第26話 魔女

「私が糸を引く?」


 その声は、相当な距離があるにもかかわらず当たり前のようにランス達の下まで届き、こちら側の声もあちらへ届いているらしい。胸ぐりの深い漆黒のドレスを纏ったブルネットの美女は、はぁ……、と物憂げにため息をつき、


「がっかりだわ。この世界の命運を懸けた戦いの舞台に上がる資格を得た者の一人が、そんな陳腐な事しか言えない小娘だなんて」


 レヴェッカが、背負っていた円形盾を左手に装備して、あァッ!? と今にも飛び掛りかねないティファニアを止め、


「――残弾を確認しなさい」


 正面を見据えたまま紡がれたその言葉に、ティファニアは出かかった文句を飲み込んだ。


 先に蓄霊槽マナ・バッテリーの霊力残量の確認を始めていたフィーリアの横で、〔輝く炎熱の攻盾〕の弾倉を新しいものと交換し、抜き取った弾倉に残っている未使用の封霊莢カートリッジの数を確認する。


「〝食人の魔女〟バーバ・ヤーガ……いったいどういうつもり?」

「質問はもっと具体的になさいな」


 レヴェッカと、『バーバ・ヤーガ』と呼ばれた魔女が会話している一方で、ランスは三人に歩み寄りながら密かに体内で霊力を練り上げる。


 今は仕掛けるべき時ではない。


 何故なら、竜族スピアの超感覚で、あれが【分身体アバター】――実体を有する分身だという事が分かっているからだ。


 ちなみに、ランスの前に現れた女の幻影とは別物。


 このまま戯言を垂れ流すだけなら無視すれば良い。だが、先程の発言を鑑みてもそれはないだろう。だとすると、あの分身体に与えられている役割は……


「末端のテロリストが作戦の全体像を知らないまま命令を果たそうとする――そんな事は珍しくもない。貴女は死亡した首謀者の代わりなんてしていない。今回のテロとは何の関係もない」

「えぇ、そうね」

「それなら、暗くジメジメした所で程度の低い男を食い物にするしか能のない魔女が今ここにいるのは何故?」

「あら、酷い言われよう。私、傷付いてしまったわ」


 バーバ・ヤーガがそう言って嘲弄するような笑みを浮かべた――その瞬間、レヴェッカが素早く猟銃型衝撃杖を構えるなり発砲した。


 光弾は、風や重力の影響を受けず一直線にバーバ・ヤーガの頭部を撃ち抜く軌道を突き進み――


「――せっかちねぇ」


 その分身体には防御する能力が与えられていなかったのだろう。破壊される直前に与えられていた役割を全うし、移動系法呪【位置交換型転位トランスポジション】で分身体と入れ替わった本体バーバ・ヤーガが、【シールド】を展開して光弾を防いだ――直後、ドンッ、と足跡が残るほど強く路面を蹴った2人の聖人セイントの姿がその場から掻き消えた。


 ティファニアとフィーリアが、高速移動するのに邪魔な進路上の空気を【守護力場】で掻き分けながら、ライフル弾のような速度で魔女へ向かって一直線に突き進み――


「貴女達もせっか――」


 それに動じる様子もなく艶然と微笑むバーバ・ヤーガ――その額に、ゴリッ、と右手で保持している〔平行銃身上下二連中折式猟銃型衝撃杖リンスレット・シルヴァンス〕の銃口を突き付け、


「――黙れ」


 固有オリジナル強化系・操作系・情報系複合身体操作法呪【テクニック・トランス】で自らに物理限界を突破する事を強要したレヴェッカが、疑似空間転位テレポーテーションと言って過言ではない速度で、先行していた二人を追い抜いて魔女に肉薄し、その言葉が終わるのを待たず遮るように言って発砲。魔女の頭部を粉砕した。


 更に間髪入れず左手を振り上げ、握り込んでいる物を鉄槌打ちのようにバーバ・ヤーガの露わな胸元に叩き付ける。


 精密な狙撃で後衛だと印象付けた上で、飛び出したティファニアとフィーリアに魔女の意識を引き付け、意表を衝いてレヴェッカが仕掛ける三人の連携攻撃が成功し、その衝撃で首から上のない魔女の躰が後ろへ倒れ――


