ムキムキと姉

 『ムキムキ』と彫り込まれた壊れかけの木戸を押し開けて中に入ると、からんらんと上部についている鐘が鳴った。




 その音に反応して、室内に屯(たむろ)する厳つい男共が一斉にこっちを見る。全部で二十…五・六人といったところだろうか。入って右手端にはカウンター。余ったスペースには丸テーブルがいくつも置かれ、その上と言わず下と言わずもうあちこちに酒瓶が転がっている。酒場と似た雰囲気だが、ここは決して酒を飲んで酔い潰れるためだけの場所ではない。




 男共の鋭い眼光があたしを捉えた途端、おやとでも言うように一様に訝しげなものに変わる。




「…ん?間違えたのか?オジョウチャン、服屋は隣だぜ」




「間違えてないわよ」




 あたしは肩にかかった髪をふんと払いのけた。




 ここまでは想定内。




 …けどちょっと感心した。




 ここに集う男共は流石に目が肥えている。喋らなければ少年に見間違われがちなあたしのことを口を開く前から女と見破った。




 しかし、女とわかるや否やナメてかかられるのは日常茶飯事。特に、力自慢の男社会の中では。




「おいおい、誰かさっさと追い出せよ。ここがどういうところかわからせてやるのも面白そうだが、怪我してピーピー泣き喚かれたらたまったもんじゃねぇ」




 うんざりしたような声を余所に、あたしはすうぅと息を吸い込むと、その息を腹の底から押し出すように叫んだ。




「愛言葉―」




 男達がぎょっとして、がたたっと椅子から立ち上がる。




 すると、その男達を押しのけるように、奥から一際ガタイのいい男が出てくる。顔面傷だらけで、煙水晶(スモーキークオーツ)の眼鏡をかけている男だ。




「アーサー!」




 誰かが言った。その男の名前のようだった。




 男は名を呼ばれてもそちらに目もくれず、あたしを灰色の眼鏡越しにきつく見据えていた。きつい三白眼が、あたしの力量を押し量るかのように、細まる。




「王(アーサー)とはご大層なお名前ね」




 なめられたらそこで終いだ。あたしはできるだけ尊大に、ゆっくりとそう言った。




 男はあたしの挑発に乗らず、低い声で言った。




「そう言うおまえの名も、一応聞いておいてやろう」




「サラよ」




 あたしが名乗ると、わっと部屋中が男達の下卑た笑い声で満ちる。




「聖母(サラ)とはこりゃあいい!」




「聖母様~ってか!ぎゃはは」




 そう、サラと言う名は、聖母とか聖女とかいう意味がある。あたしには確かに荷が克ちすぎる名前かもしれない。だけど、あたしは母さんがつけてくれたこの名前が大好き。いつか、誰にも笑われることのない、その名にふさわしい人間になる。




 見てなさいよ、馬鹿にしてる奴らども!




「愛言葉ァ!」




 あたしが低く唸るように叫ぶと、再び男たちがざわめき出す。




「まさか!?」




「いや、ハッタリだ!こんな若い女に、出来る訳がない!」




 あたしはそんな男どもを余所に、ぐぐぐと全身に力を入れた。気分はみちみちと筋肉が膨張して、びりっと上半身の服が弾け飛ぶ‐…いやあくまで気分は、よ。気分は。




「筋肉ゥー…」




 あたしが叫ぶと、アーサーと名を持つ目の前の男の顔つきが本気になった。




 何とっ!彼がフゥン!と唸るや否や、妄想のあたしと違って、本当に上半身の服がばりっと弾け飛んだのだ!




「出た!アーサーの十八番(おはこ)!『筋肉大なること山の如し』!」




 興奮しきった野次が飛ぶ。ちょい。ネーミングセンス。




 強制的に半裸を見せられるなんてセクハラも良いところで、あたしは白目を剥きかけたが、ここで我にかえってはいけないのだ。脳ミソまで筋肉になったつもりでやりきらなければいけない。それもこれも全部かわいいかわいいノエルの為よ、しっかりするのよ、あたし!あたしは脳内でアーサーのマッチョにノエルが上品にうふふおほほと笑う画を無理矢理上書き保存すると、どうにか吐き気をやり過ごした。いや、兄弟達の裸なら散々見てるけどさ…。




