第84話 胎動

 時は留まる事なく流れ続け、全ての出来事は過去になって行く。


 ――例えば、ランスが預かった卵の孵化ふか


 触らないほうが良い、と言われていたのに、小飛竜スピア小地竜パイクが、毎度毎度穴の中に入り込んでは、上に乗ったり、早く出てこいとぺちぺち叩いたりしていたのが影響したのかしていないのか、卵が燐光を放つ間隔の変化が徐々に加速し、つまり、当初の予想より孵化の日が早まった。


 それは、碧天祭の試合が全て終了した最終日の翌日――閉会式の日。


 その日は、午前中に閉会式が行われ、その流れで昼食会、更に複数の会場で夜まで懇親会パーティもよおされる。選手やその関係者達が帰国の途につくのはその翌日。


 孵化には絶対に立ち会いたいと言っていた媛巫女リーネが、御勤おつとめのため、泣く泣く諦めて会場のほうへ向かい、閉会式がもう間もなく始まろうかという頃、卵は薄い燐光に包まれたままの状態に。


 話は少し飛ぶが、竜騎士のエレナとシャリアは、竜飼師協会への出向という形で通常の任務から外れ、今はモーリス会長から、初めて孵化に立ち会うランスのサポートにつくようめいじられ、以降は研修――人竜一体の飛行技術や空中での戦闘技術を学ぶために同行する、と言い出した。


 要するに、総合管理局ピースメーカーでのログレス保安官エリザベートリンスレット保安官レヴェッカのように、今回の一件でもう無視はできないと考えた聖竜騎士団が送り付けてきた鈴付きの首輪――ランス・ゴッドスピードとの連絡役パイプ兼監視役といったところだろう。


 もっとも、二人はこの突然の人事に対して特に不満を覚えてはいないらしく、研修というのもただの名目にするつもりはないらしい。


 ランスは当然のように断ったが、二人は、これは命令だから、と言って引かない。どうやら、ランスと幼竜達だけなら無理でも、その指導を引き受けたニーナとキースのほうに張り付いていればかれる事はない、と考えているようだ。


 そんな訳で、今日も私服姿で『新生の間』にいた二人の助言を頼りに準備を始め、通常は数人がかりで竜舎へ移動させるそうなのだが、ランスは【念動力】を駆使くしして一人で移動させ、入る竜舎のあてなどないため、洞窟前半の保護施設へ。


 その後、手伝いを申し出てくれたニーナと共に、竜飼師協会が提供してくれた材料で孵化した幼竜のために初めての食事を用意した――のだが、


「……んまくない」


 動物の骨粉と挽肉ひきにくに、微塵みじん切りにしたりすりおろした野菜や果物を混ぜた、肉少なめで野菜多めなハンバーグのタネのようなものを作りはしたのだが、味見したスピアの評価は最低で、口に入れた食べ物を吐き出すつもりはないけど飲み込みたくない、そんな途方に暮れたような顔で口を動かにちゃにちゃしていたが、いつまでも口の中に入れておきたくないと覚悟を決めて飲み込むごっくんする。それからしばらくの間、寝ている時と抱っこされている時以外はじっとしていられないスピアの溌溂はつらつさがりをひそめ、実際にそれを食べていたグランディア生まれのパイクは近寄ろうともしない。


 作り方を教えたエレナとシャリア、手伝ったニーナは、不本意極まりないといった様子で評価の悪さにブツブツ文句を言い、ランスは、雑食極まりない幼竜達に不味まずいという評価があった事に軽く驚きを覚え……結局、幼竜達の強い反対によってそれはボツに。


 それじゃあ、とそれをゆずり受けたニーナが、となりくぼみにいる自分の契約竜パートナーにあげようとしたのだが、どうやらその会話を聞いていたらしく、今までは似たようなものを素直に食べていたキースにもの凄く嫌そうな顔をされてショックを受けていた。


