第一章14 剣戟の傷跡
第一章14 剣戟の傷跡
探偵と剣姫の戦いに決着がついた。
壮絶な剣戟を繰り広げた結果、力尽きたシルヴィアが気を失うことで戦いは決着した。シャーリーに怪我はなく、シルヴィアも身体のあちこちを負傷しているものの、重傷といった怪我は見当たらず、今は気を失っているがしっかりと息もしている。
それからのことはあっという間に時間が過ぎていった。
やはり、あまりに帰りが遅いシャーリーのことが心配になったルズナが教会にまでやってきて、事の顛末を全て聞いた。
城を抜け出し、輩に誘拐された事実に憤慨しながらも、この場ではそれ以上の追求を避けた。
「航大さん。この度のこと、誠にありがとうございました」
「……いや、俺は感謝されるようなことはしてません」
「王女が誘拐されたことは遺憾ではありますが、聞いた話を鑑みるに最終的に王女を救い出して頂いた貴方たちを責めることはありません」
「それでも……」
「これは王女からの懇願でもあります。幸い、王女が前日に体調不良の旨を城中にお伝えくださったことで、今現在も王女の不在を知る者はいません」
シャーリーを目の前で誘拐され、完全に夜も更けた時間まで帰らなかった航大に、ルズナはどこまでも温情措置で済まそうとしてくる。自分の不甲斐なさが招いた結果に対して、航大はいっそ責められた方がマシであると考える。
一歩間違えば、事態はさらに悪化の一途を辿っていたかもしれないのだから。
「航大さんはご納得されないようですね。自分の失敗を省みて、反省できることは航大さんの美徳であります。航大さんが何を言っても、これ以上の追求はしません。どうか、同じ事が起こらないよう、今日の事を覚えていてください。それだけです」
それだけを言うと、ルズナはペコリと頭を下げ、シャーリーを連れて自ら運転してきた土竜の馬車に乗り込む。
「……航大。お城に帰ったら少しだけお話をさせてください。来てくれますか?」
「……あぁ、シャーリーが呼ぶのなら」
土竜が引く客台に乗る直前、シャーリーは航大に言葉を投げかける。
数時間前は城下町を歩き、あれだけ話をしたと言うのに、この瞬間の短い会話を航大は酷く懐かしく感じた。それくらい、この数時間は密度が濃い時間を過ごしたということであり、全てが終わったことに航大は安堵の溜息を漏らす。
シルヴィアも一緒に回収した土竜の馬車は物凄い速さで四番街から遠ざかっていく。
「ふむ……まぁ、何はなくとも無事で終わったようで何よりだ」
「……シャーロック」
「今回の召喚は中々、難しい場面もあったが探偵として事件を解決に導けたのは良きことであるな」
「今回の召喚?」
「……私は英霊だ。何も、君にだけ特別で召喚されている訳ではない」
「それって……俺以外にも召喚者が居るってことか?」
「その問いかけに対して、私は正しい答えを持ち得ない」
パイプを口に咥え、大きく息を吸い込むシャーロック。
パイプの先端から白い煙が浮かび上がってきて、その直後にシャーロックの口からも同じような煙が吐き出される。
「召喚者はいる。しかし、それがこの世界に居るかは分からない。そのため、私が次に呼ばれる場所は別の世界かもしれない」
「別の世界……」
「もしかしたら、また君に召喚されるかもしれない。もしかしたら、同じ世界であっても、英霊を召喚する力の持ち主が居るのだとすれば……次会う時は敵同士かもしれないな」
目を閉じて息を吐いたシャーロックの声は重苦しいものだった。
「この身体……依代は中々いいものだった。私も願わくば……再び君の元へ現れ、力になりたいと願うよ」
「俺もあの名探偵……シャーロック・ホームズと敵対するのはごめんだな」
「ふふ、そう言ってもらえると私も少しは自分の力に自信が持てるというものだよ」
航大の言葉にシャーロックは楽しげに顔を歪ませた。
しばらく名前を呼んでいなかったが、目の前に居るのは少し紫が混じった白髪が特徴的な『ユイ』と航大が名付けた少女である。
しかし、今この瞬間だけは……そんなユイの面影に確かな英霊シャーロック・ホームズを感じる。
「さて、どうやら時間のようだ」
「あ、そうか……ずっと、このままって訳にも行かないしな」
「これ以上の憑依は君にもこの少女にも負担が大きすぎる」
「今は大丈夫でも、憑依を解いた瞬間に君にも大きな負担が襲いかかるだろう」
「またアノ感覚か……」
シャーロックは幾分、表情を柔らかせて頭上に広がる満天の星空を見る。
「少年。一つだけ忠告しておこう」
「忠告?」
「これから先、君はこの異形の力を用いて戦うことになるのだろう。しかし、英霊を召喚するということを、よく考えて力を行使して欲しい」
「どういうことだよ?」
「英霊を召喚するには、それ相応の負担を強いるものだ。あまり多用すれば……いつか限界がくるかもしれない。そういうことだ」
「限界……」
「まぁ、それはずっと先の話かもしれないし、明日の話かもしれない。私も英霊として力を行使することで依代に負担をかけている自覚があるから言えるのだがね」
「ユイは大丈夫なのか……?」
「この少女はよく出来ている。すぐにおかしくなることはないだろう」
もしかしたら、今この瞬間にもユイに多大な負担を強いているのではないか……そんな不安が航大の脳裏によぎるが、その心配はまだ早いとシャーロックが言葉を投げかけてくる。
「私から言えるのはここまでだ。さらばだ、少年。また会おう」
伝えたいことは伝えた。そう言わんばかりにシャーロックは満足げに声を漏らすと、その身体を光の玉に変えて、ユイの身体からその存在を抹消し始める。
「シャーロックッ! 本当にありがとう」
「いやいや、こう見えても私は探偵だ。困った人間を救うことが仕事であり、お礼なんていらないのだよ」
最後にチラリと航大を見てシャーロックは頷くと、それを最後の言葉にして光となって異世界の夜空に消えていった。
「――うッ!」
シャーロックが完全にその姿を異世界から消失させるのと同時に、航大の身体を尋常じゃない喪失感が襲ってくる。
これは初めて英霊召喚をした森の中で感じた感覚と同じものである。
「……航大、大丈夫?」
「ユイ、か……お前こそ、大丈夫か?」
「……私は大丈夫。でも、航大が苦しそう」
「すまない……ちょっと眠くてね……俺はちょっと寝るよ」
「……うん。おやすみ、航大」
立っているのもやっとな航大の頭をユイは優しく撫でてくれる。
頭を暖かい指がすり抜けていく感覚が心地よくて、航大はゆっくりと意識を手放した。
それから次に目を覚ますのは翌日のお昼になるのだが、航大は異世界にきて初めて心から体を休めることができたのであった。
◆◆◆◆◆
星空が輝く夜空の下を、少女は歩いていた。
少女は一人ではない。
背中には安らかな寝息を立てる少年が一人。
自分と同じ背丈はあるだろう少年を背負って、少女は自分の体に鞭を打って歩を進める。
「……こほっ、こほっ」
少女の口からは荒い吐息が漏れる。
全身の節々が痛む。
それでも、少女は少年を安全な場所へ運ぶまで意識を手放すことはできなかった。
唇の端からは一筋の血が溢れる。
しかし、それを拭うことすら少女はしない。
「……私が貴方を守る」
その言葉を紡ぐだけで、少女の体には力が湧いてくる。
それは魔法の言葉。
自分に戦う勇気と踏ん張る力をくれる。
背中に感じる少年の暖かさが少女にとって心地いい。
「……大好きだから」
少女はまだその言葉の本当の意味を知らない。
その言葉が持つそれこそ魔法のような力、感情をまだ完全に理解できていない。
無意識の内に漏れた言葉。
少女がその言葉の意味を知るのはもう少し先の話。
今はただ、その言葉を胸の内に秘めて、少女は戦う。
大好きな少年を守るために。
◆◆◆◆◆
「ん……?」
目を覚ます。
眩い光が窓から差し込んできて、航大はその眩しさに声を漏らす。
暖かい。
徐々に意識を覚醒させる航大が最初に感じたのは暖かさだった。
どうやら自分はベッドに寝ているらしい。それも見たことがあるベッドだ。
「そうか、帰ってきたのか……城に」
航大が思い出せる最後の記憶は四番街の教会前。そこでシャーロックと話して、ユイと話して……それからの記憶がない。
「うーん……どうして俺はここに……てか、なんだこの……柔らかい感触……」
「んっ、はぁ……んんっ、ふぁ……」
「――ッ!?」
右手が何かを掴んでいた。それはマシュマロのように柔らかくて、程よく弾力があって、掌の中心に何かの突起物を感じた。
その甘美な感触の正体を知ろうと右方向に首を動かすと、航大の視界は白髪の少女・ユイに埋め尽くされた。
この場で大声を出さなかった自分を褒め称えたい気持ちになる航大。
ユイが一緒のベッドで寝ている。それもお互いの体が触れ合うくらいの至近距離で。
航大は慌てて右手を引っ込める。ユイの存在を認識した瞬間に、自分が先ほどまで握っていた物の存在を理解した航大は、あらぬ疑いをかけられる前にその手を引っ込めたのだ。
「……朝から胸を揉むとは、航大さんも隅に置けないですね?」
「…………」
「おはようございます。王女様がお呼びでございます」
全ては航大の中だけで完結した。
そう安堵したのも束の間、聞き慣れた無感情な声が今度は逆方向から聞こえてきて、航大は全てを忘却して、再び夢の世界へ意識を戻そうと試みるのであった。
◆◆◆◆◆
「はぁ……最悪だ……」
「何故です? 異性の胸を揉めたのだから、航大さんにとっては素晴らしい目覚めのはずですが?」
「それは言わないでください……アレは事故です」
「事故にしては何度も入念に触れていましたね。それは寝ている時から……」
「ルズナさんは一体いつからあそこに?」
「それは内緒です」
朝。目覚めもそこそこに、航大は着替えを済ませて城の廊下を歩いていた。
向かう先は王女が待つ謁見の間である。
何でも話があるとのことで、航大は王女に呼び出されていた。
「航大さんの寝顔はとてもいいものです。可愛らしい少年の寝顔……何度、悪戯をしたい衝動に駆られたか……」
「あの、ルズナさん……俺に何をしようと……?」
「…………それは内緒です」
「ずるいなぁ……」
なんとも不穏な言葉が聞こえてくるのだが、真相は闇の中。
深く聞くのも怖いので航大はそれ以上の追求を辞める。
そんなこんなしていると、航大たちは謁見の間へと到着していた。
「おはようございます。航大」
「おはよう、シャーリー」
謁見の間へと足を踏み入れると、そこにはシャーリーが居た。
いつもの豪華なドレスに身を包み、王女としての格好をしているシャーリーを前に航大は背筋を伸ばす。
「お体は大丈夫ですか? あの後、倒れたと聞きましたが……」
「今は何も問題ないかな」
「よかったです。この度のこと、航大にはお礼をしたいと思いまして……ありがとうございました。おかげで、私は無傷で帰ってくることができました」
「いやいや……お礼なら俺にじゃなくてユイにしてくれ」
「……前も似たようなやり取りがありましたね。それでも、私は航大にもお礼が言いたいのです」
「……どうしてもって言うなら、ありがたく頂戴します」
シャーリーの微笑みに対して、航大はペコリと頭を下げて応える。
「あの日、私は城から出てあらゆる事を学びました。国に住まう国民のあり方、考え方、そして見えた根深い闇についても」
「…………」
「私はあまりにも無知でした。王女である前に自分が住まう国のことを何も知らなかった」
「それは仕方ないことで……」
「いえ、それでも私はもっと自ら知ろうとするべきでした。家臣の言葉を信じ、国民全員が幸せであると、そのことに疑いを持っていませんでした」
幸せ。確かに、この国民の大多数は幸せを感じながら生活をしているのだろう。
それはこの国が今まで築いてきた歴史があるからこそである。
しかし、幸せは全員に平等に与えられているものではない。
シャーリーは今回のことでそれを学んだのだ。
光ある所に必ず影がある。それを王女としてシャーリーは初めて知ることができたのだ。
「私はこの目で見た現実を是正するため、これからの日々を過ごします。これは絶対の誓いです」
「そう思ってくれるのなら、シルヴィアも少しは荷が下りるかもしれない」
「……はい。あの方は今、王国で治療中です。まだ目は覚ましていません」
「……無事なら良かった」
「あの方に関しましては、私たちにおまかせください。私も王女として彼女の言葉を聞きたい……そう思います」
シャーリーの目は迷っていない。
真っ直ぐと己が成すべきことを見据えている。
「そこで、航大にお願いがあるのですが……聞いて頂けますでしょうか?」
「……お願い?」
「我が国の騎士隊に入って欲しいとは言いません。どうか、私を助けてくれませんか?」
「……助ける?」
「私は王女の身……この身で外を気軽に出歩くことはできません。しかし、それでは今までと何も変わらない。私はそれを少しでも変えたいと思っています」
「…………」
「そこで、私の専属の兵士として外の世界を見て、聞いて、感じて……私に伝えてはくれませんか?」
「俺が……?」
「航大は家がないと聞きました。この話を受けてくれるのなら、衣食住は国が保障します。航大の故郷を探して、見つけるまでの間でも構いません。私の力になってくれないですか?」
真剣なシャーリーの懇願。
戦う術を持たない航大に対して、王女として、シャーリーは力を貸して欲しいと懇願してくれる。もちろん、このお願いは航大にだけじゃない、ユイも含めてのお願いであることは承知している。
「俺でいいのか?」
「……航大だからできるお願いです。貴方は二度もこの国のためにその身を捧げてくれました。貴方の……貴方たちの力は本物であると、私は信じています」
無条件の期待が航大には少々重く感じた。
現実世界でもこんなに誰かに期待してもらったことはなかった。
しかし、この異世界では航大の力が欲しいと言ってくれる人がいる。
それはこんなにも嬉しいことであると、航大は初めて知ったのだ。
「…………」
「……ダメでしょうか?」
沈黙を保つ航大にシャーリーはその表情を不安げに染めた。
眉をひそめたシャーリーも綺麗だった。航大は視線をあげてシャーリーの顔を見て、そんなことを思った。
彼女のために、彼女の力になることができるのなら……それはなんて幸せなことなのだろう。
航大の答えは決まっていた。
現実世界に帰るためにも、異世界で拠点を持つことは決して悪い選択肢ではない。
あらゆることを考え、そして航大は答えを見つける。
「光栄です王女様。どうか、私を貴方の兵として……雇って頂けませんでしょうか?」
「……航大」
「っと、こんな感じでいいのかな?」
ちょっと照れ臭さを感じつつも、航大はシャーリーに笑みを浮かべる。
それを肯定と取ったシャーリーの顔にも笑みが生まれる。
「これから、よろしくおねがいします。航大」
「あぁ、こちらこそよろしく」
こうして、非公式ながらも航大は王女直属の兵としての身分を異世界で得ることになった。
これから先、航大はあらゆる地へ赴き、異世界の大きな歯車へと飲み込まれていくことになる。
ここから始まる異世界の生活に心を踊らせる航大。
しかし彼はまだ知らない。
彼の知らぬところで蠢く闇の存在を。
破滅へと誘う歯車は止まることなく、回り続けることを。
彼は運命を変えることができるだろうか。
これは少年と少女が破滅の未来を迎える物語。
破滅の未来に抗う物語である。
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