第4話
ジョジョにストップを掛け、イライザは息を潜めた。
息を詰めて深呼吸する。
ほんの少し落ち着いてきたところで、改めて階下を観察。
話の主導権を握っているのは、若いそばかすの男だ。
敬語を使っているので下っ端だろう。
あちこち地図を指差しては説明を続けている。
イライザたちは知る由もないが、この男は記憶力の良さを買われ、ガーデナーとして屋敷に潜入していた新入りだった。
この見取り図も彼が描いている。
正面に座った頭は、作戦を成功させ認めて貰おうと説明を続ける若い新入りの話を黙って聞いていたが、内心はパラパラ落ちてくるほこりの方が気になっていた。
「さっきからいやにほこりっぽいな。」
男たちがいっせいに梁の上を見上げる。
つられたイライザも視線を追い、思わず二度見した。
ストップを掛けたはずのジョジョが、いつの間にかまた歩を進めている。
長年溜まったほこりのせいで滑りやすい梁の上を、ジョジョはちょうど彼らの真上あたりまで進んできたところだった。
ヒィィィィ!ジョジョ、ストップ、ストップ!!!
慌てて手を振る。
はらり。
また、ほこりが舞い降りていった。わりと大きい。
なんとかしなきゃ!えぇと、えぇと。こんなときは!
焦ったイライザは、思わずパクパクさせた口をとがらせた。
息を吸い込み、もう何でもいいやと鳴いてみる。
チ、チゥ・・・
あ。我ながら上手い。ネズミみたい。
ジョジョはピタリと止まっている。
ようやく事態に気づいたようだ。
一方のイライザは調子に乗って、
チゥチゥ。チチッ。チチゥ。
とやっていると、階下からまた声が聞こえてきた。
「ネズミかな?この屋敷も古いからな。」
「今回のお宝で新しい屋敷に越したいよな。」
「しかし、えらくチッチ鳴いてるな。」
「ありゃサカリだな。」
「お盛んなことで。」
な、何よ!発情期じゃないわよ!バッカじゃないの!?
慌てて止めたが、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
だが、どうやら騙されてくれたようだ。
マヌケな盗賊団でよかった・・・
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。
「・・・おい、何か青いものが見えないか?」
まだ頭上を見上げていた男が指を差した。
男たちと共に再び梁へ目をやったイライザは、のけ反ってごちんと柱に頭をぶつけた。
ジョジョが青くなってる・・・!!
カメレオンは敵に見つからないよう、身体の色を変えて同化するというが、何を間違ったのか、ジョジョは茶色い梁に対して青になっている。
しかも指摘に気づいたらしく、慌てて色を変えた。
「ん?緑か?ほらこの真上あたりに。」
再び階下がざわつき始める。
違う!茶色、茶色にならなきゃ!
慌てて何度も梁を指差すイライザに、ジョジョの焦りはピークに達したらしい。またぱっと色を変えた。
惜しい!いや惜しくない!?それは赤!!!
自分のパニックが逆効果だということに気づいたイライザは、ジョジョに見えるよう深呼吸すると、改めて梁を指差した。
落ち着いてジョジョ。この色よ、茶色。
ジョジョもまねをして深呼吸を始める。
すうっと赤から茶色に変わり、完全に梁と同化した。
「・・・気のせいかな。」
「何も見えないな。」
「どっかから隙間風が入ってるんだろう。だからほこりが降ってくるのさ。」
「・・・だな。」
盗賊たちが話を再開する。
あぁ、焦った。もうだめかと思った。
イライザがへなへなと柱にもたれかかったとき、ついにジョジョは反対側へと到達した。
決死と言ってもいい仕事から戻ってくる頃には、ワンピースはどろどろになっていた。
あれこれしたせいでほこりが上乗せされ、すり込まれ、クモの巣のオマケまで付けた彼女のお気に入りに、もはや群青の面影はない。
ジョジョは、ポケットの中で眠り込んでいた。
尻尾には、おくるみの代わりにしっかりと鍵箱を掴んでいる。
今回は小さな友達のお手柄だ。
ジョジョはあれから、またよちよちイライザの元へ、梁を渡って戻ってきたのだった。
