ウリモノ
「脱げよ」
当たり前のように健一が言って、私はそれに従った。
場末のラブホテル。空色だった筈の壁紙は、飲料水だか体液だかが所々に飛び散って浮き出たシミが清潔感を完全に否定している。 それは建物自体が発する一種の自己否定のような気がして、私はそのシミを見詰めた。
「早くしろよ。時間ないんだろ?」
壁を睨み付ける私の背中に健が問う。時間は誰にでも平等にある。でも、それを操ることは誰にも出来ない。時間は、どこかに意味もなく蓄積されていくだけだ。蓄積された時間が頭の中で石化すれば記憶になり、風化すれば消えて無くなる。私に都合の良い時間が記憶になれば幸せだが、現実の世界は不都合なことばかりが石化させて記憶に成っていく。そして、この瞬間も間違いなく硬く凝固して私の記憶になる。
「いつからだよ……」
健の声は沈んでいる。それは、怒鳴り散らし暴れまわった後の徒労感と言うよりも、怒りを絶望が侵食したからのように思える。当然だ。私は振り返ることさえ出来ずに壁のシミを見詰め続ける。健に平手を張られた頬が微かに疼いたが、表面的に貼り付いた痛みより今現在の健の心が感じている痛みを想像して胸が張り裂けそうに痛んだ。
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