第100話 もしも抱っこされていなかったら……

 ――城郭都市『クラジナ』。


 地元の名士であるザルバ・アルスデーテからの寄付によって繁華街こそにぎわっているが、少し離れると畑が目立つようになり、城壁の外にも広大な農耕地が広がっている、麻薬関連企業連合カルテルの本拠地であるという事をのぞけば、何所どこにでもありそうな地方都市。


 ――そんなクラジナ市が、今、戦場と化していた。


 都市を包囲ほういしているのは、マルバハル共和国軍。


 クラジナ・カルテルと戦い続けてきたのは同じ。だと言うのに、自分達は蚊帳かやの外で、警察や沿岸警備隊ばかりが大きな手柄てがらを立てている――それが腹にえかねたのだろう。


 その陣頭指揮をっていた本局保安官マーシャルエリザベート・ログレスに知らされる事なく、軍主導でのクラジナ・カルテル壊滅作戦が突如とつじょ決行された。


 ひきいるは、『アルダス・エッカルード』。階級は大佐。


 彼は、その時すぐ動かす事が可能だった全ての部隊を動員してクラジナ市へ向かい、ありの子一匹逃さない構えで包囲し、何も知らされておらず激しく動揺するクラジナ市長を呼び出して、ザルバ・アルスデーテを始めとしたカルテル構成員の引き渡しを要求し、翌日よくじつの出までに応じなかった場合は武力を行使するむねを通達した。


 ――その一方。


 次の作戦の準備を進めつつ、首都リルルカで行なわれたクラジナ・カルテル壊滅作戦、その事後処理に追われていたエリザベートのもとに、軍が動いた、という情報がもたらされたのは、その日の深夜。


 軍の要求が通る事など、まずありえない。


 何故なら、レムリディア大陸で最大規模の犯罪組織が、容赦のなさと残虐さで知られた戦闘部隊《セスロの鎌》が、市長に命令されたからと言ってしたがうはずがなく、署員や隊員の多くがカルテルと通じている警察や警備隊にどうこうできる訳がないからだ。


 そんな事は、火を見るよりも明らか。


 つまり、エッカルード大佐は、始めから、クラジナ市でカルテルと戦争をする気なのだ。


 その本拠地があると言っても、市民の多くは日々真面目まじめに働く農民で、全員がカルテルの関係者という訳ではないというのに……。


 そんな軍を止める事ができるのは、マルバハル共和国の元首にして軍の最高司令官である、大統領のみ。


 エリザベートは、大きな被害が見込まれる軍の作戦を止めるため、まず、本局から連れてきた部下達の中から選んだ二人組に通信用霊装を持たせて大統領官邸へ向かわせ、自身は、側近2名をふくむ半数の部下をつれて先行する事を決め、残していく部下達には、主に警察の特殊部隊で構成された地上部隊の準備が整い次第しだい率いて後に続くよう指示し、《トレイター保安官事務所》の面々とランス達を乗せたシャーロット号と共に、潜空艇でクラジナ市へ急行した。


 舗装ほそうされていない道を自動車オートモービルで移動するより、潜空艇で空を移動するほうが断然だんぜん速い。


 それでも、クラジナ市付近に到着する頃にはうに夜は明けており、戦いの火蓋ひぶたは既に切られていた。




 それは、畑の一角を潰して設営されたマルバハル共和国軍の本陣、その上空にとどまっているシャーロット号の居住区画キャビンでの事。


 広々としたフロアのおよそ3分の1が、長方形のテーブルとソファーのセットが置かれた応接室のような空間で、残りが、強いこだわりが感じられる木の風合いが生かされたレトロな酒場バーのような空間――そんな飛行船ふねの中とは思えないその場所で、


