第41話 諜報部設立



 次の議題は今後のドナウの外交政策についてだった。ホランドを一度撃退したとはいえ、まだまだ予断を許されない情勢にある。東のユゴスとレゴスとは対ホランドで協調路線を歩めるが、南のサピンとの関係をどうすべきかが問題だった。

 サピンは今、後継者問題で揺れている。それどころか二つに割れる危険すら有している。現王は男児に恵まれず、跡目に挙がっているのが王の娘婿の一人と、王の弟の子――つまりは甥に当たる男の二人が跡目を争い、王宮は血の雨が降る寸前の状態にある。どちらも派閥を形成し、拮抗状態にあるので非常に不安定なのだ。この状態がいつまでも続くとは思えず、ちょっとしたきっかけで内乱になりかねない状況を見ると、少しでもホランドの圧力を減らしたいドナウからすれば、中より外に目を向けてくれと言いたいぐらいだ。

 その為、外交官の中にはどちらかに肩入れして、親ドナウ政権を作る事を提案する者もいるほどだ。実はミハエルの息子夫婦、つまりはアンナの両親は、サピンに赴任した外交官だったりする。彼の主張は聞こえてこないが、きっと今も胃の痛い日々を送っているのだろう。分かりやすく言えば、毎日家主家族が取っ組み合いの喧嘩をしているのだ。間借りしている住人にはさぞ居心地が悪かろう。



 この状況を打開するための妙案が有るとエーリッヒが発言すると、一斉に注目が集まる。閣僚からするとエーリッヒは凡庸の域を出ないが、真面目な仕事振りや、好き嫌いで人間を重用しない性格を信頼され、次の王に不足の無い王子という評価を受けていた。反面、無難な仕事が多く、確実な成果は見込めても効果が小さいか、時間の掛かる仕事振りな為、少々物足りなさも感じていた。その王子から妙案があると言われれば、興味が無い者はこの会議室には居なかった。


「まず、サピンへの支援を行う事を前提に話すが宜しいか?――――反対者は居ないようなので話を続ける。ここで問題なのは、一方に肩入れしても、もう一方が敗れればサピンの力は半減する。そうなっては喜ぶのは現状ホランドだけだ。一時的にではあるがサピンには中より外に目を向けさせたい。その為にドナウは軍事力の支援をしようと思う」


 そこで待ったを掛けたのが財務長官のテオドールだった。彼からすれば支援をするとなると、また経費がかさみ、予算が悲鳴を挙げるのだ。軍事の支援となれば人が動く。その経費は財務省として如何な物かと口にする。


「確かに財務省からすればこれ以上の戦費は避けたい所だろう。だが、安心してほしい。長官の予想よりかなり規模は小さい。と言うか人も金も出さない、出すのはナパームだけだ。そして、ちゃんと代金は貰うつもりだ」


「確かにそれでしたら、私は反対は致しませんが軍の方は宜しいのですか?ナパームは機密扱いのはずですが」


「そこは心配いらない。軍はナパームが流出してもそれほど困らない。詳しい説明はレオーネ殿に任せる」


「では私から説明させて頂きます。まず、今までナパームは機密扱いでしたが、既に一度ホランドに使用している以上、秘密にする必要がありません。あれの特性はホランドも嫌になる程知ったわけですから、次は相応の対策を練って来るでしょうから、今後は劇的な効果は期待出来ません。最初の一回だからこそ、これほどの戦果を見込めました。そして、ナパームは決して万能兵器ではありません。むしろ兵器としては問題が多いので、あまり多用したくないのが私の本音なのですよ」


「―――確かに良く燃える油というのは、相手が火矢を用いれば簡単にこちらの陣に被害をもたらすことができる。それに気づいたホランドが次回はナパーム対策に火を使う可能性は高いだろう」


 横からアラタの説明を補足するように騎士団長のゲルトが口を出してくる。流石に理解が早い。


「団長殿の言う通りナパームは極めて殺傷力が高い反面、取り扱いが難しい兵器です。今後もドナウ軍の主力として使うには甚だ不適切と言えますので、差し控えたいと提案いたします。無論、今後も少数ですが使用する事になりますが、陸上で使う機会はあまり無いでしょう。ですから高値で売れる内に他人に売り払ってしまった方が効果的なのですよ。何せ、大国ホランドを叩きのめした超兵器ですから、他国にとっては喉から手が出るほど欲しい筈です。―――それにまだ準備段階ですが、新戦術及び新兵器の製造もこれから始めますので、現状軍事での不安はそこまでありません」


 アラタの新兵器という言葉に興味を引かれる閣僚も多かったが、現物がまだ出来ていないと説明すると残念そうにしながらも、ナパームの実績を知っている以上、不安にはならなかった。きっとこの青年は結果を出してくれると、それなりに信用していた。



 後はどうにかしてサピンをホランドにぶつけるよう、ナパームの供給をダシにして誘導する必要があるとエーリッヒが語る。曰く『二つの派閥を競い合わせて、ホランドにより大きな戦果を上げた後継者が王位に近づくと嘯けばいい。身内で争うぐらいなら、丁度良い敵がいると。ホランドには噛ませ犬兼点数になってもらうのが似合いだよ』

