第四章 不安は心の奥にかすかに
1.影
クラスでの私に対する無視は相変わらず続いていたけれど、私は極力気にしないようにしていた。
他クラスの仲間たちと知りあい、いろんな価値観を目の当たりにして、これまでの自分をふり返ってみたら、思い当ったことがあったから――。
(私って今までこの教室で、どんなにひどい顔をしてたんだろう……?)
そう思ったら、特に同じクラスの連中からは嫌われても当然なんだと思えた。
(こんな学校来たくなかった……本当は勉強じゃ誰にも負けないのに……!)
いつだって顔に、そう書いてあったんだろうなと思う。
(そんな人、嫌われて当然だし、友達だってできるわけない。これまで佳世ちゃんが当たり前のように隣にいてくれたから、全然気にもならなかったけど……)
今回のことは、これまでの自分の学校生活を反省するいい機会だった。
(そうとでも思わなきゃ、やってられない……)
昼食の時間に、自分の席で一人でお弁当を食べている時ほど、寂しい時間はなかった。
見かねた諒が気を遣って、「俺と食うか?」なんて言ってくれたけど、それは諒の隠れファンの子たちの怒りに油を注ぐ結果にしかならないので、丁寧にお断りした。
話し相手が誰もいないので、仕方なく窓の外を眺める。
(今日もいい天気だな……!)
見るともなしに見ていた中庭に、偶然繭香の姿を見つけた。
(繭香だ!)
繭香は一人で中庭の芝生に座って、ぼんやりとグラウンドを見ている。
腰まである黒髪が、芝生につきそうな位置でサラサラと風に揺れる。
周りの人たちより、ひとまわりは体が小さい繭香は、どこか頼りなげで、あの大きな強い目さえ見えなければ、か弱い美少女そのものだった。
(何を見てるんだろう……?)
その視線の先を辿って、何人かの男の子たちが、校庭でサッカーをしているのを見つける。
(昼休みに校庭に出ているなんて……運動部の多いD組か、E組か……)
よくよく見てみると、その中に剛毅や玲二君の姿が見えたから、私の予想はきっと当たりだ。
でもその中に、思いがけない人の姿もあった。――貴人だ。
(B組だっていうのに……やっぱり変わってる……)
頬杖をついて体ごと窓のほうに向けながら、私は考えた。
成績順にわけられた私たちA組が学年トップクラスなら、貴人のいるB組はトップクラス予備軍だ。
来年こそはA組に入るためにと、私たちA組よりも勉強に余念が無い人が多い。
昼休みは格好の勉強時間のはずだった。
(なんだか貴人だけは……そんなことからも自由なんだな……!)
少々羨ましく思い、つい貴人ばかり見ていたら、私にはわかってしまった。
――繭香が一心に目で追っている先にいるのも、きっと貴人だ。
(そっか……そうなんだ……)
何に対してだかはよくわからないけど、私の中で何かが妙に腑に落ちる。
(そういうことか……)
確信した途端に、なぜか胸の奥がズキリと痛んだ。
その瞬間――私の視線の先にあった繭香の小柄な体が、突然大きく傾いて横倒しになった。
(今の倒れ方! ……なんだか……おかしかった……?)
