王様と猫軍


 一条の光が、海原に落ちていく。ティーゲルは眼を見開き、テラスからその様子を唖然と見つめていた。

「目覚めたのか、ムルケ……」 

 自身の声に応えるように、光は輝きを増し海原の流氷を砕いていく。その海中から、勢いよく競りあがってくるものがあった。

 巨大な氷の塔だ。

 エメラルドグリーンに輝く塔が、海から生えてくる。塔は軋む音をたてながら、成長していく。

 ――にあぁああぁあぁああぁあああ!!!!

 そのときだ。王城の中庭から耳をつんざくような猫たちの雄たけびがあがってきた。

「何だっ!?」

 ティーゲルは海から視線を離し、急いで部屋へと戻る。部屋を突き抜け中庭の窓が見える廊下に出たティーゲルは、そこでありえないものを見た。

 中庭を何かがうめつくしている。それは、たくさんのノルウェージャンフォレストキャットだった。

「これは……」

 急いで窓を開け放ち、ティーゲルは窓から身を乗り出す。中庭の猫舎の屋根に1匹の猫がいることに気がつき、ティーゲルは眼を見開いていた。

 その猫の毛色が息子の猫耳と同じ銀灰色をしていたからだ。

 「なぁああああああぁああ!!」

 ――にゃああぁあああああああああ!!!

 尻尾を凛々しくたて猫は大きく鳴いてみせる。その鳴き声に中庭を埋めつくす猫たちが返事をする。

 くるりと小さな頭を動かし、猫はティーゲルへと視線を向けてきた。アイスブルーの美しい眼が、縋るようにティーゲルに向けられる。

「カット……カットなのかっ!?」

 息子と同じ眼をした猫は、ふっと眼を伏せティーゲルから顔を逸らした。猫舎の屋根から中庭の木へと跳びあがり、バルコニーを伝って猫はティーゲルのいる窓辺へとあがってくる。

「なぁ……」

 窓辺にやって来た猫は寂しげに鳴き、ティーゲルに体をこすりつけてきた。

 ――なぁああああああああああぁ……。

 外の猫たちも悲しげに鳴く。

「その方はカット・ノルジャン・ハールファブルその人です」

 凛とした声がして、ティーゲルは後方へと顔を向けていた。癖のついた赤髪の少女が、真摯な翠色の眼を自分に向けている。

 どこかレヴと似た面差しをしたその少女を見て、ティーゲルは思わず口を開いていた。

「アップル……。まさか、アップルか?」

「はい、アップルでございます。レヴ兄様に力の一部をお譲りいただき、兄さまの命でフィナ様を見守っていました。フィナ様に何かあったとき、レヴ兄様の代わりにフィナ様をお守りするよう言われております」

「まさか、レヴに何かあったのかっ?」

「陛下と私を逃がすために、兄様は……。いえ、兄様は無事なはずです」

 アップルの眼が涙ぐむ。彼女は俯き、震える声を必死になって絞りだした。

「にゃぁ……」

「陛下……」

 そんなアップルを慰めるように、猫は廊下に降りたち彼女に体をこすりつける。

「陛下……」

「まさか……お前、本当にカットなのか? ムルケの呪いがお前を……」

 わななく声を発するティーゲルを猫はじっと見あげた。真摯なアイスブルーの眼は、愛しい息子を想わせる。猫はティーゲルから顔を逸らす。猫は隙間の空いた扉から、ティーゲルの部屋へと侵入していった。

「待てっ! カットっ!」

 ティーゲルは急いで猫の後を追う。

 部屋の扉を開け放つと、猫はバルコニーの手すりに座り、じっと外を眺めていた。

 ティーゲルはバルコニーへと走る。その先に続く光景に、ティーゲルは言葉を失った。

 猫がいた。

 バルコニーから見える雪原をどこまでもどこまでも猫が覆っている。何百匹、いや何千匹ともいえる猫たちが雪原に集い、バルコニーの手摺にいる銀灰色の猫を見つめているではないか。 

「にゃあああああああああ!!」

 猫が鳴く。

 ――なぁあああああああああああああ!!!