 その皮肉にどっと笑いが響き、幾人かはその言葉に追従を見せる。この策の良い所は、ドナウには大した損失も無く、ホランドとサピン両方の戦力を削れる事にある。それ以外にもドナウが使っていたナパームがサピンに流れたと聞けば、ホランドがどれだけナパームに対策を講じているのか、その対応力を見る事が出来る。対応出来なければホランドはまた負けて戦力を削られるし、対応出来れば商売上の競争者であるサピンが潰れるだけだ。後の事を考えれば得もある。

 出来ればサピンには勝って貰い、ホランドの兵力を削ってもらいたいが、一度負けて傲慢さを取り払った場合のホランドにどこまで抗えるかは分からない。地力で負けている以上、分が悪いのはサピンの方なのだ。



 まあ必要以上に肩入れする義理も無いので、単なる取引として見た方が良いのは確かだ。ここでアラタがナパームの代金として、サピンからある物を手に入れてほしいと願うと、全員が怪訝な顔をしてアラタを問いただした。


「私が無学なだけかもしれませんが、そのイオウというのは何ですか?学務長官はご存知ですか?」


「名前と現物は一致するが、何故それが必要なのかが分からないですな。硫黄は火山などで良く見かける鉱石ですが、何の利用価値も無い鉱石だと記憶しています。―――もしや、レオーネ殿は利用法を知っているので?」


「はい、学務長官殿の言う通り、硫黄は火山の火口などで良く採掘できる鉱石なのですが、西方では何の利用価値も無い石という扱いです。しかし、この硫黄を材料にすれば、ナパーム以上の兵器が作れるのです。残念ながらドナウには火山が無いので入手が困難ですが、サピンやかつてのプラニアには火山が多いと聞きます。その為、まずはサピンから入手して頂きたいのです。幸い西方では利用価値が無いと思われているので安価で手に入ると思います」


 ナパーム以上の兵器と聞くと、是非手に入れたいと意見が上がり、それだけでは妙な勘繰りを受けるので、銅や黄金も代金に含めるべきだと主張が上がる。サピンは鉱山が豊富で、ドナウでは採れない金の産出もしているので、ここぞどばかりに予算を確保したい閣僚が主張していた。



 ここまでで外交面での基本方針はおよそ形となったので、一度休憩を挟んでから再び再開される事になった。

 次の議題は宰相が提案者で、新しく部署を設けたいと言う、かなり突飛な提案だった。当然、会議室は騒然となり説明を求める閣僚の声で一杯になるが、『静かにせよ』と、王の一声で部屋が静まり返る。その期を逃さず、アスマンは全員に説明を始める。


「私は今回のホランドとの戦いで、情報の重要さを再認識致しました。ホランドに勝てたのはナパームという新兵器のお陰ではない。徹頭徹尾、情報統制を敷き続けて、最初から最後まで先手を執り続け、主導権をホランドに渡さなかった事が、最大要因だと分析しております。途中で情報がホランドに洩れていたら、結果は随分違っていたと断言できます。

 それ故、これからは専門に情報を取り扱う部署を設立したく提案させて頂きました。今の様に商人から情報を買い取る、または個々の省が独自に情報を集めるような仕事では、到底これから先はドナウは生き残れないでしょう。その為には情報部を立ち上げ、国内外の情報を一手に集めつつ、外へ情報を洩れださせないような体制を築く必要があるのです!」


「お、お話は理解出来ましたし、情報の有用性も今回の戦で身に沁みましたが、現実問題として誰が取り仕切るかが問題になります。何せ情報を取り扱うと言っても、我々は素人の域を出ません。噂話を集める程度なら、現状でも商人や使用人をそれとなく送り込んでいますから可能ですが、洩れないような体制となると、誰も知識と経験を持ち得ません。今のお話では、外部に頼るのも危険だと言えますが、宰相殿には誰か適任者に心当たりがあるのですかな?」


 言ってる事は理解出来るし、必要なのも分かるが、じゃあ誰が出来るの?と言われると、閣僚の中でも該当する人間が思いつかない。仮に自分の配下を推した所で、まともな手引書も無しにやれと言われると、言われた方も困るし、二の足を踏む。誰だって未知の仕事をして、失敗はしたくないからだ。長官達にも人脈を活かした独自の情報網は持ちうるが、あくまで国内限定で、外の話となると外務省が一手に引き受けている以上、外務の出番かも知れないが、そうなると今度は国内事情には疎い為、どうしても適任とは言い難い。


「では、この場で推薦させて頂きます。――――私はアラタ=レオーネ殿に、この部署の責任者になって頂きたいのです。彼がこの中では最も情報の重要性を理解しており、その手法に精通しているからです。異議のある方はこの場で申し出て頂きたい。それと同時に他の適任者を推してもらいます。私の案を否定する以上、代案を用意してもらわねば筋が通りません」


 何となく察しは付いていたものの、いざ他人の口から伝えられると、払拭し難い反発を覚えるのだろう。確かに能力は認めるし、殊更情報の重要性を説いていた姿勢を見るに、適任と言えるのだが、それでも他国人の平民を重要部署の責任者に据えるのは、否定したかった。

