第6話『ふたりのとき』(新6話)

 外に出ると、ニヤニヤした顔のレイジが立っていた。

 ミサキはもう、マキと一緒に筐体きょうたいの横の落書きコーナーにいるらしい。

 2人の楽しそうな声が聞こえてくる。


「後で撮影データをダウンロードしたら、写真にして渡してやるから」


 ってことは、2人だけの撮影も写真になるの!?


 不意に先程の撮影、そしてミサキの微笑みが頭に浮かび顔が熱くなる。

 そんな僕に気付いたのか、レイジは顔を更にニヤニヤさせた。


「なんなら告白の手伝いをしたっていいんだぜ?」

「な、なに言ってんだよ!

 前に、そんなんじゃないって言ったろー!」


 恥ずかしさから、声が大きくなっているのが自分でもわかる。


「それに、俺はまだ免許だって持ってないんだって!」

「気にすんなよ。そんなの、告白した後に取りに行けばいいじゃん」


 レイジは軽く笑う。


「今日だって、他の人からしたら付き合ってるように見えてるかもしれないし」

「な……に……!?」


 付き合ってるように見える!?

 僕とミサキが!?


「もしかしたら、ミサキは待ってるのかもしれないぜ?」

「そ、そ、そ、そんなわけないだろ!」


 だめだ、落ち着け!

 ハートは熱く、心はクールに!

 ……って、違う!

 ハートは熱く、頭はクールにだ!


 不意に、さっき調べたデートの意味、初めてのキスという言葉が頭の中をぎる。


 もし……

 レイジの言ってることが正しかったら……




 ――僕は、くるりとレイジに背を向けた。


「お、おい?」


 慌てるレイジを、片手で制し歩き出す。

 目指すは、落書きコーナー。

 ミサキの元だ。

 僕は、輝く風を纏まとって軽やかに歩を進める。


 程なくして、筐体横にある落書きコーナーの前に立った。

 そこは、ビニールカーテンが外界を拒むかのように、ガッチリ閉じている。

 何人たりとも立ち入ることのできない、不可侵の領域。


 だけど、そんなものは問題じゃない。

 この向こう側に、ミサキがいる!

 それが全てだ!


 僕が手をかざすと、カーテンはゆっくりと開いていく。

 淡い光に包まれる落書きコーナー。

 そこには、こちらを見ているミサキとマキがいた。


「マキ……ちょっと外してもらえるかな?」

「わかったわ」


 マキは僕の言葉に従い、外に出る。

 入れ替わりに、僕はミサキの横に並んだ。


「待たせたね」

「うん、待ってた……」

「そうか……」


 目の前のミサキは、胸の前で指を組み、悲しげにうつむいている。

 僕は、優しく彼女のあごに手を当てると、くいっと上を向かせた。


「じゃあ、僕はお詫びをしないといけないね」


 そう言って、僕はミサキに唇を近付ける。

 だけど、ミサキは僕から逃れるように顔をそむけた。


「ダ、ダメだよ。マキちゃんやレイジくんたちに見られちゃう」

「そうか……それなら」


 僕はパチンと指を鳴らす。

 すると、今まで開いていたカーテンが、大きな音を立てて一気に下りた。


「これでもう、外からは見えないよ」

「ガク……」

「ここはもう、僕たち2人だけの空間なんだ」


 ミサキの頬に、優しく手を当てる。

 彼女も、僕の手の上に自分の手を重ねた。

 心なしか、その瞳はうるんでいるようにも見える。


 ゆっくりと、近付いていく唇。


「ダメだよ……2人が外にいるんだから」


 ミサキは言う。

 だけど、今度は僕の手から逃れることはなかった。


「いや……」

「大丈夫、僕に任せて」

「ダメ……」


 そして、2人の唇と唇が触れ――




「――嫌だって言ってるでしょう!!」

「はいっ、すみません!!」


 不意に響いた否定の怒声に、僕は反射的に謝った。


「って、あれ?」


 幸せ妄想から覚めた僕を、隣のレイジが笑う。


「なんでお前が謝ってんだよ」

「あ、あれ? レイジ? あれ?」


 状況が飲み込めない僕に、レイジはエレベーターの乗降場エレベーター・ホールを指差した。


「あの女の人が言ったんだぜ?」


 レイジが指し示す先。

 そこには言い争いをしている、20代くらいの男女の姿があった。


 ああ、よかった。

 ミサキが言ったんじゃなかったんだ。


 ミサキではなかったこと、そしてレイジに妄想がバレなかったことに、ほっと胸をなでおろす。


「あなたは、浮気してたんでしょ!」


 そんな僕の前で女性は叫ぶ。


「浮気……」


 つぶやいた僕に、レイジが小声で答える。


「浮気は、よそ見恋愛の禁止にあたり、安全恋愛義務法違反なんだぜ」


 言われた男性は、周りの目を気にしているのだろう。

 あわわわわ、という感じで口を開いた。


「そ、それで気が付いたんだ!