「――礼儀がなってないわ。人の話を最後まで聞かずに頭を吹っ飛ばすなんて」


 見えないワイヤーで吊られているかのような不自然な動きで、傷一つないバーバ・ヤーガが艶然とした微笑みもそのままに起き上がった――が、


「あら?」


 先程レヴェッカが左手で魔女の胸元に押した〔不動呪縛印スペルバインド〕の判から拘束力が錬成され、バーバ・ヤーガを縛り上げる。


「黙れと言ったはずよ。話したければ総合管理局ほんてんの取調室でしなさい」


 そういうレヴェッカの顔からは血の気が引いており、ふらっ、とよろけ――追いついていたティファニアとフィーリアが左右から支えた。


 レヴェッカの症状は、典型的な霊力切れの兆候。薄い大気中の霊気を掻き集め、体内霊力を振り絞って無謀な【テクニック・トランス】を強行した代償だ。


「貴女が発した問いの答えなのだけれど、聞きたくないの?」


 レヴェッカは即座に否定できず、魔女はその様子を見て愉快そうな笑みを浮かべて、


「たいした理由じゃないわ。目の前に必ず来る終わりの日を少し早めるためのお膳立てができていた。だから、平和が終わり、戦乱が始まる、その瞬間を観ようと集った姉妹達のために一肌脱ごうという気になった。――ただそれだけよ」


 怪訝そうに眉根を寄せたレヴェッカ達は、バーバ・ヤーガに首の動きと視線で後ろを見るよう促されて――


『~~~~ッ!?』


 愕然と目を見開いた。


 連絡橋の延長線上、橋台と巨塔バベルの間にある斜面――そこに複数の人影がある。


 ここをビーチと勘違いしているという事はないだろうが、際どい水着姿の美少女達をはべらせ、パラソルの下に置かれた椅子チェアに寝そべる全裸より卑猥な水着姿の美女がいる。


 豪奢な絨毯を敷き、伏せた巨大な黄金の獅子の隣に腰を下ろして寄りかかっている猫耳尻尾の美少女がいる。


 仮面を付けた執事風の男達を侍はべらせてティータイムと洒落込んでいる、長耳に無数のピアスをした金髪縦ロールの令嬢がいる。


 額の紫紺の宝石が妖しい光を放ち眼窩にほの暗い光を点した漆黒の髑髏ドクロを大切そうに抱く、宝飾品で飾り立てられたゴスロリ美幼女がいる。


 その他にも、ヒューマン、ネフィリム、アールヴ、ドヴェルグなど様々な人種のそれぞれ個性が強い美女、美少女、美幼女の姿があり……その中には先程ランスの前に姿を現した美女の姿もあった。


「おいおい、なんだありゃ? 魔女の見本市か?」


 おどけたように言うティファニアの頬を嫌な汗が伝い、フィーリアは歯がカチカチ鳴らないようぐっと食い縛る。


「それと、もう一つ教えてあげる」


 バーバ・ヤーガは、レヴェッカ達を嘲弄するように笑い、


「〔不動呪縛印スペルバインド〕は、法呪・練法の使用と身動きを封じる事ができる。けれど、――既に発動している術を打ち消す事はできないのよ」


 そう言ったバーバ・ヤーガの全身が、まるで内側からインクが滲み出てきたかのように黒く染まり――後ろに伸びていた影が徐々に色彩を帯びていく。


「影と自身を入れ替えて……ッ!?」


 チッ、と舌打ちしたティファニアと、くっ、と呻いたフィーリアが咄嗟にアイコンタクト。二人して驚愕の声を漏らしたレヴェッカを抱えて大きく飛び退る。

その直後、拘束力で縛られていたバーバ・ヤーガが黒く染まり切るとグニャリと形を失い、それと連動して色彩を帯びた影が勢いよく盛り上がり――出現したのは〝人食いの魔女〟バーバ・ヤーガの本性。


 それは、上半身は人の女性、下半身は巨大な蜘蛛の化け物――女郎蜘蛛アラクネ


 そして次の瞬間、長く、細く、鋭い8本の足で支えられた女郎蜘蛛アラクネの巨大な影が路面に黒いペンキをぶちまけたかのように広がり――


「さぁお行きなさい、――私の可愛い子供達ッ!!」


 そこからおぞましい数の人間大の蜘蛛が溢れ出し、レヴェッカ達に向かって押し寄せた。




 『魔女』――それは、怪物モンスターと交わり、怪物の子を産む『背徳の儀式サバト』を行なった女性の事であり、出産直後という生物が最も無防備な瞬間に母と子というパスを利用し、相手の同意もなく一方的な搾取を可能とする支配と隷属の呪術的契約を結ぶ禁忌を犯した者の事。