 ただ、閣僚の中にも好意的に受け止める者もおり、特に軍司令のツヴァイクは最も歓迎している者の一人だ。他にもエーリッヒが積極的賛成をしているので、余り反対意見は言いたくない。さらにはハンス=フランツとヨアヒム=ガイストが消極的賛成に回り、結局は全員が賛成し、カリウスの承認の元、アラタの諜報部への就任が認められる事となった。

 実はこの就任劇はアラタの仕込みで、この国の情報の取り扱いの粗雑さに危機感を抱いたアラタが、以前から宰相やエーリッヒに具申しており、同じように二人も危惧していた為、専門ではないがノウハウ持ちのアラタが取り仕切る事で、諜報部の設立に踏み切ったのだ。賛成してくれた閣僚はアラタに好意的で、自身の省に実益が見込める事から、賛成してくれた。



 人員の確保と育成から始める事になるので、組織としての体制は数年後を待たねばならないが、自由に出来る予算を確保出来たのは非常に大きい。貧民街の人間を確保するための大義名分もこれで立つ。

 組織図としては宰相のすぐ下に就く恰好になるが、アスマン個人としてはアラタにフリーハンドを与えるつもりなので、実質的に閣僚と同等の扱いになる。さらには王家の技術顧問役も兼任するので、ホランド戦の功績もあって、各省への影響力は非常に強い。

 取り敢えずは組織の体裁を整える為に、外務省や直轄軍から人員を幾らか派遣してもらう事になる。それ以外にも読み書きと四則計算が出来る平民出身の下級役人を少数就けてもらい、今後アラタが彼等を鍛える事になった。



 傍から見れば電撃的なアラタの諜報部就任が終わると内心は兎も角、会議室は平穏を取り戻し、次の議題へと移るのだが、その議題の提案者が寄りにもよってアラタだったので、先ほどの就任劇は最初から脚本が出来上っていたのかと勘ぐってしまう。

 しかし、アラタの提案は諜報とはあまり関係のない事だったので、知らない人間は思い過ごしかと見逃してしまう。

 アラタ曰く、先の戦いで築いたライネ川の砦を利用させてほしいというものだった。あの場所は王家の直轄領で、国境も近いこともあり、周辺に集落も無い手付かずの土地だ。それ故、戦場に向いていたのだが、アラタはそこを集落として使用したいと言う。死体処理を兼ねて堀を埋めただけで、外壁を解体したわけでもないので、街として使えない事も無いのだが、特別重要な物がある訳でもないのにと、皆が不思議がっていたが、唯一ツヴァイクだけは、離れの森に死体を捨てていた事を思い出し、それを他の人間に話すと、眉を顰め気味悪がった。


「糞便と死体を土に埋めて数年寝かせると、ある物が採集できます。それを先ほどの話で出た硫黄と、もう一つ材料を混ぜると兵器の原料が作れるのですよ。その為には定期的に管理をする必要がありまして、纏まった人間が必要になります。その者達の住居としてあの砦を再利用したいのです。どうか皆さまにはご理解いただきたい」


「それは良いが、人員の目途は立っているのかね?死体を扱うとなると、今までの様にこちらから人員を用意する事は出来ないのだが」


「それについてはご心配いりません。既に貧民街の代表に話を持って行きまして、普段から汚物処理や遺体の埋葬を生業としている者を数百人程度、見繕ってもらっています。金払いさえ怠らなければ、仕事はしてくれます。最初の年は持ち出しが多いでしょうが、それ以外の仕事も与えるつもりですから、数年後にはある程度自立が出来る体制を整えさせます」


 この手際の良さに数名が舌を巻き、戦う前から次の戦いの準備をしていたアラタの手腕が警戒に値すると認識した。自身の息子程度の年齢の若者と対等な付き合いをしていく事には不快感を持っていたが、同時に侮ってはならない強敵だとも認識している。どうにかして足を引っ張りたいと考えても、未だ強国たるホランドの存在がそれを許してくれない。ホランドがそこにある限り、アラタを切り捨てる事はドナウにとって大きな損失になりつつあるのだ。

 精々財政面から苦言を呈すのが関の山で、国防に関わる事だと言われれば中々反対し辛いのだ。まだ救いなのが、この砦がアラタの所領ではなく、王家の直轄領なので代官でしかないアラタの支持基盤になり得ない事だ。どの国でも最大の支持基盤は、やはり土地とそれに付随する人間だからだ。人間が居るから税が収入になるし、兵士も確保できる。それがアラタに無い以上、幾ら王家が後ろ盾でもアラタの足場は脆弱と言える。

 当然アラタはその事に気づいていたが、そこは故意に見逃していた。目に見える弱点を見せておけば、必要以上に警戒はされない。ただでさえ他国人の平民というマイナス要素があり、今回の諜報部への就任は反発があったのだ。これ以上の妬みは危険だと判断し、所領の下賜も避けていた。

 ともかくアラタの提案は受け入れられ、そのための予算も組まれるとアラタは謝辞を述べ、会議の最後にカリウスからも励ましの言葉を賜った。


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