 俺にとって、お前は大切な存在だったって!」


 だけど、女性はそれを鼻で笑う。


「その言葉、あの女にも言ったでしょ! なら、向こうの人と仲良くすればいいじゃない!」

「ち、ちがうって! 俺は、お前とやり直したいんだ!」

「やり直したい?」


 そこまで言って、女性は大きくため息をついた。


「やり直したいって……あなたは今、60日の免停期間中でしょ!」


 免停――恋愛免許証の停止処分。

 恋愛法違反によって受けた点数が、ある一定の基準まで溜まった場合に執行される行政処分だ。

 これにより、決められた期限の間は告白や異性と付き合ったりすることができなくなる。


「ちなみに、恋愛免許証に設定してある限界15点を超えると、免許取り消しになるんだぜ」

「よ、よく知ってるね」


 説明するレイジに、僕は驚きの声をあげた。


「俺はこの前、免許を取ったばかりだからな。

 勉強したことは、まだちゃんと頭に入ってるんだぜ」


 レイジは、得意げに胸を張る。


「免許なんてどうだっていい!

 俺の気持ちをわかってくれよ!」


 男は、声を荒げて頭を振った。

 もう、周りの目を気にしている余裕はなさそうだ。


「あなただって、私の気持ちわかって!

 あなたとは、もう終わったの!」

「俺はまだ、お前のことが好きなんだ!」

「私は、あなたのことが好きじゃない!」


 エスカレートする2人。

 声は、どんどん大きくなる。

 その声に反応し、いつの間にか周りにはたくさんの人たちが集まっていた。


「何? どうしたの?」

「あら、奥さん。あの男、浮気で免停中なのに、やり直したいんですって」

「しかも、今は一方通行違反までしてるのよ」

「それはマズいわよねぇ」

「浮気相手だって、5、6人はいそうじゃない?」

「確かに、手当たり次第に声をかけそうな顔をしてるわ」

「もう、犯罪よね」


 僕の隣で、奥様たちが勝手に騒ぐ。

 本人たちはヒソヒソ声のつもりなんだろうけど、それはかなり大きな声になっている。

 その証拠に、ほら。

 当事者の男が、怒りの形相でこっちを見てる。


 あ……

 か、勘違いしないで!

 僕は、この奥様方とは無関係だからね!


 心の中で男の人に叫ぶ。

 その想いが通じたかどうかはわからないけど、男はまた女性に向き直った。


「信じてくれって!」


 身振り手振りで、気持ちを伝えようとする男。

 だけど、女の人は首を横にしか振らない。

 話は平行線のままギャラリーだけが増えていき……


「そこまででお願いします」

「これ以上は、他のお客様の迷惑になりますので」


 遂には、警備員たちも駆けつけた。


「な、なんだよ、お前ら!

 ちょ、放せって! やめろよ!」

「お客様がおやめください」

「ひとまず、事務所に連れて行こう。

 無免許恋愛の現行犯だし、警察の方にも連絡しておいてくれ」


 複数の警備員にがっちりと抑え込まれた男は、抵抗むなしく退場となる。

「や~めろ~」という声が、どんどん遠ざかっていき……

 やがて聞こえなくなった。


 その様子を見ながら、レイジが静かに口を開く。


「俺……、お前に告白しちゃえって言ったけど……

 やっぱ、ちゃんと免許取ってからにした方がいいと思うぜ……」

「うん……俺もそう思うよ……」


 まだその場にいる人々、そして警備員を見ながら、僕はそう答えた。




 程なくして、ミサキとマキが僕たちの元にやってきた。


「何かあったの?」

「人が、たくさんいるね」

「うん、ちょっと……大きなトラブルがね」


 僕の言葉に、2人は首を傾げる。

 そこに、レイジが割って入ってきた。


「落書きは終わったのか?」

「うん、ばっちり!」


 その質問に、マキは笑顔で答える。


「そっか。じゃあ、フードコートに行こうぜ。俺、喉が渇いた」

「あ、私もちょうど飲み物がほしいと思ってたんだ」

「だろ? よし、行こうぜ!」


 レイジが皆を促して歩き始める。

 僕たちも、その後についていく。


 さっきの男の人……

 恋愛法違反だし、女の人も迷惑してたし、警備員に連れて行かれちゃったし……

 ああはなりたくないと強く思う。


 でも、あれだけ真っ直ぐに自分の気持ちを伝えられることは、羨うらやましいって思う僕もいたりする。


 後ろを振り返る。

 エレベーターの乗降場エレベーター・ホールにはもう人混みはない。


「梨川くん、どうしたの?」


 そんな僕に気付いたのか、隣のミサキが声をかけてくれた。


「いや……なんでもないよ」


 僕は笑顔を作ってそう答える。

 ミサキも安心したのか、微笑みを返してくれた。


 もし、僕が免許を取ったら、あんなに素直に想いを伝えることはできるのかな……

 そんな勇気はあるのかな……


 そして、ミサキはその想いに応えてくれるのかな……


 答えの出ない問いに、胸の中が苦しくなる。

 僕は、ミサキに気付かれないように、1度だけ大きく息を吐いた。






 後日、レイジが約束通り撮影データを写真用紙にプリントアウトして渡してくれた。

 こういうところ、マメだよな……


 6枚の写真の中には、例のミサキと2人だけで写ってるものもある。

 それは、マキが気遣ってくれたのか、それとも時間がなかったのか。

 背景は設定されていたけど、落書きは何もされていなかった。


「パスケースにでも入れて、毎日持ち歩けよ」


 笑うレイジ。

 もちろん、そんなことできるわけがない。

 なので、自室の机の横の壁に取り付けた、コルクボードに貼ることにした。


 2人だけの写真。

 そこに写る、緊張した表情の僕。

 隣のミサキは優しい笑みを浮かべ、指でVサインを作っている。


 僕は、そのミサキに向かって、そっとVサインを繰り出した。

 Vにした指の隙間から見えるミサキの顔。

 それは、とても輝いて見えたんだ……

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