第169話 復讐の正当性



 ホランドの王女タチアナをドナウまで送り届ける任に就いたアラタ達は十日ほどかけてアルニアを抜けてリトニアへと入る。国境のジズナ川の戦場跡に立ち寄った一行は、しばし足を止めた。

 戦場で散った者は国に拘らず、堀を利用した穴に埋葬されている。ドミニクも戦利品として武具や装飾品は剥ぎ取られたが、簡単に身体を清められてから、纏めて埋葬されている。

 一応どの辺りに埋まっているかは知っているので、アラタはタチアナや護衛兵を案内して、偉大な王の冥福を祈る彼女の傍に付いている。


「ここで父様は討たれたのか。―――なあアラタ、父様は勇敢に戦って死んだのか。戦士として王として恥ずかしくない最期だった?」


「――勇敢ではあったと思います。ただ、勇敢過ぎて不必要に家臣や配下を死なせると、エーリッヒ殿下やリト――リドヴォルフ=ラインラント殿は怒っていましたよ。そして彼の野心の所為でどれだけ西方の人間が命を落とし、不幸になったのかと憤りました」


 流石に実の娘に父親が落とし穴に落ちて他の兵士の下敷きになって死んだなどとは話せなかったので若干死因をぼかす。


「ドミニク陛下は他国にホランドを馬鹿にされたのが許せず、アルニアを攻め滅ぼしたと話していました。それが配下や彼自身の野心をより大きく膨らませ、覇道へと突き動かした。結果、リトニア、プラニア、サピンを滅ぼし、ドナウにも併合を要求し、手痛い反撃を受け、さらに今回この場で討たれた。全ては彼の行き過ぎた自尊心と多くの人々の野心が生んだ結末です。

 娘の貴女には酷に聞こえますが、殺してるのだから殺されもする。世の中の真理はこの一言に尽きます」


 ドナウとホランドの戦争は一見ドナウの侵略戦争に見えるだろうが実際は防衛戦争に近い。あるいは積極的自衛と言うべきだろう。

 歴史にIFなどありはしないが、もしドミニクがアルニアだけで戦争を止めていれば、このような結果にはならなかったのではと思う。アラタがドナウにやって来た時点で、どの国ももうホランドは完全に滅ぼすか、それに近い状態まで致命傷を与えて弱体化させなければ、自分達が危ういと決断させる状況に追い込んだ結果が今のホランドだった。


「それは―――それは分かっている!私も戦士の娘だ。戦場での命のやり取りに怨みを持ち込むなと教えられ、近しい者が命を落としても、相手を怨むなときつく言われた。だが、だが、私は、この悲しみと怒りをどうすればいい!ユリウス兄様が死んだと聞かされ、今度は父様が居なくなった。この寂しさはどうすれば無くなるんだ」


「無くならないだろうな。ドナウがドミニク陛下を、多くの兵士を殺したのも正当な理由だったが、貴女の嘆きも正当な理由の元に成り立っている。親を失った子の哀しみ、子を失った老いた親の怒り、伴侶を失った妻の喪失感。どれも否定しないし、軽んずる気はない。それは生きて行く上で当たり前の感情だ、むしろ無くしてはいけない」


 父親の眠る墓を前に崩れ落ち、涙を流すタチアナの慟哭に対して、アラタは無慈悲と言えるほど世の無常を突き付ける。彼女のような親や家族を失った者を間近で数え切れないほど見てきた。いや、アラタもまた一度は家族を失った側の人間だ。だからこそあふれ出る感情を失くす事など出来ないと知っていた。


「俺も両親を戦乱で失った。軍人に志願したのも両親を奪った相手への復讐心に駆り立てられたからだ。怒り、哀しみ、憎しみ、そうした感情をぶつける相手がそこにあったから、迷わず戦う事を選んだ。

