第31話 決戦への最終確認



 フィルモ歴493年一月の半ば、新年の祝いの雰囲気が完全に抜けきったドナウ王国の王城で、極めて重大な懸案を話し合う会議が開かれていた。内容そのものは既に決まっているのだが、その最後の一押しをこの場で決める為、国王を初めとして閣僚全員が参加していた。その中にはアラタやエーリッヒの姿も見える。


「新年の祝いも終わり、浮かれた気分も落ち着いた頃合いだな。今日、そなたらに集まってもらったのは、ホランドの要求を正式に退け、宣戦布告を通達する為だ。余の腹積もりでは今月の末日には特使を派遣し、来月の末日にはホランド王に決戦状を叩き付けるつもりだ。不都合な者は名乗り出るがいい」


 今更、王の宣言に真っ向から反対する者は誰も居ない。強大な敵を前にドナウ王政府は、完全なる一枚岩となっていた。


「特使の人選は外務に一任する。出来るだけドミニク王を怒らせる者が良いだろう。決戦の日時についてはアラタ=レオーネから説明がある」


「では、失礼してご説明させていただきます。ツヴァイク軍司令からの軍事情報を元に分析した結果、宣戦布告より二か月後の五月一日が開戦日時に相応しいと判断いたしました。これはホランドが二月末日から軍に招集をかけ、およそ一ヵ月程度で五万程度の軍勢と、その兵を食わせる兵糧を用意させます。あまり時間を掛け過ぎれば、こちらの情報が洩れてしまい、対策を取られてしまいますので、あまり急過ぎず余裕を持たせない程度の準備期間を与えます。ドナウ国境までの行軍も、一ヵ月は少々厳しいですが、不可能ではないと軍司令から判断を頂きました。まずこの時点で、ご意見はありますか?」


 一同を見渡すが、特に質問や意見と言ったものは挙がらなかった。前もって軍司令の意見を汲んでいたので、信頼出来ると判断されたのだろう。これがアラタの独自の判断で有れば、意見の一つぐらいはあったかもしれない。


「では続けます。ホランド側が五月一日に、こちらが指定した場所に着くと予測を立てて、ドナウ直轄軍も行動の予定を立てる事になります。現在ドナウ軍は戦場予定地からかなり離れたライネ川沿いで演習に励んでいまして、ギリギリまで軍の所在と行動を伏せる為に、四月二十四日早朝に移動を開始する予定です。この時期には雪解け水の分、川が増水しており、普段の水流より速く、三日あれば戦場予定地にたどり着ける計算になります。そこから二日を掛けて、砦を建造。さらに休息日と万が一の予備日を二日見ておき、五月一日に万全の状態でホランドを迎え撃つ所存です」


「期日よりずっと早い場合は考慮しているのかね?ホランド王の命令を無視して、軍が勝手に我らの国土を攻撃するのは有り得ないと言い切れまい」


「その点に関しては、そこまで心配いらないと思います。ドミニク王の求心力は並外れています。彼がするなと言えば、どの軍も王の不興を買ってまで抜け駆けする事は無いかと。これまで三ヶ国を滅ぼしていますが、一度もそれを違えた事はありません。大丈夫でしょう」


 財務長官のテオドール=ハインリヒから、予想外の行動を不安視する声が挙がるが、軍司令のツヴァイクがそれを杞憂と断ずる。三ヶ国という前例がある以上、ドミニク王の手綱を握る器量が、ある程度信頼出来るのは望ましい。統制の取れない軍程厄介な存在はないのだ。

 そういう意味では有能な指揮官に率いられた軍隊とは、ひどく読みやすいものである。無能、あるいは馬鹿な人間は、時に天才の思考を狂わす行動を執って、算段をご破算にしてしまう事もあるからだ。

 テオドールは財務長官の地位に付いているが、大雑把で細かい事を気にしない事で有名だ。それ故、綿密な計画には懐疑的で、どこかで計画が瓦壊するのではと、常に心の隅に可能性を置いている。良く言えば鷹揚な性格なのだ。その為にホランドが無計画に行動を起こす事を危ぶんでいる。