身体に比べて箱が重いので、途中で何度もバランスを崩して落ちそうになりながら。
おかけで行きよりもはらはらしっぱなしだったし、実のところさっきより大きなほこりがひっきりなしに、それはもうパラパラパラパラとテーブルめがけて落ちていたのだけれど。
話がまとまったのか、盗賊たちがどこかへ行ってくれて助かった。だから本当なら出て行っても良かったけれど、イライザはあえて行かず、黙ってジョジョを見守っていたのだった。
そして、戻ってきたジョジョをポケットに入れ、静かに盗賊のアジトを去ってきた。どことなく誇らしげに。
ちゃんと連れて帰ってあげる。今はゆっくりお休みなさい。
戻ると、祖父と両親が庭先で待っていて、ジョジョがしっかり箱を抱えているのを見ると、代わる代わる褒めてくれた。
「よくやったね、ジョジョ。」
「偉いわ、がんばったわね。」
「よしよし、いいこだ。」
まるで自分のことのように、イライザは嬉しかった。
事の次第を話して、しっかり祖父に抗議することは忘れなかったけれど。
撫でまわされるジョジョも今はご満悦だ。
余程気持ちいいのか、軽く白目を剥いている。
「さてイライザ。日が暮れる前にマダムのところへ行こう。帰りにジノとポポンのところへも寄らなくちゃ。その汚れたワンピースを何とかしなくてはなるまい。」
マーガレットがさっと着替えを差し出す。
「用具置きで着替えてしまいなさい。」
どうやら中へ入れたくないらしい。
先ほどキッチンやら書斎やらうろついたので、床が酷いことになっていたのかも。
状況を見越して待ち構えられていたようだ。
「そうね。一刻も早くワンピースを元に戻したいのは確かだわ。ポポンのところへ行かなきゃ。」
手早く着替えをすませた。ジョジョの顔は幾分疲れている。
「ねぇ、ジョジョ。これからマダム アン‐スイとポポンのところに行くから、良かったら一緒に行かない?ポケットの中は狭くて嫌かしら?それとも疲れちゃった?なんならお留守番しててもいいわよ。」
ジョジョはしばらく目をくるくるさせていたが、やがてゆっくりとした動きで蔦の籠に足を伸ばし始めた。
ポケットの中は嫌だけど、付いていくのは構わないらしい。
もこもこ毛布をしっかり掴んでいる。
舌はまだだが、尻尾の方はもう上手く使えるらしい。
「ジノを忘れちゃかわいそうだぞ?」
「ばれたか。忘れてるといいな。と思ったんだけど。」
「はい、これジノに。」
マーガレットが笑いながら、大きな種をイライザに手渡す。
抱えるほどのそれは、受け取るとカラカラと音がした。
中に何か入っている。
「シュガーラスクを焼いたのよ。」
「え~、こんなにたくさん?!あの駄犬にはもったいない!」
「あなたの分もちゃんとあるわよ。ジノには、虫歯にならないよう何回かに分けて食べるように言って頂戴。あの子ったら何でも一気に食べちゃうんだもの。」
「全く!母さんのおやつを一気食いするなんて、贅沢はなはだしい駄犬め。」
「僕は解るな~。だって美味しいもんね。」
ぶつぶつ言いながら、二人は荷物を抱え家を出たのだった。
マダム アン‐スイのフルーツショップは王国の中心部より西の丘向こうにある。
二人は、でこぼこした田舎道をゆっくり歩いていった。
刷毛でさっと掃いたような薄い雲。
青く澄んだ空までもが、気持ちよさげに風に吹かれている。
暖かさの中に一筋の冷たさを持ったこの時期の風は、変わりゆく季節の訪れを予感させつつ、万物を優しく撫でながら森のほうへ向かっていた。
手に持った籠の中ではいつのまにかジョジョが眠っていて、おくるみが呼吸にあわせてゆっくり上下している。
前を歩くフィリップの薄いブルーのシャツが風にはためいて、細くて柔らかい金色の髪が揺れていた。
彼はゆっくり歩きながら、気持ちよさそうに空を見上げる。
エドワードともイライザとも微妙に違うセルリアンブルーの瞳が、午後の光を受けてきらきら輝く横顔に、イライザは思わず見惚れてしまった。
普段は何とも思わないのに、こういう時の父は驚くほど美しい。決して口には出さないけれど。
父は気持ちいいときは本当に気持ち良さそうな顔をするし、美味しいときは心から美味しい顔をする、いつまでも子供のような人だ。
