4.学年最上位クラス

 始業ベルに遅れて教室へ入ってきた私を見ても、誰も騒ぎ立てないのは、さすが成績優秀者ばかりのA組だ。

 

 だけどチラッと私のほうを見てすぐに逸らされたたくさんの視線は、どれも「やっぱりな」という意味を含んでいるように感じた。

 私の被害妄想だろうか。

 

 先生さえも腫れものに触るかのように、「近藤、席に着け」と言っただけで、遅刻のお咎めはなしになってしまう。

 

 全速力でここまで走ってきたせいばかりではなく、ほんのついさっきまでたまらなくドキドキしていた心臓が、水を浴びせられたかのように、スーッと凍りついていくのを感じた。

 

(そうだ、これが高校……私が一年三ヶ月過ごしてきたつまらない日常……)

 そう思うだけで、憂鬱な気分になる。

 

(でも……だったら、さっきまで居たあの場所は何だったんだろう? 芳村君が連れて行ってくれたあの場所は……)

 

 よほど真剣に考えこんでいたのだろう。

 そのホームルームで担任が何を話したのかさえ、私はまったく聞いていなかった。



 

「おいっ!おい!」

 

 隣からこの上なく不機嫌な声をかけられて、はっと我に返る。

 私のことを迷惑そうに睨んでいるのは――おそらく私がこのクラスで一番苦手な相手だ。

 

(なんの用なのよ! 勝浦諒!)

 

 思わず敵意の混じった目で見返してしまい、相手も私を更に睨み返してくる。

 

「席替えだよ! 席替え! さっさと移動しろ」

 容赦ないその言い方に、私はようやく現状を理解した。

「あ……」

 

 何もそこまでする必要はないと思うんだけど、この星颯学園では、クラス分けも席順も、全て成績順におこなわれる。

 故に定期考査のたびに、その時の成績順に席を並び替えるのだった。

 

「あっそう」

 この上なくぶっきらぼうに返事して、私はさっさと机の中の荷物をまとめ始める。

 

 私を睨みつけているこの『勝浦諒』という人間の、何が気に入らないって、何もかもが気に入らない。

 中学から同じ学校だが、私と同じくらい成績が良いせいか、やたらと私をライバル視している。

 

 チビで生意気なくせに顔がかわいいもんだから、女の子からは妙に人気がある勝浦諒。

 ランクを落として受験した私と違い、てっきり県下でも指折りの進学校に進学したとばかり思っていたのに、星颯学園に入学してみたら、隣の列に並んで立っていてびっくりした。

 

 成績順でクラスが決まる以上、いつも同じクラスだし、席までたいてい隣同士になる。

 

(成績が落ちていいことなんて何もないけど……勝浦諒と離れられるのだけが救いだわ!)

 そう思って、潔く一番後ろの窓際の席に移動すると、勝浦諒も移動してきた。

 私の前の席に座ろうとするので、襟首を掴んでやる。

 

「なんであんたがこんな席に来るのよ? ……もちろん一番前でしょ?」

 勝浦諒はゆっくりと振り向き、挑むような目をして、自分の成績表を私に突きつけた。

 

「俺だって、体調が悪くて調子が出ない時もあるんだよ! お前こそなんでそんなところに座ってんだよ……あーあ、成績は落ちたけど、その代わりやっとお前と離れられるって、せっかく喜んだのに……!」

 

 最後のほうは私には背を向けて前へ向き直ったが、がっくりとわざわざ肩まで落としてみせる。

 その背中に向かって思わず振り上げた拳を、私は理性でようやく押し止めた。

 

(それはこっちのセリフなのよ!)

 怒りの反論は心の中だけで叫び、ありったけの恨みをこめて、そのあまり大きくはない背中を午前の授業中、私はずっと睨み続けてやった。



 

「琴美ちゃん……大丈夫?」

 

 お昼休み。

 教室の隅っこで机をくっつけてお弁当を食べながら、佳世ちゃんがおずおずと私に聞いてきた。

 佳世ちゃんは高校に入ってからできた私の親友だ。

 

『学校は勉強をするところ。友達なんて言ったってしょせんはただのライバル』という意識がびんびんに漂っているこのクラスで、私が仲良くしている唯一の女の子。

 

 いつもニコニコしていて、佳世ちゃんの笑顔を見ていると、こちらの気持ちまで暖かくなる。

 あまり人に自分のことを話さない私も、佳世ちゃんにはなぜだかいろんな話をしたくなる。

 

 安らぐっていうんだろうか。

 私は自分があんまりそういう人間ではないので、優しい雰囲気の人に惹かれるらしい。

 渉も然り、佳世ちゃんも然り。

 

 でもおっとりしている佳世ちゃんはただそれだけの理由で、クラスの女の子たちに邪魔者扱いされることが多い。

 勉強疲れのストレス発散だろうか。

 そんな時は私がでしゃばり、言い返すことにしている。

 

「佳世ちゃんに言いたいことがあるんなら、先に私を言い負かしてからにして!」

 たいていの相手はこの啖呵で怯んでしまうのだった。

 

 そんなこともあって、私はクラスの女の子たちからあまり好かれていない。

 男の子からも「近藤はおっかない」なんて言われているけど、別にそれでもかまわなかった。

 

(私だって別に、友だち作りたくて学校来てるわけじゃないもの……佳世ちゃんが一緒にいてくれれば、それだけでもうじゅうぶんだ……)

 半ば開き直りぎみにいつもそう思っていた。

 

 それほどの私の入れこみようを知ってか知らずか、佳世ちゃんは今日も辛いことなんて何もないかのようにふわっと笑う。

「琴美ちゃん、朝より元気みたいね。だいぶ顔色がよくなったもん」

 

 早朝の姿をどこかで見たのか、ほっとしたような笑顔を向けられ、私は申し訳ない気持ちになった。

 照れ隠しも兼ねて、大袈裟に「ご心配をおかけしました」と頭を下げると、佳世ちゃんも「うん、心配した」と素直に返してくれる。

 

 二人で顔を見あわせて大笑いした。

『ちょっと近藤! 成績落ちたくせに、なに大笑いしてんのよ!』とでも言いたげな視線は教室のそこらじゅうから感じたけど、そんなことは気にもならなかった。

 

 佳世ちゃんには、私と渉が恋人同士なことを、入学してすぐに教えた。

 のろけ話を聞いてくれたり、相談に乗ってくれたり、くだらない話にもよくつきあってくれた。

 

 だから一週間前、試験の直前に渉にサヨナラして、真っ青な顔で教室に入った時も、真っ先に心配して駆け寄ってきてくれたのは佳世ちゃんだった。

 

 震える手で試験を受けた帰り道、私はいつも渉とそうしていたように、佳世ちゃんと二人で自転車を押して並んで歩いて、学校から帰った。

 

 思い出が痛かった。

 高校を卒業するまで、これから一年十ヶ月間。

 こうしてこの道を帰るたびに、私は渉のことを思い出すんだろう。

 何を見ても、何を聞いても、渉との思い出が甦るんだろう。

 それぐらい渉は私の全てだった。

 

「なんで? なんでそんなことに……」

 佳世ちゃんは私のために泣いてくれた。

 哀しいことがあっても、辛いことがあっても、人前では決して泣けない私の代わりに泣いてくれた。

 

 そっと宥めるように背中を撫でる私に、「ごめんね、これじゃ反対だよね」と言いながら泣きじゃくってくれたから、私は思ったよりも早く立ち直ることができたのかもしれない。

 

 それでも今朝偶然渉と会ってしまって、成績も予想どおり大幅ダウンで、今は最低の気持ちのはずなのに、いい顔になったって言われるのはどうしてだろう。

 

(やっぱり、今朝のあれのせいなのかな……?)

 私はニコニコして私を見ている佳代ちゃんに、今朝の信じられない出来事を話して聞かせた。



 

「スゴイ!スゴイ!」

 すっかり興奮した佳世ちゃんは、私の話にパチパチと拍手まで送ってくれた。

 

「琴美ちゃんが生徒会に入るなんて、絶対ぴったりだよ!」

 その言葉で、内心「どうしよう……私にできるのかな?」なんてらしくもなく悩んでいた気持ちは、どこかへ吹き飛んでしまう。

 

「よーし、じゃあ、いっちょうがんばってみますか!」

 突然の私の雄叫びに、クラスの連中は「とうとう近藤が壊れたか……」とでも言いたげな哀れみの視線を向けてきたけど、ニコニコと笑う佳世ちゃんの顔しか私には見えてなかった。

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