「ハインリヒ長官の危惧は尤もですが、私も根拠の無い事を口にしているわけではありません。どうか、私ではなく、ドミニク王の器量を信じて頂きたい」


 敵を信じろと言われ、テオドールは噴き出してしまったが、ある意味では長年のドミニク王の手腕を最もよく知っている自分達ドナウ人には納得出来る根拠と言えた。


「分かりました、レオーネ顧問役の言葉を信じましょう」


「ありがとうございます。では他の方の質問が無ければ、期日に関する説明はこれで終わりにします」


 この時アラタは敢えて口にしなかったが、兵糧の調達手段の中には現地調達として、ドナウへの行軍進路になっている併合された三国の、村や街での略奪行為が確実に発生する事を見越していた。兵糧をホランド本国で全て用意するより、輸送の際の手間が省け、行軍速度を落とさずに済むメリットをホランドが取らないはずが無いからだ。



 さらに無理な行軍による兵の不満のはけ口にする為に、女子供を犯して村を蹂躙するのも見越していた。ホランド人にとって併合した国の住民は、奴隷か欲望をぶつける相手でしかない。日常的な圧政に加え、戦時の略奪によって極限まで恨みが蓄積される事をアラタは望んでいた。ホランドへの恨みが強ければ強い程、ドナウの支援が効果的になるからだ。

 既に開戦後を見越し、宰相に救援物資の用意をしてもらっている。最初は蹂躙された他国民の慰撫に、ドナウの財源を使用するのには難色を示したが、数年後の再戦をより優位に運ぶ為だと懇々と説明すると、最後は納得してくれた。


「次に他国の情勢はどうなっている?我が国とユゴスとレゴスとの三国協定はある程度纏まっていると聞き及んでいるが、サピンはどうなっているか」


「は、外務からご説明させて頂きます。陛下のお言葉通り、我が方と東国二国とは非公式ながら密約によって協調路線を歩める目途がついております。こちらはご心配に及びません。現在は噂程度ですが、ホランドにもユゴスが攻め入るのではと情報を流しており、警戒をさせております。レオーネ殿の絵図面通り、本国軍の半数を防衛に残すのではと、現地の外交官から報告を受けています。

 次に南のサピンですが、こちらは未だに身動きが取れないとの事です。後継者争いが激化の一歩を辿る有様で、内乱とまではいきませんが宮廷内で血の雨を見る可能性が高いようです。軍事行動はとてもではありませんが取れないでしょう。要らぬ横槍は入らない公算大です」


 外務長官ハンス=フランツが自信を以って各国の現状を伝えるが、実は彼が一番今の状況を忸怩たる思いで受け止めている。外務がもっと積極的に動いてホランドの躍進を留めていれば、このような博打を打つ事も無かっただろうと責任を感じているのだ。

 ハンスが長官に就任したのは二年前なので、そこまで責任は無いのだが、彼も外務省の一員として二十年以上職務に携わってきた以上、他人事で済ませる問題でも無い。ここに来てようやく外務省は、長年の不名誉を返上できるかもしれないのだ。是が非でも結果を出す必要がある。


「こちらも今の所は予定通りという訳か。では引き続き外務省には各国との関係維持を命ずる。軍についてはどうなっておる?」


「直轄軍の錬度は順調に高まっております。あと一月あればレオーネ殿の要求する能力に達するでしょう。士気も保たれており、脱走者もおりません。あと三ヶ月が待ち遠しいですな」


「ほう、そなたがそこまで口にするのは珍しい。余程自信があるのだな、ならば結構。あと三ヶ月、勤め上げて見せよ」


「仰せのままに」


 これ以降は細かい現状の確認はあったが、概ね大した事は無かった。精々王都の治安維持が過密スケジュールで殺人的な忙しさを除けば、ドナウ国内は平穏に保たれているからだ。貸し出された地方軍も行儀良く職務に励んでおり、問題は起きていない。

 資材も予算も潤沢で、唯一不安視していた士気の低下も、アラタのテコ入れでどうにか持ち直し、予定通り二日あれば砦を建造できるほど兵士一人一人の工兵能力が向上しているのだ。三か月後が待ち遠しと言う言葉は、誇張でも無ければ虚偽でも無い。兵士一人一人の本心なのだ。



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