 つまり、魔女にとっての子とは、霊力を生産する機能を備えた蓄霊槽マナ・バッテリーであり、自身を護らせる兵隊であり、使い勝手の良い捨て駒。


 そして、魔女の強さとは、産んだモンスターの数と質。名を知られるほどの強い魔女とは、それだけ多くの怪物と交わり子を産んだという事になる。


(あれが、魔女……)


 ランスは、後ろに続く飛竜スピアと共に悠然と歩を進めながら、前方で行なわれている死闘、その向こう側にいる魔女を、嗜虐的な笑みを浮かべ、豊満な乳房を強調するように腕組みし、レヴェッカ達と大蜘蛛の群れこどもたちが戦う様子を眺めているバーバ・ヤーガを観る。


 師匠から話は聞いていた。だが、遭遇するのは初めてだった。


 何故なら、エゼアルシルトには魔女が現れないからだ。


「グルルルルルル……」


 スピアにとって魔女は、酷く不快な存在らしい。嫌悪感も露わに唸っている。

更に、その魔女が子供達と呼んでいた大蜘蛛にも、通常の昆虫型モンスターにはない強い不快感を覚えているようだ。一分一秒でも早く焼却してしまいたいらしく、口の端から炎がチロチロと漏れている。


 早急に状況を終了させたいというのは同感だが、ランスはスピアを止めた。レヴェッカ達と大蜘蛛の群れが近過ぎる。今あそこに飛び込んで竜の吐息ドラゴン・ブレスを放てば確実に巻き込んでしまう。それに、


「…………」


 ランスは悩んでいた。


 先程、フィーリア達と共に飛び出さなかったのは、その前に〔輝く炎熱の攻盾〕の弾倉を交換しながらティファニアが送ってきた目配せで、何か仕掛けるつもりらしいと察したからだった。


 だが、今前に出ないのは、加勢するタイミングを計りかねているからだ。


 拙い連携は混乱を招く。不用意に飛び込めば、彼女達が放った法呪に巻き込まれてしまうかもしれない。それならまだ良い。自業自得だ。


 しかし、自分達が不用意に飛び込んだせいで、放った法呪に巻き込んでしまうかもしれない、という危惧をいだかせるような事になれば、彼女達は広範囲を薙ぎ払うような強力な法呪の使用を躊躇うだろう。そうなれば攻撃の幅が狭まり、結果的に彼女達を窮地に追い込むという事になりかねない。


 故に、機に臨み変に応じるため様子を窺い…………不意にティファニアとフィーリアの戦い方が窮屈そうだと思った。


 その理由を探るためにより注意深く様子を窺い……


(……蜘蛛を地上へ落とさないようにしているのか)


 これまで彼女達が使ってきた法呪と属性の相性から、ティファニアは火系を得意とし、おそらく爆裂系も使える。フィーリアは水系、風系、冷却系、雷電系を修めているはず。


 対する敵の大蜘蛛は、巣を張って待ち構えるタイプではなく、糸は使わず素早く獲物に襲い掛かって捕獲するタイプ。


 そんな大蜘蛛が一塊になって押し寄せてきた場合、それも、彼我の距離が近過ぎて焼き払う事ができないような場合は、指向性のある爆裂系や風系の法呪で吹っ飛ばし、突進の勢いを殺すと同時にばらけさせて各個撃破するのが常套的な戦い方。


 だというのに彼女達はそれをしない。それはおそらく……。


 この推測が的を射ているなら――


「――スピア」


 相棒の要望を叶え、なおかつ優位に戦える状況を作り、その上彼女達の援護にもなる作戦を考え、【精神感応】で伝える。それから大きく息を吸い込み、それをレヴェッカ達に伝えるために声を張り上げた。




「【血色の戦輪ブラッディ・チャクラム】――実行せよエンフォースッ!」


 ティファニアは、封霊莢カートリッジを2発消費して透明度の高い炎を圧縮成形したフラフープ程もある外側が刃になっている輪を生成。後退しながらそれを遠隔操作し、高速回転する灼熱の戦輪チャクラムが不規則な軌道を描いて次々と大蜘蛛を熔断する。


