君の背中を、俺は突き落としたい衝動に駆られながら。 08

「うーん……もう四時半なのに全然本が読み進まない……今日魔法陣を広げるのは図書室でいいよね?」

 席に座ってからの花折はひたすら本を捲り、関係ありそうなページを見つけては集中して読み込んでいる。俺は俺で、中世の歴史本から錬金術関連の記述を探していた。

 申し訳ないが、俺には花折と違ってあの図の正体を知っているというアドバンテージがある。後は“放課後の錬金術師”というキーワードと投稿された記事の内容を読み解いて、“呼び出す”とはどういうことか特定すればいい。 

 刻々と時間は過ぎ行くが成果は全く無く、俺は早々に諦めて背もたれにだらしなく寄り掛かり大きく伸びをした。花折はまだ一心不乱に書物に齧りついている。

「……お前はさ、なんであの投稿に拘るんだ?」

 ここに来て俺は、ついにずっと気になっていた問いを口にした。彼が背にした天井まで届こうかというアーチ型の窓が、あの日のように青すぎる空を切り取っていた事が、俺の口を開かせたのかもしれなかった。

「ん――……今から、すごく意味が分からなくて、思春期だな、青春だな、モラトリアムだなって事を言うことになるけど良い?」

 最初の日の告白のように、否定されることや卑下されることに身構えている大きな瞳。俺が促せば、その薄い唇がやんわりと言葉を成す。

「未散は、生きてる、ってどういう時に思う?」

 殺している時、いや、正しくは殺していた時。

 そう即答しそうになったが、緩く唇を噛み締めて「わからない」と返事をする。

「そう、僕と同じだ」

 花折は何の成分も含まれていない笑みを浮かべた。

「じりじり押し潰されるみたいに、僕は訳も無く何時も焦ってるんだ。いつも頭の中で響いてる。お前はなんで生きてるんだって、お前は一体何がしたいんだって。だから、僕はずっと暴れてるその問いの答えを探してる。この焦燥感が消えるなら、犯罪さえも厭わないって思えた。その位、色んなことを試したんだよ」

 彼は指折り経験したことを列挙していく。

「だけどね、駄目だった。皆と同じスポーツをして、勉強に打ち込んで、皆と同じ漫画やテレビを見て、みんなの好きなアイドルの曲を聴いて、万引きまでして、クラッキングまでしたりして、それでも、何をしても心が落ち着くことなんて無かった」

 僅かに歪む花折の顔を見て、俺は初めて他人に対して悲しい、という感情を覚える。

 別に花折の命が脅かされている訳ではない。生活がままならなくなっている訳でもない。彼の周りは平穏そのもので、放って置けばきっと日々は何事も無く過ぎていく。

 だけど、それは只の生命の磨耗だ。

 どうして学内に溢れる彼等のように、上手く自分を捧げられるものを花折は見つけることができないのだろう。もしくは、彼らのように適度に遣り過ごす事ができないのだろう。

「でも、生きていないと、死んじゃうでしょ?だから僕は生きてるなんて実感も持てないまま、こうして生きてるんだ」

 花折の回答は、前もって宣言されていた通り不親切で独り善がりだった。花折は話しながら冬の湖面のように静かな瞳を細める。

「僕はね、死なないように、生きているんだよ」

 まるで生と死の間は、一駅で行き来できる程度の距離なのだというように笑う。

「俺には、わからねえよ」

 そんな境界の曖昧な生き方。俺は知らない。

 俺が昔居た地獄では、そんな話はする暇も無かった。口にする隙を見せたら死んでいた。

少なくとも俺はあの場所では、生きていたかったから生きていた。死にたくなかったから、必死で生きていた。

 だけど、俺はそれを知っているからこそ、お前のように、ぬるんだ水の中で身を焦げ付かせるような、不快な苛立ちを知らずに済んでいる。

「今こうしてるのも、あの記事を見つけて何となく始めただけだったんだ。もしかしたら、僕が探してる何かはこれなんじゃないか?って思って」

 馬鹿みたいでしょ、と肩を揺らす。

「その癖変な事をして皆から白い眼で見られるのが嫌で、中途半端な事しか出来なかった。そういうの自分がまたすごく嫌いだった。初めて未散と話したあの日、教室でじっと待ち続けて結局何も起こらなくて―――なのに自分の鬱々とした思いなんか全然関係なしに空は突き抜けて青くて――――それで、此処はなんてつまらないところなんだろうって思ったら、涙が止まらなくなったんだ」

 そこで一旦言葉が止まる。逆光となって翳っているのに、花折の瞳はぎらぎらとした光を潜ませている。

「僕はじゃあこれから、どうやって生きていけばいいんだろう、って」

「花折……」

「だけどね!今はすごく楽しいんだ。突拍子もない事を考えて、歩き回って変な事を試して。全然上手くいってないけど、こうしているのがとても楽しい。早く放課後が来れば良いのにって毎日思うよ。未散が僕を見つけてくれて、本当に良かった」

 ありがとう、と笑った花折の睫毛が水を吸ったように重く垂れて見えたが、俺はそれに気付かない振りをして「ああ」とまた曖昧な返事をした。

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