 ――それはさておき。


 ニーナいわく、竜飼師達の間では、肉を与え過ぎると気性の荒くなる、とわれており、それ故に、野菜や果物が多めらしい。


 だが、スピアとパイクが協議し、二つまで絞ったものの決められず、最終的にドラゴンジャンケンで決定したのは、食糧庫として使っている〔収納品目録インベントリー〕に収納されていた、レムリディア大陸の大樹海に生息する牛型モンスター。


 ランスが、おもむろに窪みの前の通路で大きなシートを広げ、その上で、サバイバルナイフと【念動力】を駆使し、首から先がない、血抜きしただけの図太い6本の脚と3本の尻尾を有する600キロは下らない牛の巨体の解体を始めると、動物が肉に加工される過程を見た事がなかったらしい女性陣は、少し距離を置き、青い顔をしつつも見学していた。


 しかし、なめしている時間はなさそうだと判断し、中では時間が経過しない〔収納品目録〕にぎ取った皮を収納したランスが、加工中の肉の塊の腹を裂き、でろっ、とはらわたを引きずり出すと、エレナとシャリアは、口を押えながら思わずといった様子で顔を背け、より深刻なニーナはバケツを求めて……


 ――何はともあれ。


 徐々に薄れてきていた燐光が消え、ピシッ、と音を響かせて卵にヒビが入ったのは、そんな女性陣の様子を見て、ここにリーネが来られなかったのは不幸中の幸いだったのかもしれない、などとランスが考えていた時の事。


 ニーナ、エレナ、シャリアは、もっと近くで観たいのに、そうしようとすると、腹を裂かれている原形を留めた肉塊とシートの上に並べられた臓物が目に入ってしまう上、ただよってくる内臓の臭いで、おえぇっ、となってしまうため近寄れない。


 ランスは、泣きそうにもうらめしそうにも見える顔を向けてくる女性陣に構わず手を動かし、汚物が詰まっている部分を取り除いたり、食べやすい大きさに切り分けたり、他の臓物を取り出したりと作業を続ける。


 そして、スピアとパイク、それに隣の窪みからい出してきたキースが見守る中、卵から出てきたのは、聖母竜グリューネ彷彿ほうふつとさせるあざやかな緑のうろこおおわれた翼竜で、程なく億劫おっくうそうにまぶたを開いてその目に世界をうつすと、周囲を見回してから翼手も使って四足で立ち上がった。


 ふらふら、よろよろ、窪みから這い出す幼翼竜。おそらく、血肉の臭いにさそわれたのだろう。


 ランスは、そんな幼翼竜に背を向けてしゃがんだまま、騒ぐ女性陣に向かっててのひらを向けるジェスチャーで手出し無用と伝え、解体作業を続行し――サッ、と頭部をかばって首を傾げた直後、背後から距離を詰めてきていた幼翼竜に、ガブッ、と噛みつかれた。


 その後、また騒ぎ出した女性陣に向かって掌を向けるジェスチャーで問題ないと伝え、平然と、少しだけ鬱陶うっとうしそうに、手を動かし、作業を一段落させると、捷勁法〝剛勁〟での強化と特殊素材のコートにまるで歯が立たないにもかかわらず、しつこく肩口をガジガジし続けていた幼翼竜の鼻先に、ズビシッ、とデコピンを食らわせ、人間の恐ろしさを知った幼い竜族が、ピギャーッ!? と鳴き叫びつつ窪みの中に逃げ込む、などという一幕もあったが――


「おいで、――『フラメア』」


 それは、ミスティが、『スピア』『パイク』……という名付けの法則にしたがって事前に提案してくれていた候補の中から、今日こうして対面したランスが直感で選んだ名前。


 まだ契約を交わしていないため、【精神感応】はおろか【念話】での意思疎通もできない孵化したての幼竜――『フラメア』は、きょとんとして首を傾げたが、スピアとパイクの通訳で自分の名前だという事を理解し、恐る恐るもう一度その人間ランスに近付いて行く。


 そして――


「たくさん食べて、大きく、かしこく、すこやかに育てよ」


 フラメアは、柔らかな内臓を美味しそうにお腹いっぱい食べ、スピア、パイク、キースは、ほぼ丸々残っていた肉を美味しくいただき、幼竜達が内臓や血がしたたるような生肉を貪り喰らう姿を目の当たりにした女性陣は、仲良く胃袋の中身を逆流リバースさせた。