「【雷電の鉄球エレキトリックスター】――実行せよエンフォース!」


 フィーリアも、後退しつつ出現させたソフトボール大の雷光球を遠隔操作。押し寄せる大蜘蛛が、素早くジグザグに移動する雷光球を中心とした半径およそ1メートル半ほどの範囲に入った瞬間、雷光球から大蜘蛛へ向かって落雷が発生し、それに打たれた大蜘蛛はその大電流によって神経網を焼かれて絶命する。


 そんな戦輪と雷光球を前衛盾役のように使い、それを躱し、または飛び越えてきた大蜘蛛を、ティファニアは攻盾拳と〝盾打撃シールドバッシュ〟で、フィーリアは大剣で迎撃し、一人で先に大きく後退したレヴェッカが猟銃型衝撃杖の精密狙撃の連射で二人の後退を支援する。


「チッ、――おいレヴィ! ぶっ放せッ!!」

「バカ言わないでッ! 橋が壊れるッ!」

「このままじゃジリ貧だッ!!」

「だからって橋を壊したら本末転倒でしょうがッ!!」


 ティファニアとレヴェッカがそんな言い合いをしていると、


「――橋から突き落とせッ!!」


 特殊な発声法で指向性を与えられた声が後方から三人の下まで届き、肩越しに振り返ったレヴェッカ、ティファニア、フィーリアが目にしたのは、翼竜へ形態変化して連絡橋から飛び降りるスピアの姿。


 その瞬間、三人はランスの意図を理解した。


「絶対《トレイター保安官事務所うち》に引き入れるッ!」


 笑みを浮かべてそんな決意を口にしたレヴェッカは、前の二人の許へ走りながら猟銃型衝撃杖をへの字に折って機関部を開放し、装弾ショットシェルのような下段の〔術式回路・ウェッヂ〕を抜き取り、〔術式回路サーキット衝撃ブラスト〕を装填する。


 一方、ティファニアとフィーリアは、戦輪と雷光球を魔女へ向かって最高速度で直進させた。


 どちらも大蜘蛛を殺傷しながら突き進み、雷光球は途中で電力を使い尽くして掻き消えたが、灼熱の戦輪は魔女が展開した【シールド】に激突。拮抗したのも束の間、戦輪は【盾】に押し返されて砕け散った。


 だが、獰猛な笑みを浮かべたティファニアは気にする事なく、


「――手加減抜きでいくぞオラァッ!!」


 嬉々として左手に装着している盾を振り抜く事で発生した爆発的な突風で十数匹の大蜘蛛をまとめて薙ぎ払い、当たるを幸いと繰り出された攻盾拳が、〝盾打撃〟が、蹴りが、大蜘蛛を砲弾かホームランボールのようにぶっ飛ばし、その軌道上にいて巻き込まれた複数の大蜘蛛が盛大に弾け飛んだ。


 そこへ駆け込んできたレヴェッカが、への字に折っていた猟銃型衝撃杖を、カチッ、と元に戻し、セレクターで発砲するのを下の銃身に切り替えて腰だめに構え、ティファニアを避けるように回り込んできた大蜘蛛の一群へ向かって引き金トリガーを絞る。霊威を帯びた衝撃波が銃口から前方扇型の範囲を薙ぎ払い、近距離に迫っていた大蜘蛛数匹を纏めて爆砕し、その後ろの蜘蛛も兄弟の破片で傷付き木っ端のように宙を舞う。


 実にのびのびと戦い思うが儘に聖人セイントとしての力を振るうティファニアと、もはや十分に身体能力を強化するだけの霊力も残っていないが銃床内の蓄霊槽マナ・バッテリーを頼りに破壊を撒き散らすレヴェッカ――そんな二人に護られ、集中していたフィーリアの法呪が完成した。


「【プラズマボール】――実行せよエンフォース!」


 フィーリア達と魔女のほぼ中間地点、橋から4メートル程の高さの一点に向かって、まるでマイクロブラックホールが出現したかのように、風が渦を巻いて集束する。


 広がったバーバ・ヤーガの影から、ずるっ、と出現した魔女のとの血縁を感じさせる2体の女郎蜘蛛アラクネが【障壁バリア】を展開してその影響から母を護り、フィーリア達は腰を落としてそれに耐え、大蜘蛛の群れはその凄まじい勢いに巻き込まれてその一点に向かって引き寄せられ――ポッ、と超高圧縮された気体がプラズマ化した次の瞬間、轟音と共に迸った高熱と衝撃波が連絡橋の上を薙ぎ払った。


