第9話 赤髪のアンナ



 アラタが適当な所で資料漁りを切り上げて自室で寛いでいると、来客があった。珍しい事ではない、王家顧問役として色々と動いているのだ。様々な人間がアラタに接触をしようと近づいてくる。

 大体は閣僚や王族だった。エーリッヒ王子は相変わらず、時間を見つけては茶飲み話をしにやってくるし、財務卿やツヴァイク司令にも食事に誘われた。

 暗に女を斡旋すると口にしていたが、丁重に断っておいた。その所為で男色の疑いを掛けられたが、全力で否定しておいた。

 西方では男色は禁忌ではない。積極的に奨励される嗜好ではないが、一定の理解はあるらしい。貴族間でも嗜み程度に行為をする者は居るとの事。

 地球でもその手の同性愛が一定の権利を勝ち取って久しいが、生殖行動に帰依しない行動である以上、冷ややかな目で見る層が多いのも事実だ。ライブとの戦いで唯でさえ人間が減っていたのだ。子孫を増やす事は大いに奨励する手前、子を成さない同性愛は否定的な空気は常にあった。

 いい加減、女を宛がう気遣いも面倒になって来たが、性行為の面倒さを考えると、乗り気ではない。何より感情抑制剤の効果で性欲がかなり抑えられているのだ。いざ、行為の段階になっても勃たない可能性もある。

 なにゆえこんな事で悩まねばならんのかと、溜息を付く。人間関係というより、政治的迂遠さだと理解しているが、有効な対処法が見つからない以上、放置するしかあるまい。軽々しく関係を結んで、派閥争いに巻き込まれたくもない。



 そんな極短い時間の出口の見えない思考をしていたが、来客に意識は移っていた。


「やあ、暫くぶりですなレオーネ殿。毎日あちらこちらを動き回っていると聞きますぞ。今日から騎乗の教練を始めたとか。いやあ若いとは良いものですな。儂ぐらいの歳になると、新しい事を学ぶ気力が湧かないのですよ。もう60の後半になると、いつ死んでもおかしくないですから」


「不吉な事は口に出さない方がよろしいですよ、本当に明日にでも死後の世界に旅立ってしまいますから。暫くぶりです、ベッカー殿。これからお茶でも飲みますか?それとも食事のお誘いですか?」


 もう夕刻だ。部屋は少々薄暗くなり、空が茜色に染まっていた。これからする事はそう多くない。


「今日は貴殿を当家の晩餐に招待しに来たのじゃよ。ずっと城の中に籠るのも刺激が無かろう、それに儂の家内にも貴殿の事を話したら是非、招待したいと言われての。儂の顔を立ててくれまいか?」


「特別断る理由はありません。ご厚意に甘えさせてもらいます」


「いやーよかったよかった、これで家内に面目が立つ。では早速屋敷に参ろうか、竜車を用意してあるからな」


 竜車とはその名の通り、竜に車を曳かせる乗り物である。曳かせる車は人用、荷駄用と様々な種類がある。貴族用の車は脚竜に曳かせる事が多い。特に体格が良く、脚の太い竜を使用する。この辺りは地球の馬と同じ傾向だ。



 城の前に停めてある竜車はベッカー家の私物だ。貴族ならば大抵一台は車を所有している。パッと見ると派手な装飾は見当たらないが、細部には贅を凝らした装飾が多い。花や動物をあしらった彫刻が随所に彫り込まれ、製作に手間を掛けてあるのが、教養のある人間には理解できる。

 天井付きでドアにはガラス窓がはめ込まれ、貴族らしい上品な、金と手間の掛け方をした車なのだ。

 二人は車に乗り込み、屋敷へ竜を歩かせる。既に夕刻で、市街地は人もまばらだ。照明器具もそれなりに値が張る為、平民は日の出と共に起きて日が沈めば眠りに就く、当たり前の生活習慣を送る。

 この国では海洋生物の皮を絞って、油を採る。それを照明用に利用するが、タダではないのだ。ロウソクも普及しているが、当然安くは無い。

 必然的に、余裕の無い平民はなるべく使わず生活をする。逆に王族や貴族などは経済力を誇示するため、繋がりを作るために夜会を頻繁に行う。ベッカーの招待もその一環なのだろう。