 猫に応えるように、雪原の猫たちがいっせいに鳴き声をあげる。その声は大地を震わせ、王城にいるティーゲルの足元すらもゆらした。

「カット……お前……」

 ティーゲルの言葉に、猫は真摯な眼差しでティーゲルを見つめ返してくる。

 亡き妻の言葉をティーゲルは思い出していた。

 カットは猫たちとの契約により、彼らの王になったと――

 彼とこの国に危機が訪れたとき、猫たちは力を貸してくれると――

 その言葉が今、現実のものとなっているのだ。

「にゃあ!」

 凛としたカットの鳴き声が室内に響き渡る。その鳴き声にティーゲルは静かに頷いていた。踵を返しティーゲルは颯爽と廊下に出ていく。

 彼は厳かな声で城中の者たちに、命令する。

「誰かおらぬか!? 今すぐにウルを呼べっ! 城にいる者たちは戦の支度をするのだっ! 魔女が蘇った! 戦じゃ! 城に集った猫たちと共に、魔女を狩りに行くぞっ!!」

 



 

 雪原を何千匹という猫たちが駆け抜けていく。

 その様子を、ムルケは氷で形作った水鏡を通して眺めていた。彼女は先頭を行く銀灰色の猫を見つめている。

 鋭い眼差しをその猫に送りながら、ムルケは眼を歪めてみせる。自分の運命を狂わせた王と魔女の息子。その息子が、引き離されていた自分の娘すらも奪おうとしているのだ。

「させるものか……。もう、お前たちの思い通りになる私ではない」

 水鏡の水に手を翳しムルケは笑う。彼女の手から黒い靄が生じ、それは水面へと吸い込まれていった。

「母さま……」

 ムルケを呼ぶ者がいる。愛らしいその人物の声に、ムルケは顔を綻ばせていた。

「どうしたの? フィナ……」

「また……母さまを苦しめる人たちがやってくるの……?」

 ムルケの側に立つフィナが、そう言葉をかけてくる。フィナの眼は虚ろで、光を宿していない。

 そして彼女は雪原を想わせるドレスではなく、漆黒の衣服に身を包んでいた。腰には、直刀が下げられている。

「そうよ、でもフィナは私を守ってくれるわよね……」

 愛しい娘を抱き寄せ、ムルケは彼女の耳元で囁く。

「えぇ、母さまを守るわ……」

 色を宿さない眼を細め、フィナはムルケに笑ってみせた。





 雪原を猫の大群が駆け抜ける。その猫たちを守るように、馬と猫橇に乗った兵たちが猫たちの周囲を取り囲んでいた。

 その先頭には雪のように煌めく銀灰色の猫がいる。

 カットはアイスブルーの眼を鋭く細め、雪原の遠方にある氷の塔を睨みつけていた。

 駆けるカットの速度があがる。

 去り際に見せたレヴの笑顔が脳裏を過る。そしてムルケの手に落ちたフィナの姿も。

 フィナは言っていた。

 魔法は、他者のためにしか使えない。

 そして、ムルケの封印を解いてしまったのはきっと自分に違いないのだ。

 ずっとカットは思っていた。フィナをムルケに会わせてあげたいと。

 ――ここに、母もいたらいいのに。

 フィナのこの言葉を聞いた瞬間、その思いは明確なものになった。

 フィナをムルケに会わせたい。

 そう思ったとたん赤いオーロラが現れ、ムルケが自分たちの眼の前に姿を現したのだ。

「カット、止まれっ!」

 後方から、ティーゲルの声が聞こえる。

 カットの正面で、地面が盛りあがる。そこから巨大な氷の大男が姿を現した。

 手に持った氷のこん棒を巨人は振り下ろしてくる。カットは大きく跳躍し、巨人の腕を伝ってその体をかけあげっていく。

「息子の邪魔をするなぁ!!」

 ティーゲルの怒声が響き渡る。後方へと振り返ると、馬に乗り大剣を振るうティーゲルが、巨人の足首に斬撃を食らわしている最中だった。

「足だっ! 巨人たちの足を狙えっ!!」

 ティーゲルは巨人の足元を馬で駆けながら、周囲の兵たちに叫ぶ。巨人の頭にのぼったカットは、ありえない光景に言葉を失っていた。

 雪原から氷の巨人が無数に生えてくるではないか。それらはゆったりとした足取りで、こちらに向かっている。

「カット! 走れっ!!」

 ティーゲルが叫ぶ。それと同時に、カットが登る巨人が軋んだ音をたてながら倒れ始めた。

 ティーゲルが巨人の足に何度も斬撃を食らわせ、片足を折ったのだ。カットは巨人の頭から跳躍し、雪の大地へと着地する。

「にゃあああああああ!!」

 目の前に迫る巨人の群れに怒声を叩きつけ、カットは全速力で駆けだす。

 ―――にゃああああああああああぁああああ!!!