 ――例えば、表沙汰おもてざたにはされなかった暗殺未遂みすい事件。


 それは、閉会式の日の昼過ぎの事。


 ランスは、新聞やテレビで宝具人ミストルティンだという事が暴露されたリーベーラ国立魔法学園の生徒の一人、以前に助けた事がある、あの魔族の少女のもとへ会いに行った。


 それは、会ってやってくれと頼まれたから。


 エキドナを討伐した夜、ランスは負傷を隠して警護についたが、彼女やリーベーラ国立魔法学園の生徒達には会ってはいない。だが、レヴェッカと共に先行していたパイクと〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕は会っている。


 それで関係があると察したらしく、彼女は、警護を担当していたレヴェッカに、もう一度会ってちゃんとお礼を言いたい、とうったえ、ランスの居場所を知らなかったレヴェッカは、それをエリザベートに伝え、今は竜族の巣フィリラにいるらしいという情報を得ると、竜族の関係者以外立ち入り禁止の浮遊島に入る事ができる妹分――幼い頃から知っているエレナに伝言を頼み、エレナからランスへ。


 それを聞いたランスは、そうですか、と一つ頷き、その素っ気なさに不安を覚えたのか、会ってあげるんだろ? と確認してきたエレナに向かって、いいえ、と首を横に振った。それは、その必要はないと考えたから。


 しかし、少女の気持ちを思いやったらしいエレナに、できる事なら会ってやってほしい、と頼まれ、レヴィさんもそう願っていたから私に伝言を頼んだんだと思う、と言われたランスは、そうですか、と一つ頷いて会いに行く事に。それは、特に断る理由がなかったから。


 時間は指定されておらず、いつ会いに行くか決めていなかったが、ちょうどお腹いっぱいになったフラメアが眠ってしまったので、起きるまでの間に済ませてしまう事に。


 そんな訳で、ランスは幼竜達スピアとパイクと共に〔ユナイテッド〕に乗って小浮遊島群オルタンシアの選手村へ。


 城館地下の私室で暇潰ひまつぶしに仮想画面ウィンドウを投影させてテレビを観ていたミスティに、天空城の監視システムを使って彼女の所在をつきとめてもらい、向かった先は、彼らが宿舎として利用している集合住宅。


 鉄のさくかこわれた敷地内には入らず、アーチの脇に停めた〔ユナイテッド〕から降りて待っていると、程なくして、思うように他国の生徒達と親睦を深められず、やむなく早々に会場を後にした、彼女をふくむリーベーラ国立魔法学園の生徒達と警護を担当している《トレイター保安官事務所》の面々が戻ってきた。


 そして、ランスの姿を認めた彼女は笑みを浮かべて駆け寄り、『マリアルージュ』と名乗ってから、望んでいた通り感謝の気持ちを言葉にして伝え、


「俺からも礼を言わせて下さい」


 そう言って仲間達の中から進み出たのは、あの夜、レヴェッカ達に状況を教えろと食って掛かっていたリーベーラ国立魔法学園チームのリーダー――燃えるような赤い髪を短めに整え、紅の瞳は意志の強さを窺わせる、試合では美しい紅の大剣に変身したマリアルージュを装備していた魔族の男子生徒。


 リーダーをつとめるからには礼儀も心得ていそうなものだが、彼は名乗る事もなく、契約を交わした宝具人パートナーを助けてもらった事についての感謝を述べると、


「本当に、――ありがとうございました」


 そう言いつつ握手を求める――ような自然さで右手を突き出し、


「…………」


 ランスは、当たり前のように、平然と左手で相手の手首を掴んで止めた。


 彼は、咄嗟とっさグリップを握る右手に左手をえ、護身用という訳ではなく、ちょっとした作業や工作をするのにあると便利な折り畳み式ナイフを押し込む――その直前、


「――ぅぐッ!?」


 万力のような強さで右手首をにぎめられた事による痛みで、思わずうめくと同時にナイフを手放してしまい、


「――何をしているのッ!?」


 声を張り上げたのは、呻き声と硬い物が地面に落下した音で異変に気付いたらしいレヴェッカ。


 ランスは、警護の保安官が駆け寄ってくるのを察した彼のあせりを見抜き、つかんでいた右手首を放す。その途端、彼は、レヴェッカと入れ違いに飛び退すさってから仲間達のもとまで後退あとずさり、