 竜車に乗っていた時間は短いものだった。歩いても5分程度の距離を車で移動するのは無駄な気もするが、貴族としての体面と安全性の確保も考えれば、必要な事かと納得する。

 ベッカーの屋敷は、貴族の邸宅としては中規模で手入れは行き届いているが、竜車同様派手さは無い。代を重ねた貴族というのは同じような傾向がある。主人の帰りを待っていた使用人達が、車のドアを開け昇降用の台座を置く。この動き一つ見ても、よく教育された家の使用人だと、洞察力に優れた者は見るだろう。


「おかえりなさいませ、大旦那様。お客様もようこそお越しくださいました」


「うむ、出迎えご苦労。晩餐会の準備は整っているか?」


「はい、勿論でございます。大奥様が張り切っておりまして、お客様のレオーネ様に失礼は無いかと」


「ベッカー殿、私にそこまで気を遣わずとも良いのですよ」


 王家顧問役である以上、失礼があるのは非常に拙いのは理解できるが、元一将校にこの対応は内心気が詰まる思いなのだ。


「何を仰る、貴殿は王家顧問役なのですよ。高い地位の者には相応の対応は当然です。謙遜も度を越せば嫌味にしかなりませんぞ」


 言ってる事は理解できるが、なかなか精神は追い付かないものだ。


「そのあたりの心構えを、いずれご教授願いたいものです。貴族流の儀礼は身に付いても、精神や心の機微までは長年の習慣でなければ身に付くものでは無いですが」


「そうですな、レオーネ殿は言葉や作法は儂が驚くほど早く身に付けられましたが、心構えだけはまだまだと言えます。貴族と軍人の精神は些か違いますから、いずれ時間を掛けてお教え致しましょう。さて、堅苦しい話は抜きにしましょう」


 そう言うと、年嵩の使用人に案内させる。アラタは歩きながらも目敏く観察すると、屋敷内は外観同様に派手さは無いが調度品にも贅が凝らされた物が多い。

 案内された食堂には使用人を除いて、貴族と思われる人間は二人しか居ない。その内の一人の初老の女性がまず口を開く。


「当家によくいらして下さいました、レオーネ殿。わたくしはミハエル=ベッカーの妻、リザでございます。主人からお話は伺っておりまして、是非宴にて歓迎したいと常々主人にお願いしていたのです」


「過分なご厚意、痛み入ります奥方様。王家顧問役のアラタ=レオーネ、感謝の極みでございます」


 ミハエルと同じぐらいの歳の老婆だが、矍鑠として朗らかな笑みを浮かべている。白髪で年相応に皺が多いが、老いてなお美人と分かる顔立ちだ。若い頃は相当男を悩ませた容姿だったのだろう。


「このような老婆に畏まらずとも宜しいのですよ。そうそう、私達の孫娘を紹介させてください。こちらに来なさい、アンナ。レオーネ殿にご挨拶しましょう」


 リザは部屋の隅のソファに座っていた赤毛の少女を呼ぶ。祖母に呼ばれた少女は、ゆっくりとソファから立ち上がり、アラタの前に立つ。長く真っすぐな赤に近い茶髪を伸ばし、客人をもてなす為に見事な装飾のドレスを着て、美しさを引き立たせているが、それ以上にこのアンナという少女は儚さが際立っていた。


「初めましてレオーネ様、アンナと言います。お会いできて光栄です」


 ぺこりと頭を下げる仕草は見る者が見れば、子犬のような弱々しさというか、愛らしさがこみ上げてくる女性に見えるだろう。赤い髪に白い小さな花を添え、装飾品の代わりにしている。


「こちらこそ、会えて嬉しく思いますアンナ嬢。貴族の方ならここで気の利いた台詞を言えるのでしょうが、なにぶん武骨な軍人ゆえお許し頂きたい」


「い、いえそのようなお気遣いは私のような者に無用でございます。レオーネ様のお気持ちだけ頂きます」


 そう言えば貴族の令嬢と面と向かって話をするのは何気に初めてだなあ、と気づく。一度王女とは晩餐会で話したが、相手は王女で貴族の令嬢とはまた違う。身分的にはどちらが上になるのだろうと、小さな疑問が湧いた。