 カットの後方を走る猫たちも、雄叫びをあげてカットに続く。

「猫たちに後れをとるな!! 我らが王を守るのじゃっ!」 

 ――うおぉぉおおおお!!

 ティーゲルの掛け声に兵たちは大きく叫び、猫たちに続く。

「にゃあ!!」

 カットが鳴く。瞬間、カットの体は淡い輝きに包まれた。巨人たちの前方に氷の壁が立ち塞がる。突如として進路を塞がれた巨人たちは、壁にぶつかり倒れていく。倒れた巨人たちの体を猫の大群が駆け抜ける。

 氷の壁を出現させたことにカットは内心驚きを覚えていた。いままで、こんな思い通りに魔法を使えたことなどない。

 それがなぜ――

 ――愛する人のためにしか、魔法は使えないそうです……。

 フィナの言葉を思い出し、カットは眼を見開いていた。

 ヴィッツは愛する人を守るために、カットを猫の王様にしてくれたのだ。

 そして自分には、たくさんの猫たちがついている。

 びんと猫耳をたちあげ、カットは雄たけびをあげる。

「にゃああぁあああ!!」

 体制を立て直した巨人たちがカットに襲いかかってくる。振り下ろされるこん棒を俊敏な動きで躱し、カットは海に佇む塔に向かって駆けていく。

「かかれぇっ!! 巨人どもを根絶やしにしろっ!!」

 迫りくる巨人たちに馬に乗った兵たちが襲いかかる。彼らは巨人の足元に絶えず攻撃を加え、1体ずつ巨人の体を倒していく。

 カットを先頭に、一行は教会の建つ丘へと迫る。そこでカットは、足をとめていた。

 丘の上に建つ教会が、無残な廃墟と化していたからだ。






 ムルケによって燃やされたのだろうか。

 教会は崩れ去り、炭化した柱や梁がいたるところに散乱している。その教会の前方に動くものがいることに気がつき、カットは全速力でそれに向かっていた。

 走るにつれ、それが猫に戻ったレヴだと分かる。艶やかな赤い毛はところどころ焦げつき、レヴはぐったりと横たわっていた。

 そんなレヴにカットは鳴き声をかけていた。

「にゃあ!!」

 レヴの腹に前足を置き、体をゆすってみせる。だが、彼はぴくりとも動かない。

「にゃあ……」

「うるさいですよ、陛下……。あなた人間でしょう……。なんでにゃあとしか言えないんですか?」

 うっすらと眼を開け、レヴが言葉を返してくれる。

「にゃあ……」

 そんなレヴの頭をカットは優しく舐めていた。これだけ嫌味が言えるなら、大丈夫そうだ。

「それよりすみません……。守れませんでした……」

 そっとレヴが頭をあげ、焼け落ちた教会へと眼を向ける。レヴが視線を向ける方向を見つめ、カットは眼を見開いていた。

 そこには、無残に壊されたヴィッツの墓石があった。フィナと共に墓石に飾ったブルーベリーのドライフラワーが砕けた墓石の周囲に散乱している。

「俺がとどめを刺されそうになった瞬間、突然教会に落雷が落ちてきて……。気がついたらこうなっていたんです……。本当にすみません……」

 レヴがよろけながらも体を起こす。カットはそんなレヴを残し、覚束ない足取りで砕けた墓石へと向かっていた。

 肉球に柔らかな感触を感じ、カットは立ちどまる。地面に顔を向けると、前足がブルーベリーのドライフラワーを踏んでいた。

 自分がこの花を差し出すたびに、笑顔を向けてくれたヴィッツのことを思い出す。きっと彼女はレヴを守るために、この墓に残していた魔法を使ったに違いない。

 フィナは言っていた。

 ヴィッツはムルケの封印が解けないよう、ここに葬られたと。ムルケを封じ込めていた力は、もうこの場所には残っていないことになる。

 眼を鋭く細め、カットは崖の向こうに広がる海原を見つめる。海原の遠方に聳え立つ氷の塔に、ムルケとフィナはいるに違いないのだ。

「行きますか? 囚われのお姫様を助けに」

 レヴの声が後方から聞こえ、カットは顔を向けていた。人の姿になったレヴが、得意げな笑みを浮かべ氷の塔を見つめている。

「にゃあ!」

 レヴの言葉にカットは力強く鳴いていた。

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