「軍が、このままただ指をくわえて見てるだけ、なんて事はないだろうと思ってはいたけど……」


 レヴェッカは、そうつぶやきつつ腕組みし、何とはなしに、気密性が高い船内の空気を攪拌かくはんしている天井てんじょうのシーリングファンを見上げた。


 その身はしっかり武装しており、拳銃二丁分のホルスター、マガジンポーチなどが取り付けられたハーネスを装着し、対刃防弾仕様のロングジャケットを纏い、ホルスターに納まった〔平行銃身上下二連中折式猟銃型衝撃杖リンスレット・シルヴァンス〕を背負っている。


「なぁー、もういいじゃん」


 大欠伸おおあくびしてからそう言ったのは、保安官助手アシスタント・シェリフのティファニアで、右腕に甲拳と一体化した盾――〔輝く炎熱の攻盾ウルカヌス〕を装備しているものの、酒場バーのような空間のほうに置かれている椅子に浅く腰掛け、背凭せもたれに寄り掛かってその上部に後頭部を乗せ、左腕に装備する円形盾ラウンドシールドが無造作に置かれている丸テーブルの上に足を乗せてだらけ切っており、


「現地の軍人が、天空都市国家グランディアから来た本局保安官マーシャルに指揮権わたす訳ねぇんだからさぁ~。始まっちまった以上、もうどうしようもねーじゃん」


 それは、事実その通りなのだが……


「でも、このまま何もしなければ、きっと大勢の死傷者が出る。国軍やカルテルの兵隊だけじゃなく、無関係な市民にも……」


 そう言ったのは、刃のない二股に分れた剣身を有する大剣――〔閃く轟雷の砲剣トニトゥルス〕をすぐ側の壁に立て掛け、窓際でたたずんでいるフィーリアで、長い前髪で目許が隠れていても、予想される悲惨な結末をうれえているのがうかがえ、


「エッカルード大佐ってのは、良いうわさを聞きませんからね。これまで何度も市街戦で市民を巻き込んで死傷させておきながら、そのたびに、奴らはカルテルの関係者だった、と言い張って、一度として謝罪した事がない、とか……」


 しぶい表情でそう言ったのは、借り物の霊装〔防護の腕環バリアリング〕と、両手に格闘用手袋ファイティンググラブを装着し、バーカウンターの前に並んでいるスツールの一つに腰かけているエルネスト。


「軍人の風上にも置けないやつだな」


 そう言って憤慨ふんがいするのは、フロアの中央で腕組みし仁王立ちしている《トレイター保安官事務所》の主力の一人、大柄な白獅子の獣人女性であるクオレ。


 彼女は、生まれがオートラクシア帝国の寒い地方であるがゆえに、寒さには強いが熱さには滅法めっぽう弱く、マルバハル共和国の常夏の気候に順応する事がどうしてもできなかったため、先日まで、空調エアコンいている飛行船内で、申し訳なさそうに掃除などの雑務に従事していた。


 しかし、今は、依頼人レヴェッカ達が事後処理に追われている間にランスが調達してきた装備――〔防熱頭巾〕をかぶっている。


 これは、横に長いレムリディア大陸の北西部、大樹海の北側に広がる世界最大の砂漠地帯――『ホォショーラ大砂漠』付近で生活をいとなむ『砂漠の民』の必需品で、内側に〔水精の薄絹アクアヴェール〕が使われているのが特徴。その強い水属性をびた薄絹は、熱をうばう性質があるため、包み込んだ頭部を冷やすだけでなく、目から下を覆うマスク部分を通って冷却された空気を吸い込む事で、体温を下げる事ができる。


 そして、これさえあれば屋外で働ける、もう役立たずではない、とやる気をみなぎらせているクオレの他に、応接セットのソファーに腰かけている不安げな様子のニーナ、その肩の上で瞑想めいそうするかのようにまぶたを閉じている小鳳凰竜キース、バーカウンターの内側にはクラシックなメイド服姿のシャルロッテの姿がある、そんなキャビンに、