「――俺達に魔王なんて必要ないッ!!」


 そう、まるで血を吐くように叫んだ。


「貴方、いったい何を言って――」

「――パーティ会場あのばにいた皆が話していましたよ。ランス・ゴッドスピードは最有力と目される魔王候補で、かげから俺達を……将来の配下を守っていたって、俺達のほうをチラチラ見ながらねッ!」


 その他にも、テロリストは魔族達と同じルートでグランディアに入り込んだ、魔王候補が自分の戦力を世界に知らしめるために魔族達を碧天祭へ送り込んだ、実はあいつらもテロリストだが失敗する可能性が高いと見切りをつけて仲間を見捨て学生という化けの皮をかぶり続けている…………などなど、そんな根も葉もない流言りゅうげんが飛びっていたせいで、期待していた他国の生徒達と交流する貴重な機会を失ってしまった、との事。


「いったいいつまで俺達を呪縛すしばるつもりだッ!?」


 魔王に従属して一度は世界を支配し、勇者達によって魔王が倒された後、最果ての島アーカイレムに封じられた魔族の末裔まつえいは――お互いに過去の遺恨を水に流し、この世界で生きるものの一員と認めてもらい、仲間入りする事を望んでいる彼は、慟哭するように叫び、


「――頼むから消えてくれ……~ッ!! もう二度と俺達の前に姿を現すなッ!!」


 顔から血の気が引いて愕然としているのはマリアリュージュのみ。他の生徒達は、怒りや憎しみを隠そうともせずランスをにらみ付けている。


 それに対して、ランスは――


「それを聞いて、安心しました」


 力の抜けた表情は、かすかにだが微笑んでいるようにすら見え、完全に意表をかれて、え? や、は? と声を漏らし、唖然呆然とする生徒達。


 そんな未来をになう少年少女達の過剰な支持者フーリガンとして戦い抜いた少年スパルトイは、黙ったまま別れの挨拶あいさつ代わりに会釈えしゃくするときびすを返し、颯爽さっそうとしたあゆみで〔ユナイテッド〕と幼竜達の許へ。


「ランス君ッ!? ちょ、ちょっと待ってッ!」


 両者の間でおろおろしたのも束の間、ランスにそう声をかけてからまだ困惑している学生達のほうを向くレヴェッカ。


 そして、魔族じぶんたちの王になってくれ、などと頼まれなくて本当に良かったと心の底から安堵したランスは、気分よく〔ユナイテッド〕に乗って出発し……


 魔族の学生達が、保安官レヴェッカ保安官助手達ティファニア、フィーリア、クオレから口々に、ランスは確かに魔王候補と目されているが、それは他の魔王候補を倒した事で資格ありと認められてしまったというだけで、〝再来の勇者〟とも呼ばれている事や、既に幾人もの魔王候補や魔王軍の幹部、殺し屋、魔女を討伐している事………などなど、成した偉業や解決した事件の話を聞かされ、どうやら自分達は噂におどらされて仲間が受けた恩をあだで返してしまったようだ、という事に気付き始めた頃にはもう、オートバイに乗った槍使いの竜飼師は、彼らが望んだ通り、何処いずこかへと消え去っていた。




 ――その他。


 閉会式がり行われた日の翌日、裏碧天祭で敗退し強制転送された地下留置場から解放された過剰な支持者フーリガン達が、総合管理局でランス・ゴッドスピードとの面会を求めて所在をたずねたり、グランディアに留まって行方を捜したり……


 そのせいで、面倒を避けるには、空中散歩に出掛けるのを我慢し、〔ユナイテッド〕に乗って移動するのをひかえねばならず、【転位罠】を利用した移動で城館地下の私室と『新生の間』を行き来する日が続き、欲求不満フラストレーションが溜まったスピアがひっくり返ってジタバタうねうねもだえている姿を目撃する事が増えたり……


