第3話 協力体制への賭け

 ユミルと呼ばれる巨大人型金属異生体と人類が始めて接触したのは、公式の記録では約五年前。接触による結果、人類に対する敵対勢力と断定された。そのため、地球圏連合は既存の機動兵器にて迎撃を行う。

 それに対し、月経済圏はギガステスと呼ばれるを実戦投入して共同で迎撃を行った。

 ユミルは月を橋頭堡きょうとうほとし、地球へ侵攻する兆しを見せていたからである。このときばかりは、地球と月は反発することなく連携して戦闘を行った。

 結果は、相手の数に対し地球圏連合の既存の機動兵器が著しい被害をこうむったのに対し、ギガステスの損耗率は比較にならないほど低かった。

 その戦闘結果から、ギガステスはそもそもユミルの知覚になんらかの欺瞞ぎまん効果が存在し、ユミルの攻撃頻度及び攻撃精度が低下するという事実が発覚した。

 地球圏連合は対ユミルの方策として当初、ギガステスの独自開発の手段を模索した。月経済圏に技術開示を要求すれば、当然その見返りを要求されるからである。政治的な交渉材料を月経済圏に与えないため、地球圏連合の抵抗だった。

 結論だけを述べると、その研究は有意義ではあったものの、ギガステスの独自開発は完全に頓挫とんざした。ギガステスの内部構造に関しては、地球圏連合の技術ではブラックボックスとなる部分があまりに多く、ノウハウの蓄積量も違いすぎた。仮にそれらの解析が終了するとして、ギガステスを実戦投入可能とするまでの時間も考慮すれば、あまりに無謀な挑戦だった。

 結局、地球圏連合は苦渋の決断として月経済圏にギガステスの技術開示を求めた。見返りとして、月経済圏や各コロニー群の自治権限の改善がなされた。

 これにより、ようやく月と各コロニー群は実質的な独立へ向かいだしたのだ。

 それがユミルと呼ばれる巨人、金属異生体との戦いによってもたらされたというのは、実に皮肉な話ではないだろうか。


 とはいえ、地球圏連合の為政者のみならずとも、勘がいいものは疑問に思っただろう。なぜ月経済圏は、対ユミル用の機動兵器を開発出来たのか。

 

 そして、その開発に必要な技術や研究はどのようにしてなされていたのか、と……

 その答えは、一介の民間軍事会社に過ぎないはずのハインラインにあったのだが、そのときはまだ月経済圏の極一部の人間しか知らない事だった。




 ハインラインが要する航宙巡洋艦・ヘカテーは、書類上は月経済圏が保有を許されている艦数の上限に達しようしていため、型落ちした巡洋艦を民間軍事会社へ売却した……ということにされている。

 実際にはハインラインからの技術提供の見返りとして、月経済圏の方から試験的に先行する形で新造された巡洋艦の中の一つを、気前がいいことに型落ち艦とほぼ同額で提供されたのだった。

 とはいえ、これから増産される予定の新造艦をそのまま使っていれば、当然ハインラインがなぜ軍の新造艦を入手出来たのか疑われるわけで、少なくとも外装には擬装を施す必要があった。

 それでも、月経済圏の最新技術が導入された新造艦をそのまま購入するのに比べれば、十二分に格安だったと言っていいだろう。性能面も勿論申し分ない代物であり、ヘカテーはハインラインの旗艦として機能していた。

 今回演習場所に向かうのは、そのヘカテーを用いての航行である。

「これ、本当は巡航速度重視の高速戦闘巡洋艦なんだろ? なんで地球圏連合の標準配備艦と横並びで進んでるんだ」

「標準配備艦といっても近代改修が続けられている名艦、トリスタン級だぞ。それを悠々と追い抜いていける航行速度が出しちまった時点で、この艦の出自が疑われちまうよ」

 マヌエルは一応そうセレーネに釘をさしたものの、決して自身も完全に納得しているわけではないらしい。せっかくの新造艦だというのに、ほとんどの場合はその性能をフルに発揮させられない状況だというのは、彼にとってもやきもきすることではある。

 とはいえ、自分で言ったように最大出力で運用すれば、それだけで疑いの目で見られるほどの性能がこの艦にはある。それ故の制約だと考えると、皮肉を感じることも度々あった。

「そういえば、地球圏連合の方は艦艇をあまり新造しないようだな」

 その分近代化改修の方は、それなりの頻度で行っているようだが。とはいえ、基本設計そのものを抜本から変更しない限り、月経済圏の艦艇のように劇的な性能の向上は望めないだろう、という疑問をセレーネは感じていた。

「地球圏連合の艦艇は基本巡航速度よりも、上、艦隊規模で動くことの方が多くてな。そうそう艦艇を新造させられんのさ。新造艦を造ったところで旧造艦が混ざると、結局遅い方に合わせなくちゃならないしな」

 その攻撃性能は対艦巨砲主義から来る発想ではなく、やはり駐留艦隊が場合によってはコロニー群や月の施設などを攻撃することさえ、視野に入れていることの証左なのだろう。

 月経済圏に居住する者にとっては、気持ちのいい話ではなかった。




 一方のワイオミング・ノイマン中佐・L1コロニー駐屯艦隊副司令も、トリスタン級L1二十二番艦ルビジウムにて、並走するハインラインの旗艦ヘカテーについて考察していた。

 ワイオミングはまだ二十代後半である。中佐という階級の割には、非常に若い方だ。士官学校のときから成績優秀であり、周りから地球圏連合軍の幹部候補として、将来を嘱望しょくぼうされていた。

 本人の方は、駐留艦隊に配属された当初から地球圏連合の政策を疑問視していた上、出世には興味がない性格と遠慮がない発言が原因となって、転属させられた訳なのだが。左遷同然のその人事を、当人は全く気にしていない。

「あの艦……老朽艦を改修したと記録にはあるが、本当にそうなのかな」

「記録上はそうなっていますし、特に疑わしい点もありませんが」

「ふうむ……」

 部下の返答に対し、考え込む。疑わしい点はないというが、ワイオミングが見る限りでは、むしろ老朽艦を近代化改修したというよりは、新造艦に擬装を施したのではないのか、という印象の方が強い。

 とはいえ、それ自体は別に構わない。L3宙域にいた頃ならもう少し別の感想を抱いたのだろうが、L1宙域は月表面に近い場所なのである。ユミルとの戦闘行動に限らずとも、なにかあれば月経済圏の民間軍事会社などを頼る機会もある。

 ハインラインは今やそのPMSCの筆頭だ。その会社の戦力を削るような行為は、必ずしも利益とはなりえない。

 むしろワイオミングが問題視したのは、部下の興味がないというよりは、そのようなことは瑣末なことでしかない、と言わんばかりの態度の方である。

(L1及びL2宙域は他のラグランジュポイントより中立派が多いと聞いていたのだが……その割には、月勢力圏側の戦力にはほとんど興味がないのがね)

 おそらく、自分たちこそが職業軍人であり、民間人などを防衛するかなめだという自尊心なのだろうが……本格的にユミルの侵攻が行われた場合に、自分たちだけで月やL1コロニー群を防衛出来るとでも思っているのか。

(そんなことは不可能だ。それを分かっていながら、自尊心からそのことに目を背ける……その代償が、自分たちの命だけで済めばいいほうだと、自覚しているのかな?)

 L1コロニー群にかぎらず、全てのコロニー群の駐留艦隊は地球から派遣された防衛戦力とは名ばかりで、その実体が各コロニー群の反乱分子の抑制を主にしていることは、すでに周知されていることだ。

 ただ、それでいて各駐留艦隊の戦力も、地球圏連合からはある程度抑制されている。地球圏連合からすれば、派遣した駐留艦隊が反乱を起こした場合の危険を考慮せざるを得ないのだろう。クーデターを防ぐためだと考えれば、それ自体は妥当なことだ。


 だが、今は全人類と敵対する勢力であるユミルの存在がある。

 だが、この期に及んでなお地球圏連合は、各駐留艦隊の戦力増強を許そうとしない。月経済圏の方は僅かに保有可能な戦力の増強が認められたが、地球圏連合は自分たちの立場を守ることに固執している。


(そのような状況で、駐留艦隊だけでユミルを殲滅するなど、土台無理な話なんだ……月経済圏やコロニー群と駐留艦隊は、もはや共同でユミルに対抗するしか方策が残されていない)

 だが、比較的月に近い宙域の駐留艦隊の者たちでさえ、自分たちが共に戦うコミュニティなのだという意識を持てていない。これでユミルに対抗せねばならない駐留艦隊の副司令に就任したところで、なにが出来るというのか。

 それ以前の問題が山積みなのである。ワイオミングは頭を抱えていた。


 ハインラインのCEO、マヌエルの方から彼に接触を図ってきたのは、彼にとって予想外だが嬉しい誤算だった。ワイオミングはハインラインと協定を結ぶことで、月経済圏からも協力を得られるのではないかと考えていた。

 マヌエルは、意外にもそのワイオミングの考えを知った上で、その意図を快諾してくれたようだ。彼自身も、地球圏連合駐留艦隊との繋がりを欲していたのだろう。

 月経済圏だけの戦力では、ユミルには対抗出来ない。駐留艦隊も同様である。両者が協力するべきだと考えていたのは、ハインラインも同様であったのだと理解して、ワイオミングはそれを素直に喜んだ。


 今回は、その両者の思惑による模擬演習である。こちらのアグレッサー部隊は腕は確かなのだが、その分自尊心が強く月経済圏の民間軍事会社とは特に協調性に欠ける。

 月経済圏のギガステスに対する忌避感も、ワイオミングにとっては頭の痛い誤算だった。L1宙域は地球より月経済圏の方が近いのである。今は地球圏連合が独自開発した実用レベルのギガステスは存在するが、それの補給経路がそもそも長距離なのだから、補給が滞りがちなのは明らかなのだ。

 第一、地球圏連合はより地球に近い部隊へ補給を優先する傾向が強い。当然、L1宙域の駐留艦隊が補給まで考慮するなら、月経済圏産のギガステスを一定量配備する方が合理的なのである。

 それすらロクに進められていない現状に苛ついていたが、この演習結果で月経済圏のギガステスとそのパイロットの技量が証明されれば、現状をある程度打開出来るかもしれない。

 ワイオミングはそれに期待していたのだ。


 ハインラインの旗艦たるヘカテーを見て、それは確信へと変わった。ハインラインの技術力と、月経済圏への影響力は本物なのだと。

(鋼の女皇、セレーネとその専用機アルテミス……その実力と技術力、大いに期待できるね。これなら……)


 そして、ハインラインのマヌエルとL1駐留艦隊副司令ワイオミング、両者の思惑が一致した模擬演習が、月の裏側で始まろうとしていた。

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