 ――リィイィ……ン


 水晶が振動するようなんだ音色ねいろが不意に響き渡った。


 それを待っていたレヴェッカは、素早くふところから通信用霊装を取り出して――


〔こんにちわぁ――――~っ!!〕


 そこから飛び出してきた元気な大声にった。


 呼び出し音が聞こえた時は、当然、相手は、今回の依頼が達成されるまででいいからと通信用霊装を渡しておいたランスだと思っていたのだが……


「フラメアちゃん?」

〔フラメア。それをかえし――〕

〔――やー〕

〔あのねっ たすけて いってるのっ いぃ~~っぱいっ〕


 今度聞こえてきたのはピルムの声で、


〔いい? たすけにいってもっ〕


 そんな声をいているだけで、クラジナ市の上空を悠然と飛ぶ体長約10メートルの白い翼竜スピアの背中の上で、小天竜フラメア小飛竜ピルムが身を寄せ合って、ごしゅじんランスの手から奪い取った通信用霊装に向かって話しかけている様子がありありと想像できる。おそらく、声が聞こえない小地竜パイクは、お利口におすわりしたまま、やれやれとでも言いたげに首を横に振っているに違いない。


 話している内容が内容でなければ、ほくほくしたり、きゅんきゅんしたり、ニマニマしたりしていたのだろうが…………幼竜達には、市街戦に巻き込まれた、または、近くで勃発した戦闘の気配に恐れおののいている人々の声が聞こえているのだろう。


 レヴェッカが思案したのは、束の間。


「――いいわよ。だから、ひとまずそれをランス君に返してあげて」

〔ごしゅじんっ いいよ いったのっ〕

〔もーようなしー〕


 レヴェッカが、用無しそれはないでしょ、と頬を引きつらせている間に通信用霊装はランスの手に戻ったらしく、


〔申し訳ありませんでした。――報告します〕


 クラジナ市内へ進攻した軍が優勢だという事、その割にカルテル側の損害が少ないようだという事、全てではないが、警備隊の隊員や警察官などが敵の陣営に加わっている事…………などなど、偵察した結果を簡潔に淡々たんたんと伝えてくる。


 依頼人の意向を優先し、すぐ助けに行こうとする幼竜達を引きめながら、与えられた仕事を遂行しようとしているのだろう。そうおもんばかりながら黙って報告に耳をかたむけていたが、


宝具人ミストルティン? カルテル側が武器化した宝具人を使っているの?」


 思わず聞き返した。


〔はい。確認できている数は12。スピアとパイクは宝具人の生体反応けはいを知っているので間違いありません〕


 その後もランスの報告は続き…………一通り聞き終えると、


「ランス君。今は人命優先。こっちには戻らず救助を始めて」

〔エッカルード大佐の許可は?〕

「ない」


 作戦が進行中の地域でグランディア勢にやとわれたスパルトイが活動していた事を大佐が知ったら、激怒して国際問題に発展させかねない。だから――


「だから、上手く立ち回って。いざという時は、リルルカの件で依頼は完了していた事にする。それを念頭に置いて、できる範囲で動いて」


 要するに、信頼してる、でも下手へたをしたら蜥蜴トカゲ尻尾しっぽのように切り捨てる、と告げるレヴェッカに対して、ランスは、平然と、


〔了解しました〕


 そう告げてから、


〔そちらも用心ようじんして下さい〕

「用心? どういう事?」

〔カルテルの別働隊がそちらへ向かっている可能性があります〕

「別働隊? ……それは、指揮官ねらいで本陣を強襲するって事?」

〔はい〕

「……ブレイバスの姿は確認できていないのよね?」

〔はい〕


 それは、《セスロの鎌》の隊長であり、3億3000万の賞金首である『ブレイバス』自身が別働隊を率いている可能性があるという事。


 宝具人の存在が確認されている上、クラジナ・カルテルほどの組織なら、神器や宝具の一つや二つ隠し持っていてもおかしくない。そして、別働隊はそれらをあたえられている可能性が高い。


 今、エリザベートリズは、リア、ブレア他数名の部下と共に、エッカルード大佐と交渉するため地上の本陣に降りていて、依頼人である自分達は安全なはずの空にいる――この状況ですべきランスの言う『用心』とは、地上へしらせに行くなら早くしろ、というだけでなく、宝具の一撃で飛行船が撃墜おとされる恐れがあるから高度を上げておけ、という事だろう。


「国軍の本陣にはねぇさん達がいる」

「急いでしらせないと」

「確かに急いだ方が良い。襲い掛かろうとしている者は、得てして獲物まえに意識がいっていて後ろへの注意がおろそかになるものだ。報せた後は、本陣から離れて待ち伏せるのが良いだろう」


 所長とランスの会話を聞いて、口々にそんな事を言いながらキャビンの出入口へ向かって歩き出す、ティファニア、フィーリア、クオレ。


 レヴェッカは、咄嗟とっさに、所長わたしの指示を待ちなさい、と呼び止めようとして…………出てきたのは、あきらめのため息だけだった。


 通信終了後、霊装を懐にしまいつつ、シャーロット、と呼びかけ、それに応じ女性の姿で投影されたこの飛行船ふねの意思に、自分達が降下しおりたら上昇して雲に隠れるよう指示し、それを僚船りょうせんにも伝えるよう船長ゼロスへの伝言を頼み、


「エルネストは――」

「――許可ゆるしてもらえるなら」


 三人が出て行った後、休めの姿勢で待っていた保安官養成学校の実習生は、所長の言葉をさえぎるようにそう言って、みずからの要望をべた。


「是非、先輩方の仕事ぶりを見学させて下さい」


 レヴェッカは、そんなエルネストの目をじっと見詰め……


「……分かってるわね?」


 何を、と言わないレヴェッカ。


 それに対して、はい、と頷くエルネスト。


「……まぁ、経験を積ませるために受け入れた訳だから、後になってやまずに済むよう、よく考えて行動しなさい」

「はいッ!」

「で、ニーナはどうするの?」


 そう問われたニーナは、あわててソファーから立ち上がり、レヴェッカと自分の肩の上にいるキースの間で視線を彷徨さまよわせつつ、


「わ、私は、お役に立てるとは思えないので、邪魔にならないよう、ここで待機してようかな、と……」


 最後のほうは、契約竜パートナーにおうかがいを立てるように自分の考えをべ、


「いいとおもう」


 キースは、そう言って頷いた。


 それを見て、聞いて、安堵あんどの笑みを浮かべるニーナ。


 だが、次の瞬間、自分の肩から飛び立ったキースが、エルネストの肩に止まったのを見て愕然と目を見開き――


「何だ? キースは来るのか?」

「いく」


 キースは、エルネストの問いに即答してから、ニーナのほうに冷めた目を向けて、言った。


「やくたたず じゃまもの ――いいとおもう 

「――私も行きますッ!! 頑張りますッ!! ランス先輩達の後輩として恥ずかしくないよう役に立って見せますッ!!」


 前言をひるがえし、半泣きで必死にうったえるニーナ。


『…………』


 彼女が何度か口にしていた通り、あくまでランスが特別なのであって、竜飼師ドラゴンブリーダー戦闘職なのだとすると、その判断が間違っているとは思えない。


 だが、キースは違うらしい。


 レヴェッカとエルネストは、上げてから落とすやり口に戦慄せんりつし、竜飼師と契約竜というより、やる気がないならめちまえと突き放す鬼教官コーチと見捨てられたくない訓練生のようなやり取りを見てドン引きしつつも、ニーナに対するあわれみの念を禁じ得なかった。




「――兵は拙速をたっとぶ」


 常に状況を把握するため、空からの監視役として、飛ぶより浮いているほうが得意な天竜フラメアを残し、ランスは、パイク、ピルム、小さくなったスピア共にクラジナ市へ降下し、救助活動を開始した。