「さて、顔合わせも済んだ事だ。早速食事を始めようか」


 いつまでも可愛い孫を一人占めさせない為に、ミハエルは大仰に振る舞い若い二人の中に入る。アラタも異論は無いので、素直に使用人に案内された席に着き、他の家人も皆席へ着く。

 テーブルに載せられた料理の数々は、王家の晩餐会の料理より幾分華やかさに欠けるが、一目で手の込んだ料理と分かる。羊肉に季節の野菜、海獣の肉に魚もふんだんに使った料理。焼き物、蒸し物、スープに揚げ物、ハチミツを使ったケーキもある。

 王城で与えられる貴族用の食事より贅を凝らしている。ベッカー家がアラタを最上の客としてもてなしている事が良く分かる。

 食事だけでなく、酒も一級品を用意している。果実酒から強めの蒸留酒に麦を使ったビールも揃えてある。尤もアラタが酒を嗜まないことを知っているので、よく冷えた果汁が添えられている。


「レオーネ殿に失礼の無いよう、腕を振るいましたので満足いただけると思いましたが、当家の料理は如何でしょう?」


「大変気に入っております大奥様。特に羊肉は香草と調味料の使い方が良いのでしょう、臭みの無い処置が施され非常に美味しく頂けます。干し貝のスープも良く味が染み出て、病みつきになりそうです」


「まあ、それは良かったわ。後で料理人を労っておきましょう」


「レオーネ様は繊細な舌をお持ちなのですね、外国の方と祖父から聞いておりますが、ドナウの料理はお口に合いますか?」


「はい、この国の料理の調味料が気にいっています。私の故国の味付けは随分と大味でして、幼少の頃からずっと慣れない物でした」


「そういえば以前儂と食事をした時も同じことを口にしておりましたの。祖国の味に慣れないというのもおかしな話ですな」


 普通に考えれれば幼少の頃から食べ続けた料理が、基準となるものだが、アラタの母親が日本人であり、幼なかったとはいえ料理を毎日食べていたのだ。ある程度基準がアメリカ料理から外れるのは仕方のない事だ。


「母が外国人だったので、その影響が強いのでしょう。父の家も祖国に移住してまだ100年しか経っていなかったので、完全に料理文化に染まっていないのも大きかった。両親は私が5歳の時に亡くなりましたが、その記憶と血が祖国の料理に慣れさせなかったのですよ」


 おかげで未だに、祖国の料理に違和感を感じます。そう苦笑いを浮かべながら語る。


「所で、お二人の子―――アンナ嬢のご両親はお見えになられないのですか?」


「息子夫婦はいまサピン国で外交官をやっていましてな。もう一人の孫、アンナの兄も外交で東諸国を走り回っておるのですよ。娘二人は他家に嫁いでおりますし。ですから今屋敷にいるのは家内とアンナだけです」


「主人も相談役という仕事柄、城で食事を摂る事が多いので、夕食はいつもは私とアンナで済ませてしまいます。他の家に招かれる事は多いですが、こちらが招くのは久しぶりなのですよ。ですから今日はレオーネ殿を楽しみにしていました。アンナも年の近い方とお話し出来て楽しそうですし」


 凛々しい殿方ですし、最後に小声で呟くが近くのミハエルだけは聞こえており、目を剥く。この老人はどうやら孫娘を目に入れても痛くないほど可愛がっているらしい。


「アンナは昔から少し身体が弱くて、あまり外出が出来ないのです。手慰みに書物を好みますが、レオーネ殿に何か異国の話をお願いしたいのです。この老婆のお願いを聞き届けて頂けませんか?」


「構いませんが、ただ年頃の女性を楽しませる話となると、難しいですねえ」



 うーむ、と妙に悩み続けるアラタにアンナは申し訳なさそうな視線を送る。自分の為に、この青年は本気で悩んでいると思うと、罪悪感を感じてしまう。


「あの、レオーネ様。私の事はそう深刻に考えなくても良いのですよ。レオーネ様の事でしたら、どんな話でも私は楽しく聞けますから」


「私の事ですか……そういえば私はこの国の文字を覚える為に、初代ドナウ国王フィルモの建国物語を写しています。ですから私は、私の父の先祖の建国物語を皆さんにお話ししようと思います」


「ほう、それは興味深いですな。異国の建国物語とは、希少な体験だ。二人もそれで良いかの?」


「勿論です。レオーネ様のお話ならどんな物でも楽しみです」


 リザも無言でうなずくの確認したアラタは、一口果汁飲料を含み、喉を湿らせる。


「では、私の生れた時代より3千年前のイタリアという土地の、ローマという国の物語をお話ししましょう」



 初めに建国王ロムルスの生い立ちから始まり、父親の分からぬ双子として捨てられ川に流された後、狼に乳を与えられた事にアンナは驚きの声を上げる。


「レオーネ様、狼が人間の赤子を育てる事が本当にあるのですか?」


「この双子がそうだとは伝説のため事実だと言い切れませんが、動物に育てられた人間の子というのは事例としてあります。ただ、そのまま長い時間動物と一緒に暮らすと、人間らしさを忘れて育てられた動物と同じ行動を取るので人間との生活が困難になってしまいます」


 その後、親切な羊飼いに拾われた双子は立派に成長し、ロムルスとレムスと名付けられた。その二人が近隣の羊飼いたちを統率し、武力による抗争から次々と農民や遠方の羊飼いを従わせ、街を作るほどに人を集めたと語った。

 その後、徐々に兄弟仲が悪くなり対立が深まると、互いに従う者を集めて別々に暮らす事を提案。暫くは平穏に過ごしていた。しかしレムスが境界線を飛び越えて侵入したために、争いが再開されロムルスがレムスを殺してしまった。


「領土争いとはいつの世も土地も関係無いのですな。特に双子は上下関係が決め辛い、ドナウでも王家や貴族でも双子の男の子は、なるべく別々に育てる風習があります。家督の継承がややこしくなるからです」


 兄弟同士で殺し合う話に溜息を付きながら、ミハエルはこの国のしきたりを話す。兄弟同士の確執を何十年も実際に見てきたのだろう。あるいは自身も兄弟の争いに巻き込まれた事があるのかもしれない。


「そうですね、どの国でも家督争いは悩みの種です。場合によっては王家すら二つに別れて争うほど、凄惨な状況を作り出してしまいます。ただ、結果的に争う者がいなくなり、正式に一つの街を作ったロムルスは自らの名前から街をローマと名付けたのです」


 この後にロムルスが政治体制や軍事体制を整備したのは割愛した。聞いても婦人には楽しい話では無いと判断したためだ。


「建国したロムルスが次にした事は、人攫いでした」


「ひ、人攫いですか!?そんなひどい!」


 当然、アンナから非難の声が挙がる。いくら伝説だとは言えこうも軽々と建国物語に悪事を載せるとは予想しなかった。少なくともドナウ王の物語は、そんな事を一言も載せていない。


「はい、酷い話です。元々ロムルスにしたがっていた者は、次男三男のはみ出し者たちが多かったのです。特に女性が全くおらず、これでは集団を維持できないと判断したロムルスは、強引にでも女性を確保する必要がありました。お二人には眉を顰める話ではあるのですが」


 リザもアンナほどではないが、良い気はしないようだ。理屈では理解しているが、女を物の様に扱うのは不快だろう。


「そこで王となったロムルスは一計を案じ、街の近くのザビーニという部族を祭に招待しました。肉や酒を振る舞い、油断させた所を見計らって伴侶のいない若い娘を奪い取りました。武装した男達に丸腰のザビーニ族は妻子や老人を守りながら逃げ帰るしかなかったのです」


「それはそれは、ロムルスという男はあくどいですが知恵は働く男の様ですな。それからどうしたのです?」


「娘や妹を取られたザビーニの男は怒り、後日ローマに女を返すよう要求しました。しかしロムルス王は娘たちを返さず、正式に結婚して大事にするとだけ答えて、本当に娘たちと結婚式を挙げました」


「あの、それで本当に娘を奪われた家族の方は納得するのでしょうか?その女性達も無理矢理結婚させられているでしょうし」


「アンナ嬢の言うとおり、ザビーニの男達は納得せず、ローマに戦いを挑みました。始終ローマは有利に戦いを進め、四度目の戦いでザビーニの娘たちが割って入り戦が中断しました。娘たちは夫や父が戦うのを見ていられないと訴えかけ、止めに入りました。ローマの男は皆、ザビーニの娘を大切に扱い、妻として不自由ない生活を保障しており、夫に愛情を抱いていたからです」