 それで両親が帰ってくるはずが無いのは分かっていたが、奴等から何か奪い返さなければ気が済まなかった」


「それで貴様は満足したのか。寂しさは無くなったのか?」


 自分と同じ想いを持つ敵国の男の言葉に興味を持ったタチアナは嘆きを止めて耳を傾ける。


「寂しいと思った事は無いが、満足はしていたと思う。戦っている間は常に高揚感があり、楽しくはないが喜びは感じていた。敵を皆殺しにした後は、残りの人生がつまらなくなると思うぐらいには充足感を得ていたな。その頃には戦いと生活が完全にくっ付いていた。

 ただ、その頃には両親の顔も覚えていなくなっていたから、自分が一体何のために戦っていたのか分からなくなったよ。今思うと間抜けな話だ」


 やや自嘲気味に鼻で笑う。自身の生涯に不満も後悔も無いが、振り返ってみるとどうにも間抜けさが着いて廻っている気がしない事もない。まあ復讐心が勉学や鍛錬の原動力になって今の自分を形作ったのだから無駄ではなかったが。


「だから俺は君がドナウに復讐心を滾らせるのを否定しない。止める事もしないだろう。土台愛する人を奪った相手を赦すなど、まともな人間なら不可能と言っていい。君の嘆きと喪失感は父や兄の価値そのもの。それを奪ったドナウやユゴスを怨むのは道理だ」


「なら、私がドナウに復讐するのを貴様は見逃すというのか?貴様はドナウ人ではないが、ドナウの為に働いているのだろう?それではお前の言う道理が通らない」


「何を言っている。怨むのは自由だと言ったが実行に移したら迷わず殺す。腹の中で何を考えていようが構わないが、ドナウを害するなら先んじて殺させてもらう。俺はそうして君の父をこの場所で殺す一端を担った」


 復讐者の先達として家族を奪われた少女の復讐心は否定しないが、復讐を肯定する気はない。いや、ユゴスに復讐する気なら手出しもしないが、ことドナウに被害をもたらそうとするなら、アラタは迷わずタチアナを殺すだろう。

 敵対者への殺意を隠しもしないアラタにタチアナは震えが止まらない。殺すという言葉はこの道中アルニア人の口から何度も耳にしたが、隣に立つ男に比べたら彼等の罵声など小鳥の囀りに等しい心地良さだ。先日の竜の上での包み込んでくれるような温かい優しさとかけ離れた、刃物のように全身を突き刺す痛みを伴う殺意に心が折れそうになる。

 心の奥底では家族を殺したドナウやユゴスに復讐を望んでいるが父の教えを破るのは躊躇われる。そして兄の頼みは自身がどんな形でも生き延びる事。アラタの言う通り、復讐を実行に移そうとしたら、きっと瞬きする間に彼は自身の首を斬り落とすだろう。今の言葉が脅しではない事ぐらい子供のタチアナでも分かる。


「そういう意味では俺は貴女の仇の一人だ。ユリウス王子もユゴスでナパームに焼かれて死んだと聞く。俺がナパーム製造法を教えなければ、彼を始めとして多くのホランド兵も死ぬ事は無かった。復讐したいのなら、国という大きなモノの前にまずは一個人の俺から狙う事を薦める」


「―――貴様の言う事が分からない。私が貴様を殺せるほど強くないのは誰よりも私自身が知っているが、なぜ自分から命を狙わせようとする。貴様の言う通り、ホランドが負けた全ての元凶かもしれないが、わざわざ私に復讐をさせるように仕向けているとしか思えない。わざと襲わせて私を殺すのが目的か?」


「それならそれで仕事が減って楽だな。だが今のは人生の先達、そして復讐に生きた者としての助言だよ。家族を殺された怨みから復讐に走るのは人として間違っていないが、その行動には代償が付き纏う。代償は貴女の命になるだろうし、復讐は徒労に終わるだろう。それを許容出来ないならバルトロメイ王子の言う通り、ドナウの庇護を受けてでも生きるべきだ」