 蓄霊槽マナ・バッテリー式のほうが封霊莢カートリッジ式よりも出力の微調整が利き、連絡橋を壊さないよう抑えたのだが、それでもこの威力。


 自分の足で立っているのはレヴェッカ達3人と、魔女と2体の女郎蜘蛛のみ。あれだけいた大蜘蛛の群れはほとんどが吹っ飛んで連絡橋から落下し、死骸が幾つかレヴェッカ達や魔女の後ろの路面に転がっている。


 三人によって連絡橋から落とされた大量の大蜘蛛は、生死を問わず、颯爽と飛び回るスピアが風を操り圧縮した空気の刃で一方的に悉く切り刻み、ごしゅじんから学んだ【念動力】である程度集めてからまとめて竜の吐息ドラゴンブレスで焼却した。


 ――それはさておき。


「頑張るわねぇ」


 余裕の笑みを崩さないバーバ・ヤーガは、大蜘蛛の群れこどもたちが殺される前にその霊力を根こそぎ吸い取っていたらしい。躰から溢れ出た空間が歪んで見えるほど濃密な霊力を纏い、その一部を2体の女郎蜘蛛に譲渡。


 受け取った2体はそれぞれ無詠唱で瞬時に【障壁バリア】を展開し、一瞬で距離を詰めてきたティファニアの攻盾拳の一撃を受け止め、フィーリアの大剣の一撃を――受け止め損ねた。


 無詠唱で発動させていた【バイブレーションソード】の超音波振動を以って【障壁】を破砕したフィーリアは、大剣を振り抜いた勢いのまま、くるっ、と舞うように一回転して繰り出した2撃目で、ズドォンッ、と女郎蜘蛛Aを連絡橋の側壁の向こうまでぶっ飛ばし、くるっ、と更に回転して即座に女郎蜘蛛Bに打ち掛かり――渾身の一撃を打ち込んだように見せかけたティファニアが高速のサイドステップからバーバ・ヤーガへ向かって路面を蹴り、側面から女郎蜘蛛Bへ仕掛けたフィーリアの陰から後ろを抜けて一足飛びに殴り掛かる。


「【紅の尖突剣クリムゾン・ジャマダハル】――実行せよエンフォースッ!」


 バーバ・ヤーガが展開した【障壁バリア】と【紅の尖突剣】が激突し――ティファニアが渾身の力を込めて押し込み、二等辺三角形の刃の尖端がわずかに【障壁】の向こう側へ徹った瞬間、


「――くたばりやがれぇえええええぇッ!!」


 ドゴォオォンッ!! と圧縮成形されていた紅炎が尖端から火炎放射器のように迸り、その超高熱と衝撃波で女郎蜘蛛バーバ・ヤーガの人の上半身が消し飛んだ――が、


「――酷い事するわねぇ」


 次の瞬間には無傷のバーバ・ヤーガが艶然と微笑み――フィーリアに【障壁】を破砕されそのまま打ち倒されていた女郎蜘蛛Bの人の上半身がいつの間にか炭化していた。


「やはり【依り代の法】で……ッ!?」


 それは、予め用意しておいた依り代に、受けた負傷を肩代わりさせる呪術の一種。王侯貴族や要人が外出する際の保険、武術大会での〝不幸な事故〟の予防などが用例に挙げられる。


 通常、依り代には人型に加工した樹木や岩石、布製の人形や宝石を用いるのだが、魔女は、契約に用いた母子のパスを介してダメージを子に肩代わりさせたのだ。


 つまり、全ての子を殲滅しなければ魔女を倒す事はできない。


「――チッ!」


 足元に広がっているバーバ・ヤーガの影からまた大量に湧き出す大蜘蛛の気配に、ティファニアとフィーリアは素早いバックステップを繰り返してレヴェッカの所まで後退し、


「――【ファイアーアロー】」


 魔女がお返しとばかりに行使したのは、火の矢を生成して発射する初歩の攻性法呪。


 だが、大蜘蛛の群れこどもたちから吸い上げた膨大な霊力に物を言わせ、魔女の頭上に出現した100や200ではきかない常軌を逸した数の火の矢が驟雨の如く三人に降り注いだ。


 連続した爆音の残響が消え、連絡橋の上を吹き抜ける風で爆煙が払われる。


「あら、思ったよりも頑丈ね」


 妖艶な笑みを浮かべて言うバーバ・ヤーガ。それは果たして、路面が剥がれた程度で依然健在な連絡橋に向けられたものなのか、それとも、非術者の1個大隊を壊滅させ得る攻撃に耐え抜いたレヴェッカ達に向けられたものなのか……


