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「タルヴォと一戦交えるって、本当かい?」

「そりゃご愁傷さまだなぁ」

「ま、頑張れや」


 里に真サルザ王国の王子を連れ帰り、その身を匿うどころか全面的に荷担していると噂され、反感を買っていることはクロエも理解していた。評議会以降、皆の態度が露骨なのだ。

 その流れでクロエとタルヴォが手合わせをすると小耳に挟んだ者たちは、道でクロエを見かける度に声をかけてくる。ある者はわざわざ家まで冷やかしにやって来るほどだ。おかげでクロエは家にこもりがちになり、ロランのことを言えなくなってしまっている。

 手合わせの理由を耳にしたロランは酷く申し訳なさそうに詫びていたが、クロエは自分の責任だからと言って謝罪を受け入れようとはしなかった。

 手合わせの際に強制される決めごとなどは特にない。通常は当人同士で取り決めることがほとんどだ。

 クロエは窓辺に腰を下ろし、大きく息を吐き出した。


「嫌ならやめても良いのだよ」


 憂鬱そうなクロエの様子を見て、セラトラは苦笑を浮かべる。

 出立日が三日後に迫り、山を降りる準備はもうほとんどが済んでいた。残りは若い衆に託し、セラトラは家に戻ってきていたのだ。


「別に嫌というわけじゃない。ただ……」

「ただ?」

「相手はあのタルヴォだよ。やりにくくてしょうがない」

「自分の手はすべて読まれているだろうって?」


 お茶を入れたよと言って、セラトラはそれを机に置いた。椅子に腰を据えて話を聞いてくれようとしている叔父の好意に甘え、クロエは体の向きを変えて座り直した。


「勝てる気がしないかい? 良いじゃないか、クロエが負けたところで出発が少し遅れるだけのことだよ」

「私が勝負に負けるのは嫌いだって、セラトラならよく知っているはずだ」

「君は小さな頃から負けず嫌いだからね」


 セラトラはくすくすと笑いながら茶碗を口に運ぶ。笑い事ではないと思いながら頭を振ったクロエは、まだ完治していない肩の傷に服の上からそっと触れた。


「これは私の独り言だけれど」


 肩を撫でているクロエを一瞥してから、関係のない方向に目をやってセラトラが言った。


「幸か不幸か、今のタルヴォを退けることはそう難しくもなさそうだ。タルヴォはこれまで自分以外の誰かと競い合うことでその実力を高めてきた。例えば、私とかね。彼は私を負かすためだけに腕を磨いていた。それなのに、今の私はこの様だ。この部落にはもう彼以上に強き者は存在しなくなってしまった。競う必要がなくなったんだ。毎日の習慣になっている鍛練は欠かさずとも、衰えは免れない」

「だからこそ嫌なんだ」


 これは独り言だという宣言を無視して、クロエが反論する。


「タルヴォの本当の実力は知っているし、もしそのままだったら今の私では敵わないと思う。だからって、今のタルヴォを打ち負かして勝ちたいとは思えないんだ」

「私は勝つということが重要なのだと思っていたけれど、違ったかな」

「……勝負には負けたくないけど、勝負が好きというわけじゃない。それに、もしタルヴォが負けたなんてことになったら、若い衆に示しがつかなくなるんじゃ――」

「そんな心配ならいらないよ、敗北は敗北だ。タルヴォは自らの未熟さを素直に認め、より厳しい鍛練に身を入れれば良いだけだろう」


 まあ、すべては君がタルヴォに勝つことができたらの話だけれどね、とセラトラは言う。そして、お互いに怪我をしない程度にするのだよと言ったきり、手合わせのことについて一言も口にしなくなった。

 ネグロはやはりと言うべきか、まだ怪我も治っていないうちから決闘をするなど、お前は馬鹿かと罵ってくる。


「決闘じゃないよ、ネグロ。手合わせで一戦を交えるだけだ」

「何が違うって言うんだ? あんなものは愚か者のすることだ」

「山を下る隊へ加えてもらうためには、そうするしかないんだ」

「そもそも、それが間違っている。お前だけならまだしも、ロランは未だ長旅に耐えられるほど回復はしていない」

「本人がすぐにでも出発したがってる。このままじゃひとりで勝手に出ていくかもしれないよ。そうなるよりはましだろう?」

「そんなことを言って、お前は自分が一刻も早く親父さんの話を聞きに行きたいだけなんじゃないのか?」


 そう指摘され、咄嗟に否定することができない。恐らくそれが事実だからだろう。クロエは何も言わずにネグロを見つめ、曖昧な態度で肩を竦めた。


「本人がどう言っていようと知ったことか。旅は命懸けだ」

「私だってそう言ってやったよ」

「あいつは一見素直そうに見えて、実はそうでもないからな。少しお前と似ている」

「似ている? どこが」

「融通が利かないところだよ」


 しかし何だかんだと言っても、ネグロはクロエの考えをねじ曲げてまで従わせようとはしない。どうしてかと尋ねれば、惚れた弱味だなどと言い出すので、クロエは何も聞かなかったことにした。


「タルヴォのことだけど、随分と張り切っちゃってるみたいだよ」


 水車小屋で米を精米している間、その時間を潰すためにやって来たタイが苦笑を浮かべながらそう教えてくれた。

 地下に掘った貯蔵庫から取り出してきた無花果の甘露煮を茶請けとして出してやると、タイは大喜びでそれを頬張っていた。これの半分は町に売りに出し、残りは家で楽しむ。タイはこの無花果の甘露煮を痛く気に入っていた。


「今度のことはセラトラの提案らしいけど、大丈夫なの?」

「別に心配はしていないよ」


 強がりではなくクロエがそう言うと、タイはふうんと相づちを打って、特に大きな無花果を口のなかに放り込んだ。クロエもそれを真似て、指先で摘まんだ無花果をかじる。これは不老長寿の果実ともいわれているが、信憑性は限りなく薄い。


「そんなことより、タイはどうなんだ? 準備は済んだ?」

「うん、もう万端だよ。出発の日が楽しみでしょうがないんだ」


 はじめてこの森の外へ出ることができる喜びは、タイの胸を期待で大きく膨らませていることだろう。だが、理想と現実とではあまりに隔たりが深く、それが著しい者ほど挫折が大きくなる。かつてタルヴォがそうであったように、タイもまた大きな荷物と化さないことを切に願うばかりだ。


「僕はクロエがタイを負かして、一緒に来てくれた方が嬉しいんだけどな」

「どうなるかは明日になってみないと分からないよ」

「場所はどこで?」

「寄合所前の広場」

「きっとみんなが見物しに来るね」

「どちらかが必ず恥をかかされるというわけか」

「負けたって誰も恥だなんて思わないよ。みんな退屈してるから、たまには刺激が欲しいんだ。良い暇潰しくらいにしか思ってないさ」

「それも酷い思われようだな」


 そう言って曖昧に微笑んだクロエは、残りの無花果を口に放って奥歯で噛み潰した。弾けるような食感のあとに果実の風味と蜂蜜の甘味がし、クロエにとっては懐かしいと感じられる味が口一杯に広がった。


「モウラはタイが行くことを反対していない?」

「ううん、逆だよ。凄く喜んでくれてる。馬鹿みたいに心配してるのはサカリの方だ」

「サカリが?」

「自分も一緒に行きたいって言ってるよ。もちろん駄目に決まってるだろうってタルヴォに怒鳴られてたけど」


 その様子が容易く目に浮かび、クロエの口許からは気の抜けた笑い声が漏れた。

 普通、買い出しへ向かう隊は男だけで編制される。女も自ら望めば同行できないこともないが、力仕事が多いために大抵の場合は男だけだ。そうでなくとも、サカリはまだ若すぎる。


「大人たちだけに任せておくのは不安だから、自分が一緒に行って僕を守ってやるって言うんだ。変でしょ?」

「そういえば、サカリもタルヴォに鍛練をつけてもらっているのか?」

「ううん、いつもちょっと離れたところから見てるだけだけど」

「へえ」


 サカリは幼い頃のクロエと良く似ている。一見大人しく、何を考えているのか分からない無表情でいることが多い。言葉少なだが無口というわけではなく、希に饒舌になるのだ。内側に特別な何かを秘めているように感じさせ、その強烈な意思が伝わってくるような目に見つめられると、誰もが思わず言葉を失ってしまう。

 活発なタイと朴訥なサカリは、仲の良いいとこ同士だった。


「さてと、そろそろ精米も終わった頃かな」


 お茶を飲み干し、最後の無花果を口に入れると、タイはそう言って立ち上がった。


「僕、もう行くね。ごちそうさま」

「いや」

「明日は頑張ってよ。僕はクロエを応援してるんだからさ」

「ありがとう、善処するよ」


 タルヴォは確かにクロエの師だが、旅をするようになってからは滅多に教えを乞うことがなくなっていた。それにクロエの武術の基本、軸となっているものはセラトラから叩き込まれたものだ。

 タルヴォはそれを嫌って根気よく改めさせようとしていたが、血反吐を吐いても朝から晩まで繰り返され、無意識下でも反応するようになってしまった体の動きを調教し直すのは至難の技だ。結局のところ、タルヴォはクロエの中からセラトラの残した下地を消し去ることができなかった。

 勝算は十二分にあるというのがクロエの考えだ。タルヴォはクロエが自らの弟子であることから、最初から下手に見てくるはずだ。侮られていることは確実で、そう思うと少しだけ腹立たしいとクロエは思った。かといって、手を抜いてわざと負けるようなことがあれば、タルヴォは激昂するに違いない。そうでなくても、クロエには勝たなくてはならない理由がある。


「……仕方がない」


 タイの期待を裏切るのもかわいそうだと自らに言い訳をし、クロエは自らの師を乗り越える決意をした。

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