第5話 意識下にヌルリと滑り込んでくる

非常に不思議だなと思うのには

幼少時の記憶というヤツだ


唐突に当時の匂いや感触が蘇る


妙にネチョネチョとした感触の油粘土に

ストローをハートマークに折り目を付けて

プスプス刺していたこととか

手を洗うときに その粘土の溶けた水が跳ねて口に入ったこと


風邪をひいて喉を痛めたときの治りかけの匂いに酷似しているので

その度に記憶の端にのぼる


それ以前の記憶は

どうなっているのか


写真を見ても

思い出せない

全く実感が湧かない


人格が形成される以前の記憶は

この人格を作る記憶は

何処に収納されているのか


確かに自分を作ってきた記憶なのに


ふとした温度に 色に 光景に

ボンヤリとした何かが浮かびそうになるけど

掴もうとすれば

消えてしまうもどかしさがある


一番古い記憶はなんだろう


当時はあんな田舎では珍しいことに

共働き夫婦のもとに生まれた私は

テントウムシの匂いのする教会の保育園で昼間は面倒をみてもらっていた


多分3歳ぐらいではなかったか


なぜその記憶が残っていたのかと言えば

小学校に上がる前に そのことを強く思い出したから

ではないだろうか


膝で滑り込むと、擦れて火傷する床

小さな子が出入りできないようになのか

梯子状の柵があったが

他人より小柄で体の柔らかかった私には

易々とくぐり抜けられた

スポンジに布を巻いただけのような椅子もあった


ピアノを習うために教会を訪れた際に

それらがボンヤリとたゆたっていたのを

あのテントウムシの匂いが

穏やかな秋の日差しが

幼い私に掻き立てるようなもどかしさとともに

唐突に「思い出せ」と語りかけてきた


あのとき思い出さねば

この記憶はこんなに鮮明に灼きついていなかった


無意識の記憶が自分をつくる根本に歴然と存在する

幼い頃の記憶は靄のようにわだかまっているのだ


だが不意に

重力レンズで宇宙の果てを覗くように

それが形を為す瞬間がある


そのたびに

自身の知らぬ自分自身を暴かれるようで

居心地の悪さを感じるのだ

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