「貴女達は何故、新たな時代の到来を阻もうとするのかしら?」


 両腕に装着している2枚の盾を構えたティファニアが、レヴェッカとフィーリアを背に庇い、三人で防御系法呪を多重積層に展開して何とか凌いだが、控えめに言ってもボロボロだった。


 角度をつけた【シールド】が砕かれ、【障壁バリア】が瞬く間に削られ――咄嗟に堅い防御では破られると判断したレヴェッカの指示で、熱の遮断と衝撃波の減殺に重点を置いた防御を実行したのが功を奏したとはいえ、【守護力場フィールド】を突き抜けた小さな無数の砕けた路面の破片に打たれ、服はあちこちが裂けてレヴェッカとフィーリアも下に身に着けている高級下着に分類される見栄えのいい貞操帯ビキニ・アーマーが覗き、少なからず出血もしている。


「生まれついての身分が何の価値もなくなる、戦う牙を備えた獣だけが生き残る弱肉強食の時代よ?」


 三人共自身の霊力をも大量に消費し、特に座り込んでいるレヴェッカは立ち上がれない程に消耗している。フィーリアは〔閃く轟雷の砲剣トニトゥルス〕の蓄霊槽マナ・バッテリーを使い切ってもう予備はなく、ティファニアは空の弾倉を排出し、震える手でわずかな残りの封霊莢カートリッジが込められている弾倉を〔輝く炎熱の攻盾ウルカヌス〕に装填した。


「貴女達なら今よりもずっと生き易いでしょうに」


 バーバ・ヤーガは、心底理解できないといった面持ちでのたまい、まぁいいわ、と興味を失ったように言い放つと、


大気中の霊気マナが極度に薄い、人魚にとっての砂漠のようなこの環境でよく頑張ったとほめてあげる。何かご褒美を上げなくてはね」


 バーバ・ヤーガは、天使の姿を真似た悪魔のような慈愛に満ちた笑みを浮かべると、何がいいかしら、とわざとらしく考え込む素振をし……


「いい事を思いついた! 貴女達にも観せてあげましょう。平和が終わり、戦乱が始まるその瞬間を! ――だから、あとほんの少しの間、そこで大人しくしていなさいな」


 魔女がそう告げるなり、広がったその影から溢れ出た大蜘蛛の群れがレヴェッカ達を包囲し、新たに出現した女郎蜘蛛2体がバーバ・ヤーガの側にはべる。


 《トレイター保安官事務所》にとって、まさに絶体絶命と言える状況。


 だがしかし、レヴェッカは余裕を感じさせる力の抜けた様子で、はぁ……~っ、とため息をつき、


「ねぇ、こんな噂を知ってる? ――エゼアルシルトに手を出して生き延びた魔女はいない」


 バーバ・ヤーガの片眉が、ピクッ、と震えたのを見逃さなかった。


「一度の産卵で大量に子を増やせる蜘蛛むしけらに身をやつす事で急速に力をつけた、新参の魔女バーバ・ヤーガ。貴女、何かのたまっていたようだけれど、結局のところは古参の魔女のご機嫌取り。この機に乗じて魔女にとっての鬼門であるエゼアルシルトを潰せば、どこかの派閥に呼んでもらえるはず、なんて甘い事を考えてるんじゃないの?」

「…………」

「浅はかな女」


 あからさまに憐れむように言ったレヴェッカは、むきになって言い返そうとするバーバ・ヤーガが口を開くより早く、


「――私達の手で貴女を逮捕したかった。彼には本当に助けられっ放しだから。でも、残念。加勢するタイミングを掴めず手を出しあぐねていたみたいだけど、私達にはもう戦う力が残っていないと知れば、躊躇う理由はない」


 はっ、と息を飲むバーバ・ヤーガ。


「そんなに悠長に構えていていいの? ――魔女あなた達が心の底から恐れる存在ものが来るわよ」


 はったりだという確信がある。にもかかわらず、言いようのない不安に突き動かされるようにして視線をレヴェッカ達の後ろへ飛ばす。


 すると、その姿を目視するより先に、高出力精霊エンジンの嘶きが鼓膜を震わせた。




 銀槍を地面に突き刺し、無手で駆け出すランス。そして、


「――〔ユナイテッド〕」


 その呼びかけに応じて無人で駆け付けた、ふてぶてしいまでに図太いタイヤを履いたフルカウルの汎用特殊大型自動二輪車に飛び乗った。


「レース・フォーム」

承知オーライ


 〔ユナイテッド〕は、シート高が低いため足を着き易く、ハンドル位置も程よいためライディングポジションが楽で長く乗っていられる『クルーズ・フォーム』から迅速に形態変化。前後のタイヤの間隔が広く、車高が低く、シート高が高く、ハンドル位置が低くなり、ライディングポジションはかなり前傾姿勢で、ステップはやや後ろに移動して体重移動がし易い高速走行用の『レース・フォーム』へ。


「【障壁バリア】展開」

承知オーライ


 主を乗せた〔ユナイテッド〕が、見えない巨人に蹴飛ばされたかのような猛加速を開始したちょうどその頃――


『きゃあぁああああああぁ――~ッ!?』


 爆走する大型自動二輪車オートバイに乗って突っ込んでくる少年に気を取られていたレヴェッカ達、魔女、その他モンスターの意表を衝き、連絡橋の下から飛び出した白い翼竜スピアが、力強い羽ばたきで生じた強風に指向性を持たせて包囲していた大蜘蛛の一部ごとレヴェッカ達を橋の外まで吹っ飛ばした。


 唖然とする魔女を尻目に、スピアは【精神感応】でごしゅじんに頼まれていた通り、落ちて行くレヴェッカ達を追って降下し、空中で拾って背に乗せ、あとは今までと同じ様に、大蜘蛛が地上に落ちて被害が出ないよう、圧縮した空気の刃で一方的に悉く切り刻み、【念動力】である程度集めてからまとめて竜の吐息ドラゴンブレスで焼却する。


 魔女が、はっ、と我に返った時にはもうランスを乗せた〔ユナイテッド〕はすぐそこまで迫っていて、


「――【フレイムランス】ッ!!」


 まるで赤く分厚い巨大な壁が突進するかのような炎の槍の一群を発射した――が、〔ユナイテッド〕が展開したラグビーボールのような楕円形の上半分のような【障壁(バリア)】の表面を滑るように悉く弾かれ、


「わ、――私を護りなさいッ!!」


 広がった影から、大蜘蛛、女郎蜘蛛……まさにありったけといった感じで子供達を呼び出して壁を作らせた――が、【障壁バリア】を展開したまま高速で突っ込んだ〔ユナイテッド〕が悉く撥ね飛ばしながら直進し、魔女が咄嗟に展開した【障壁バリア】に激突した。それでもまだ〔ユナイテッド〕は止まらず、そのまま押し込んで蜘蛛の群れから魔女を引き離す。


「ぐぅっ…ぁああああああああああぁ――――~ッッッ!?」


 十分に離れた所で急制動。魔女は慣性でそのまま数メートル後退し、ランスは後輪が浮き上がった〔ユナイテッド〕のシートから跳び、着地からいっきに魔女との距離を詰める。


 近距離では、聖人セイントや捷勁法使いの攻撃のほうが、例え無詠唱であっても法呪を発動させるより早い。故に、バーバ・ヤーガは大量の大蜘蛛こどもたちから吸い上げた膨大な霊力を用いて自身に過剰なまでの身体強化を施し、今や宝具の槍の一撃に勝るとも劣らない外骨格に覆われた蜘蛛の足を繰り出そうとして――


「――えっ!?」


 振り上げた時にはもう、振り下ろそうとした場所にランスの姿はなく――


 〝閃捷フラッシュムーヴ〟で女郎蜘蛛バーバ・ヤーガの側面に回り込んだランスは、〝来い〟と念じて右の掌中に現れた銀槍を片手で操り、恒常展開されている魔女の分厚い【守護力場】と激甚な霊力強化を貫いて人のほうの脇腹を深々と穿った。


 そして、即座に蜘蛛の足の攻撃範囲外まで一足飛びに後退する。


「フンッ、この程度のき…ず……?」

「…………」

「…ぁ…ぁあ…あああああああああぁッ!? い、痛いッ!? 痛い痛い痛い痛いぃいいいいいいいいいいぃッッッ!!!?」


 ランスは、痛みにのた打ち回って泣き叫ぶ魔女を静かに観察する。


 魔女は、即死した場合、自動的に死を子に押し付ける。だが、即死しなかった場合は任意に術を発動させる。何故なら、放っておいても数秒で消えてしまうような傷をわざわざ子に移す必要はないからだ。