 担当は、幼竜達が、まだ国軍が進行していない区画。ランスが、既に戦闘が行なわれている区画。


 方法は、悪党共を一網打尽いちもうだじんにしたのとほぼ同じ。いちいち声を掛け理解を得て誘導する手間をはぶき、幼竜達が気配をひそめたまま街中を駆け回り、逃げ遅れていた要救助者達を【念動力】でかたぱしからつかまえ、ふわっ、と浮かせたまま運んでいく。


 輸送先は、点在している避難所や避難壕。


 そもそも、高い壁は、怪物モンスターなどの襲撃に対する備え。そんな戦闘を想定している城郭都市に、建物であれ穴倉あなぐらであれ、避難する場所が存在しない事などありえない。


 その所在は、ランスが市民にたずねたり、上空のフレメアが人の生体力場が集まっている場所を見付けたりして特定した。


 先に担当区画の避難を終わらせた幼竜達は、ごしゅじんの手伝いへ向かい、ランスが危険地帯へ飛び込み戦闘を回避しつつ救助してきた市民を安全な所で受け取り、最寄りの避難場所へピストン輸送する。


 そして、キースから、フラメアをかいして、本陣が襲撃されたとのしらせを受けたのは、幼竜達が生体力場で感知した要救助者全てを、世界中のどの救助レスキュー隊よりも圧倒的に速く避難させ、ランスが、とある避難所の一角で負傷者に応急処置をほどこしている時の事だった。


「…………」


 ランスが軍幼年学校で受けたのは、兵としての教育であって、将としての――兵を率いる者としての教育は受けていない。少しばかり特別な兵士だったため、目的を達成するための計画を立てる事はできるものの、敵との駆け引きを前提とした戦術や長期間におよぶ戦略は専門外。


 しかし、座学で戦史をまなび、戦いには流れがあるのだと教えられた。


 あの時、カルテルは、大きな損害を出さないまま徐々に後退し、数で圧倒的優位に立っている国軍は、どんどん都市内へ進攻していた。


 その状況を、カルテルが国軍を都市内へ呼び込んでいる、と見て、過去に行なわれた戦闘で類似しているものを探し、当てめると――


 カルテル側が、本隊をおとりにして国軍主力をふところへ呼び込み、機動力が高い少数精鋭の別働隊で、都市内へ兵を送り込んだ事で手薄になった国軍本陣を強襲。その成否にかかわらず、別動隊は、国軍主力の後方を突く形で都市内へ引き返し、本隊と前後から国軍を挟撃、分断、各個撃破。


 ――そんな流れが見えてくる。


 しかし、兵としての教育しか受けていない自分にすら見えているという事は、将としての教育を受けているはずのエッカルード大佐や幕僚ばくりょうにも見えているはず。ならば当然、対策を用意しているはずであり、当然だからこそカルテル側も、対策を用意しているはず、と考えてそれに対する策を用意して…………という具合に、読み合いが発生するため、必ずそうなると断言はできない。


 だが、数的に劣勢のカルテル側は、選択できる手段が限られている。


 その上、国軍が把握していなかった宝具人という突破力もある。


 ゆえに、可能性は高いと判断し、偵察した結果を報告すると共に用心するよううながした。


 しかし、エッカルード大佐は、完全に包囲しているがゆえに別働隊が都市の外へい出すすきなどないと断言し、レヴェッカの忠言ちゅうげん一笑いっしょうしたらしい。


 結果、カルテル側の強襲が成功してしまった。


「…………」


 兵士にとって、無能な上官のもとに配属される事ほど不幸な事はない。


 現在、避難している途中で流れ弾に被弾したという男性から弾丸を摘出中。すぐ側で、この男性の妻と幼い息子が見守っているため、不安にさせないよう、ランスは、内心でのみ嘆息した。


 処置後、涙ながらに感謝の言葉を口にする一家に、これはあくまで応急処置であって後で必ず医師にてもらうようげ、他にも怪我人はいるが、いま処置しなければ手遅れになる重傷者は、彼が最後だという事は確認済みなので、負傷者が集められている一角から素早く移動する。