「ムキ!」




 アーサーが太い声で叫んだ。握りしめた拳をプルルルと微振動させながら肩の上まで持ち上げ、これでもかと鍛え抜かれた上腕二頭筋を見せつけてくる。




「ムキ!」




 しかしあたしも負けてはいない。拳を内巻きに折り曲げると、腹部のあたりで力を籠める。無論、腰は捻りぎみだ。この斜めの角度が大事なのだ。




 ここで間違えてはいけないのは、大切なのは筋肉の量や質ではない、ということだ。もしそう言う勝負、あ、これ勝負なんだけど。そういう勝負…だったとしたのなら、女のあたしが、この筋肉ダルマ達と同じ舞台に立てる訳がない。この場合、重視されるのは、ポーズの角度、形の美しさ、そして溢れんばかりの熱い魂(ソウル)なのだ!




 あたし達は暫く睨み合ったままぴくりとも動かなかった。睫毛の先を焼かれるような、緊張した空気が流れる。視線の下で、アーサーの胸筋がぴくぴく動くのが見える。あらやだ、きんもいわ。




「認めよう!」




 どれくらいそうしていただろうか。アーサーが、いきなり叫んだ。




 それを皮切りに、ううわっと部屋が揺れるほどの歓声が上がる。




「嘘だろ、やりやがった!」




「女でここまでやった奴はいない。認めるしか、無いだろう」




 どこか清々しそうにアーサーが言った。あたしも負けじと胸を張る。




「あんたもなかなかだったわよ」




「偉そうに」




 アーサーはあたしの頭をとん、と小突いた。そう、小突いたんだと思う。しかし考えても見て欲しい。普通の人が「やだぁ~ペしッ」と叩き合う絵は微笑ましくても、筋肉ムキムキの人間がやる「もぉ~ツンッ」は一般人には「ホワタァ!アタタタァ!フォ~!」と同じくらい致命傷だ。…つ、伝わったかしら?




「!?」




 あたしは息を止めて目を白黒とさせた。




 あまりの衝撃に頭部が飛んでいくかと思った…。あたしの頭、そこらへんに落ちてないわよね?




「おうぃ、サラぁ!こっちこいよ。仲間として認めてやるから、飲もうぜ!」




「いや、こっちだ!聖母様なら机を平等にまわるべきだ!」




「ちょっと!あたしは昼間っからあんた達と酒飲むためにここまできたんじゃないのよ!」




 あたしが怒鳴っても、男達はどこ吹く風で益々盛り上がって酒を飲んでいる。




「そうだな。愛言葉は良いとして、本当に出来るのか?遊びじゃねぇんだぞ」




 アーサーが心なしか心配そうに聞いてくる。ここのリーダーっぽいし、見た目に寄らず面倒見はいいのかもしれない。




 まぁ、アーサーが心配してくれるのにはそれなりの理由があるのですよ。




 全国展開しているこの『ギルド・ムキムキ』は、詰まるところ『退治』の斡旋所だ。




 退治するものは、モンスターから害虫、賞金首、果ては要人の暗殺なんてものまで、なんでもござれ。自分で自分の力量に見合った仕事を見つけて、受ける。それを達成すれば危険度に応じた報酬が手に入る、という簡単なシステムよ。




 ただし!仕事を受けるにはキッツイ条件がある。ギルドの仕事を受けようとする者は、次の二つの内、どちらかの方法で以て、その場にいるギルドメンバーに認めて貰わなければならないの。




 一つ、そこにいるギルドメンバー全員を倒すこと。




 普段から賞金首を軽く捻ってる野郎共全員倒すという、それがどれだけ難しいかは、あたしがここでせつせつと語るまでもないでしょう。しかも一対十や二十…大きいところだと百人を相手にするなんて話も聞く。もはやいじめもいいところだ。いじめ、ヨクナイ。それに自ら挑もうなんて、余程のバカか、力自慢でしかあり得ない。普通なら、他の選択肢があればそちらに縋りたいところ、なんだけれど。




 しかし、この『ギルド・ムキムキ』に挑む人間は、九割が無謀と思われる一つ目の選択肢しか選ばない。なぜか。答えは簡単だ。二つ目の選択肢が、とっても…恥ずかしいからなのよ!




