おまけ

はじまりのひとかけら


 白き雪の中で花開き、春を告げる常緑の木。

 災厄を祓うと古より大切にされ続けた花樹は、その散り方ゆえに忌み嫌わるようになった。

 ほとりと首を落とす血色の花は誰からも不気味と厭わるる。


 これは、そんな時代、とある国に在った少女の話。

 幾つもある出会いのはじまりのひとかけら。


 紅の鮮やかなる花を与えられし、少女――名を椿。



 * * *



「何者じゃっ!」


 少女は頬を紅潮させて、手にしていた竹箒を突き出してきた。

 荒げられた声が真白な雪に吸い込まれる。

 雪中に浮かび上がる常緑よりも、その木が守る紅の花よりも、小袖を身に纏った少女の方が鮮やかに映えて見えた。


 *


 ついたちは偶然出会った少女を思い出して、くつりと笑う。家人が怪訝気に眉を寄せたが、そんなのを気にするような彼ではなかった。


 *


 都からの帰り道、常時使っていた通りが雪に埋もれていた為に朔は回り道をすることを余儀なくされた。馬上にいる朔が雪に足を取られる心配はないが、これだけ雪が深ければ馬だって足を取られかねない。仕方がないので朔は幾許か道を戻り、雪の少ない横道を入り行ったのだ。

 どれくらい進んだ頃だったろうか。

 視界いっぱいに広がる椿の垣根に、朔は目をすがめた。艶やかに光る緑の葉には、黄の花芯を持つ紅の花がぽつりぽつりと咲き宿っている。「へぇ」と朔は知らず、感嘆を漏らしていた。

 首を落とすとして忌み嫌われている花。特に武家の育ちである朔は山で自生している椿くらいしか目にしたことがない。山にある椿でだってここまで多くの椿を一度に見たことはなかった。

 それが、こんなにたくさん、数え切れぬ程までに咲き乱れている。

「血色ねぇ……」

 それにしては鮮やか過ぎるけど、と朔は馬から降りることなく、そと花に触れる。拳と同じ程の大ぶりの花は、白き雪に落としたらさぞ綺麗だろうな、と彼は思った。ほとりと首ごと落ちると言うが、地面に落ちているものは一つもない。

 ふむ、と朔は少しばかり紅の花と白い雪を見比べる。だが、思案していたのもほんのわずかな時間だけであった。彼はためらいもなく、ふつと椿の花を手折って、そのまま手の上から零す。

 音も立てずに静かに雪に降りたった椿を見やって、朔は首を傾げた。予想していたよりも大した感慨はなかったのだ。

 それならば、もう特に用はない。


 紅を宿した常緑の垣根から、勢いよく少女が飛び出して来たのは、朔がその場を離れようとした正にその時だった。


「何者じゃっ!」とその少女は突き出した竹箒を片手に、朔に問うた。

 武士に対しては何とも無礼な振る舞い。

 そこまでしてしまったら刀で斬り伏せられても文句も言えぬというのに、彼女は臆せず朔の前に立ち塞がった。尊大な少女の態度は、朔が思わず、帯刀し忘れてたっけ、と己の刀を確認してしまった程である。

 呆気にとられている朔へと少女は「人様の家の椿に何をしている」とさらに声を荒げた。

「えっと、ああ……そうだね、申し訳ない」

 朔が少女の気勢に圧されて、謝ってしまえば、彼女はきゅっと唇を引き結ぶ。こちらを警戒しつつも、みしりみしりと浅く積もった雪を踏みしめ、朔の方へと近寄って来た。彼女の後ろからは、へこみ、できた足跡が一つ、二つと続く。

 白き息を吐く馬の鼻先を通り抜け、朔の隣に立ったかと思うと、彼女は前触れもなくしゃがみ込んだ。

 小さく、あかぎれのある手が、そうと紅の花を包み、拾い上げる。そのまま、少女はそろりと立ち上がり、ほう、と安堵の溜息を洩らした。目を伏せて、慈しむように椿の花を眺め見る。

 いくつも、いくつも、埋もれ咲いている花の中のたった一つだというのに、彼女は至極大切そうに、椿を包み込んだ。

「……椿、好きなの? そんなに?」

 少女が手にしている花がとても特別なものであったかのような錯覚さえ覚えて、朔は尋ねた。

 彼女は訝しげに彼を睨み上げてから、「好きじゃない」と端的に告げる。「なら、どうして」と朔が首を傾げれば、少女の瞳の黒茶がほんのわずか暗闇のように落ちた。

 生垣の向こうから「椿様」と声があがる。女の呼びかけに反応したのだろう。次の瞬間、少女の双眸にはもう焦りしか映ってはいなかった。

 垣根の方へと振り返り、彼女は緑の茂みの向こうに叫びかけた。

「おばばっ! こっち来ちゃだめ。危ないから」

 忠告してから、自身も走り去ろうとする少女に向かって、朔は「ね」と呼びかけた。

「椿?」

 朔が問えば、彼女はひたと立ち止まる。

「この花と同じ名前?」

 らんと鋭さを増してこちらを睨んでくる少女の目から、朔はそれが真であると悟った。

 ねぇ椿、と朔は初めて彼女の名を口にする。

「僕と一緒にならない?」

 極限までに見開かれたかに思われた黒茶の双眸は、しかし、一瞬の後には胡乱さが勝ったらしい。奇妙なものでも見るように少女は朔を見、ふいと視線をそらした。

 椿が消え入ってしまった垣根の入口を、朔は眺めやってほんのりと表情を緩ませた。


 *


 しきりに婚姻を進めてくる母に、共になりたい女子おなごを見つけた、と報告してみれば、朔の母は喜色を露わにした。けれども、彼女の承諾なしに勝手に名を挙げ、告げてみると、今度は「やめなさい」と母は息子を引き止めにかかる。

「椿など、ろくな女子ではあるまい。朔。さような、どこぞの者とも知れぬ娘にうつつを抜かすなど」

「正真正銘の武家の娘だよ。問題ないでしょ」

 菫の咲く季節になってようやく聞き知ったことを、朔はこともなげにさらりと言った。

「ですが、朔。さように不吉な名の娘を家へと入れたらどうなるか」

「不吉、……と言うよりは、むしろ、首を落としに来た輩をことごとく祓ってくれそうではあったけどねぇ」

 朔は己に向けられた少女の瞳を思い出して、おかしそうに笑う。

 そんな息子を見やって、彼の母は頭を抱えた。


 *


 少女との会話がきちんと成り立つようになったのは、淡い藤の花が咲く頃。

 渋々ながらも茶が出されるようになったのは、凛と立つ杜若かきつばたの咲く頃。

 それに、茶受けが付くようになったのが、ころりとした鬼灯ほおずきが実をつける頃。

 新年を迎える頃には、朔の父母は共に息子の説得を諦めた。

 二度目の椿が咲く頃になると、相手の娘を不憫に思い始めるまでになっていた。


 結局、全てが静かに落ちておさまったのは、ちょうど三度目となる椿が咲いた後のことだった。

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