そう思った時には、私はもう走り出していた。
教室から飛び出して、階段を駆け下り、中庭へ――繭香のところへ、全速力で急いだ。
「繭香! 繭香どうしたの?」
中庭の芝生に横倒しになった繭香のもとへ私が駆けつけた時には、貴人も剛毅も玲二君も、みんなすでに集まっていた。
繭香は芝生に半分顔を埋めながら、か細い声でくり返す。
「大丈夫……大丈夫だから……」
私には全然大丈夫そうには見えなかった。
繭香は普段も色白だけど、それよりも更に白い顔色をしている。
慌ててその小さな体を抱き起こそうとした私は、もの凄い力で貴人に肩を掴まれた。
「待って、琴美!」
私の体をそっとかわしてから、貴人は両手を地面について繭香の顔をのぞきこむ。
「繭香……動かしてもいい?」
繭香は辛そうに眉根を寄せたまま、頷いた。
次の瞬間、貴人は繭香を両腕に抱えて立ち上がる。
腕の中の繭香は、貴人の左肩のあたりに額を押しつける。
(まるで映画のワンシーンみたいだ……)
ぼんやりとそんなことを思っていた私は、黙ったまま、ただ二人を見送るしかなかった。
すぐ傍を貴人と繭香が通り過ぎていくのに、指一つ動かすことができない。
口から何も言葉が出てこない。
まるでスクリーンの向こうとこっちにわけられたかのように、二人と自分は全く違う世界に住んでいるかのようだった。
棒を呑んだように立ち竦む私を、貴人が少しふり返りはしないかと思ったけど、そんなことなかった。
呆然と立ち尽くしたままの私の頭を、剛毅がポンと叩く。
「貴人は止めとけよ」
その言葉がどういう意味なのかは、鈍い私にしてはすぐにわかったほうだと思う。
「そんなこと……思ってもいないよ!」
豪快に笑い飛ばしてやろうと思ったのに、やっぱりまだ、自分の意志では指一本だって動かすこともできない。さっき貴人に掴まれた肩が、妙に痛かった。
――その時自分の中に生まれた感情を、なんて呼べばいいのかなんて私にはわからない。
でもこの瞬間本当に、自分の体や思考ばかりではなく、世界の何もかもが止まったような気がした。
「実はずいぶんひどい貧血らしいよ……ああやって急に倒れてしまうこと、昔から多いんだって……」
しばらくたってからようやく芝生に腰を下ろした私に、隣に腰を下ろしながら、玲二君が教えてくれた。
「本当は、学校に来るのもどうかってくらい深刻らしい……」
「……そう」
私はなんだか、うな垂れることしか出来なかった。
「全然知らなかったな……」
悔しいんだか悲しいんだか、よくわからない私の呟きに、剛毅も口を開く。
「繭香は『HEAVEN準備室』でも、いつも部屋のど真ん中にいるだろ? あちこち動き回らなくても、ぐるりと見回せば全員の顔が見えるように……あれって貴人が考えたんだ。立ったり座ったりするだけで体力を消耗する。俺たちが普通にやってることだって体に負担がかかってしまう。だから極力動かないように気をつけてばかりの生活なんて……俺には想像も出来ないよ……!」
私は膝を抱えて、そのままそこに顔を伏せた。
「知らなかったよ……」
同じ言葉しか口から出て来なかった。
繭香のことを、口では「もの凄い眼力だ」なんて恐れながらも、私は実は彼女の凛とした雰囲気と落ち着いた態度を、ずっと羨ましく思っていた。
そのくせ感情豊かで、可愛い繭香。
きっといい友達になれると思っていた。
でも、私はどこかで気づいてもいた。
そして怯えていた。
繭香の放って置くと消えてしまいそうな気配に――でもまさか病気だったなんて――。
(嫌だな……なんだか涙が出てきそう……)
私が自分の膝小僧におでこをギュッと押しつけた瞬間、午後の授業の予鈴が鳴った。
「琴美……教室に帰るぞ」
剛毅が誘ってくれたから、私は乱暴に顔をこすって立ち上がる。
「じゃあまた、放課後に……!」
玲二君の言葉に頷いて、私たちはそれぞれ、自分の教室がある校舎へ向かって走り出した。
(繭香はひょっとして……こんなふうに走ることもできないんだろうか?)
そう思うと、胸が苦しかった。
何も言えずに、貴人と繭香を見送った時よりも、もっと何倍も何十倍も苦しかった。
その日から、繭香は学校に来なくなった。
繭香のいない『HEAVEN準備室』は、まるで穴が開いたみたいに、なんだか寂しかった。
いつものメンバーが揃って、どんなに楽しいことがあっても、私は心から笑えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます