第28話 鳩2

「ようこそ、お待ちしておりました。」

鳩山は、穏やかに雁刑事を迎え入れた。雁刑事は、違和感と既視感を感じた。平日のお昼過ぎなのに、鳩山の町工場は、とても静かだった。それを察した鳩山は、機先を制するように、雁刑事に説明した。

「今日から数日は、休業日にしています。昨日までに請け負っていた仕事を、全部片付けまして、工員達には、無理をさせてしまいました。なので、僅かながら臨時ボーナスを出して、今日から休ませました。」

「臨時ボーナス?経営は苦しい、と聞いてましたが?」

雁刑事は、鳩山は事件発生時、融資の相談であそこにいたと聞いていた。その鳩山が、臨時ボーナスを配るのは、矛盾があるように思えた。しかし鳩山は、その疑問にも穏やかに答えた。

「実は、工員達にはまだ話していないのですが、この工場を畳む事にしました。臨時ボーナスは、運転資金とこの工場の売却金から出しました。…やっぱり、現実は冷たいですね。あの強盗事件で、いくら私を持て囃しても、仕事が上手くいくことは、ありませんでした。私の事と私の仕事は、しっかり別けられていました。私も頭では解っていたつもりでしたが、知らず知らずに、慢心が生まれていたようです。」

話している内に鳩山は、寂しい気持ちになった。あれだけ維持し続ける事に拘っていた自分が、工場を畳む決断をしてしまった。自分の矜持を具現化した仕事を、自ら棄てる決断をしてしまった。決断した瞬間は、独りで男泣きもしたが、もうその時の感情が甦っても、涙一滴も流れなくなった。それを実感して鳩山は、更に寂しくなった。そんな鳩山の内心を、雁刑事は、刑事の性で察してしまった。雁刑事は堪らなくなり、叫ぶように言葉を発した。

「鳩山さん。私は、あなたを…」

「皆まで言いなさんな。」

鳩山はまた、雁刑事を制した。泣く子供をあやすように、穏やかに雁刑事を落ち着かせた。制された雁刑事は、先程までの切迫感が、不思議と霞んでいくのがわかった。そして鳩山は、落ち着いた雁刑事に、告白した。

「鶏冠井さんは気付かなかったようですが、彼女の隠し場所に選んだ休眠会社の一つに、かつて私が起こし、そして失敗した会社があったのです。その時に整理して、綺麗サッパリ無くせば良かったのですが、あの会社は、私の若い頃からの夢を形にしたモノだから、どうしても未練を絶ち切れなくて…結局、休眠会社として遺してました。遺した当初は、いつか復活させる、いつか夢に再チャレンジしてやる、などと思っていたのですが…そのまま、10年も放置してしまいました。」

ここで鳩山は、自分で用意したお茶を一口飲んだ。雁刑事もそれに習って、お茶を飲んだ。お茶は、温めになっていた。鳩山は苦笑いをし、「淹れ直してきます。」と言って、席から立った。雁刑事は飲み干し、「とっても美味しいです。」と言って、湯飲みを置いた。鳩山は微笑みで返答し、二人分の湯飲みを回収して、奥に引き下がった。

鳩山が居ない間、雁刑事は、警察官になってから初めて、ある想いが芽生えていた。

「鳩山さん、このまま逃亡してくれないだろうか?」

ここに来た時に感じた既知感は、鷹田を逮捕した時と同じだと、雁刑事は鳩山の話を聞いて悟った。鷹田を逮捕した時は勘違いをしていた為、職務に全う出来たが、今は違う。鳩山は、明らかに罪の意識があり、そしてそれを贖罪する為に、警察が逮捕しに来るのを待っていた。それら全ては、雁刑事の内面を混乱させた。雁刑事内側で、雁刑事の人間の部分が、反省している人間に鞭打つ事を止めようとしている一方、警察官の部分が、情を殺そうとしていた。その板挟みで苦悶していた結果、相手の逃亡を口走ってしまった。

しかし10分後、鳩山は戻って来た。

「実は、とっておきの銘茶があったのを思い出しまして、淹れてみたのですが…」

そう言って鳩山は、新しいお茶を雁刑事の前に置いた。置かれた時お茶は、特長ある香りを、雁刑事に嗅がせた。嗅いだ雁刑事は、気持ち良く目が覚めるような感じをした。

「半年前に、取引先から頂いたモノです。何年か前に、世界大会で最優秀金賞を獲ったそうですよ。どうですか、お味は?」

「いやぁ~、目が覚める美味しさです。」

「それは、良かった。どうやら、気持ちも晴れたようですね。」

雁刑事は、ハッとした。どうやら鳩山には、何もかも見抜かれているようだった。雁刑事は、観念して、鳩山の尋問を始めた。

「あの事件の後、周囲の騒々しさを除けば、私の日常は、あまり変わりませんでした。しかし事件から数日後、妻から離婚を言い渡されました。」

「離婚!?」

雁刑事は、思わぬ登場人物の行動に、思わず声を上げてしまった。しかし鳩山は、この雁刑事の行動も予測済みのようで、淡々と見ていた。雁刑事は、己を取り繕い、鳩山に話の続きを促した。

「…元々、考えていたそうです。しかし独りで暮らすには、先立つモノが足りなかった。そんな日々を10年近く過ごしていた時、妻の言葉を借りれば、幸運が舞い込んで来ました。」

「それじゃあ、奥さんが、口座からお金をおろしたのですか?」

「はい。妻を問い詰めたら、白状しました。身に覚えの無いお金が、口座に入っていて、怪しむより先に行動していたそうです。」

「…奥さんは、今、どちらに?」

「出ていきました。あっ、お金ならここにありますよ。」

そう言って鳩山は、机の下から小包を取りだし、開いてみせた。そこには新聞紙で綺麗に包まれた札束の塊が、箱狭しと入っていた。

雁刑事は、恐る恐るその中の一つを取りだし、本物である事と自分のすべき事を確認した。

「妻には例のお金ではなく、この工場の売却したお金を持たせました。妻は、額が少なくなる事に文句を言ってましたが、警察に逮捕される事を伝えると、渋々承諾しました。」

「あなたは、どうなんですか?その気になれば、そのお金を持って逃げる事も…」

「考えました。しかし、すぐに自分の中にわだかまりが芽生えました。他人から見れば、諦めに見えるかもしれません。けど、この職場や仕事に対して、胸を張れなくなる。私にとっては、そちらが大事なのです。」

そう言って鳩山は、懐かしむ表情で、辺りを見回した。

「うちの仕事は、祖父からはじまり三代目の私まで約70年続きました。私は、そこで働く祖父や父の仕事姿を見て育ちました。そして私もここを継ぎ、やがて事業拡大を夢見て、あの会社を立ち上げました。まぁそれは、失敗しましたけど…。それでも、この工場だけは、守り抜こうと今日まで頑張りましたが…」

「…御察しします。」

鳩山の表情が語る内に、だんだん老けていった。雁刑事は、それは寂しさが老いとなって表れたモノだと察した時、やるせない気持ちになった。その気持ちに鳩山が、更に追い込みを掛けるように、両腕を雁刑事に突き出した。

「後は、警察署で話します。さぁ、逮捕してください。」

雁刑事は、久しぶりに辛い感覚を味わっていた。刑事になって間のない頃、生活苦の果てに、無理心中を図った母子がいた。しかし死んだのは子供だけで、母親は一命を取り止めた。退院後、母親は、雁刑事により逮捕された。その時の母親の寂しい笑顔が、雁刑事には、痛たまれなかった。

それ以来、雁刑事には観念した人間を逮捕するのに、抵抗感が出来てしまった。そしてその気持ちが今、雁刑事の心中を蝕んでいた。蝕んだ心は、雁刑事に『逃げろ』と言わせようとした。だが、またもや鳩山が、雁刑事を救った。

「情に流されてはダメだ、刑事さん!!」

その一言で雁刑事は、ハッとした。更に鳩山は、言葉を続けた。

「有難う、刑事さん。しかし、警察官のあなたが、それを言ったらダメだ。それをしちゃあ、ダメだ。それは、他で地道に働く警察官に対する、裏切りだ。警察に安心を預ける一般市民に対する、裏切りだ。解るね。」

鳩山のその言葉に雁刑事は、泣きそうになったが、涙が数滴、溢れ出てしまった。雁刑事は意を決したように、溢れた涙を拭い、手錠を出した。

「鳩山さん、あなたを逮捕します。」

雁刑事は、鳩山の両手首に、しっかりと手錠を掛けた。それを見て鳩山は、満足そうに微笑んだ。

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