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「…ケッ」
犀(せい)を連れて来いと追い出された窓の外、『彼』はぷいと日紅(ひべに)から顔を背ける。
「俺はあいつなんか連れてこねぇからな」
「どうして」
「嫌いだからだ!」
「ホントは好きなくせに」
「はぁ?好きじゃねぇよあんなきもいヤツ!」
「はいはい。じゃあちゃんと犀連れてきてね。じゃないと絶交だから」
『彼』の鼻先で、日紅は無情にも窓を閉じた。
「…ケッ…」
ご丁寧にシャッとカーテンまで閉める日紅に『彼』は心なしか寂しそうに口を尖らせて呟く。
「おーーーーい、月夜(つくよ)ぉーっ」
がさがさと風に騒ぐ葉音に乗って足元の方から聞こえてくる声に、『彼』の片眉がびんとあがる。
『彼』にとって、一番聞きたくないやつの声だ。
そのまま無視をしようかとも思ったが、その途端にぽんと日紅の顔が頭に浮かんだ。
あいつは怒ると手がつけられないからな…。
『彼』はしぶしぶ振り返った。
樹齢五百年の例の木の根元にそれは、いた。
グレーのロングコートを着込んで、少し着膨れした手を『彼』に向かって振っている。ツンツン頭の、それ。
「ここだよ。早く来いよ」
「…………」
『彼』はふわりと犀に向かって飛んだ。
勢い余ったふりをして繰り出した回し蹴りは難なくかわされ、「最近格闘技にはまっている」犀から逆に人間とは思えない速さでアッパーを食らった。
その攻撃に、『彼』は今度こそ‘勢い余って’どさりと地に沈んだ。無言で悶絶する。
「なにしてんだよ月夜。早く連れてけよ」
「…」
『彼』は無言でがっと犀の襟首を掴みあげると再び飛翔した。
「!?」
ふわりと犀の体が持ち上がる。
「うっそぉ!?」
当然のことながら、犀の首がぎゅっと絞まった。びりり、といや~~~な音もした。
「ちょ、待て月夜!俺、体重50あるんだけど!?」
犀が必死で『彼』を見上げても『彼』は知らんぷりだ。その目は据わっている。ま、まずい、と犀は思った。
ビリリッ、ブツッと音が追い討ちをかける。このままじゃ、日紅の部屋につく前に御陀仏だ。
たらりと嫌な汗が犀の背を伝う。
「ちょっと!」
バン!と、いきなり日紅の部屋の窓が開く。
「あんまりうるさいと皆起きちゃうでしょ!?なんでそう静かにできな、…って、キャァアアアアアーーーーーーッ!犀ッ!」
下を見た日紅は絶叫した。
「日紅!?」
日紅の部屋のドアが激しくダンダンダンと叩かれる。
日紅はさっと青くなった。
「どうしたの、日紅!何かあったの!?」
「な、なんでもないのお姉ちゃん!」
日紅はやっと部屋まで運ばれてきた犀を見た。
『彼』は運んできたものの、犀を部屋に入れようとはしない。
その間にも、ビッ、ビリリとーーー…。
ああ願わくば買ったばかりと犀が自慢していたコートの強度が防弾チョッキも真っ青のものであるか、のっぽさまの枝がクッションのように落下した犀の体を受け止めてー…って我ながらありえないー!日紅の思考は一瞬現実を逃避した。
「あ、あああたしぃっ!あって欲しくない現実、じゃない夢、夢を今見てっ!大声上げちゃったのぉ!なんでもないから、大丈夫!」
「…そうなの?本当に大丈夫?そっち、行こうか?」
「いやいやいやいやいや!本当大丈夫だから!お姉ちゃんはもう寝て、すぐ寝て、早く寝て!」
日紅は訝(いぶか)しむ姉の部屋のドアが閉まる音を聞くと、はっと我に返りすぐさま犀に手を差し伸べた。けれど、その手が犀に触れる一瞬前に『彼』はいきなり、犀の襟首を掴んでいた手をぱっと離した。
「おわーーーッ!?」
「犀!」
犀は咄嗟にぐわしっと『彼』の足に掴まる。
「巫哉(みこや)!」
「何すんだよ月夜!殺す気か!?」
「死ね」
「ちょっと巫哉冗談でもそういうこと言わないの!ほら犀、掴まって」
かくして、やっと収拾のついた部屋の中で、日紅はぱたんと窓を閉めると息をついた。
日に日に、『彼』の犀に対する扱いが酷くなってきているのは気のせいではないだろう。
「…ごめんね、犀。その服、弁償するわ」
真っ赤になった首もとと襟元の破れが激しかった戦いの痕を物語る。
「何で日紅が月夜のやったことを弁償する必要があるんだよ。こいつにさせればいい」
「何言ってるのよ犀。巫哉に弁償できるわけないでしょう?お金持ってないんだし」
「別に金じゃなくてもいい」
犀がちらりと横目で『彼』を見ると、『彼』はしたり顔で言った。
「じゃあ体か」
「は!?」
日紅は目を剥いたが、犀はにやりと笑った。
「そうだな。じゃァ体で返してもらおうか」
「な、ちょ、ちょっと待ってよ犀!や、やっぱりあたしが一番単純かつ円満な方法で返すわ。はいお金」
日紅は犀にそっと千円札を握らせた。
「日紅!そいつに物を与えるとこの世の終わりまでついてきてウザいからヤメロ」
「別におまえについていくわけじゃねぇよ」
「犀!巫哉!喧嘩しないでよーーーーッ!」
日紅は再び叫んだ。
途端にドアがドンドンと叩かれる。
姉だ!まずい!
三人は顔を見合わせた。
…そしていつもどおり夜は明けてゆくのである。
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