「な、何でッ!? どうじでぇえええぇッ!?」


 それは、【依り代の法】を発動できない事について言っているのか、それとも、どくどくと血が流れ続ける傷口がいっこうに塞がる様子がない事について言っているのか……


「か、〝硬い稲妻カラドボルグ〟……~ッ!?」


 自らに傷を追わせた者の存在を思い出し、涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになった老婆のような顔をランスに向けるバーバ・ヤーガ。


 特殊な霊力の練り方で生成した勁力を相手に打ち込む。すると、他人の勁力が体内に打ち込まれるという事は異なる型の血液を注入されるに等しく、激しい拒絶反応によって落雷に打たれたかのように全身が激しく痙攣し、電気を流されたような激痛に苛まれる。


 それこそが〝硬い稲妻カラドボルグ〟と呼ばれる所以の一つ。


 その一撃を受けた者は、傷口に残留する勁力によって医療系法呪が弾かれ、再生・自然治癒を阻害されるため癒えない傷を負い、なおかつ、それで体内の霊力の流れが乱されて制御が利かなくなり、激痛によって必要不可欠な高い集中力を維持できなくなるため術を使う事ができなくなる。


 魔女の推測は的を射ていた。しかし、そうと教えてやる義理はない。


「で、でも、どうじでぇ……~ッ!?」


 それは、こちらが両手の経絡に損傷を負っている事を知っているからこその問いだろう。どうしてその手で〝硬い稲妻カラドボルグ〟を打てたのか、と。


 それは、霊力の伝導効率の高い【縫合念糸スゥター】を右腕の経絡に沿って錬成した――つまり、右腕の内部に疑似経絡を作ったからだ。


 それは初めての試みであり、何とか上手くいったが、本来霊的なものである経絡をエクトプラズム――霊的なものであるとはいえ物質で再現したため、そこに霊力を通した事で筋肉や神経が受けた影響は想定していた以上に大きく、痙攣が止まらず、痛みももう感じなくなり右腕の感覚がない。


 結果的に、左手よりも右手のほうが深刻な状態になってしまったが、致し方ない。中に閉じ込めて外界から完全に隔絶するような結界を用意する事ができない以上、魔女を討ち取るにはカラドボルグを使うしかなかったのだから。


 ちなみに、今は【念動力】で痙攣を押さえ込み、右手を動かして平静を装っている。


 ――何はともあれ。


 そう答えてやる義理はない。


 そして、バーバ・ヤーガを観察し、エゼアルシルトで悪事を働いた数多あまたの魔女を闇に葬った師匠から聞いていた話通りだという事が確認できた今、無闇に苦しみを長引かせる理由もない。


 ランスは速やかに止めを刺した。


 それから巨塔バベルの根本へ意識を向ける。すると、そこにあった魔女達の姿は忽然と消えていて――


「急ぎの用は済んだ?」


 息絶えたバーバ・ヤーガの傍らに、いつの間にかあの魔女が――肌を大胆に露出させたドレス姿の女が立っていた。


 やはり【分身体アバター】ではないらしく、【空識覚】でもひどく朧気にしかその存在を捉えられない。


「そんなに邪険にしないで。伝えるべき事を伝えたらすぐに消えるから」


 無言、無反応なランスに向かって少し悲しげに語りかける魔女。


 ランスは、そんな様子にほだされたからという訳ではなく、さっさと消えてもらうために躰ごと顔を正面の魔女に向けて話を聞く姿勢を見せる。


 すると、魔女は嬉しそうに微笑み、


「ランス・ゴッドスピード。貴方は、神へと至る道への挑戦権を得た。そして、候補者の一人だったソンベルスを倒した事で魔王候補の一人と認められ、魔王の遺産を手にする資格を獲得した」


 おめでとう、と笑顔で祝福する魔女に対して、ランスは無言、無反応を貫き、


「あの幼竜を大切に育てなさい」


 そう言うと、魔女は前言通り忽然と姿を消した。


「………………………………ふぅ~」


 その言葉を記憶に止め、とりあえず、その意味を考える事をやめる。考えても分からない事をいつまでも考え続けるのは無意味だ。


 ランスは、停車していた〔ユナイテッド〕の許まで歩き、感謝を伝える。


 その頃には、落下した分を迅速に処理して連絡橋に戻っていたスピアが、背中にレヴェッカ達を乗せたまま、残っていた全ての大蜘蛛と女郎蜘蛛を竜の吐息ドラゴンブレスで焼却し終えていた。

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