 コホン。




 ええ…賢い皆様方なら、もうおわかりね?さっきあたしがやったあのこっ恥ずかしい愛言葉が、その二つ目の選択肢よ。




 あたしは何故かアーサーと共にやったけど、普通はひとりでやるものなので、孤独にひとりマッチョポーズをして精神的に公開処刑という憂き目に遭うか、肉体的にボコボコにされるの選ぶかは、個人の自由。




 でもね、あたしもこう見えて、弱くないんだぞー。そんじょそこらのごろつきぐらいなら軽くノせるんだけどなぁ~。




「本当に大丈夫なのか?」




「まぁ、それなりに腕は立つわよ。アーサーには…どうだろ。敵わないかな?」




 あたしは言った。




 アーサーは、ほう、と言う顔をした。それは悪い顔ではない。あたしが冷静に自分の力量を量って、他人と比べられているのをかってくれている顔だ。




 しかし、あたしは部屋中の男共を見回すと、にやりと不敵に笑った。




「でも!あんたらには負ける気がしない」




「言ってくれるな!」




 血気盛んな男共がまた騒ぎ出したけれど、あたしは素知らぬ顔で流す。




「あたし、病気の弟がいて、その子のためにお金が欲しいの。誰か、何か良い仕事無いかしら?」




「病気の…弟…」




 あたしがそう言うと、それまで思い思いに騒ぎまくっていた男達の動きが一斉にぴたりと止まった。




「あ、いや…ただの風邪なんだけど…」




 しまったと思って訂正したけど、後の祭り。うおーーーっと一気に盛り上がった男共はあたしの言葉なんて聞いちゃいない!




「サラぁ、なんて良い姉なんだ!感動した!」




「いえ、あのぅ、ゴメンナサイ、ただの、風邪…」




「病院にも行けない弟の治療費を稼ごうとは見上げた根性だ!」




 い、言ってない!そんなこと、言ってないぞー!?




 あたしは、ただメロンのために…。




「だから…風邪…」




「ううっ、グスッ、サラぁ…。大丈夫だ、弟さんはきっと治るさ。世界は広い。例え不治の病だとしても、きっと治せる!諦めなければ、道は絶対に開ける!俺が保証するぅ!」




「も、もしもーし?」




 な、泣いているぞあの男…。




 最早話が盛られすぎてよくわからない。




 い、いけない…弟は普通のよくある風邪で、きっと明日明後日にはすっかり治るだろうし、あたしはただメロンを買うための小銭を稼ぐために来ました、…なんてもう絶対、言えない雰囲気だ…。




「おい、アーサー!こないだきたルッペン退治の依頼まわしてやれよ!あれ、ワリが良かったろう」




 一人の男がアーサーに向かって叫んだ。それを聞いてアーサーは渋い顔をする。




 けれど隣の男が、叫んだ男の頭をぽかりと殴る。




「この、アホぅ!ワリが良いってことはそのぶん危ねぇってことだろぉがぁ!アーサー、よしとけ。あれ、表に出してないワケありだろ?しかももうそれは誰かが受けてたじゃねぇか」




「それこそ好都合じゃねぇか!片付けまで全部済んだ頃合いを見計らって、追いかけて横取りしろ!な、サラ!安全だし、いい案だと思わねぇか?」




「いや…さすがにそれは…ちょっと…」




「おういサラ、善人ぶってる場合じゃねぇぞ。ルッペン一匹いくらか知ってるか?」




 丁重にお断りしようと思ったら、隣に来た男がノリノリであたしの肩に腕を乗せ、自慢げに囁いた。




「え、知らない。いくらなの?」




 思わずあたしも興味を惹かれて問い返す。




「金貨一枚」




「金貨、一枚!?」




 頭の中の算盤(ソロバン)がもの凄い勢いで弾かれる。チーン。




 な、なんと!それなら高級メロンが十個は買えておつりもくるではないか!




「しかもこの依頼、何匹いるかは未確認」




「やる!やる、やります、やらせてくださいっ!」




 あたしは思わず叫んでいた。




 いや、まぁね!横取りするしないは別にして、ほら、先に行ってる人のす、助太刀しに行かないと!何匹もいたら一人で倒すのは大変だしね、うん。




「よし、店を出てまっすぐ北東にある森の中だ。追いかけな」




「ラジャー!」




 あたしは自分に言い訳しながら、もう金貨の山が手に入ったつもりで、しまりのない顔で頷いた。

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