 浮き世のしがらみというのは完全に断てるものではないらしく、表と裏の碧天祭とテロ事件後のこの時期に、方々ほうぼうから協力を求められたらしい三賢人が出かけてしまったため、木の上の家ツリーハウス造りが中断されてしまったり……


 社会性を養うためにそれが必要だとの判断から、ソフィアを小学校に入学させるための手続きの一環で、母子は『学園島』と通称される浮遊島マグノリアに出掛け、ご隠居達がいない隠れ家に残して行くのは不安だというソフィアに頼まれ、留守を預かる家妖精の兄妹こびとたちにも懇願されて、ミーヤを預かったり……


 『新生の間』でかえった他の幼竜達とは違って、野菜多めのハンバーグのタネのようなものではなく、内臓や肉だけではなく骨までお腹いっぱい食べてぐっすり眠って、お腹いっぱい食べてぐっすり眠ってと食っちゃ寝した結果、フラメアが目に見えて大きくなっていったり……


 そんな風に日々は過ぎて行った。




 ――そして、今日。


 時は、閉会式の日から五日後の昼前。


 場所は、浮遊島フィリラの外縁部に広がるサバンナのような草原。


 エレナとシャリア、それにニーナまでもが、いくららなんでも早過ぎる、と止めたが、スピアとパイクにうながされてその気になったフラメアが『新生の間』の外へ出たいというので、ランスはその意思を尊重し、一緒に行きたいというキースもつれて散歩する事に。


 そんな訳で、現在、この草原には、ランス、ニーナ、エレナとシャリア、それに、常識的な速度で成長している幼翼竜キースと、非常識な速度で急成長している幼翼竜フラメア、特異な成長を遂げて年長なのに子犬サイズの小飛竜スピア小地竜パイク、それに常識的な速度で成長してるミーヤがいて、


「あ、あの、先輩ッ! あれ、大丈夫なんですかッ!?」


 許可を得てランスの事を『先輩』と呼ぶニーナがはらはらしつつそう訊いたのは、猫が、4頭のドラゴンに追いかけ回されて死に物狂いで逃げ回っているようにしか見えなかったからで、


「……?」


 楽しそうに遊んでいるなぁ、と思って見守っていたランスは、何を言ってるんだ、と言わんばかりに首を傾げた。


 ――それはさておき。


 それは、ニーナが、そろそろ帰ろうと言い出した時の事だった。


 非常識な竜飼師ランスは、遊び疲れて寝てしまったなら【念動力】で運べば良いと考えていたが、常識的な竜飼師ニーナは、重過ぎて運べないから自分で歩いてもらわなければならないため、そうなる前に帰路につこうと提案した。


 そして、そんな会話をたまたま耳にして、――スピアが動いた。


「きゅーっ きゅーっ」


 テッテッテッテッ、と崖際がけぎわまで駆けて行き、そこで振り返って皆を呼ぶスピア。パイク、フラメア、キース、ミーヤがいったい何事かと集まってきて縁に並び、そろって崖下を覗き込んだ――その時、素早く皆の背後へ回り込むなり一瞬にして形態変化。体長およそ10メートルの翼竜へ。


 人が、竜が、猫が、その場のスピアを除く全員が、え? と思った――次の瞬間、白い翼竜の力強い羽ばたきによって、パイク、フラメア、キース、それにミーヤまでもが木の葉のように吹っ飛ばされて崖下がけした落下らっか。スピアも即座にその後を追って飛び降りた。


『…………、ぇええええええええええぇ――――~ッッッ!!!!!?』


 予想外に衝撃的な光景を目撃してしまった事による思考停止、それから復帰するなり絶叫するニーナ、エレナ、シャリア。


 その一方で、ランスは、紋章を介した【精神感応】で、スピアとパイクに、フラメア、キース、ミーヤの救助と保護を指示した。


 この天空都市国家は、地表から約20キロ上空に浮かんでおり、グランディア全体を包み込んでいるシャボン玉のような結界の外は、空気が非常に薄く、気温はおよそマイナス50度。


 そんな環境に突如とつじょ放り出されたら、竜族ドラゴンとはいえ、霊力による身体強化が不十分でまだ飛ぶ事もできない幼翼竜達では命を落とす危険があり、猫はまず助からない。


「どうして預かってる猫ミーヤまで……」


 長々ながながと絶叫している三人のかたわらで、らしくもなくため息をつくランス。


 前々から計画していたという訳ではなく、この場に来た事で思い付いたのだろう。何日も同じ場所を行き来するだけの生活で欲求不満を募らせている事には気付いていたが、まさかこんな形で爆発させるとは……


「せせせせ、先輩ッ!? どどど、どうした――ら?」


 激しく動揺していたニーナは、突然、同期の先輩にまるで荷物のごとく肩に担ぎ上げられて、状況の不理解からまた思考停止状態におちいり、


「スピアには戻るつもりがないようなので、このまま行きます」


 詳しい説明をはぶき、かがんで左肩を同期の後輩の腹部に当て、その両太腿をまとめて左腕で抱え、そのまま重心の下に入り込んで軽々と担ぎ上げたランスは、エレナとシャリアにそう告げるなり駆け出した。


「ちょ、ちょっとッ!? 行くってどこ…に……」


 皆まで言ういとますらなく、人一人を抱えているとは思えない速さで一直線に崖へ向かって疾走したランスは、その勢いのまま飛び降り、


「ひぃいぃやぁああああぁぁぁ――…」


 ニーナの悲鳴があっという間に遠ざかって行き…………やがて聞こえなくなった。


 突然の出来事に、思わず茫然自失となったエレナだったが、はっ、と我に返った途端、


「シャリア! 私達も後を――」

「――無理よ」


 既に諦めの表情を浮かべているシャリアは首を横に振り、


「私達には装備がない。今から取りに行っても間に合わない」


 彼女達の騎竜は、身体強化によって自在に空を飛び回る事ができる。しかし、生体力場を獲得していないため、背に乗る人間を保護する事はできない。


 ゆえに、例え竜騎士であっても常人の範疇はんちゅうから出ない二人では、装備なしの生身だと、上空20キロの環境とそこからの自由落下には耐えられない。


 仮に、【断熱結界】やランスの【念動力場】のような術を修得していたなら、【念話】で事情を説明しつつ今すぐ私服のまま飛び降り、それらで耐え凌ぎつつスカイダイビングの要領で両手足を広げて滑空するように後を追い、最高速度でけ付けた騎竜パートナーに空中で受け止めてもらって追跡を続行する事ができたかもしれないが……


「でも……~ッ!」


 諦めきれないエレナは、崖まで全力疾走してそこからさがす。


 しかし、落下中にこの浮遊島フィリラの下側へ入り込んでしまったのか、どれだけ目をらしても、人と竜と猫の姿を見付ける事はできず……


 ――その後、ランス達が再びグランディアに姿を現したのは、五ヶ月もの時が流れてからの事だった。




 ――某日。


 そこは、雲海に浮かぶ荘厳な空中要塞。


 天空都市国家グランディアとは比べるべくもないが、大型の浮遊島を改造して築かれた近代的な基地で、外縁部には複数の飛行船が停泊しており、その中には、魔王城・城館跡に来なければミューエンバーグ家の人々を皆殺しにするとランスを脅迫した者達、あの3名の魔族の遺体と4名の宝具人ミストルティンを乗せてグランディアを出港した飛行船も見受けられる。


 そして、それは、空中要塞の中央に存在する宮殿、その謁見えっけんの間での事。


 現在、そこには7名の人間ヒューマンの姿があり、今、その内の一人、グランディアで実行された作戦に関する報告を終えた男がねぎらいの言葉をもらって退室した。


「エキドナが討たれた、か……」


 そう呟いたのは、謁見の間の奥にぽっかりと開いた大穴、その中央に浮かんでいる台座の上の豪奢な玉座に悠然と腰かけている男。


 若くして成功を収め巨万の富を築いた青年実業家といった風情の美青年で、衣服、履物、装身具……身につけているものは全て超一流の高級品でそろえ、下品にならないギリギリのところまで肌を露出させた煽情的なドレス姿の美女四人をはべらせている。


「あの不死の化け物をくだせるのは、俺ぐらいのものだろうと思っていたのだが……、どう思う?」


 美青年からそう意見を求められたのは、穴の縁でたたずむ秘書ぜんとした男性で、


「〝竜王〟からも同様の報告がきています。その場を目撃した者も、死体を確認した者もないとの事ですが、確度は高いかと」

「ランス・ゴッドスピード、か……」


 美青年が、その響きを吟味するかのように呟いて何事かを思案していると、


「ねぇ、陛下」


 そう呼び掛けたのは、はべっている美女の一人で、


「〝竜王〟様を処分してきましょうか?」

「おいおい、唐突に何を言い出すんだ」


 その美女は、自分が『陛下』と呼びかけた美青年が驚いているらしいと知ると、


「だって、陛下は、あの魔族の若様と、『天空城の主の座にいたあかつきには、六王旗の〝魔王〟の座に就く事を許す』ってお約束なさったでしょう? でも、天空城の主の座に就いたのは、そのランス君。だから、陛下は今、もう他の候補は捨てて、そのランス君に〝魔王〟の座をお与えになろうかとお考えなのでしょう?」


 それを聞いて微笑みを浮かべた美青年は、続けて、とうながし、


「強いドラゴンを使役していて、1万体以上のモンスターを殲滅できるだけの戦力を有していて、その上、天空城の主なら、〝竜王〟様、いらないですよね?」


 それに対して、今度は苦笑してから、


「賞すべき功績のある者は必ず賞し、罪を犯した者は必ず罰する――『信賞必罰しんしょうひつばつ』と言って、上に立つ者は、これを厳正に行わなければならない」


 そう前置きしてから、


「今回の目的は、あくまで新商品の宣伝広告活動ピーアール。ランス・ゴッドスピードというこま上手うまく使って、魔族を勝ち進めさせ、歴史と伝統ある碧天祭、その決勝や準決勝という華々しい舞台で宝具人しょうひんとその性能を紹介する事ができた。その上、自分の子を『この世の全てを支配する真なる魔王』などというものにしてみせると固執する旧時代の怪物を、子共々ともども見事始末させた。――これだけの功績をあげた〝竜王〟を罰せよと?」


 そう問われた美女は、ぷいっ、とそっぽを向いて、


「必要ないなら、必要ない、と一言おっしゃって下さればいいんですっ!」


 そんな美女の様子にもう一度苦笑してから、美青年は気持ちを切り替えて、


「信賞必罰と言うなら、使われていた側とはいえ、ランス・ゴッドスピードも賞してやらねばならないか」


 そんな言葉と共に視線を向けられた秘書然とした男性は、


「効果的な宣伝広告活動ピーアールによって、既に買い注文が殺到しています。更に、宝具人は契約を交わした相手をその能力で害する事ができず、一度に契約できるのは一人だけ。ランス・ゴッドスピードが前の契約者を処分した事で、我々は抵抗できない高性能の母体を4体入手する事ができました。それによって見込まれる収益と比べれば、裏カジノ襲撃で出た損失など微々たるものです」


 美青年は、満足げに頷き、


「ランス・ゴッドスピードを我が城に招待しろ。〝竜王〟に、これ以上の手出しは無用とくぎすのも忘れるな」


 そう命じられた秘書然とした男性は、謁見の間から退室し、


「これでついに、六王旗がそろう、か……」


 陛下と呼ばれる美青年は、まだ笑うには早いと分かってはいてもにやけてしまいそうになるのをおさえようとするかのように、口許に手を当て、そんな上機嫌な主の様子に自分達も気分を良くした美女達は、艶然えんぜんと微笑み、


『この世の全てを貴方様の思うがままに、我らが主――唯一絶対の〝覇王〟キング・オブ・キングス


 台座の上でひざまずき、玉座の主へ向かってうやうやしくこうべを垂れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る