 そして、避難所の出入口へ向かっていたその時、


「ごしゅじぃ――~んっ!!」


 聞こえてきたのは、ピルムの助けを求める声。


 それで振り返ると――


「…………」


 ピルムが、3歳くらいの女の子にガッチリっこされていた。




 彼女は、きっと、犬や猫などの動物を抱っこした事がないのだろう。


 それは、人形なら問題ないのだが、生き物の場合はやってはいけない抱き方で、女の子が両手をピルムの背中側からわきの下を通してまえに回し、しっかりかかえているため、抱っこされているほうは、両前足を左右に広げて肩をすくめたような状態で、下半身が垂れ下がって、びろぉ~んっ、と伸びている。


 【弱体化】しているとはいえ、ピルムは一番頑丈なので、平気そうだが……


「はなしてほしいの」


 お願いするピルム。だが、女の子は、イヤイヤするように首を横に振る。それを見て、今度は目でごしゅじんに助けを求めた。


 泣いていた女の子をなぐさめるために抱っこされたは良いが、放してもらえないらしい。足掻あがけば容易に抜け出せるだろうが、女の子を傷付けてしまうかもしれない。それがこわくてできないでいるようだ。


『…………』


 不意に、ランスと女の子の目が合った。


 そのほほの泣いていたあとはまだかわいておらず、少し赤くなった目は、絶対に放さない、と言っている……ような気がする。


「…………」


 ランスが思案したのは一瞬。


 紋章を介した【精神感応】で、スピアとパイクに、ピルム奪還作戦をつたえ――状況開始。


「えッ!?」


 少女の目には、高速で移動したランスが何の前触れもなくその場から消えたように見え、きょろきょろあたりを見回す。だが、常夏のマルバハル共和国ではまず見かけないロングコートはどこにも見当たらず……


「――~っ!?」


 突然、すぃ――…、っと空飛ぶ白い小飛竜が視界を横切った。


 その直後には【光子操作】で不可視化していたスピアをさがし、先程よりもせわしなくキョロキョロする少女。


 そうして気がれた事で両手の力がゆるんだ瞬間、ピルムは、万歳バンザイして、スポッ、と少女の腕の中から抜け出した。


「あっ!?」


 少女は、咄嗟とっさに視線を下げ、今まで見た事がなかった、お話しできる可愛い生き物の姿を捜す。


 しかし、完璧なタイミングで横から走り込んできたパイクが、背に乗せる形で着地直前のピルムをさらい、その直後には【認識不可】を発動させていたため、いくら必死に捜しても見付けられない。


 少女の目に、またじわりと涙が浮かび……


「はい」

「え?」


 少女は、唐突に差し出された黒猫を、反射的に受け取った。


 ランス達にとっての『要救助者』には、人以外もふくまれている。この避難所にも、ペットとして飼われていたらしい動物達を運び込んだ。黒猫は、その中の一匹。


「こうして、下からおしりをしっかりささえてあげて……そう。動物は、そうやって抱っこするんだ」


 ランスが、探しに行き、連れてきた黒猫は、右前足を怪我けがしていて、今は包帯ほうたいが巻かれている。


 それに気付いた少女は、けがしてるの? だいじょうぶ? と心配そうに話しかけ……


「あれ?」


 ふと気付いた時にはもう、抱っこの仕方を教えてくれたお兄さんの姿は忽然こつぜんと消え去っていた。


 そして、それは、少女が不思議な出来事に目をパチパチさせ、気立ての良い黒猫が、おとなしく抱っこされたまま涙の跡がまだ乾いていない少女の頬を、ぺろっ、とめ、ランス達がちょうどその避難所をあとにした直後ちょくごの事。


 ランスは、キースから、フラメアを介して、マルバハル共和国軍の指揮官であるエッカルード大佐がカルテルの別働隊に討ち取られた、との報せを受けた。

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