第3話 十月二十四日 夜

 書架の中と現実世界では時間経過の速度が異なる。夢の中で意識が数日過ごせるように、書架では数十時間にも及ぶ戦いにおいても一晩ほどの時間しか消費しない。だが精神的にはその時間を過ごしているため、肉体を精神が乖離する現象が数名の作家に見られる。書架という世界はその場に作家が一人以下になれば一時的に崩壊し、次の夜まで人を受け付けない。

 建設中のビルの二階に二人は居た。外の状況を伺いやすく、更に外側からは養生シートのおかげでこちらがわを伺うのは難しい。多少埃っぽいが、此処で汚れたところで目が覚めれば自分は自宅のベッドの上に居る。汚れや怪我なんて気にするだけ無駄ということだろう。

「そして、現在俺と君の二人が書架に入ったことでこの世界が形成されたというわけ」

「地球全部が再現されてるんですか?」

「浮遊出来たり飛行機が作れる能力がアレば確認出来るだろうが残念ながら無いからな。作家が世界中に居ると考えれば世界中何処かの待ちを区別に再現しているというのが俺の予想だ。今日本は夜だが反対側では昼だからな。昼寝中に戦いなんて巻き込まれたらたまったもんじゃないだろ」

「それもそうですね」

 書架の中をちゃんと観察すると現実世界との相違点がいくつかある。まずは光源、一般的に夜の光源と言えば月だが、この世界に月は無い。代わりに空全体が薄明るく発光し、地上を照らしている。だがそれは切れかけの電球ほどの強さで、なんとか世界が視認できるほどのものだ。

「ここで更に踏み込んだ話をする」

「はい」

「『作者』についてだ。彼、正確には性別も個人なのか複数なのかも分かっていないがめんどいからこれで。彼がなぜこの戦いの勝者に力を与えるのか。そしてその力とは何なのかだ」

「正確にはわからないんじゃないですか?」

 自宅で彼はそう言っていた。実際主催とも言える作者の存在が不透明であるかぎり、それが判明することはないだろう。

「ああ。だがその正体を調査している作家も少なくない。この書架は作者も侵すことの出来ない不可侵領域。それを利用して多くの文献を見て漁った。ここは完全に現実世界を模写しているがそれとは異なり、翌日になれば破壊された箇所は再構成される。だからいろんな施設に入って調べ物をするにはうってつけなんだ」

「は、はあ」

 現実にやれば犯罪。だがこの世界ではその概念そのものが存在しない。

「そんで府城第二高校で見つけたのが君も見つけたあの本だ。アレには前回の作家が残した情報が詰まっていた。白紙のページはここでしか見られない。そしてそこには作者の正体にもつながることが書いてあった」

「なんて書いてあったんですか?」

 ゆっくりと息を吸う。つむった目をゆっくり開くと雅人は再び口を開いた。

「『作者』個人であるか複数であるかは定かではないが、彼は少なくとも人類にある程度干渉出来る存在。そしてこの世界を作り、修復出来る存在。そして異能の力を与えられる存在。そうなると彼を形容できる単語はひとつしかなくなる」

「…神」

「正直アホかと思ったよ。だがそうでも無いと今起きていることが説明つかない。過去の文芸戦争の歴史は分からないが、少なくとも歴史の大きな転機の前にこれが行われているとだけは漠然と分かった。前回は第二次大戦の直前だった事を考えるとおそらくそれ以前の革命的出来事は文芸戦争の参加者がこの書架での膨大な時間を利用して行なったことだと予想できるしな」

「そんな…」

 あり得ない、そう否定したかった。だが実際にここで得られる情報を、一晩で数日分の情報を収集出来るとなると学業や仕事においても人より先に行くことが出来る。一人での行動であるという不利点すらあるものの、それは膨大な時間が解決する。

「そうやって最近表舞台で名声を受けた人物が居る。ジャン・クロウリーという男を知っているか?」

「英国の歴史家ですよね。どっかの大学で強弁を取っていて最近出した著書がそこそこの売れ行きだとか」

「さすが本の虫。そいつが俺たち含め残った三人の一人だ。書架での時間と能力を最大限利用し奴はあの本を書いた。ここまでファンタジーな出来事だ。「次の著書はフィクションになる」と言ってるしさながらこの出来事でも書くんだろ。さぞリアルなお話になるんだろな」

