君の背中を、俺は突き落としたい衝動に駆られながら。 06

「加賀君!?学校来てたんだ!!」

 図書室に入るや否やカウンターに居た珠洲さんが大声を上げて立ち上がった。

「図書室ではお静かにですよ、珠洲さん」

 俺がやんわり注意すると今更気付いたのか、珠洲さんは澄ました顔でスカートの裾を正し座り直す。

「だって、加賀君って入学してからこの一年半、放課後来なかったことなかったでしょ?だからてっきり夏なのにインフルエンザにでもかかってるんじゃないかとばっかり……」

「……それはご心配をお掛け致しました」

 俺は頭を掻いて視線を泳がせる。まさか自分を心配してくれる人間がいるなんて考えてもいなかった、と同時にしまったとも思う。次のサイクルを回す際に面倒な事になるからだ。深く関われば関わるほど、俺が卒業を迎えた瞬間に奪われる記憶も多くなる。任務を達成すれば晴れて俺もこの学校を本当に“卒業”できるので記憶の改竄は行われないが、残り七十万冊の消化は今サイクルでは絶望的だろう。

「未散ってそんなに勉強家だったんだ」

 横で花折が目を丸くしていたので慌てて俺は弁解する。釣られて珠洲さんが俺の隣の花折へと視線を移し、何故か目を輝かせる。

「君!名前は?」

「征木です」

 はじめまして、と興味津々で珠洲さんは花折を観察している。

「何の本をお探し?」

「えっと……紋様とか図形とか、中世の化学とかも当てはまるのかな?とりあえずそういう写真や絵が乗っている本を探しに来ました」

「ほうほう……じゃあ二階のX棚の下段にある美術本と、一階のJ―4辺りからの中世の歴史本を舐めてくといいかな」

 検索システムに乗った指を一切動かすこと無く、珠洲さんは的確に棚の場所を指し示す。流石珠洲さん。俺の唯一尊敬する地球人なだけはある。それに花折がオカルト的なものを探す対象に入れていないのも助かった。確実にその棚を漁れば金の麦畑を押し倒して作った、件の魔法陣を見つけてしまっただろう。五十年以上も昔の事だ、その事件自体知らない花折にそこまでの想像力は在るまい。

「ありがとうございます。じゃあ僕二階の棚の本を見てくるね、未散は下の棚をお願い」

「ああ、ついでにボックス席空いてたら押さえとくわ」

 花折が階段を登って消えると同時に、珠洲さんが俺の背をつついた。

「どうしたの~~?加賀君友達なんて連れてきちゃって♪」

「べっ……別に友達じゃないですよ!ちょっと調べ物に付き合わされて……」

「またまた~」

 にやにやと笑う珠洲さんは、無遠慮に睨みつけてくる高岡教員より余程タチが悪い。

「あっ、そういえばさっき返却本の中に紋様関係のあったから、出してきてあげる!」

 珠洲さんはカウンターの後ろに積まれた、返却待ちの本を漁る。

「そういえば模様関係ならオカルト系の棚に地球外文明とかアトランティスの本もあるんだけど、教えてあげた方が良かったかな?」

 どきり、と俺の胸が跳ねた。やっぱり珠洲さんは侮れない、相手の欲しい本を的確に類推するその力はもはや書籍界のコンシェルジュだ。

「そうっすねー必要そうだったら後で俺から花折に言っときますよ」

「むふふ~~下の名前で読んじゃって、友達どころか親友じゃない~」

 珠洲さんの肩が震えている。どうやら俺に友達がいたことが相当ツボにきているらしい。何て失礼な。

 やがて大きく重量感のある本を抱えて珠洲さんがカウンターへと戻ってきた。

「それにしてもさ、加賀君は一人でも平気な人っていうか、一人じゃないと生きていけないタイプの人なんだと思ってたよ」

 対面上に居る俺に、珠洲さんはどう判断すればいいのか悩ましい微笑を向けてくる。

「――どうしてそう思うんですか?」

 自分は今、どんな表情をしているんだろう。分からない。

「だって、廊下で見かけるときの加賀君は、凄く不機嫌そうで、気分悪そうで」

 それで?

「周りの全部に阻害されてるみたいな顔してたから」

 珠洲さんは、俺の手に『世界の紋様全集』を優しく乗せた。

「良かったね」

 そう言って、珠洲さんはもう一度柔らかく微笑んだ。

 これだから、本当に珠洲さんは侮れない。

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