 無慈悲な言葉にタチアナは唇を噛みしめて悔しさに耐える。憎悪を晴らす機会は与えられても、それが達成できる可能性は限りなく低い。かと言って何もせずに一生怨みと喪失感を抱えて生きねばならないのかと思うと狂いそうになる。

 葛藤するタチアナを見て、アラタは今後彼女がどう転ぶかに思いを巡らせる。復讐心を捨てずにドナウに仇なすなら、確実に王家や現体制に不満を持つ貴族や勢力に繋がりを求めるので、そいつらを釣り上げるための餌に使える。単に自分だけに敵意や復讐心を向けるなら適当にあしらって放置するだけ。家族に危害を加えようとするなら迷わず殺す。子供だからと言って情けなど掛けない。


(悪趣味な事を考えますね。合理的と言えばそれまでですが、人から褒められるような手段ではありませんよ)


(そんな事は承知している。だが、国という集団を維持するにはそうした汚い手を使う必要もある。ただ、出来ればお姫様にはこのまま静かな余生を送ってもらうのが最良だな。本人の意志は穏やかではないだろうが)


 アラタも率先して幼いタチアナに死んでほしいとは思わないが、必要なら殺す事を厭わない。だから警告をして復讐を思い留まらせる。それでも止まらないのなら彼女は相応の末路を辿るしかない。

 ただ、これから死んだように生きるのも可哀想だと思うので、敢えて自分に復讐心を向けさせる選択も与えた。復讐は強い原動力を与えてくれる。自らの経験上それは間違いない。


(人は何かしらの目的意識があれば懸命に生きていける。俺から不憫なお姫様に送る手心とでも言うのかな)


(だから大尉は悪趣味なのです。それは世間一般に人の心を弄んでいると評される行為です。今更ですが性根が捻じ曲がっていると言わせていただきます)


 管制人格から酷い事を言われたが、今までの自分の所業を考えれば今更彼女に優しくするのは筋違いだと知っているからこそ、敢えて憎まれる役を担う方が適していると判断して振る舞い、わざと彼女が嫌がる子供扱いをして敵意を向けさせもする。それはアラタなりの親や兄を奪った少女へのけじめや義務感でもある。

 とは言え、わざと憎悪を向けさせておいて、同時に優しさも与えている。そんな振る舞いはドーラの言う通り悪趣味だろう。やるならどちらか片方だけで十分である。その辺りの半端な対応はアラタ自身の子供への甘さが、かなり影響していると言えた。エリィの件もだが、この男は根本的に子供に甘いのだ。


「―――貴様は嫌な奴だ。何でもかんでも自分の思い通りに人が動くと心の中で思っているんだろう。だったら私は貴様の考えもしない生き方をしてやる」


 葛藤を止めたタチアナは先程の泣き崩れる様から幾分元気を取り戻すと、アラタに向き直り、睨み付けながら力強く宣言する。ただし、その空元気もアラタに誘導されたから出てきたのには気づいていない。


「ふふ、少しは元気が出てきたようだな。子供は泣いてるより少し生意気な口をきいてるぐらいの方が元気があってよろしい」


 そう言って笑いながらタチアナの頭を少し乱暴に撫でると、整った黒髪が乱れる。彼女はそれを振りほどこうと手を掴むが、少女の腕力ではびくともしない。なすがされるままのタチアナはついに怒り出してその場で叫んだ。


「だーかーらー私を子供扱いするんじゃない!!貴様はこの世で一番無礼な奴だ!いつか絶対にその不遜な態度を改めさせてやるから覚悟していろ!!」


 男の笑い声と少女の怒りの咆哮が青空へと吸い込まれてゆく。



 既に雪は溶け長かった冬の終わりが見えている。あと数日もすれば草花が芽を出し始めるだろう。春の到来は長い戦乱の時代だった西方に平和と繁栄の時代の到来を予感させた。ホランドの残した傷跡はそう簡単に塞がらないだろうが、それでも長い時をかければ、いずれ傷は癒える。希望の芽は静かに、だが確実に芽吹く時を待ち続けていた。


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