「クロウリーは魔術師の能力を持っている。能力の名前だけは本に記載されているからな。だがその内容がどういったものなのかは分からない。実際対峙してみないことにはな」

 魔術師、名前に似合った力だなと陽介は思った。

「先生の能力は?」

「先生はよせ。雅人でいい。俺の力は『鍛冶屋』、様々な武器を本のページを消費して生み出す力だ。消費数は武器によって決まる。拳銃一丁でページ半分ってところだな」

 鍛冶屋というのだから刀や斧だと想像していたが違うらしい。だが武器は作れても自分自身の力が強化されないというのは相当不利な気がする。「魔術師」の力がいかほどかわからないが、少なくとも遠距離での戦闘となるだろう。

「おそらく戦闘は俺が圧倒的不利、魔法なんてものに現実の武器が敵うとは思えん。そこで君の出番だ」

「僕、ですか?」

「クロウリーの動き、技を見て奴を倒す打開策を見つけ出すんだ。そしてその力を創造する」

「む、無理ですよそんなの」

 知識においてはそれなりに自信を持っているが、戦闘に置いてはほぼ、無知だ。そんな陽介が相手の動きを見ただけでそれを打開する方法を考えろなんて無理がある。

「それにもし僕が買ったところで作者に何を望めばいいんですか?」

「クロウリーは常人ではない。あの男は出世のために幾名もの人を死に追いやっている。奴の人間としての素養は悪魔以上だ。そいつが作者に力を与えられたら世界がどうなるかわからない」

「だから僕に救世主にでもなれと言うのですか?そんなの…」

「その少年は懸命なようだな。鍛冶屋の男!」

 ビルの外、声の方向的に下から声が聞こえた。死角になる場所から覗くと、そこにはブロンズヘアーの男が居た。きっちりとスーツを着こみ、まるでビジネスマンのようにも見える。だがこの場所に陽介と雅人以外に存在する人間と言うのはある人物を置いて他に居ない。

「ジャン・クロウリー…」

「はるばる日本まで来たんだ。顔くらい見せてくれたって良いんじゃないかな?声を張るのも疲れるんだ」

「そんなに大声じゃなくても聞こえるんじゃないか?魔術師」

 シート越しのため、向こう側からこちらは見えていないだろう。落ち着いた声で雅人はクロウリーの言葉にそう返した。

「姿を見せることはしないか。さすがは鍛冶屋だ。さながら此処はトラップタワーと言ったところだろうか。至る所に君が仕掛けた銃火器の痕跡が見える」

「…」

 彼の読みは当たっていた。これが本によるものなのかは分からないが、実際雅人は此処に幾つものトラップを仕掛けている。遠隔操作で対象を蜂の巣にする銃座に、赤外線で熱を感知すると爆破する地雷。その他にも多くの罠が存在する。

「最終決戦の場所と日時を伝えに来た。此処では分が悪すぎるからね」

「それで、何処にするんだ?」

「ここから少し行ったところに高校があるね。あそこにしよう。あそこはそれなりに敷地もあるし見晴らしがいい。校庭と言うのはバトルフィールドに丁度いいしね」

 見晴らしがいい。ということは銃火器であったり武器を使う雅人よりも多様な力が使える彼の方が有利ということになる。雅人が得意とするのは真っ向勝負でなく不意打ちである。

「一週間後だ。私も少々忙しくてね。それまで待っていてくれ、それじゃあ」

 そう言うとクロウリーはその場から消えた。

 残り一週間。

 どう転んでもその一週間後、この文芸戦争は終わりを告げる。唯一、陽介という可能性を覗いてそれはほぼ確定していた。



「…」

 部屋の窓に掛けたカーテンを押しのけるように朝日が差し込んでくる。目が覚めてから一時間半、何をするでもなく陽介はベッドの上に座っていた。思考すら無駄となった今、一週間という時間はあまりに長すぎた。


「…くっそ」

 思考は尽きなかった。

 いくらかんがえても自分が勝てるビジョンが浮かばない。能力を有していない陽介は現在文芸戦争の正規参加者としては本のルールに表示されていない。ジャッジからすれば鍛冶屋と魔術師の戦闘はこの戦争における最終決戦であるとしている。そこで両者の能力をある程度本に記載した。

 魔術師の力は自然現象のすべてを本の力を使って操ると言うもの。戦術など要らず、相手の足元の地盤を破壊するだけで勝ててしまう。もし真っ向勝負になったとしても火に包まれ、濁流に餐まれ、落雷に追われるなど雅人の持つ力では到底敵いそうな手が無かった。

 いくら考えても答えが出ない。どれだけ考えても、自分はあそこで倒れている。思考が尽きない中、彼にとって一週間という時間はあまりにも短かった。

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