をこめて開いたドアから、滑り出すように夜の町に一歩を踏み出した。

 

(やっぱり……そんなことはないね……)

 

 アパートの前の道路を渡った先、彼が毎朝私を待って寄りかかるように立っていた少し高いブロック塀を、私は切ない気持ちで見つめた。

 

 そこには誰の人影もなかった。

 

 私がもう一度見たかったあの笑顔も、懐かしいばかりの眼差しも、やっぱり私を待っていてはくれなかった。

 

 軽く首を振って、ガクンと落ちた肩を無理に引き上げる。

(それはそうだよ……だってそんなはずないじゃない……!)

 

 わかりきっていたことを確認しただけのように、なんでもないように呟きながら、それでもみんながいる部屋のドアは、うしろ手で急いで閉めた。

 

(海君がもう一度現われることなんて……やっぱり絶対にないんだ!)

 

 何十回、何百回となくその事実を確認して、自分ではとっくに納得していると思っていても、自然と涙が零れる。

 零れてしまう。

 だから――。

 

(こんな姿はみんなには見せられない……私を心配して……今日だって必死に盛り上げようとしてくれているみんなには……まだ全然大丈夫じゃないなんて気づかれちゃいけない……!)

 

 私は逃げるようにアパートの前から走り出した。



 

 夜の町を俯きながら歩いていると、胸の痛みがどんどん大きくなっていくような気がする。

 

 初めて海君と出会ったのは、こんな雑踏の中だったから。

 その中から彼は私を見つけ出してくれたんだったから。

 

(どれだけ、奇跡みたいな出会いだったんだろう……)

 

 瞬きする間に私の横をすり抜けて行ってしまう、数えきれないくらいの人たちをぼんやりと見送りながら、私はそんなことを感じていた。

 

(もう二度とこんな恋はできないと思う……こんなに好きになれる人なんて、海君以外には現われないと思う……)

 

 何度も何度も思ったことを今日もまた確認しただけで、私は貴子に頼まれた飲み物を買って、みんなが待つアパートの部屋へと帰った。

 

 薄暗い街灯に照らし出されているそのあまり新しくはない建物の、建てつけが悪くて時々は開かないこともある私の部屋のドアの前に、何かが置かれているのが目に止まった。

 

 右から三番目。

 左から二番目。

 まちがいなく私の部屋の前であることを確認する。

 

(なんだろう?)

 白い大きな袋の中をのぞきこんでみると、綺麗に包装された大きな薄い四角いものと、小さな花束が入っていた。

 

(私に……ってことかな?)

 何気なくその小さな花束を持ち上げて、ドキリと胸が鳴った。

 

 中に小さなカードが添えられていて、『誕生日おめでとう。真実さん』と書かれていた。

 

(真実……さん……?)

 

 私のことをそう呼んでくれていたたった一人の人の顔が浮かんで、私は我知らず声に出して叫んでいた。

「海君!」

 

 うしろをふり返って、右を見て、左を見て。

 あたりに人の気配がないことを感じて、それでも走り出す。

 どちらにとも考える間もなく、足が動き出したほうに走り出す。

 

 角を曲がってその先にも、大好きなあの背中が見えないことを確認すると、今度は反対の方向に向かって走った。

 

 その先にもやっぱり、あの明るい色の少し癖がかった髪は見えない。

 

 何度も何度も、思いつく限りの方向に、狭い裏道に、走り出さずにはいられなかった。

 

 決して姿を見ることなんてできはしないんだと、頭のどこかではわかっていても、体がいうことを聞いてくれなかった。

 心が理解してくれなかった。

 

 せっかくみんなの前では我慢しとおしていた涙だらけの顔で、疲れきってアパートの前に戻った私を、ドアの前でみんなが待っていた。

 

「真実……」

 

 何も聞かず、何も言わず。

 温かいその腕を三人で広げて待っていてくれたから、私はもう何もかもが頭から吹き飛んでしまった。

 

「わあああああ!」

 声を上げて泣き崩れた私に、三人が一斉に駆け寄った。

 

「海君が! 海君が……!」

 それだけしか言葉が出てこなくて、ただ泣きじゃくる私を愛梨が抱きとめた。

 

「うんうん、良かったね……」

 私の代わりに言葉を紡ぎ出してくれるから、必死に頷く。

 

 それがどんなに自分にとってビックリしたことだったか。

 有り得ないと思っていたことだったか。

 

 そんな思いは置いておいて、素直に「嬉しい!」と今は喜びたい。

 

 それを笑って許してくれるみんなの存在がありがたかった。

 傍にいてくれること。

 優しくしてくれること。

 

 感謝して止まないそれら全てのことよりも、何も言わなくても私の気持ちをわかってくれている――そのことが、今は何より嬉しかった。



 

 部屋に帰って、花菜の煎れてくれたお茶を飲んで、少し落ち着いたらなんだか照れくさい気持ちになった。

 

「だいたい真実は気を遣い過ぎなんだ……! 私たちに強がってみせてどうする!」

 射るような目で私のことを見つめる貴子は、心に思った不満をすぐに口に出す。

 

 その貴子を、

「あんたねえ……」

 と睨んだ愛梨も、

「無理しなくていいんだよ……いつまでも泣いてたって、誰も真美のことをダメだなんて思わないよ……?」

 諭すように、励ますように私の肩を叩いてくれた。

 

「私たちはみんな、真実ちゃんがどんなに海君のことを好きか、よくわかってるつもりなんだから……ね?」

 花菜にニッコリと微笑まれて、私はあまりの申し訳なさに俯いた。

 

 有難かった。

 情けない自分をこんなにも曝け出せる場所があるってことが嬉しかった。

 

 そんな気持ちを抱きしめて、改めてみんなに感謝していた時に、少し離れたところに座っていた貴子が、ふうっと大きなため息を吐いた。

 

「だけど……プレゼントだけ置いて行ったか……」

 

 ちょっぴり不満そうに呟くから、私は急いで顔を上げる。

「貴子……ひょっとして海君が来るって知ってたの?」

 

 わざと私を外に出してくれたこと。

 その時の意味深な表情。

 彼女の真意を確かめたくて、私は貴子に詰め寄る。

 

「えっ、そうなの?」

 驚きの声を上げた愛梨も花菜も、貴子をじっと見つめている。

 

 取り囲むように注がれる三つの視線を、煩わしく追い払うように手を振って、貴子は「いや」と短く応えた。

 

「じゃあ、どうして……?」

 

 言いかけた私の言葉を遮って、今度は貴子のほうから口を開く。

 少しの怒りをこめて――。

 

「約束してるんだよ。どうやったら真実が一番幸せになれるのか、いつだって考えてくれって……。まさかあいつが真実から離れるなんて思ってなかったけど……どうやら私との約束はまだ有効のようだ……もちろんこれからも有効だ。そうだろ?」

 

 確認するように見つめられて、私は間髪入れずに頷いた。

 

(海君は嘘をつかない!)

 それは私が一番よく知っている事実だ。

 

「私もしたよ、海君と『約束』。真実の秘密の場所を教えてあげてもいいけど、その代わりに、真実をよろしくねって言ったの……『はい』ってしっかり答えてくれた……だから……うん、大丈夫だよ……」

 愛梨もニッコリ笑いながら私を励ましてくれた。

 

 いったい何が「大丈夫」なのか――。

 その愛梨らしい解釈には、多少の苦笑は感じるけれども、嬉しいことには変わりない。

 

(だったら……私の毎日はまだ海君と繋がってる……?)

 

 そっと右手を持ち上げて見つめてみた。

 その手に誓った約束と同じ誓いが、ここにもあった。

 そう確認できたことが嬉しい。

 

(まだまだ幾重にも……私は海君の優しさに守られてる……?)

 

 姿は見れない。

 声は聞けない。

 だけど、確かに私のすぐ傍にいてくれる。

 

 それはなんて幸せなことなんだろう。

 胸が張り裂けそうな辛い別れなんて、掃いて捨てるほど存在する中で、私たちが交わしたのは、なんて優しくて温かいサヨナラだったんだろう――。

 

「ねえ真実……何を貰ったのか開けてみてよ」

 いつまでも幸せの余韻に浸っている私に、愛梨が待ちきれないというように提案した。

 

「お前なあ……!」

 それには今度は貴子のほうが非難の声を上げたけれど、私は笑って頷いた。

 

「うん」

 海君から貰った大きな袋に手を伸ばした。

 小さな小花をつけた可愛い花ばかりで作られた小さなブーケ。

 

「うん、真実ちゃんにピッタリだね」

 花菜が笑ってくれたから、私も微笑み返した。

 

 海君の優しい気持ちが伝わってくる。

 二人で手を繋いで歩いた街のあちこちで、『こんなところにも花が咲いていたんだ』と偶然見つけては、私が大喜びしたような、飾らない可愛い花たち。

 

 この花束には海君にしかわからない、海君だけにわかる二人だけの思い出がいっぱいいっぱい詰まってる。

 

「ずっと取って置けるように、ドライフラワーにしたらいいよ……」

 花菜の助言に、私は頷き返した。

 

「他には? 他には?」

 嬉しそうな愛梨を諌めることを、さすがの貴子ももう諦めたらしく、ただ大きなため息を吐いて私たちを見守っている。

 

「何よ! ほんとはあんただって気になってるんでしょ?」

 ふり向いて貴子に喧嘩を売ろうとする愛梨を慌てて引きとめながら、私はもう一つの大きな包みを袋から引っ張り出した。

 

 思ったより重量があった。

 かなり大きな絵本ぐらいの大きさ、厚さの四角いもの。

 思い当たるものが何もなくて、綺麗な包装紙を破かないように丁寧に剥がす。

 

 中から出てきたものがなんだかわかった瞬間に、私の目からブワッと涙が溢れ出した。

 

 額に入れられた絵だった。

 ――大きな写真かと見紛うくらいの綺麗な絵。

 

 岩に囲まれた小さな砂浜で、片隅に小さく膝を抱えて、海に向かって座っている白いワンピースの女の子。

 うしろ姿だけれど、今にも消えてしまいそうな不安げなあの時の私の心が、よく描かれていた。

 

 風に飛ばされて、少し後方に白い帽子が転がっている。

 その帽子を拾おうと細身の男の子が軽くかがんで腕を伸ばしている。

 

 やっぱりうしろ姿で、その表情は見えないけれど、まるでその景色ごと女の子の全てを包みこんでいるかのような優しげな雰囲気。  

 

 背中を向けている女の子は彼の存在に気づいていない。

 自分を慈しむように見つめる優しい視線に、まだ気づいていない――。

 

「真実ちゃんと海君……?」

 首を傾げる花菜に、私は涙を拭って笑いながら頷いた。

 

「うん」

 

 青い空に白い雲。

 私の大好きないろんな色が入り混じったあの海の色は、きっと見た人にしかわからない。

 一緒にあの場所にいてくれた彼にしかわからない。

 

「水彩画? パステル画? すっごい上手じゃない?」

 驚き興奮した愛梨の声に、自分のことのように私は嬉しくなる。

 

 海君が描いたんだろうか。

 それ以外には考えられないけど、すぐには信じられない。

 それぐらいに綺麗な上手な絵。

 

「画家でも目指してんのか、あいつは……?」

 貴子の声には、いつになく感嘆した調子も含まれていた。

 

「よかったね、真実ちゃん」

 花菜に微笑みながらそう言われて、私はその大きな絵を抱きしめた。

 

 大好きな人、その本人のように大切に抱きしめた。

 

(ありがとう、海君……)

 面影が心にしか残っていなくて、それがどんどん薄れて消えていくことに怯えるしかなかった私に、その面影をこうして形にして残してくれた。

 

(もう忘れない! 海君に言ったとおり……私は絶対に忘れない!)

 

 交わした約束を守れるということは、こんなに幸せことなんだ。

 

 彼がまた一つ、私に幸せを教えてくれたことに感謝しながら、私はその日、人生最高の誕生日を迎えることができた。

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