 ここでも三人とも驚き、互いの顔を見合わす。特に、ミハエルなどはアンナがもし力づくで攫われたとなったら、正気ではいられず、相手を殺してでも連れ戻そうとするぐらいに可愛がっている。そのアンナにそのような事を言われたら一体どうするか見当もつかない。

 アンナは力づくの結婚から愛が芽生えるなど、正直信じられないと口にし、リザの方は相当好意的に考え、悪い扱いを受けず夫から愛されているのだから許してやるか、という当事者達の多少なりとも余裕のある考えに至り、幾ばくかの理解を示す。


「まあその辺りは当事者達の気持ちなので、私は何とも言えませんが、とにかく戦は終わりローマとザビーナは和解しました。後は戦後のザビーナの取扱いでした。いくら妻の実家とはいえ、実質的な敗者でしたので当時の価値観から奴隷扱いも考えられたのですが、ロムルスはそれをせず、両者の対等な合併を提案しました。これをザビーナの長は受け入れ、同じ街で二つの街の住人が対等な仲間として暮らし始めたのです」


「それも驚きの政策ですな、この西方では負けた国の住民は皆農奴や、奴隷身分に落とされ酷い扱いを受けるのが常識です。それが嫁の実家とは言え、破格の待遇と言えますな」


「そうですね、戦の勝者というのは傲慢なものになります。ローマは傲慢より強者の寛容さを重要視したと言われており、この政策が後のローマの敗戦国への基本的な統治法になりました。ある歴史家はこのローマの政策を『敗者でさえも自分達に同化させるやり方以上に国家の強大化に寄与したものは無い』と評価しています」


 この敗者を自国民として扱う寛容の精神を用いて、古代ヨーロッパの最大の版図を広げたローマ帝国を築くのだ。ミハエルは特にこの敗者への対応に深く感銘を覚えたようだ。ホランドの敗戦国への仕打ちを考えれば正反対の処置を行うローマに好印象を抱くのはある意味当然と言える。


「この二つの街の合併の後、ザビーナの長は亡くなりロムルスが王として40年の統治の後、亡くなります。これが私の父の祖国の源流であるローマの建国です。皆さまご清聴ありがとうございました」

 アラタの締めくくりを、三人は拍手で答えてくれた。


「私はレオーネ様のお話に惹かれました。この国に無い興味深い話、私はもっと聞きたいと思います」


「そう言っていただけるなら、幸いです。武骨者の軍人の話などご婦人を楽しませられると思いませんが、お世辞でも嬉しく思います」


「お世辞だなんて、私は本心を口にしたまでです。レオーネ様のお話は、どんな本の物語よりも楽しく感じられました」


「そうですよレオーネ殿、アンナは世辞や追従はあまり上手くありません。この孫娘が楽しいと口にしたのなら、それは本心です。女性の言葉を疑ってはいけませんよ」


「その通り、アンナは儂に似ず腹芸が苦手でしての。嘘も下手なのです。貴族の娘としては些か不安になる性格ですが、一人の祖父としては好ましいと感じております」


 成程と、アラタは納得する。確かに腹芸の出来ない貴族というのは将来が怖い。この国に来て初めて貴族に触れたが、どいつもこいつも一癖も二癖もある者達だ。将官の中にもそういった手合いは何人か見たことがある。そんな集団の中を生きるには、この儚い少女の性格では不安にもなる。家や国を残すには綺麗事などゴミ箱に捨てる必要がある。彼女にそれが出来るとは思えなかった。


「そうですね、私もアンナ嬢のことは好ましく思います」


「え?あ、あのそれはど、どういう意味でしょうかレオーネ様?」


「どういう意味と言われましても、腹に一物抱えていない貴女の真っすぐな心が好ましいという事を指して、好ましいと口にしましたが?」


 アラタにとっては曲者揃いの閣僚や官僚達の面倒さを見ていると、騎士のシェルマンやアンナ嬢の真っすぐさが一種の清涼剤に思えてくる。


「あははは、そ、それは、ありがとうございます。そうですね、レオーネ様はお城勤めですから、色々とあるのですね。私も祖父から政治の困難さを僅かですが聞いておりますので、レオーネ様が何を思っているのかは少しだけですが、想像がつきます」


「まったくですな、政治とは魑魅魍魎の棲家と言えます。儂もこの年まで続けていますが、いやはや心身ともに疲れもうした」


「その魑魅魍魎の一員が、言う言葉では無いですよ。それほど疲れたのでしたら、早々に隠居も考えてはどうですか?後継者がいるのでしたら、お譲りになって残りの余生を悠遊暮らすのも、貴方の歳なら許されますよ」


「そうしたいのは山々ですが、あと一年は務めて見せますぞ。ドナウにとって大事な一面なのですから、屋敷でのほほんとは過ごせませぬ」


「では当てにさせて頂きますよ、ベッカー殿」


「存分に頼って下され。尤も、貴殿に教える事はそれほど残っていないと思いますがの」

 

 この国に来てからの何度目かの軽口の叩き合いだ。こういった言葉の応酬は悪い気はせず、自然と顔にはニヤリと笑みが浮かぶ。ベッカーも似たような笑みを浮かべ、なんだかんだで楽しんでいるのだろう。


「あらあら、二人とも楽しそうね。あんな笑みは家族にも見せたことないわ。子供や孫たちより仲が良いんじゃないかしら?」


「お婆様もあのように笑うお爺様を見たことが無いのですか?」


「そうね、あれは家族に向ける笑みというより、友人に向けるものみたいに見えるわ。年甲斐も無くはしゃいでいるのよ」


 リザの言葉で軽口の応酬を中断し、二人が食って掛かる。


「大奥様、それはちがいます。このような腹に二つも三つも抱える偏屈な老人など友人とは思いません」


「儂もだぞ、リザ。この若造は初対面の儂をジジイ呼ばわりする礼儀知らずじゃ。この男にこの国の儀礼と言葉を教えたのは儂なんじゃ。友人などと思ってはおらん、精々生意気な教え子じゃ」


「十日足らずで手を離れる程度でしたがね。教師役には感謝していますが、交渉失敗は貴方の失態だよ外交官殿。信の置けぬ交渉役は足り得えんよ」


「それは否定せんがの、マリア殿下の取り成しで儂は首を繋げた。それにしても儂の言葉を信じず、殿下の言葉を受け入れたのはどういう事かの?身分違いではないかの?」


「さて言ってる意味が分かりかねるな。以前話したが腹の黒い老人より、駆け引きの出来ない少女の言を信じたという事だ。いけませんねえ、もう忘れてしまったのですか?」


「口の減らない若造め」


「貴方に比べれば大抵の人間は若いのですよ、物忘れのはげしいご老体」


 延々と続く聞くに堪えないののしり合いに、残された孫と祖母は互いに見合わせながら、いつまでも笑い続けていた。



         □□□□□□□□□




「お見苦しい所をお見せしました」


「いえ、あんなに楽しそうなお爺様は初めて見ました。レオーネ様のおかげです。私も貴方のお話が聞けて、楽しいひと時でした」


「そう言って頂けるなら幸いです。貴女の祖父殿を悪く言うつもりは無いのですが、どうにも顔を合わせると、あのような言い合いになってしまうのです。故郷での生活でもああいった事は無かったのですが」


「きっとお爺様とレオーネ様は気が合うのですよ。そうでなければわざわざ屋敷に招くような事は致しません。仲が悪ければお城の中だけで仕事だけのお付き合いになると思います」


 晩餐会が終わり、アラタとアンナは同じソファでお茶を飲んでいた。

 ミハエルはアラタを城へ送る竜車を用意する為、外に出ており、リザは晩餐の片付けの指示を出している。アンナも手伝おうとしたが、祖母から客人の相手を頼まれて、こうしてお茶を飲みながら話し相手を務めている。

 リザからすれば身体が弱くあまり出歩けない孫娘に、楽しい思いをさせたいという思いやりの表れなのだ。あの青年が悪人でないのは直ぐに分かった。アンナにも拙いながらも気を遣い、接してくれる。打算の類もあるだろうが生来善性の人間なのだと、夫の隣で多くの人間を見続けた目を信じていた。



 そんな若い二人の談笑も長くは続かず、ミハエルが車の手配を終えて戻って来たが、ソファに座る二人を見て妙に渋い顔を作る。


「レオーネ殿、車の準備が済みましたぞ。さあ、アンナも見送りを頼むぞ」


「はいお爺様。レオーネ様、今日は楽しい時間をありがとうございました」


「いえ、こちらこそ楽しかったですよ。また貴女と話が出来ればいいのですが」


 窓から見える屋敷の外は月明かりしか無く、使用人の一人が手持ちのガラスランプで足元を照らしながら先導する。

 門の前には御者が車に乗っており、アラタが乗り込めば直ぐにでも出発できたが、アンナがそれを留める。


「あの、レオーネ様とまたお会いできますよね?またお話を聞かせていただけますか」 


「勿論ですよ。アンナ嬢と話すのは心が休まります。今度お会いする時は何かお土産でも持ってきます」


「そのようなお気遣いは無用です。貴方とのお話が一番のお土産です」


 アンナに礼を述べ、車に乗り込むのを確認した御者が竜を歩かせる。その車を見えなくなるまで見守ったアンナは屋敷に戻る。



 後片付けの指示を終えた祖父母が食堂でアンナを待っていた。


「見送りご苦労だったなアンナ。今日は楽しかったかね?」


「はい勿論ですお爺様、レオーネ様のおかげです。あの方を連れて来てくださったお爺様にも感謝を」


「儂はおまけなのか。悲しいのう、孫娘は若い男にご執心とは」


「そうねえ、枯れた老人よりはレオーネ殿のような青年の方が見栄えも良いでしょう。それが年頃の女なら尚更です」


「お前までそのような事を言うのか!まったく、どうしてこう……」


 ぶつぶつとアラタへの悪態をつき始めた老人を放って置き、年の離れた女二人で話し合う。


「レオーネ様は不思議な方でした。他の貴族の殿方と違って何と言いますか、気取らずに素朴な面がありますけど、洗練された身のこなしです。人への気遣いも本心からのものですが、どこか計算染みて醒めた所もあるように思います。私より子供のように見えますし、ずっと年上にも見えます。本当に不思議な方です」


「惚れましたか?」


 その一言でぶつぶつとぼやいていたベッカーが硬直し、アンナが茶の入ったカップをテーブルに落とす。アンナの顔は見るからに赤くなり、否定しようにも口がうまく動かず、あうあうと意味の無い音しか出なかった。

 そこから数秒かかってかろうじて言葉を紡ぎ出したが、態度とは正反対の言葉だったので説得力には欠けていた。



「ち、違うと思います!私はあの方の話が楽しみであってそ、その、好きとか嫌いとか――――」


「では嫌いだと?」


「それはありません!け、けど……」


 ごにょごにょと聞き取れない否定の言葉をつぶやきながら手足をジタバタと動かす孫娘を、リザはニコニコしながら諭す。


「貴女の態度は恋する女のそれです、私にも身に覚えがあります。恋と言うのは時間は関係なく、突然始まる事もあるのです。私は貴女の事を祖母として応援しますよ」


「で、ですがお婆様!私のような面白みの無い、身体の弱い女をレオーネ様が気に入るとは思えません!」


「あら、今日はずっと楽しげに話していたように見えますが、あれは演技だと?レオーネ殿はあまり感情が出ない人ですが、素直な方に見えます。あの方は貴女の気性を好ましく見ているのです」


「もう!お婆様は意地悪です!これからレオーネ様の顔がまともに見れなくなってしまいます!」


 真っ赤に染まった顔を両手で覆いながら、首をしきりに振り回して抗議するが、そんな孫娘の狼狽する様子を気にせずリザは笑う。

 その後、ようやく再起動したベッカーが愛する孫娘の取り乱す姿を見て、苦虫を噛み潰したような渋い顔になる。


「くそっ、あの若造め。儂の可愛いアンナを惑しおって!王家の顧問役でなければどうとでも出来たものを」


 単なる逆恨みなのだが、孫を取られた祖父と言うものはこういうものなのだろう。しかし王家が後ろ盾の男を如何こうする事もできず、歯噛みする。



 そんな醜態を晒す夫を宥めながら、リザは思いを馳せる。どうにか孫娘に幸福な結末を用意してあげたいと。神ならぬ身に未来を見通す目は無いが、何とかなるだろうと楽観的にアンナの幸せな未来を夢想した。



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