少し長めの髪をさらさらと風に揺らし、言うほどお腹も出てないしスリムで足も長い。
女装したら結構イケるんじゃないかしら。
イライザがひとりニヤニヤしていると、
「これでも昔は結構モテたんだぞ。」
「何それ!何で解ったの?微妙に違うけど。何の魔法???」
「お、見えてきたぞ!久しぶりだなぁ!」
木の柵で囲まれた小さな果樹園を見つけたフィリップは走りだしてしまった。
「ったく。子供なんだから。」
ところで、イライザは一族がどんな魔法を使えるのか、実はよく知らない。
祖父はともかく両親は、郵便を出すだとか、この王国では当たり前の魔法を使っているところしか見たことが無い。
正直言うと、両親が祖父のような力のある魔法使いなのかさえ疑問だった。
そういう自分も、まだ空を飛ぶことしか教わっていない。
教わっていないというより、勝手に身に着けてしまったという方が正しいのだが。
その時のことを思い出すと、イライザはいまだに心臓を冷たい手で掴まれたような感覚を覚える。
祖父が魔法使いであることから、その可能性を考えない訳ではなかったけれど、初めて自分もその血を引いているのだと実感したあの日のことを。
それまでは意識もしなかった、自分の中にある秘めた力。
それは命の危機に晒された瞬間、突如開花した。
10年ほど前。まだ幼い頃、こっそり行ったフォレストと呼ばれる魔の森で、番人であるリュース族に見つかり一心不乱に逃げていたイライザは、誤って崖から転落した。
間違いなく死の淵にいたはずだ。
どこをどう走ったのかも覚えていない。
わき目も振らず、息も絶え絶えになりながら全速力で走り抜けた先で、突如地面が消えた。
あっ!と思ったのは一瞬だったが、落ちていく時間はやけに長く感じられたことと、目まぐるしく飛び込んできた景色を、やけに綺麗だと思ったことだけは覚えている。
あちこちの崖にぶつかって回転しながら真っ逆さまに落ちて行き、ついに地面に激突する寸前、もうだめだと思ったその刹那、イライザの身体はいきなり宙に浮き、猛烈な勢いで上昇を始めたのである。
初めは、大きな鳥にでもつかみ上げられたのかと思った。
何がなんだか解らず、やっと自分の力で飛んでいるのだと理解したときにはリュース族は遥か下方で石ころくらいになっていて、そのまま家まで飛んで帰ったイライザは祖父に散々叱られたのだった。
フォレストと呼ばれる森へは、決して入ってはならないときつく言われていたからである。
開花した能力については、誰にも何も言ってもらえなかった。
ただ一言、祖父に言われただけである。
「あまり高く飛びすぎてはいけないよ。天空はドラゴンの領域だからね。」
書斎を出ると両親がいつものように迎えてくれた。
すり傷だらけの身体に、父は黙って手製の軟膏を塗ってくれた。母が入れてくれた温かいミルクには、はちみつが入っていた。二人ともフォレストに行ったことも魔法のことにも触れず、怒ったりもしなかった。
だからなんとなく何も聞けず、イライザも黙ったままだった。夜になって眠れずにいると、誰かが部屋に入って来る気配がして、イライザは慌てて眠ったふりをした。
気配はまっすぐ枕元までやってくる。
それでも目を閉じていたら、べろんべろんと顔を舐められて、びっくりして目を開けると、そこには優しい垂れ目があった。
その時初めてイライザは、ぽろぽろと涙をこぼし、ぎゅうっとナナを抱きしめながら泣いたのだった。
ナナはくんくん鳴きながら、涙がこぼれるたびに頬を舐めてくれた。そうして泣き疲れたイライザが眠りに付いて、朝になって目覚めるまで、ずっと側にいてくれたのだ。
それっきりイライザは、飛ぶ以外の魔法に関しては追求する気も起きず、かといって禁止されたわけでもないので、祖父の手伝いなど必要に迫られた時には飛んでいるのである。
小躍りしながら先を行くフィリップを見つめつつ、イライザは歩いていた。
今となっては懐かしい、恐ろしく、暖かい思い出だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます