第98話 鏡 と〝卑怯者〟と 長めの余談

 現在、マルバハル共和国の首都リルルカから遠く離れた辺境にありムー山脈のふもとから広がる大森海に最も近い都市――リムサルエンデの警察署では、署長以下十数名が汚職、背任等の容疑で逮捕されたため、本局保安官マーシャルエリザベート・ログレスの部下、男性の保安官代理マーシャル・デピュティひきいるグループが、その職務を代行している。


 このように、警察としての機能に支障をきたしている場合や、自浄能力が正常に機能していないと判断された場合など、その国の役人ではなく、天空都市国家グランディアの総合管理局から派遣された本局保安官や保安官代理が、その職務を代行する事がある。


 それは、通常、警察としての機能の正常化が完了して新たな署長が着任するまでの間だけ。


 しかし、それが完了しても、代行していた保安官がその地に事務所を構え、監督するという名目で、現地の警察に対して強い影響力を持ち続ける事がある。


 例えば、マルバハル連邦警察本部で空前くうぜんの不祥事が取り締まられたのち、首都リルルカに拠点をもうけた《ラッシュフォアーズ保安官事務所》のように。




 発展の途上にあるマルバハル共和国にはまだ何台もないような高級車が、表向き貿易会社という事になっている建物の前、れつを成す警察車輌と反対側の車線で向かい合うように停車し、素早く下りた運転手が後部座席のドアをける。


 すると、ひらき切る前にみずからドアを押しけて下りてきたのは、苛立いらだちやあせりをにじませた初老の男性で、同乗していた男女2名の部下をつれて、足早あしばやにクラジナ・カルテルの拠点アジトに近付いて行く。


 それに気付いた武装警官隊の隊員2名が、部外者達を現場に近づけないよう立ちはだかり――


「あら? まぁっ! 《ラッシュフォアーズ保安官事務所》の所長様ではございませんかッ!?」


 悪意てんこ盛りの声を上げた女性保安官から、手振りで一人だけ通すよう指示があったため、リルルカの警官であれば知らぬ者のない初老の男性のみ通し、続こうとする部下2名の前に立ちふさがって引き留める。


「貴様は……リンスレットっ!? 確証のない独断と偏見に満ちた捜査をとがめられ、レムリディア大陸での捜査活動を禁じられた貴様が、何故なぜここにいる?」


 初耳だったらしい《トレイター保安官事務所》に所属する二人の保安官助手アシスタント・シェリフ――ティファニアとフィーリアは顔を見合わせ、所長であり彼を通すよう指示を出したレヴェッカ・リンスレットは、すごみのある笑みを浮かべた。


「そのせつはお世話になりました。――お前達が、ある事ない事総合管理局うえ報告つげぐちしたせいで――」

「――落ち着きなさい」


 さえぎるように発した言葉と共に、後ろからその肩をつかんで制止しとめたのは――


「初めまして。私は、本局保安官マーシャルのエリザベート・ログレスです」


 身分証を提示しつつ若き女性本局保安官はそう名乗ってから、後ろの部下二人――保安官代理のリア・ティンタジェルとブレア・カムランを紹介した。


「《ラッシュフォアーズ保安官事務所》所長の『ジェロン・ザヴィアー』だ」


 初老の保安官シェリフ――ジェロンは、そう名乗って握手しようと手を差し出したが、エリザベートはそれに応じず、


「彼女がここにいるのは、局長の許可を得て捜査を行なっているからです」


 局長の? と怪訝けげんそうに言いつつ不愉快そうに差し出した手を戻すジェロン。


「だとしても、リルルカは《ラッシュフォアーズ保安官事務所》の管轄かんかつだ。我々に何の報告もなく、弱小事務所と総合管理局ほんてん保安官マーシャルが何をしている?」

「マルバハル連邦警察本部・本部長以下を、汚職、背任等の容疑で逮捕しました」


 なッ!? と驚愕をあらわにするジェロンに構わず、エリザベートは、自分がその職務を代行しており、現在、優秀な部下に本部のほうを任せて現場の指揮をっているむねを告げた。


「それで、貴方あなたはここで何を?」

「私は――」

「――お友達の事が心配になって駆け付けたのよね?」


 はなから言い分を聞く気がないレヴェッカは、そう言いつつうながすように振り返り、それを見たジェロンは、つられるようにしてそちらにを向けて…………たりにしたのは、難攻不落の要塞アジト最奥部ペントハウスにいるべき者達――クラジナ・カルテルの最高幹部ナンバー2と重要書類の管理を任されていた秘書兼愛人、その他側近達が、拘束され、米俵こめだわらのように武装警官隊にかつがれて連行されていくところだった。


 愕然がくぜんとするジェロンの顔から、見る間に血の気が引いていく。


 その一方で、エリザベートは、肩越しにななめ後ろでひかえている腹心の一人に向かってうなずき、頷き返したブレアは、武装警官隊の隊長に向かって頷き、それに頷き返した隊長は、手信号ハンド・シグナルで部下に指示を出して静かに行動を開始し……


「邪魔されて、だいぶ遠回りさせられたけど……、――終わりよ。お前も、市長も、この国をくさらせている議員連中も」


 レヴェッカの最後通告に、ジェロンは、ギリッ、と奥歯をきしらせた――が、 


「かけられた容疑は、みずからす」


 そう言うと、すっ、と右手を上げた。


 それを合図あいずに、高級車の後ろに停車している引き連れてきた複数の自動四輪車オートモービルから、《ラッシュフォアーズ保安官事務所》所属の保安官や保安官助手達が続々と下車して足早にクラジナ・カルテルの拠点へ向かって進み……


「……あれって、まさか、捜査にかこつけて証拠を処分するつもりじゃないわよね?」

「それ以外の何だっていうの?」


 クイズの答えがあまりにも簡単過ぎて、いくら何でもこんな簡単な問題は出さないだろう、と勘繰かんぐってしまい、そのせいで、別の答えがあるのでは、と考え出したら正解が分からなくなってしまった――そんな感じで、事務所のおさたる者であればいくら何でもそこまであさはかではないだろう、と勘繰り、困惑するレヴェッカに対して、正解は一つだと断じ、合図を送るエリザベート。


 それに即座にこたえ、一部が進路上で立ち塞がり、静かに展開していた残りが駆け出し、武装警官隊が《ラッシュフォアーズ保安官事務所》一行を包囲ほういした。


 そして、双方がほぼ同時に武器を構え、一触即発の状態に。


 状況的には、包囲して自動小銃オート・ライフルを構えている警官隊のほうが有利。


 だが、保安官や保安官助手達の中には、剣や杖を手にしている者がいる。【盾】や【障壁】などの練法・法呪をもちいれば通常の弾丸をふせぐのは容易たやすく、術の一撃で状況をひっくり返されかねない。


「どういうつもりだ?」


 凄みをかせてにらみ付けるジェロン。しかし、エリザベートはおくする事なく、


「ジェロン・ザヴィアー、――貴方あなたを逮捕します」

だまれ小娘。今までも、そして、これからも、リルルカここでは我々こそがルールだ。貴様にしたがわねばならぬれは――」

「――ぁアアアアアアアアアアァッ!!!?」


 悲鳴のような大絶叫に言葉を遮られて、いったい何事かと視線をめぐらせるジェロン。


 そして、《ラッシュフォアーズ保安官事務所》一行は気付いた。――5メートル程から更に【弱体化】をゆるめて10メートル程になった地竜パイクが、クラジナ・カルテルの拠点をかこっている【地形操作】によってきずかれた高い壁に前足をかけ、自分達を見下ろし、グルルルルルル……、と不愉快そうにうなっている事に。


 武装警官隊も恐れおののいている。しかし、敵意を向けられている《ラッシュフォアーズ保安官事務所》の面々のそれは彼らの比ではなく……


「言ったでしょう? 〝終わり〟だって」


 ジェロンは、血の気の引いた余裕のない表情で脂汗あぶらあせを流しながら、勝ちほこっているレヴェッカとドラゴンの間で視線をさまよわせ…………覚悟した、というより全てを諦めたような表情で腰の後ろのホルスターから拳銃を引き抜き、銃口をレヴェッカに向けた――次の瞬間、


「――ぉゴェッ!?」


 その場の誰もがふと気付いた時にはもう、ジェロンの前にランスが立っていて、左手で銃身をつかみ、銃口が下を向くようにひねると悪徳保安官の手から銃把グリップがすっぽ抜け、その直後には、右拳が、贅沢ぜいたくと不摂生で緩んだ腹部に打ち込まれていた。


 悶絶して道に転がるジェロン。


 それを見て、《ラッシュフォアーズ保安官事務所》所属の保安官や保安官助手達は、動揺し、中には覚悟を決めて武器を持つ手に力を込めた者もいた――が、ズガァアァンッ!! と地竜が前足を掛けていた壁を踏み潰して前に身を乗り出したのを見た瞬間、心が折れ、全員、武器を捨てて投降した。




 武装警官隊が、《ラッシュフォアーズ保安官事務所》メンバーの身柄を拘束していく。


 その一方で――


「殺気がありませんでした。阻止そしされないよう牽制したのち、自害するつもりだったものと思われます」


 要するに、自殺させないよう気を付けろ、と警告しつつ、銃身を持ったまま銃把のほうをエリザベートに差し出すランス。


 その後ろでは、レヴェッカが、片手でジェロンの胸座むなぐらつかんで引き起こし、容赦なくほほを平手で打って意識を取り戻させ、


「カルテルに、所長の……『ルーカス・トレイター』の捜査を妨害するよう指示したのはお前か?」


 顔を近付け、ジェロンの目をのぞき込むように訊く。それに対する答えは――


「わ、私ではないッ!」

「じゃあ誰ッ!?」

「知らないッ!」


 両手で胸座を掴んだレヴェッカは、捷勁法や練法・法呪の【身体能力強化】ではなく、感覚的に霊力による身体強化を使いこなす聖人セイントの力でジェロンをり上げ、め上げつつ声を荒げて問い詰めるが、


「し、知らない……~ッ!」


 答えは変わらず、


「なら、所長の奥さんと娘さんを襲わせたのは誰ッ!? 実行したのは誰ッ!?」

「し、知ら…ない……~ッ!!」

「所長を自殺に……麻薬の過剰摂取に見せかけて殺したのは誰ッ!?」

「じ…じら……ほ…ほんど…に…じら…な……ぁ……~ッ!!」

「――そこまでにしなさいッ! 死体からは何も訊き出せないッ! ――レヴィッ!!」

「~~~~ッッ!!!!」


 エリザベートに止められたレヴェッカは、奥歯が砕けそうなほど食い縛り、ギリギリ歯をきしらせて…………力を抜き、ジェロンを放り出した。


 ドサッ、と地面で横倒しになり、真っ赤な顔でゲホゲホ咳き込むジェロン。


 レヴェッカは、そんな男の姿を鬼の形相ぎょうそうで睨み付けていたが、乱れた呼吸と気持ちを落ち着けるため、顔をそむけて視界の外へ追い出し、口惜くやし気にうつむいた。


「…………」


 ランスは、顔の上半分をおおい隠していたひたいに装着している〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを、カシャン、と上げ、その静かな瞳にレヴェッカの姿を映し…………震えるほどかたく握り締めた手から、爪が掌を傷付けてあふれ出た血がしたたり落ちるのを見て、――決めた。


「――〝来い〟」


 担い手の召還におうじ、ランスの前に出現したのは、支えもなしに自立する直径が優に2メートルを超える重厚な金属の円盤。その両面には違う神秘的な装飾が施されていて、青銅製なのか、美しい緑青ろくしょうさびで覆われている。


「ランス君、これは?」


 突然の事に、周囲が騒然となる中、レヴェッカがそうたずねると、


「大樹海の遺跡で回収したはくを写し取る鏡の神器です。置かれていた場所や壁画から察するに、神前しんぜん裁判にもちいられていた祭器さいきだと思われます」


 ランスは、そう答えてから、レヴェッカとエリザベートにその男ジェロンから離れるよううながし――


嘘偽うそいつわりなき真実まことの姿を映し出せ、――〔浄玻璃之鏡ヤーマラージャ〕」


 真名をって能力を発動させた途端、継ぎ目が分からない程ぴったり合わさっていた2枚の鏡が、本のように開いて行く。


 そして、160度ほどまで開いたところで止まると、2枚の鏡にジェロンの姿だけが映し出され、当人はまだ地面に倒れたままだが、そのどちらも、すくっ、と立ち上がった。


「右側には過去の事を、左側には現在以降の事を質問して下さい」


 ランスの指示に従って、ジェロンを〔不動呪縛印スペルバインド〕で拘束し、更に猿轡さるぐつわませてから、その場でひざまずかせるレヴェッカ。


 そして、その背後に立つと、期待と緊張がありありとうかがえる顔を、右側に映し出されているジェロンに向けて、


「ルーカス・トレイターの捜査を妨害するよう指示したのは誰?」


 そう質問した途端、ジェロン当人は、慌てて振り返り、猿轡のせいで聞き取りにくい声で、やめろ、といったむねの事をわめき出し、左側の鏡に映し出されているジェロンもまたあからさまに動揺し出して何かを喚いているようだが、見えているだけで何も聞こえてこない。


 だがしかし、右側の鏡がほのかな光をびると、


〔マービン・ケレラソム〕


 そこに映し出された自然体でたたずむジェロンは、感情がうかがえないリラックスした表情で淡々と回答し、少し残響エコーが掛かったような声が、その場に居合わせた者達全員の耳に届いた。


 その名を聞いた途端、レヴェッカは、やはり、といった表情を浮かべ、エリザベート、リア、ブレアは、ハッ、と息をみ――


ねえさん。マービン・ケレラソム、ってだれ?」


 フィーリアは、空気を読んで後で訊こうと引きめたが、その制止を聞き入れず、後ろから小声でこっそりエリザベートにそうたずねるティファニア。


 返ってきた答えは――


「《ラッシュフォアーズ保安官事務所》の前所長で、今は総合管理局ピースメーカーの幹部」


 レヴェッカは、騒ぎ暴れるジェロンを聖人の膂力ちからで押さえ付けながら、更に問う。


「警告を無視して捜査を続けた者へのむくいとして、強姦魔にルーカスの家族を襲わせたのは誰?」

〔知らない〕

「…………、なら、誰だと思う?」


 ふとした思い付きを試そうとするかのように、レヴェッカが、左側の鏡に映るジェロンに問い掛ける。すると、その表面がほのかな光を帯びて、


〔――ザルバ・アルスデーテだッ!! あの人の皮をかぶった悪魔がやらせたに決まっているッ! あぁ……~っ、俺から情報がれたのだと知られたら、やつは、俺や俺の家族までトレイターやその家族のように……〕


 つばを吐き捨てるように、現在のクラジナ・カルテルのトップに君臨する大首領ドンの名前を出した後も、訊かれていない事まで感情のままにわめき散らし続けていたが、帯びていた光が薄れていくにしたがって、音声も徐々に小さくなって消えフェードアウトした。


 ここまでで、一同は、この鏡の神器の使い方を大まかに把握し、


「マービン・ケレラソムとザルバ・アルスデーテは、癒着ゆちゃくしていた?」


 レヴェッカがそう右側の鏡に質問した瞬間、当人はいっそう激しくもがいて喚き出し、左側の鏡に映っているジェロンもまた、声は聞こえないものの激しく取り乱し、頭を抱えて涙や鼻水やよだれれ流して泣き喚き……


〔そうだ〕


 肯定する言葉がその場にいる全員の耳に届いた瞬間、当人はもがくのをやめて力なく項垂うなだれ、左側に映っている姿も操り人形の糸が切れたかのように崩れ落ちた。


 その後も、主に、レヴェッカ、エリザベート、ブレアの三人が、ずっと求めていた答えを得るため、有罪を確定させるため、芋蔓いもづる式に検挙するため、左右の鏡に向かって質問をかさね…………必要な事を訊き終えた時、ジェロンは、これ以上ないくらい分かり易い絶望の表情でうつろな目を地面に向け、へたり込んだまま動かなくなっていた。




「ランス君、ありがとう。ランス君のおかげで…………ランス君?」


 ランスが〔浄玻璃之鏡〕に〝控えろ〟とめいじ、2枚の鏡が元通りに合わさった円盤が忽然と消え去っそうかんされた後、レヴェッカは、感謝の気持ちを伝えようとして…………その様子が妙な事に気が付いた。


 普段のすきだらけのようでいてそのじつ全くない自然体ではなく、見るからに隙だらけで、目の焦点も合っていない。それに何より、


「ごしゅじん……」


 【弱体化】して小さくなった小地竜パイク小白飛竜スピア小天竜フラメア小飛竜ピルムが、護ろうとするかのようにその周りに集まって、心配そうに見上げている。


「ランス君、……ねぇ、どうしかしたの?」


 呼び掛けても反応がない。そこで、肩を揺すってみようとレヴェッカが手を伸ばすと、ランスが、さっ、と手を上げた。


 それは、掌を相手に向ける、しばし待て、のジェスチャー。


 ランスは、そのまま、また動きを止め、異変に気付いたティファニア、フィーリア、エリザベート、リア、ブレアが、いったい何事かと集まってきて……


「…………お待たせしました。用件は何ですか?」

「声をかけたのは感謝を伝えたかったからだけど……」

「その必要はありません」


 スパルトイとして、依頼人の要望には可能な限り応えなければならない。


 それゆえに、必要だと判断したから実行した。ただそれだけの事だ。


「じゃあ、今のは何だったの?」

「自分をたもつ事に集中しつつ、取得した情報を確認していました」

「自分を保つ……って、まさか、さっきの神器の副作用ッ!?」

「いいえ。正常な作用です」


 順を追って、簡単に説明すると――


 まず、人に限らず全ての生命は、大きく分けると『魂』『魄』『体』の三つでできている。


 『魂』は、生命の源の事。


 『体』は、魂を納めるうつわ、つまり、肉体の事。


 『魄』は、魂と体をつなぐひも、あるいは魂を体に定着させる接着剤のようなもの事で、この魄に、人格を形成する情報――記憶が蓄積される事によって自我が芽生える。


 余談になるが、幽体または精神体とも呼ばれたりするのは『魂魄こんぱく』の事で、幽体離脱した場合、幽体と肉体をつなぐ霊的な紐のようなものは魄の一部。


 更に余談になるが、生物は、死を迎えると、魂だけが天にかえり、残された魄と体はつちに還る。その際、体が腐敗していくのと同様に魄もちていくのだが、怒りや憎しみ、うらつらみといった強い感情ほど朽ちるのに時間が掛かり、そこに、特殊な条件下でわだかまった天地自然の霊気が宿ったり、死霊術師ネクロマンサーの手によっていつわりの魂が植え付けられたりすると、亡者アンデッドとして動き出す。


 更に更に、肉体が土に還った後、偽りの魂と朽ちかけた魄だけで彷徨さまよい続ける存在――魄の状態によって呼び分けられる『死霊ゴースト』や『悪霊レイス』。それに、呪術の禁忌を犯して永遠を得る代わりに魂を失った存在――他者から奪った生命力や霊力で維持される魂に似たコアで疑似生体力場を形成し、死を拒絶して老いる事のない体の維持に執着する『不死人ヴァンパイア』や、ちからを求めて知識を蓄積する魄の保存に注力する『外法之王リッチ』は不死系の怪物アンデッド


 だが、魂魄のみの存在――肉体を失った後もじがを維持しこの世にあり続ける『神獣』や『神仙』、一部の妖精族などは、生命の源である魂を有しているため、アンデッドにはふくまれない。


 〔浄玻璃之鏡〕は、この魄をうつし取って鏡面にうつし出す鏡であり、霊的経路パスを介して〝写し取った魄〟を使用者に取り込ませる事で、正当な裁きを下させるための神器。


 そうして見せ、かせる事で、うったえられた者には言い逃れできない事を、訴えた者や傍聴ぼうちょうする者達には裁判の正当性を知らしめ、使用者は、訴えられた者――鏡に映された者の見た事、聞いた事、体感した事だけではなく、罪を犯したその時、その場所で、何を思い、何を考えていたのかという事まで知悉ちしつする事で、まよいなく正しい判決を言い渡す事ができる。


 だが、犯行の瞬間だけを抜粋するというような事はできず、人格を形成する情報である魄を取り込む、というのは、その者の人生を追体験するに等しい。


 それゆえに、意志が弱い者やすぐ他人の意見に流されてしまう者などが使ったり、今回のように、自分の人生の倍以上の情報量をいっきに送り込まれたりすると、その影響を受けて、ものの見方や考え方が変わってしまう、つまり、使用者の人格がゆがんでしまう可能性おそれがある。


 少し長くなってしまったが、ランスは、そういった事をもう少し簡潔に説明して、


「そうならないよう、自分をたもつ事に集中しつつ、取得した情報を確認していました」


 そう話をくくった。


 人知を超えた神器の力によるものだからか、それとも洗脳を目的としたものではないからか、軍幼年学校時代に数年がかりで無意識下に刷り込まれた対精神干渉系術式【心理防壁マインドプロテクト】が対抗発動する事はなかった。


 それでも、ランスがおのれを保つ事ができたのは、打たれ、叩かれ、散々に打ちのめされて鍛え上げられ、死地、修羅場、数多の戦場で磨き上げ研ぎ澄まされた兵士はがねの精神の賜物たまもの――という訳ではなく、ミスティのおかげ。


 ミスティが、精神干渉系の禁術を用いて怒涛どとうごとく流れ込んできた魄を、膨大な量の情報を横取りインターセプトし、みずからが精査した上で必要な情報のみをランスに開示したため、ランスの人格は何の影響を受ける事もなく護られた。


 ただ、それはミスティの独断によるもの。結果、無駄に終わったというだけで、ランスが相応の覚悟をもってそうしていたのは事実であり、話した内容に嘘はない。だからこそ、幼竜達も心配して集まってきていたのであり、今も何事もなかった事に心から安堵し、スピア、フラメア、ピルムは、無事を喜んで、ごしゅじんに飛び付くとそのまま躰をじ登り始めた。


 ちなみに、蛇足かもしれないが、『ミスティ』とは、ランスと融合している自我を有し万能を冠する神器――〔宿りしものミスティルテイン〕の愛称ニックネーム


 以前は、自分の存在をアピールするため、特に用がなくても人化させた分身体に意識を移し女性の姿でかたわらにひかえていたが、ニーナとキースを指導しつつみずからもはげんだ約五ヶ月の修行をた今は、融合度合いが深まったとかで本体に納まっているほうが心地好いらしく、呼ばなければ姿を現さない。


「ランス君、――その神器はもう二度と使わないで」


 話を聞いている間にみるみる表情を強張らせていったレヴェッカが、怖いくらい真剣な表情でそんな事を言い出し、すぐさまティファニアとフィーリア、それにエリザベート達までがそれに強く同意して、口々に封印すべきだとうったえる。


 そうしている間にも、木を登る栗鼠リスのように、ササッ、と駆けあがったフラメアが、ランスの首に躰をすり寄せて、シュルッ、と一周してから、尻尾は巻き付けたままごしゅじんに甘えてその頬にぐりぐり頭を押し付け……


「写し取った犯罪者の魄の影響での変化なんて、良い変化の訳がない」


 そうエリザベートが訴えている間にも、キャットタワーを登る猫のように、ピョンッ、と飛び付いた勢いのままフラメアとは逆側の肩の上まで攀じ登ったスピアが、ごしゅじんの横顔にスリスリし……


「それに、ランス君の人格がゆがんだりしたら、その影響はピルムちゃん達にも表れてしまうんじゃ……?」


 そうフィーリアがおぼえた懸念けねんを不安げにべている間にも、ピルムがアライグマのようによじよじ攀じ登ってきたので、スピアは、場所をゆずってごしゅじんの頭の上へ。頭環型の〔万里眼鏡〕を装着しているので、つかまる場所にはこまらない。


 そして、肩の上まで攀じ登ったピルムは、躰を押し付けるようにしてごしゅじんの横顔に、ぎゅっ、と抱き付いてスリスリし、それでランスの首がかたむくと、頭の上にスピアが乗っているものだからその重さで更に傾き、結果的にそちら側の肩の上の緑の体毛に頬を寄せる形になってフラメアが嬉しそうに尻尾をフリフリし……


「確かに、その神器を使えば決定的な情報が得られるかもしれないけど、どれだけ低くてもその危険リスク見過みすごすせない…………あのね、君達。今、すごく大切な話をしているところだから甘えるそういうのは後にしてくれない?」

『やー』


 ごしゅじんは、いつも優しい。だが、生真面目でもあり、甘えるにも正当なちゃんとした理由が必要になる。それがないと、どうしたんだ? とか、何かあったのか? などと戸惑われたり不思議そうな顔をされてしまう。


 そんな訳で、実のところ、いつでも甘えられるが、甘えられる機会は意外と少ない。


 なので、この貴重な機会チャンスを逃さず、思いっきりじゃれつきあまえながら即答する幼竜達。ランスが紋章を介した【精神感応】で、大袈裟に喜び過ぎだと注意するも、やめようとしない。


 レヴェッカは、はぁ……~っ、と重いため息を吐きつつ諦めて項垂うなだれ、エリザベートとフィーリアは、そんな状態でも表情が変わらないランスを見て苦笑するしかなく、ティファニアとリアは、甘えてじゃれつく幼竜達の姿にもう何の話をしていたか忘れてきゅんきゅんホクホクし、生真面目無表情キャラのクールなブレアまでが、ランスの足にぴとっと寄りってお座りしているパイクのご機嫌な感じで尻尾をゆらゆらさせている姿すがたを見て頬をゆるめている。


 そして、その様子を遠巻とおまきにうかがっている武装警官隊の隊員達は、難攻不落と思われていた悪の巣窟そうくつを攻略したのは本当に彼らなのか、といったような事をヒソヒソこそこそ話し合い……


 ――何はともあれ。


 ランスは、多用するつもりはない、だが、使えるものは何でも使えという教えにしたがい必要だと判断したなら使う、というむねを、幼竜達が甘えてじゃれつくのをやめてくれないせいで話し難そうにしつつも、普段通りの表情で告げて、この話を終わらせた。




 早くも次の現場へ向かおうとするランス達。


 ランス達が乗るのは、もちろん〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕。


 〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを鉄兜の目庇まびさしのように下ろしているランスがハンドルをにぎり、ここまで乗ってきたニーナは、後ろにずれて先輩に場所をゆずり、今はその腰に両手を回してつかまっている。スピアは風防カウルに両前足をかけて準備万端。フラメアはランスのすぐ前で器用にお座りし、〔ユナイテッド〕の後部に取り付けたサドルバッグの上、ちょっとした荷物を積み込めるスペースでは、進行方向に対して後ろ向きで、パイク、ピルム、キースが並んでお座りしいる。


 その前に停車しているのは、《トレイター保安官事務所》の軍用自動四輪駆動車ジープ


 運転席でハンドルを握っているのはエルネストで、ティファニアとフィーリアは後部座席、レヴェッカは助手席に乗り込んでドアを閉め――


「空は、総合管理局うちから連れてきた特殊部隊を配備済み。陸のほうも、こっちに来る前に指示しておいた」


 そう伝えるのは、見送るためにジープの側まできたエリザベート。


 『空』とは空路、『陸』とは陸路の事。例え、クラジナ・カルテルの主要メンバーがリルルカから脱出しようとしても、飛行船に乗るどころか空港に入る事もできず、正しい事をしたくてもできなかった警官達が、ありの子一匹のがさない気構えで非常線を張っている――通行禁止や厳重な検問を行なっているため、発見されずに出て行く事はまず不可能。


 ただし――


あなは?」

愚問ぐもんね」


 人手が不足している。


 それゆえに、市長をたずねて軍の出動を要請してもらうさせる事も考えたが、結局、長く麻薬カルテルと戦い続けてきたこの国の軍人達が、余所者よそものであり若い女性である本局保安官の指示に従う事を良しとせず、例え要請や提案という形を取ったとしても、無視して独自の判断で動く可能性が高いと予想し、現場の混乱めんどうを避けるため、その案は却下した。


 そして、動員できる警察官の中には、内部に潜入しているけいかんのかわをかぶったカルテル構成員がまぎれている。


 そこで、ランスから提供された資料の中にあった名簿の一つ、そこに名を挙げられていた信頼するに足る警官達に協力をあおぎ、非常線を張るにあたって、きつい場所とゆるい場所を――絶対に通さないよう信頼するに足る警官に任せた場所と、警官の皮をかぶったカルテル構成員である可能性が否定できない者に任せた場所をもうけ、意図的に方面へ逃れやすくした。


 エリザベートは、レヴェッカの問いに対して、手抜かりはない、と断言してから、


「本当に貴女達だけで大丈夫なの? 組合本部にだけじゃなく、港のほうにも連れていくべきなんじゃ……?」


 レヴェッカ達がこれから向かおうとしているのは、実質的にクラジナ・カルテルが支配しているみなと


 その目的は、海路での、つまり、船での逃亡を阻止するためであり、我が物顔で好き勝手している悪党共を排除するため。


 そこには、埠頭ふとうに停泊する船舶だけではなく、船に積み込む予定の荷や船から降ろした荷を保管するための巨大な倉庫が無数に存在し、その中の幾つかには、密輸出みつゆしゅつする麻薬だけではなく、密輸入した武器・兵器の存在が確認されている事もあって、今回のリルルカにおけるクラジナ・カルテル掃討作戦で、最も激しい抵抗が予想されている。


 だと言うのに、レヴェッカは、大丈夫よ、と気軽な調子で言って笑い、


「だって、《トレイター保安官事務所わたしたち》だけじゃないから」


 そう続けて肩をすくめると、チラッ、と後ろへ視線を送った。


 エリザベートは、その視線にうながされるようにして、ジープが発進するのを待っている〔ユナイテッド〕のほうに目を向け…………おもむろに歩を進め、ハンドルをにぎるランスのもとへ。


 そして――


「貴方は、総合管理局を動かすに足るあれだけの証拠をいったいどうやって集めたの?」


 ずっといだいていた疑問をぶつけた。


 それに対して、ランスは、淡々と、


「俺が集めた訳ではありません」

「え? じゃあ、誰が?」

「自分の家族や親類縁者しんるいえんじゃの身の安全を優先し、口をつぐみ、見て見ぬ振りをする事を選んだ、卑怯者ひきょうもの〟達です」


 彼らのほうから接触してきたのは、リムサルエンデ市でギャングを壊滅させ、更にその縄張りを取り込んだ地元のマフィアを壊滅させた後の事。


 陰にひそみ姿を見せない〝卑怯者〟達は、マルバハル共和国のいたる所に、どうやらカルテルの内部にすら存在するらしく、それ以降、噂レベルのものから、上司の命令で廃棄されたはずだった警察の捜査資料や証拠品、カルテルの幹部クラスしか知り得ないはずの極秘情報までが、どうか役立ててくれ、という切なる願いと共にもたらされるようになった。


 決して自分の手柄などではないという事を告げたランスは、ジープの後に続くつもりだったものの一向に出発する様子がないので、失礼します、とエリザベートに告げるなり〔ユナイテッド〕を発進させ――


「じゃあ、また後でッ!」


 レヴェッカは、助手席のシートから腰を浮かせて後ろで停車している人員輸送車の中の1台に向かって合図り、ハンドルを握るエルネストに出発するだすよう指示してから、同期の戦友に声をかけ、


「やり過ぎるんじゃないわよッ!」


 エリザベートは、毎度毎度、面倒と手柄てがらを押し付けてくる厄介でもあるが頼りにもなる友人にそう言葉を返し、大型オートバイに続いて走り去るジープと1台の警察車輌を見送る。


 そして、自分もまた職務をまっとうするため、二人の側近と武装警官隊をともなって、表向き貿易会社という事になっているカルテルの拠点アジトに踏み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る